GIFTS FROM WILD NATURE

2008年から真面目に写真の勉強を始めました。もっともっといい写真、撮りたいです!

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黒猫

 
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Canon EOS40D + Canon EF17-40mm F4L USM
トリミング
 
埼玉の黒豹。。。

猫二匹

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Canon EOS40D + SIGMA APO MACRO 150mm F2.8EX DG
 
猫というのは、もっとアウトローなものかと思っていたんですが、こうやって二匹が寄り添ったりすることも
 
あるんだなぁ〜、と思いながらシャッターを切りました。まだ大人にはなってない兄弟猫というところでしょうか。
 
姉妹かもしれないけれど。
 
もうちょっとネバれば、もっと良い写真が撮れたのかもしれませんが、この日は越冬に来ているらしい、
 
コミミズクを探していたので、ネコさんの写真ではネバりませんでした。結局、コミミズクは撮れなかったです。
 
それにしても単焦点の明るいレンズはピントが簡単に合いますね。
 
しかし、ズームだとそうはいかない。。。。。。
 
どうして単焦点で合うのに、ズームでは合わないのか?開放F値が5.6以上は厳しい気がする。
 
レンズメーカーにボディとカメラ持ち込んで調整してもらったんですが、やはりあんまり合わない。
 
ブログなんかで見ると、僕なんかよりも下のクラスのレンズを使ってる人でも、すげ〜、ピントが合ってる
 
人もいるわけで。そうなると、腕なのか、レンズとボディのめぐり合わせが成せる技なんでしょうか。
 
全然、ピントが合わないので、動くものを撮るとき以外には必ずライブビューででっかくしてピントを合わせて
 
撮るようにしています。この前はヤマセミすらライブビューで撮りました。
 
でも、40Dの液晶はモヤモヤなので、ライブビューでもピントが合ってるのかよくわからないことが多いです。
 
40Dよりも前に買ったPENTAX K100Dの方はライブビューはないけれど、液晶で画像をおっきくすれば
 
ピントが合ってるかどうかくらいはちゃんと分かるのに。新しいボディがほしい今日この頃です。
 

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以下の文は6月18日(木曜)に一度掲載したものを、再考して掲載し直したものです。



つい先日まで『釣りキチ三平』とか『9で割れ!!』とか矢口高雄さんの本ばかり読んでいた。特に『ボクの学校は山と川』には感動したので、知人に薦めてみた。すると、この本は面白いし自然が好きな貴方にもぴったりだから、と逆にその人の好きな本を薦められてしまった。梨木香歩さんの『家守綺譚』。本屋で見たら、わずか2百ページ程。これならば3日で読める、と購入したのが月曜日。その日の帰りの電車から読み出して、今日、木曜の帰りの電車で読み終わった。

「自然が好きな」、と言われると、確かにそのとおり。しかしながら、ボクという人間はたぶん植物というものにはほとんど関心がないのだろうなぁ、と自分自身のことでありながらも、そんな風に感じているのだ。例えば登山に行けば、普段見ることのない高山植物がたくさんあって、夏などは見渡す限りお花畑だ、なんてところにテントを張ったこともある。しかし、ボクはその高山植物の名前をほとんど知らない。高山植物が楽しみで登山をしている人も多い。というか、もしかしたら登山をする人のほとんどが高山植物のことに詳しい人たちなのかもしれない。ボクは、おッ、これは見たことがある、程度で終わってしまい、その植物の名前など知ろうとも思わない。写真を撮っていると、あれ、あなた、あちらにたくさん〜の花が咲いていますよ、なんて言われたことが何度もある。しかし、その花が一体どれなのか、ボクには分からないのだ。きっとこれからも分からない。

しかし、この『家守綺譚』を薦めてくれたその知人は、きっとボクのことを植物に詳しい人だ、と思っていたに違いない。だから、こうして小説を読み終わってしまった今は、なんだか少しその人に申し訳なく思っているところもある。



「綺譚」という言葉は、珍しい話、とか、不思議な物語、とか、そういう意味だそうです。

しかし、この小説のなかでは、不思議であるはずの物語はあたかも当たり前の出来事であるかのようにはじまってしまうのだ。読んでいたボクは一度文字を追っただけでは何がはじまったのかもわからず、もう一度文章を読み直したくらいだった。そして、物語はずっとこの雰囲気のまま進んでいくのだ。雰囲気、というのはどこまでが現実(と言って良いのか分からないが、綺譚ではない部分、とでも言おうか。)で、どこからが綺譚なのか、という境と言ったら良いだろうか。その雰囲気は不思議な魅力を持っていて、読者の興味を物語の先へ先へと惹いていくのだ。つまり、いったい、この物語はどうなってしまうのだろうか、どのような結末を迎えるのだろうか、という興味だ。それだけの興味を持てば、物語のなかに読者をグイグイと引き込んで放さない、というのが普通だと思う。でも、ボクの場合はそうではなかった。ときどき文字だけを追っていて、内容が全く頭のなかに入っていないことに気が付いた。ひとつは文章。どう言ったら良いのかは分からないが、読みやすい表現ではないと思う。表現が下手だ、ということでは決っしてない。この表現によって、綺譚はさらに綺譚らしくなっている。物語の想定は百年ほど前ということらしいが、読んでいて明確な時代設定を感じることは出来なかった。たとえば、英語学校の非常勤講師、という設定がカギになるのかもしれないが、それが百年ほど前ということになると、さらにボクは分からなくなってしまった。しかし、この文章が「現代」では間違いなくない「昔」の時代の設定であることを適切に表現しているのだ。ふたつめは、文章による綺譚の表現。作者のなかではイメージとしてかなりはっきりとしたものがあるのは間違いないのだが、読んでいる側ではいったいどういう状況なのかが分からない。少なくともボクの能力では理解できそうにない箇所があった。とにかく不思議な物語なのだ。だから、ボクはこの小説の感想や、巻末の解説が一体どのように書かれているのか、まだ読み終わっていないうちから気になって仕方がなかった。

巻末の解説には狸の恩返しと葡萄の話が極めつき、と書いてあった。この解説を読んでひとつだけボクが安堵したことは、ボクもこのシーンをしっかり覚えていたことだった。読み終わったときには、一体、この物語のうち、どれだけの内容が頭のなかに入っているのだろう、と心配になったが、解説の内容が分かるということは、ボクも人並みに内容の把握は出来ているようだった。ネット上にある感想も読んだ。「小鬼が好きです」とか。小鬼だったらゴローの方がきっと愛すべきキャラクターなのではないだろうか。しかしながら、立派な感想や解説をするには、相手が悪すぎるのかもしれない。何しろ、この小説は、最後まで綺譚を日常にしたままだからだ。つまり、どこかにたどり着く、ということではなく、そのまま終わってしまったのだ。いや、物語としてはひとつの節目で終わっているのは間違いがない。「幽明の境」という言葉が使われていて、主人公はこの幽明の境から抜け出すことが出来たのは間違いがないだろう。しかし、戻って来た現世というのは、もともと綺譚に満ちた世界ではないか。その現世には冥界からやって来た者がたくさん現れるではないか。では、幽明の境というのは、一体どこだというのだろうか。

ボクはこの小説を読んでいる期間、浮遊感のようなものをずっと感じていた。本を読んでいないときであっても、いつの間にか思考は小説の世界へと飛び込んで、物語のなかの出来事を思い巡らしたりしているのだ。身体の半分は日常の世界にあって、もう半分は綺譚の世界にあるかの如く、身体と精神がバラバラになってしまうような不思議な感覚だった。きっと、この小説が結末を迎えれば、この身体と精神のアンバランスから開放されるに違いない、とどこか楽観していたのだが、しかし、現実はどうだ、「さぁ、この話をそのまま受け取ってくれ、あとは知らん」、と言うかの如く、小説はそのまんま終わってしまったのだ。果たしてこんな残酷なことがあっていいのだろうか。ボクと言う読者は精神も身体もバラバラのまま、小説の最後のページから投げ出されてしまったのだ。最後に主人公が眼を覚まして、実はすべてが夢でした、というような、例えばそんなつまらない結末であっても、きっとボクは精神と身体の半分を綺譚の世界から救い出すことが出来たはずなのに。


 
電車を降りたら、すぐに本屋に入っていた。『西の魔女が死んだ』。ならば東に王が誕生し、綺譚の世界から秩序ある現実の世界へとボクを救い出してくれるのだろう?そう思ってレジに向かった。



現れたのは東の王ではなく、ヒガシノマジョだった。もしかしたら、ボクはまた別の綺譚の世界へと入り込んでしまったのかもしれない。しかし、今のボクは秩序ある現実の世界へとしっかりと戻ることができた。しかしながら、本の余韻はまだ続いているようだ。猛烈に感動しているのだ。



ネットで梨木香歩さんの本を調べていると、星野道夫さんの写真が表紙として使われている本があることに気が付いた。僕自身は今のところ植物には興味があまりないが、それでも「自然が好きな貴方にぴったり」という知人の考えは当たっていた、ということだろう。好きな作家が自分と同じものを好きでいてくれる、という事実はとてもうれしい。

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 前回撮ったのは、ちょうど去年の今頃だったんですね。

 この猫は今年もエスカーのチケット売り場のカウンターの端で道行く人々に可愛がられていました。

 1年経つと、やっぱりちょっとやつれてた気がしますね。野良猫社会もきびしいらしい。。。

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