指の斥候たち

験なき物を思はずは 一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

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5月1日、令和への改元にともない、指の斥候たちの新規投稿はすべて
移行先の FC2ブログ で行うことにいたしました。

これまでコメントを寄せてくださった方、
いいね ! を寄せてくださった方々には心より感謝申し上げます。
 
これまでと同様に FC2ブログ 指の斥候たち もぜひよろしくお願いいたします。
 
ありがとうございました。

 

平成最后の日

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 平成時代もいよいよ今日で終わる。 TVでは壮大な祭りでもあるかのように大騒ぎしているが、大騒ぎする理由が全くわからない。 たんにカレンダーが一枚替わるだけではないかと妙に冷めている自分がいる。
 
 自分なりに思い返すと、平成の三十年間は今まで生きていた人生の半分以上を占めるのだが、思い出すのは学校に通っていた頃、つまり昭和時代の思い出ばかりである。

 高校を卒業して社会に出てほどなく時代が昭和から平成になったわけだが、二十代から今の五十代まで、一般的な人生ならその間に結婚をして所帯を持ち子育てをして仕事も頑張ってと充実したものになるのだろうけど、自分の場合仕事だけでその他は全く身につかなかった。 まあそれも人生なので反省もしなければ後悔もしていない。

 最近はなにをするのも一人だ。 たまに友人と飲みに行くことはあるが、ほとんどの場合飲みに行くのは一人、遊びに出かけるのも一人、先日久しぶりに高校時代の友人に会ったときにキャンプの話になり、デイキャンプで一人で出かけて料理を作ってビールを飲んで帰ってくるんだという話をしたら、めちゃくちゃ大笑いをされた。 なにが可笑しいのか全く理解できなかったが、おそらく彼にとってキャンプ=大勢で賑やかにやるもの、ということなのだろう。 たしかに以前は大人数でワイワイとやったものだが、最近はそういうのが全く苦手になった。 こうして一人、また一人と友人が離れていったのかもしれない。 今まで付き合った女の子とは全てうまくいかなかったが、自分のこういう考えを微妙に感じ取っていたのかもしれないな。 人間関係の 「 和 」 を保つということは、自分にとって一番難しいことなのかも、と思う。
 
 明日から年号は 「 令和 」 である。 首相談話によると、新年号には 「 一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい 」 という願いが込められているという。 年号が替わったからといって自分の生活になにか変化が起きるとは思わないし、変化をしようという意気込みも無いのだから大きな花が咲くことはないだろう。 相も変わらず週末になれば興味の惹かれる場所に出向いて居酒屋で一杯飲んで酒肴を楽しんで帰ってくるだけだ。
 
 聖徳太子は 「 和を以て貴しとなす 」 と仰られたが、日常生活に 「 和 」 のほとんど無い自分には縁遠い言葉である。 新年号の 「 令和 」 は、語感の響きも良く個人的にはとても良い年号だと思っているが、居酒屋のカウンターで賑やかに談笑するグループや楽しそうなカップルたちを眺めながら一人グラスを傾けていると、和やかさに欠ける自分は 「 令和 」 が 「 零和 」 と思えてしまう 平成最后の日 であった …
 

 
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その八 徳恩寺と長屋式山門
 
 日野春日神社 のすぐ隣にこの辺りではよく目立つ 長屋門 があります。 ここが日野春日神社の別当寺となっていた 徳恩寺 です。 長屋門(※1)は一般的には武家屋敷などに多く見られたものですが、長屋式山門を持つ寺院は全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。
 
 平安時代後期の康和元年(1099年)九月、京都仁和寺の 尋清僧都(じんせいそうづ)がこの地に止宿し、尋清に帰依する 武蔵大守藤原成実 より与えられた 紫冠帯剣のご神像 を山の中腹に建立した神祠に奉安し、奈良・東大寺二月堂から初代の司を招き 穂井の神社(ほいのじんじゃ)と称したのが 日野春日神社 の始まりといいます。
 
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【日野春日神社】
 
 尋清僧都は自ら別当となり傍らに住居となる堂宇を建立、この堂に、弘法大師空海・恵心僧都源信・行基法師・伝教大師最澄・智證大師円珍 がそれぞれ造ったと伝えられる 五霊像(釈迦尊・文珠菩薩・薬師如来・地蔵菩薩・観音菩薩)を安置し 真如坊 と称しました。 これが徳恩寺の起源とされています。
 
 五霊像は尋清僧都が堂宇を造営するときに、尋清に帰依する 武蔵大守藤原成実 が多くの寺々に懇請して集めたもので、このうち 地蔵菩薩像 は、平国香(※2)が護持した行基法師の作と伝えられ、徳恩寺のご本尊となっています。 尋清僧都は、正覚坊・萬蔵坊・光明坊・安養坊・観音坊・正福坊 の六僧房を建てて大いに興隆したといいます。 さらに、長治元年(1104年)堀川左大臣源俊房(※3)自筆の 「 徳恩寺 」 の扁額が寄与され、以後真如坊は 徳恩寺 を寺号としたと伝えられています。
 
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 久安六年(1150年)火災の厄をうけて荒廃、その後、百数十年間無住が続き、徳治二年(1307年)に元の姿へと復興しました。 しかし、正慶二年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めの余波を受けて春日神社ともども焼失、以後も幾度となく火災全焼の憂き目に遭っています。
 
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 徳恩寺最大の特徴である 長屋式山門 は、安政三年(1860年)より建築が始められ、四年後の安政七年に完成しています。 本堂は明治42年(1909年)に改築されたものでしたが、建材の老朽化や災害対策などのため現在は大規模な新築工事が進められています。
 
 明治維新の神仏分離令により春日神社の別当職を退き、以後、宝生寺末、増徳院末派と転属、大正12年(1923年)高野山金剛峯寺の直末となり現在に至ります。
 
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 徳恩寺の起源となる 真如坊 の名を受け継ぐ 真如殿 は平成 7 年に新築されたもので、葬儀斎場や説法の場として利用されています。 境内は工事によりかなり狭くなっていますが、良く整えられておりそれなりに見どころがあります。 驚いたのは中ほどに孔雀の檻がありましたが、残念ながら孔雀の姿を見ることはできませんでした。(工事のため避難中だったのかもしれません) 新本堂が完成した後はさらに整備されてまた一段と見応えのあるものになるはずです。
 
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 徳恩寺を出て、しばらく日野川支流沿いを南進し左に折れて坂を上ると 兎ヶ谷公園 にたどり着きます。 『 こうなん道ばたの風土記 』 によると、この辺りは 「 兎谷(うさぎや)と呼ばれたところで、ここには新宮十郎源行家(※4)の従者たちの子孫と称する人が住んでおり、伝承にふさわしい隠れ里のような風景があった 」 との記述がありますが、現在は面影も名残りまったくない閑静な新興住宅地が広がっています。
 
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 公園から出て日野川支流沿いに戻りしばらく歩くと、この辺りが宮下村と呼ばれていた頃からある 共同墓地 が見えてきます。 比較的新しく建てられたものもありますが、多くは無縁仏となっているかもしれません。 この中に、江戸時代初期に建てられた 宝篋印塔 があり、その脇には 如意輪観音 も並んでいます。 『 こうなん道ばたの風土記 』 は 「 寂しげな如意輪観音を見ると、苦労に満ちた江戸時代の女性の日々を思い、悲しい気持ちにさせられる 」 と結んでいます。
 
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-∴-∵-∴-∵-∴-∵- 源氏の隠れ里 -∴-∵-∴-∵-∴-∵-
 
 全国各地には、平家の隠れ里はたくさんありますが、この港南区内では、もうひとつ珍しい源氏の隠れ里があります。 それは、春日神社に近い 「 兎ケ谷 」 というところです。
 
 鎌倉幕府を創設した源頼朝は、幼少のとき伊豆の蛭ケ小島に流されました。 弟の義経は、京都の鞍馬寺にあずけられました。 頼朝の叔父の新宮十郎行家は、山伏の姿の修行者になって、武士たちをたずねて源氏の再興をうながして歩きました。
 
 平家をたおし、源氏の世の中をつくる糸口をつけた、行家の功績を忘れてはいけないと思います。 しかし、頼朝は、この行家も弟の義経をも討たせてしまいました。 行家の家来の中に、紀伊の国(和歌山県)の田井庄からでた武士がいました。
 
 この人たちは、頼朝と行家の仲がわるくなってから、この日野川支流の奥の兎ケ谷に、ひそかに隠れ住んだと伝えられています。 
 
『 ふるさと港南の昔ばなし 50話 』 平成6年 港南の歴史研究会編より
 
 
 
※1 長屋門(ながやもん) 武家屋敷の前面に家臣・下男などを住まわせるための長屋を建て、その一部に扉をつけて門としたもの。 屋根は左右の長屋と一つづきとなる。 江戸時代に主に上級武士によって盛んに造られたが、石高によってその形式が定められていた。 また、名字帯刀を許された地方の名士や旧家などにも長屋門を持つことが認められた。
 
※2 平国香(たいらのくにか) 平安時代中期の武将。 常陸平氏および伊勢平氏の祖。 平将門の伯父。 父の平高望に従い関東に土着、常陸大掾(ひたちのだいじょう)、鎮守府将軍となる。 一族間の内紛にまきこまれ、甥の平将門に常陸真壁郡(現在の茨城県筑西市)の石田館を攻められ、承平五年(935年)二月焼死。 これが承平・天慶の乱の発端となり、子の貞盛が一族とともに将門を討った。
 
※3 源俊房(みなもとのとしふさ) 平安時代中〜後期にかけての公卿・能書家。 村上天皇の皇子を祖とする村上源氏中院流の祖、源師房の子。 後冷泉天皇から鳥羽天皇まで五代の天皇に仕え、左大臣・従一位の官位を得た。 村上源氏の最盛期を築いたが、永久元年(1113年)実子の仁寛が鳥羽上皇の暗殺(永久の変)を企てたとされ、弟の顕房に村上源氏の主流を譲った。
 
※4 源行家(みなもとのゆきいえ) 平安時代末期の武将。 河内源氏の棟梁源為義の十男。 長兄は源義朝、二つ上の兄が源為朝で、源頼朝・義経兄弟の叔父。 治承四年(1180年)後白河天皇の第三皇子以仁王が打倒平氏のための挙兵を計画、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発すると、この令旨を伝え歩き平氏打倒の決起を促した。 晩年は頼朝と不仲になった義経に接近したことから頼朝の不興を買い、鎌倉幕府から命を受けた北条時定の兵によって捕らえられ、山城国赤井河原(現在の京都市伏見区羽束師古川町、桂川沿い)にて斬首された。
 
  

今年最後の花見酒 …

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 こんにちは、お銚子者です。 三〜四日前に満開となったウチの庭のヤマザクラですが、そろそろ散り始めて見納めの頃になってきました。 今日は少し早めに帰宅できたので、はらはらと散るサクラを眺めながら、今年最後の花見酒です。
 
 今年はサクラが開花してから肌寒い日が続いたので花もちが良かったようです。 横浜では土日の天気が良かったおかげで花見も大盛況だったと思います。 数日後には、仙台や盛岡、秋田や弘前でも満開の便りが聞こえてくるでしょうね。
 
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 ヱビスビールのグラスですが、今日の友は アサヒ スーパードライ 瞬冷辛口 です。 以前は毛嫌いしていたスーパードライですが、最近はあまりうるさいことを言うのはやめました。 シチュエーションさえピッタリならば、どんなビールも美味しく感じられるハズ … 実際よく冷やしてグラスに注ぐと、今日一日の疲れが吹っ飛ぶような気持ちのいいのど越しとウマさでした。
 
横浜はこの週末も天気が良さそうです

 
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【自宅の桜】
 
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 こんにちは、ティースプーンです。 新元号が発表されましたね。 ワタクシは世間の騒ぎっぷりがまったく理解できず、なぜそんなに大騒ぎするのかさっぱりわかりません。 誰の発案だとか、ほかの候補はなんだとか、予想がどうだのって、競馬や競艇じゃないんだから。 全国の令和さんを探しに行くマスメディアって、ホント小学校の学級新聞レベルだよ。 あれで給料もらえるんだからねぇ ……
 
 さて、花見のシーズンですね。 今年は桜が開花してから気温が下がる日があるので、花持ちは良さそうですね。 こちら横浜ではこの次の日曜日辺りまでは楽しめそうです。 うちの自宅の庭にも桜が一本植わっているのですが、ヤマザクラの一種なのでソメイヨシノよりも開花が数日遅いのが特徴です。 が、29日の金曜日、ようやく一つが咲きました。 これからしばらくはベランダで花見酒が楽しめそうです。
 
 そんなさなかの 3月31日(日)、横浜市南区・中区では恒例の 桜まつり が催されました。 昨年は 4月8日の開催だったので大方の桜は散ってしまい少々寂しい桜まつりでしたが、今年は八分咲き〜満開のもとで昨年以上の人出となりました。
 
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【中学校下の桜並木】
 
 ワタクシの花見は桜を愛でたあと行きつけの居酒屋で昼から一杯 … というのが定番になっています。 この日は午前 10時半ころ自宅を出発し、まずはワタクシが勝手に定点観測をしている我が母校の中学校下の桜並木をチェック。 ここは陽当たりが良いせいかほぼ満開、カメラを構える人も多く、気分もウキウキしてきますなぁ。 最寄りの京急上大岡駅から南太田駅で下車、まずは駅舎からも見える桜の名所 西中山 常照寺(さいちゅうざん じょうしょうじ) に向かいました。
 
 常称寺は明治期に創建された比較的新しい寺で、八代将軍徳川吉宗の時代より江戸城大奥に子孫繁栄の守護神として祀られていた 鬼子母大尊神像 をお祀りしています。 徳川家が信仰した 秋葉大権現若宮八幡 なども安置しているため、これが縁で常照寺の寺紋は 三葉葵 となっています。
 
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【常照寺 山門】
仁王像が安置されている
 
 山門 には 仁王像 が安置されています。 撮影をしようと思ったのですが、PL フィルターを忘れたばっかりに、ガラスに光が反射して撮影することができませんでした。 山門をくぐると、頭上には京浜急行本線の高架があります。 大変な寺地ですねぇ。
 
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【二天門】
多聞天像・持国天像を安置する
 
 階段を上ると 二天門 が見えてきます。 駅のホームからは正面を望むことができます。 以前は駅員が粋な計らいでホームの窓を一ヵ所だけ施錠せずに開けて撮影できるようにしてくれていたのですが、最近はずっと鍵が閉められたままのようです。
 
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【多聞天像】 【持国天像】
 
 二天門には 多聞天像持国天像 が安置されています。 力強い彫刻で、拝観していると時の建つのを忘れます。
 
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【桜の名木】
 
 二天門に隣接して 名木の桜 があります。 ホームからも見えるこの桜は枝ぶりも良く、満開になると本当にきれいです。
 
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【常照寺 大本堂】
唐破風を三連備えるものはとても珍しい
 
 こちらが 大本堂 です。 入母屋造りの本堂屋根に大千鳥破風と三連の唐破風を備える大本堂は見る者を圧倒します。 間口十二間半という大本堂は、木造伽藍では横浜随一の規模を誇ります。
 
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 随所に施された 彫刻 も見事で、今にも動き出しそうな精緻さと迫力を備えています。 境内奥には 鐘楼日蓮聖人大銅像 もありますが、今回はオミット。 伽藍と境内の桜を十分に堪能したら、桜まつり の催されている 蒔田公園 に向かいます。
 
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【蒔田公園】
 
 蒔田公園に近づくと、子供たちのかまびすしい声が響き渡っています。 公園内に入ってビックリ ! 昨年以上の人出で大賑わいです。 桜の樹の下は花見の客で立錐の余地なし。 昨年は桜のない桜まつりだったので今年は皆さん花見にかける意気込みが違うようです。
 
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 特設屋台も大繁盛で、どこの屋台も長蛇の列です。 昨年も出店していた ルーマニア料理の店 もあり、またワインでも買おうと思ったのですが、ずいぶんと人が並んでいるので今回は遠慮しました。
 
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 まぁとにかく人だらけで辟易したので、大岡川沿いの桜を眺めながら野毛方面に歩いていこうと思います。
 
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【ジンダイアケボノ】
 
 こちらのピンク色の濃い桜は ジンダイアケボノ という種類で、ソメイヨシノよりも病気に強いため、昨今樹齢を迎えたソメイヨシノから順次このジンダイアケボノに植え替えが行われています。
 
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 いやぁ、川沿いの桜もなかなか壮観ですなぁ。 まだ七分〜八分咲きといった桜もたくさんありました。 とはいえ、大岡川沿いの桜のピークはもう5〜10年前くらいで、最近は樹齢や病気により花の付きが悪くなっているのが素人目にもわかるほどです。 以前は、日が暮れてから京急線に乗っていると雪洞によってライトアップされた桜を眼下に望むことができ、満開ともなるとそれはそれは幻想的で美事なものでした。 最近は樹の上部の花付きが悪く、満開になっても隙間が目立つ樹もあります。
 
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黄金町駅を過ぎると、クルマを通行止めにして屋台がずらりと並びます。 が、この人人人 …
 
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 昨年も多くの人で賑わいましたが、今年はそれ以上の人出が実感できます。 もうまっすぐ歩けない。 昨年はビンビールを買ってラッパ飲みしながら屋台を冷かしましたが、今年はとてもじゃないけどそんなことは出来そうもありません。
 
 子供がタレを滴らせた焼鳥や、ケチャップのついたフランクフルトを持って駆けずり回っているのを避けながら、野毛の行きつけに向かいました。
 
 

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