Naval Force 9

48番目の義士 ふたたび・・

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 9月14日(土)フェローを拝命賜りました、
 造山古墳蘇生会 〜 古墳カフェ
「投馬国はやっぱり吉備?」
 
おかげさまで、なんとか務めることができました。(参加者の皆さまからスルドい突っ込みを頂きましたが..)ひとまず成功裏に終えることができました。
 
参加者および関係者の皆さま、準備取材にご協力いただいた方々、
厚く御礼申し上げます。
 
主催の西平先生ご夫妻に「力作ね」と褒められたのをよいことに、にわかに得意になってしまい、以前お世話になったTSCテレビせとうちにもご案内申し上げました。
 
今回フェローを拝命して「えぇえええ!岡山大考古学の新納先生の次が私ですかぁあああ?!な、なんで..」と最初は戸惑いましたが、準備に費やしたここ3箇月は非常に自身の勉強になりました。
 
最初は「関西から来ているのだから、『飛鳥からみた吉備』みたいな、備中高松・加茂・足守の人たちに新鮮なテーマでお願い!」とリクエストを受けました。
 
たしかに飛鳥はホームタウンに近かったので、子供の頃からサイクリングで廻っていたけど、橿原考古学研究所みたいな知識はないので、リクエストいただいたような僭越なテーマはとてもムリと思われました。
 
そこで高松(讃岐)赴任時代からあたためてきた「備讃瀬戸圏(吉備)=投馬国」説をもとに構成しようと考えました。
 
< 反省点 >
突っ込まれたボケ点
 
・吉備の枕詞「まがね吹く」はたたら製鉄を意味しているが、6世紀以降のこと。弥生時代は鉄の加工にとどまっていた。金穴(かんな)流しの土砂で吉備津の港湾が浅くなったわけではない。風化作用による堆積によって自然に港湾が浅くなった。
 
・古墳編年は出土した土器に因っているが、石室の石積み仕様による編年にそぐわないものが少なくない。土器は築造時期より下って後年補修によって持ち込まれたと考えざるを得ないものもあるし、何世代にも亘って葬られた古墳もある。土器のみによる編年は必ずしも正確とはいえない。
 
(って..松木先生(岡山大 考古学)の編年案をもとに再構成したのに..
 第一線の考古学者の編年の手法に批判の目を向けている。スルドぃ..)
 
 
・ももたろうのモデルとされる記紀の四道将軍の伝承をもとに、律令体制下の五畿七道を弥生時代末期にあてはめているが、ムラからクニに移行する時代の「統治」の形態について錯誤がある。稲作によってムラの生活は安定したとはいえ、まだまだ水利や天候など自然との戦いを強いられていた時代、諸国の交易はあったとしても、信仰や経済など同じ価値観を共有する勢力圏が全国規模で形成されていたとはいえない。
 
..等々、けっこう叩かれた..
 
 
でも、会の目的は一方向の講演会ではなく自由討論会だから、覚悟はしていたし、むしろ望ましい展開となりました。
 
◆  ◆  ◆
 
 
参加者の中にはカルト的な本を引用して、マユツバの陰謀説で「邪馬台国=西都原(さいとばる)」説を提唱する方もいらっしゃいましたが、ちょっと古墳カフェにはふさわしくないように思えました。こんな「九州説」じゃ東大白鳥派が可哀想。
 
 
一方、初参加のN波さんは「邪馬台国=豊後(宇佐?)」説を唱えてられましたが、弥生時代の他地域と比較して吉備の遺跡群がいかに突出して充実しているか、ご持参の資料をもとにレクチャをフォローしていただいて、ひそかに感謝しております。
 
 
※さて、次回はあのNHK西日本の旅「古墳ガールが行く」で「師匠!」として出演されていた和気さんがフェローを務められます。
 
私としては、土器だけでなく石室の仕様を含めた古墳編年を発表していただきたいのですが、そこまで3箇月で求めるのはなかなか大変です。
 
でも、とにかく楽しみですね。
あの時出演されてた古墳ガールたちも参加していただいたらいいのに。
 

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