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佐伯祐三 衝撃の真実 絵画 巴里 パリ 哀愁の巴里

吉薗明子

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サンピエトロ寺院
バチカンのサンピエトロ寺院の大工事費用に当てられた免罪符がルター の95ヶ条に上る公開質問状につながったことを初めてバチカンに行った時、ガイドさんに言われて、「ああそうだったんだ」と歴史を思い出したことがあります。その時ガイドさんは「皮肉にも、この サ ンピエトロ寺院が」という言葉を使いましたが、サンピエトロ寺院の今でいう内装の すごさ、これこそカソリック、これに対してスイスの教会はプロテスタントのいう聖書重視というような意味でつくられた感がありました。ガラーンとして装飾品らしきものは何もありません。
バチカンでラオコーン像を見て私の旅の目的の一つが出来ました。イリアッド・オデッセイにでてきますトロイの木馬、 トロイのヘレンはあまりにも有名です。テティスとペレウスの結婚を祝う宴席には全ての神様が招待されたのに争いの女神エリスだけは招待されなかった、エリスはヘラ、アフロデーテ、アテナイの3美紳の談笑する中に黄金のりんごを投げ込みます。そのりんごには「世界一美しい女へ」とかかれてありました。3人の女神は私のものだと争い、終にゼウスに決めてもらおうとします。ゼウスも困ってトロイのパリスにその判定を頼みます。パリスの審判は絵にも描かれています。パリスはスパルタの妃へレンを奪います。これがトロイ戦争のきっかけです。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/laocoon2.jpg

ラオコーン 像
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ペルガモン
トロイの木馬を城壁の中に入れるとき、反対した二人がいます。トロイの神官ラオコーンと王女カッサンドラです。ラオコーンは二人の息子とともに海蛇に殺されてしまいます。カッサンドラはアポロンと付き合ったことがあります。アポロンに予言の力をプレゼントされますが、アポロンとの行く末をその力で垣間見て別れます。アポロンは怒り「予言してもその予言は正しいが誰も信じない」という呪いをかけてしまいます。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/troy22.jpg
ラオコーンは海の神ポセイドンに憎まれていたため殺されます。 このラオコーン像はすばらしく後世多くの彫刻家が参考にしたそうです。その後私はベルリンのペルガモン博物館に行き大きな壁に囲まれた部屋に入りました。3面の壁はレリーフからなっています。その中に「ラオコーンが蛇に絡まれている姿」とそっくりのレリーフを見つけました。遠い昔同じスタイルの芸術作品が時と時代の中に生きていたのです。 ペルガモンはどこにあるのか?私はトルコに行き山に登りそのレリーフがあったところに行ってきました。そこは荒涼としたところでぽつぽつ遺跡が残っているだけでした。http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/laocoon3.jpg

レリーフ
トルコでは他に下記が印象的でした。
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カッパドキア
1)三位一体説の宗教会議で知られる二ケーニアhttp://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/kemaru.jpg
ケマル・パシャお墓
2)西暦1世紀のカッパドキア(現トルコ)のギリシャ
人医師、アレタエウス(Aretaeus)は特別にdiab-
etes(糖尿病)と縁が深い人です。 この疾病を、
「尿のサイフォンあるいはその流出」 と結びつけ
て diabetes(合成語)という名を与えたのはアレ
タエウスその人です。
3)ケマル・パシャの墓
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モジリアニの死の原因は、彼がもともと結核であったこと。33歳のときジャンヌと結婚、翌年1920年1月24日36歳にて死亡。翌日二人目の子供を身ごもっていたジャンヌは飛び降り自殺。私はペールラシェーズ墓地に彼らを訪ねていきました。なかなか見つかりませんでした。ひっそりと隠れるように彼らのお墓はありました。1944年治療薬として、その後ストレプトマイシンが発見されます。現在はリファンピシン、エタンブトール、イソアニドなどが使われています。エタンブトールは眼に影響することがあり、EB内服の患者さんは眼科でチェックします。モジリアニの没年1920年ごろはまさに結核は不治の病であったのです。
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モジリアニ (1984−1920)
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モジリアニのお墓
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後追いした 恋人 ジャンヌ
モジリアニ、好きな作家です。映画モンパルナスの灯でしたか、モジリアニの絵が批判される場面を今も思い出します。モジリアニは自ら死に近づきたいようにアブサンをあおり、絵を描く、ハンサムな美男子、若くして結核で死んだ早世の星。印象派の人たちが活躍した時代はナポレオン3世がパリ市長クレマンソーにパリ大改造計画をさせた時代です。オリンピックや万国博よりすごい時代、革命は起きるし、本来なら絵なんか描いていられない時代であったでしょう。その頃マネの草食の昼食に感激したした人たちなどが株式会社を作ってサロンに対抗し、絵を売るためにつくった集団が印象派とよばれるようになりました。時代が大きく移り変わるとき生まれたこの人たちの絵は浮世絵の世界、心と通じるところがあります。だから日本人によく理解される一面もあるかと思います。結核菌は1882年コッホによって結核の病原菌として確定されました。コッホがパスツールと同時代、シャーレに菌を培養し、それぞれの菌が色や形、大きさの違うコロニーを作ることを見つけ、菌の分離に成功、以後Aなる細菌がAなる病気を起こす、そういう菌が次々と発見されていきました。

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ベニス
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世界 大プレイボーイは?

ド ン フ ァ ン

カ サ ノ バ

在 原 業 平
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在原 業平
いつも理想の女性を追い求めるのはドンファン(ドン・ジョバンニ)もカサノバも同じ。ドンファンは容赦なく女を捨てる。カサノバは別れた女性からも慕われる。果たして別れた女性にとってはどちらがいいのであろうか?ベニスに初めて行った時「ため息橋」をガイドブックで見ながらそこの宮殿を大きな建物だなあと通り過ぎました。ああ「先達はあらまほしきかな」(吉田兼好、仁和寺にある法師)。
ベニスに2回目訪れたとき、その建物になにか催し物があるというようなポスターがあり興味をそそられ入ってみました。なんとそこはドゥカーレ宮殿、強固な牢がありました。ベニスの商人のアントニオもここに囚われていたのであろうか?カサノバはこの牢屋からただ一人脱獄した人物であったそうです。
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ドゥカーレ宮殿

無言館と父への手紙

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http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/mugon.jpg 長野県上田市の無言館にかねてから行きたいと思っておりましたので、訪れました。かなり不便なところでしたが、地元の友達が車で送ってくれました。中に入りますとおごそかな感じがします。絵と画家についての説明を見て、遠い過去の彼らの無念、生きていたら、という思いを感じました。26歳ぐらいで多くの人が戦死しています。あの昔、美学校に行くのはその人も家族の方も大変であったでしょう。すばらしい才能が花開かず、散っていったのです。帰りに説明書を買いました。それで、初めて、館長が「父への手紙」を書いた窪島誠一郎と知りました。
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20年ぐらい前、ある人にぜひ読んでと言われ、読んだ本です。多分その人も同じ思いをしたことがあるのではと思っています。自分の父を知らず育ち、実の父、有名な小説家、水上勉に会いにいく話ですが、じっと思いを胸に秘めてきた人のされたことと、よりいっそう感銘を受けました。

ドガ

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ドガ(1834−1917)も眼のことで苦しんだ一人。手紙や作品から黄班変性症が考えられる。 これは視力と色覚が損なわれてくる病気です。 晩年の作品に見て取れるそうである。 60歳の頃からはほとんど視力を失っていたと言われています。
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ドガ66〜68歳頃の作品
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http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/red_impr.jpg彼が真のドガとなったのは50歳以後だった」ルノワールはそう言っています。視力は容赦なく失われていきます。それでもドガは描きます。記憶の中にまどろみながら。その線は太く、その色彩は鮮やかに。ドガは変貌を遂げるのです。真のドガになるために。マティスが買い取ったドガの作品がありますが、それは赤い色が非常に印象的で、フォ-ビスムが生まれたのは、ドガの目が悪くなったからと言えなくもないでしょう。(美の巨人たちより)
1870年 普仏戦争、36歳のドガは右目でライフルの照準が合わせられなかった。
1873年 光が強すぎて川辺の景色を楽しめないという手紙。32歳で失明した従妹の存在(遺伝的な疾患の可能性)
1874年 第一回印象派展 私の右目はだめになってしまったという手紙
1880〜1890年 左眼の中心暗点が拡大。まぶしさ(羞明)に対してはサングラスが有効であったとのことです。
ドガの眼の病気はなんであったのでしょう。角膜、水晶体には異常がなかったとのことです。黄斑変性症、強度近視による網脈絡膜萎縮、網膜色素変性症、虹彩炎などを考えている眼科医がいます。最近加齢性黄斑変性症が増えています。この病気は両眼同時に起こることは少なく、片眼に始まり、もう片方にも発症してくることが多いです。(記憶だけで、絵の具の区別はつかないと思いますので、視野はある程度保たれていたはずと考えられます。)またこの病気では見たいところが見えません、でも視野は保たれています。(晩年ほとんど見えなくなったとのことですので加齢性黄斑変性症とは考えにくく、また遺伝的な病気のstargartにしてもおかしいと思います。黄斑変性症はいろんな病気を含んでいますが、晩年視野も失ってくるとなると、他の病気も患っていたのかもしれません。白内障または緑内障など他の病気が同時に存在していた可能性も考えられます。
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眼はカメラのような構造で,様々なものの色や形を光の情報として取り入れています。眼の虹彩はカメラの絞りに、水晶体はレンズに、網膜はフィルムに相当します。その網膜の中で、最も重要な部分が「黄斑」です。この黄斑に異常が起こると、フィルムの中心部がダメージを受けて、写真の中心部分が写っていないのとおなじように、最も見たい部分が見えづらくなってしまいます。

モンテクリスト伯

http://www7.ocn.ne.jp/~shiraya/img/montecr2.jpgテレビのなかった子供の頃、「巌窟王」、「一丁目一番地」、「少年探偵団」、「ああ無情」、「コロの物語」などという連続ラジオドラマがありました。時間が来るのが待ちどうしかったのを覚えています。
WOWWOWでモンテクリスト伯(巌窟王)を見ました。マルセイユからエドモン・ダンテスが閉じ込められていたことになっているイフ島を見てモンテクリスト島にも思いをはせました。ダンテスが友人に陥れられ結婚式の当日逮捕されます。恋人はその友人と結婚してしまいます(映画は原作とは違うかもしれません)。その理由がずーっとわからないでいました。
子供はダンテスの子、それは知っていました。ダンテスが逮捕され恋人は彼が死刑になったときかされます。ところがお腹にはダンテスの子供がいます。当時としては父親なしに子供をつくることは大変なことだったのでしょう。「永遠の愛を誓ったはずだ、なぜすぐあんな男と結婚したんだ」とダンテスは詰め寄ります。
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デュマ像
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モンテクリスト城
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マルセイユからイフ島を臨む
ラストに近い場面、決闘シーンで友人、ダンテス、妻(恋人)息子がいる場面でそのことが明かされ、ダンテスも息子も驚きます。私もなぜ彼女がすぐ結婚したのか、多分悲しみにくれ、やさしくされた男に心の空白を埋めてもらいたかったのだと思っていました。当時の事情からすると(ナポレオンの時代でも)、父のいない子供、また結婚していない女が子供を持つと言うことは保守的なキリスト教社会では苦しいことであったと想像されます。長い年月の後、「ああそうだったのか」と初めてわかった気がしました。
昔世間体などをフランスではかなり気にしていたと思われます。イル・ド・フランス、パリから列車に乗ってある町に降りました。「地球の歩き方」を手にそこに行きました。アレクサンドル・デュマ の作った庭がありました。彼の夢のあとのようです。彼は黒人奴隷の孫として生まれたそうです。差別や偏見によってだめになる場合と逆にえらくなる人がいるようです。お金が出来たとき、彼は自分の城を作ります。
イフ島に見立てた周りを池で囲まれた塔のようなものもありました。書斎には昔の彼の作品(初版本らしい)演劇のポスターなどが貼られていました。放蕩癖のため金があったりなかったりの生活。この作品はギリシャ神話、オデッセイを一例に多くの影響を感じさせるものだそうです。この庭は面白く、洞穴を潜り抜けたり子供が喜びそうな仕掛けがありました。その後私は南フランス、マルセーユにあこがれます。そして紺碧の海に浮かぶイフ島を見ました。風の強い日でした。マルセイユの高台にある教会から見下ろせます。イフ島には小説がベストセラーになるやいなや、エドモンダンテスの牢屋というのが出来たそうです。
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今出来ちゃった結婚が日本では多くなっています。またシングルマザーも増えています。お腹に子供のいる人が、それを承知で結婚してくれる話、映画音楽で有名なフランス映画「シェルブルールの雨傘」です。きれいな傘屋さんの娘が恋をする、そして戦争だったと思いますが、二人の仲は引き裂かれる、お腹は大きくなってくる。年の離れた紳士が私が一緒になって面倒見ますよということで結婚。数年後二人は出会う。悲しい話ですが、ミュージカル調で会話が全て音楽のリズムに乗っているため、悲しさが半減されています。
映画「ひまわり」では戦争による悲劇による別れ。ソフィア・ローレンが夫のマルチェロ・マストロヤンニを探して会いに行きますが彼は他の人とすでに結婚して子供がいます。あの映画音楽は高校時代からの友人のシャンソン歌手、広瀬 敏郎 が歌っていますが、しみじみとしたいい曲です。

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