指の斥候たち

験なき物を思はずは 一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

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 こんにちは、掃除当番です。 相変わらずお金にならない野暮用に振り回されておりブログの更新がさっぱりできません。 台北に出かけたのはついこの前と思っていたら、もう二か月近くが経っているんですね。 放っておくと忘れてしまいますよねぇ、ホントに。 加えて、この前の日曜日(2日)には連れと久しぶりに 江戸三十三観音札所めぐり で上野に出かけたのに、こちらも時間が無くてなかなか記事のアップができません。 まあ、ニュース速報ではないんだからユルユルとやりますか …。
 
 二泊した Green World Hotels - Zhong xiao (グリーンワールドホテル・ヂョンシャオ) を後にして、龍山寺剝皮寮中正紀念堂 を見学し、地元では美味しい小籠包の店と評判の 杭州小籠湯包(ハンヂョウシャオロンタンパオ) で舌鼓を打った我々は、フライトまでまだ時間が十分にあるということでお土産でも買って行こうということになりました。
 
 向かったのは、中正紀念堂 からおよそ 500m ほど歩いたところにある 永康街(ヨンカンジエ) という繁華街です。 ブティックや雑貨店、スィーツの店が集まっており、東京で言えば原宿のようなところでしょうか。 一方、我が国でも有名な 鼎泰豐(ディンタイフォン) をはじめグルメをうならせる台北随一の美食タウンとも言われています。
 
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【鼎泰豐】
ニューヨーク・タイムズ紙で世界の 10大レストランにも選ばれた有名店
 
 MRT淡水信義線 東門寺(トンメン駅) の出口向かいに 鼎泰豐 がありますが、店の前は昼食時とあって大混雑をしています。 食事はすでに済ませているのでなにか軽い物なら口に入りそうですが、同行の友人はまだ何か食べるつもりなのか ? と思うほど後ろ髪を引かれていたようで …。 結局こちらの店はパスして、街中を歩いてみました。
 
 昭和初期、日本統治時代の永康街の西側は、台北行務所(台北監獄) の労働農場があり、牛の啼き声が聞こえてくるなど長閑なところだったといいます。 この付近に、洋風の二階建ての建物と和式の日本人公務員宿舎が建てられていました。 大東亜戦争終結後、台湾統治が中国国民党に委譲されると、現地の人たちは資金を募り、石だらけの道だった永康街にアスファルトを敷き児童公園を建設しました。 これが現在の 永康公園 です。 1950年代の終わりには労働農場の土地が放出され、アパートや小学校、ローマ法王庁(バチカン市国)大使館に教会、大学などが建設されます。 1960年代には、日本統治時代の名残である和式木造家屋がアパートへ建て替えられて公務員に売却され、付近の家屋と土地の大半が私有化されました。 この私有地化から永康街は商圏として発達、日本統治時代から残る老舗と先述のブティックやスィーツの店などといった新店が融合するユニークな商店街が形成されることになったといいます。
 
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【天津蔥抓餅】 と 【思慕昔】
 
 上の写真はガイドブックには行列のできる店として必ずといっていいほど掲載されている 小吃(店や屋台で食べる台湾の一品料理) の店 天津蔥抓餅 (ティエンジンツォンジュアビン) と、マンゴーかき氷の超有名店 思慕昔(スームージー) です。 どちらも行列がですごいですねえ。 小吃にはちょいとそそられましたが、並んでまではねえ …。
 
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【民豐家飾】
 
 上の写真は日本統治時代から残る老舗のインテリア用品店で、永康公園内にある説明板では当時の写真が見ることができました。 当時は 民豐装璜行 と名乗っていたようです。
 
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【永康街】
 
 街を歩いていると、あちこちから日本語が聞こえてくるので、かなりの日本人観光客があふれていると思われました。 また、東京で言えば原宿 … と言ってみたものの、三角形の永康公園があったり若者向けの店が建ち並ぶことから、ワタクシが若い頃に働いていた大阪ミナミの アメリカ村 とそっくりだなあと思いました。 しかしながら若者向けの繁華街だけに、五十を過ぎたおっちゃんたちにはなにかと肩身が狭く場違いな感じ …。
 
「 どうですか、もしなんだったら時間もあるし迪化街でも行ってみますか 」
「 一日目に行ったところだね、そうしようか 」
「 カラスミの店とか、お土産もそこで買えるんじゃないかと 」
「 そうだな、そうしよう、MRT で 台北車站 で降りれば楽だし 」
「 じゃ行きますか 」
 
 というワケで、最後に到着した日に訪ねた 迪化街(ディーホアジエ) へ再び行くことにしました。 さすがに日曜日なので先日(金曜日)よりも人が出ています。 『 孤独のグルメ Season 5 』 のロケ地となった  永樂担仔麺(ヨンルータンヅーミェン) は相変わらずの盛況ぶり、気のせいか日本語もちらほらと聞こえてくるような …。
 
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【永樂担仔麺】
 
 永樂市場(ヨンルーシーチャン) も改めて中に入ってみると、こちらも先日よりも人出がありなかなかの賑わいです。 二階以上へは上がりませんでしたが、二階は生地問屋が迷路のように連なり、台湾の生地を使った雑貨店では小売販売もしてくれるのだそう。
 
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【永樂市場】
 
「 カラスミをたくさん売ってた店はこの先だったよなあ ? 」
「 そうそう、乾物とか漢方とかが並んでたところだよ 」
 
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「 あ、あったあった、ここだここだ 」
「 たくさんあるねえ、安いのでいいんだけどなあ 」
「 じゃ、オレも買うから、分ける ? 」
「 すんませんねえ、ワタクシは二つあればいいので 」
 
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【聯成食品行】
自社で加工を行うカラスミ専門問屋 他にも漢方や食品なども扱う
 
 ということで、こちらの 聯成食品行(リェンチョンシーピンシン) というカラスミの専門店で五個入りのものを一箱購入して二人で分けました。 店の主は日本語も達者で、こちらは一番安いのを求めたにもかかわらず 「 これが色がいい 」 と言って、良さそうなものを選んでくれました。 自宅で説明の通り(パッケージに日本語で書いてあった)作ってみると、最高級のカラスミとは言えないまでも、ほどよい塩気としっとりした歯触りはいいお酒のアテになりました。 一つを野毛の行きつけの居酒屋へパイナップルケーキとともにお土産として持って行ったらたいそう喜んでくれました。
 
「 あれ ? ここにも五郎さんの写真が(笑)」
「 あ、ホントだ、ここにも寄ったんだねえ 」
「 ああ、ここを歩きながら店を冷やかしてたんだ 」
 
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【ここにも五郎さんが】
 
「 旦那さん、写真撮らせてもらってもいいですか ? 」
「 ハハ、どうぞどうぞ 」
 
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【聯成食品行の気のいい店主】
 
「 やっぱり迪化街に来てよかったですな 」
「 オレは会社の連中にマンゴーかパイナップルケーキも買わないと 」
「 土産代もバカになりませんなあ 」
 
 一通り買い物を済ませた我々は、台北車站 から MRT 桃園機場線 に乗り、機場第一航廈(空港第一ターミナル駅) へと向かいました。 空港内で軽くビールと食事を摂り買いそびれた土産物などを購入し、17時10分発のバニラ・エア 108便で定刻通り 21時30分 無事に成田空港に帰国いたしました。
 
 今回、ワタクシは 26年ぶりに台北を訪れたのですが、当時は街もあまりきれいでなく、人がわさわさと多くてガラもよくなく、食事も別段印象に残るものが無く、ホントに一度行けば十分、もう一生行くことはないだろうと思っていました。 しかし、この 26年の間に地下鉄(MRT) が東京メトロのように張り巡らされとても移動が便利になり、しかも清潔で運賃も安く、街中は舗装が整えられて快適になり、昔ながらの建物も巧く利用して若者向けのきれいな店に生まれ変わるなど、想像の斜め上を行く進化・発展を遂げていたのはとても驚きでした。 また、学生をはじめ若者や、仕事に従事している人たちも実に生き生きとしている様子が伝わってきました。
 
 一方で、日本ではもはや写真でしか見ることのできない昭和20〜30年代の簡素な造りの食堂や露店がいまだに残っており、それが不思議と街中に調和しているのが微笑ましく思えました。 オシャレなカフェの隣に小汚い(失礼・笑)食堂があったりして、ワタクシ的には小汚い店の方が懐かしさもあって親近感を覚えましたねえ。
 
 二泊三日の旅でしたが、LCC のおかげで予想以上に安く行くことができました。 食べ物はいずれも美味しく、以前の時になぜこれが味わえなかったのか今思うと不思議でなりませんでした。 今度は季節を変えて、食べそびれた台湾グルメの数々に再挑戦してみたいと思います。 ただ、飲み物に関しては、ビール以外の選択肢がないわけではないのですが、好みのものがあまりなくその点ではちょっと不満が残りました。 もっとも、飲み過ぎてへべれけにならずに済んだので考えようによっては良かったのかも。
 
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 それにしても 夜市 は面白かったですね。 日本で言うところの縁日の屋台が毎日催されていますからねえ。 ガイドブックを見ると 「 屋台や露店などは衛生状態に問題があることも多い。 できるだけ火を通したものを食べること 」 などと記載されていましたが、自称 鉄の胃袋 なのでなんともありませんでした。 もっとも、ビールなどアルコールで常に消毒していますからね(笑)。
 
さ、次はいつ行きましょうか、それまでしっかり仕事をして稼ぎましょう !!
 
 
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 こんにちは、レジスター当番です。 この数週間、収入にまったくつながらない忙しさのため、ブログの更新が遅々として進まないことが悩みの種でございます。 えさて、九份(ジョウフェン)金瓜石(ジングァーシー) という日本統治時代の名残が残る二つのノスタルジックな街を観光した後、台北でも最大級の二つの夜市 基隆廟口夜市(ジーロンミャオコウイエシー)寧夏觀光夜市(ネイシャーグアングワンイエシー) をはしごし、名物の 蚵仔煎(オアジェン) をはじめ屋台料理の数々を堪能しました。 ホテルに戻ってから、友人は足裏マッサージに行き、ワタクシは部屋で缶ビールを開けた後、日中にかなり歩いたこともあり疲れもあったのですぐに眠りに入りました。
 
 明けて 5月21日(日)、いよいよ日本へ戻る日です。 予約した飛行機は 17時10分発の成田空港行きなので、出発まで市内を観光する時間が十分にあります。 そこで、ホテルのある 忠孝敦化(ヂョンシャオドゥンファ駅) から MRT板南線で一本で行けて、台北で最も古い歴史を誇るという 龍山寺(ロンシャンスー) を訪ねることにしました。
 
 出かける前にまず朝食で腹ごしらえなのですが、前日とは微妙にメニューが変更されていて連泊客には嬉しい限り。 この日は一見すると日本そばのようなものがあったので試してみることにしました。
 
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【なんちゃって日本そば】
そのビミョーな味わいはクセにな …… らないだろう …
 
 茹でたそばかと思ったら蒸したそばのようで、そば通しがくっつかないように油がかけまわしてあります。 う〜ん、余計なことをしてくれるなぁ。 これを碗に取り、となりにある器からスプーンでそばつゆのような甘じょっぱいタレをかけ、トッピングに刻み海苔を乗せれば完成です。 葱も山葵もなし。 味の方は、とにかく妙なモノを口にしたなぁ、という感じ …。 こんな未知との遭遇もまた旅情なり(笑)。 一緒に盛ってきた隣にチラッと見える台湾風焼きうどんは美味しくいただきました。
 
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【Green World Hotels - Zhong xiao】
 
 二晩世話になった Green World Hotels - Zhong xiao (グリーンワールドホテル・ヂョンシャオ) のフロントの女の子たちに別れを告げてホテルをあとにします。 ワタクシはスマホやタブレットなどを所持しないので必要はないのですが、無料でネット接続ができるなど設備はとても充実しており、なおかつ清潔でしかも価格もリーズナブルなので、次に台北に来るときもここに泊まりたいなぁと思うほどでした。 日本語も堪能なスタッフもいたし。
 
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【龍山寺】
爆竹の煙で周囲はモウモウ
 
 MRT板南線 龍山寺(ロンシャンスー駅) で降車し、案内表示に従って一番出口から地上に出ると、けたたましい爆竹の音が鳴り響きました。 我々が訪れた時、しばらくしてからお経を歌うように唱える祈祷の儀式が始まったので、その前に行われる合図のようなものだったのかもしれません。 境内には方々から集まったであろう熱心な参詣客であふれかえっておりました。
 
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【龍山寺】
 
 龍山寺 は正式には 艋舺龍山寺(マンカァロンシャンスー) といいます。 1738年、福建省泉州(チュエンヂョウ:せんしゅう)から渡来した人々により、福建普江安海龍山寺の分霊として創建された 270年以上の歴史を誇る台北市内でも最古の寺院といわれています。 
 
 ご本尊に 聖観世音菩薩 をお祀りしていますが、天上聖母(福徳招來媽祖:航海の守護女神)、文昌帝君(学問・受験の神)、関聖帝君(三国志で有名な武将 関羽:財運招來・悪霊退散・勝負必勝・商人の神)など、祀られている神は大小合わせて 100以上にもおよぶといわれており、道教や儒教、神や仏など拘らずにありがたいものならなんでも祈ろうという台湾のおおらかな宗教観が表れているといいます。
 
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 大東亜戦争終結直前の 1945年に、米軍の空襲によって本殿が焼夷弾の直撃を受けて壊滅的な被害を蒙りましたが、ご本尊である聖観音菩薩像だけは無傷のまま何事もなかったかのように蓮座に端座されていたといいます。 当時、空襲があると付近の住民は観音さまのお膝下なら絶対安全だと信じ、大勢の人々が龍山寺に避難してきましたが、観音さまのご加護のおかげか避難者にはまったく死傷者が出なかったといいます。
 
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 現在の伽藍は 1953年に再建修復されたもので、精巧な彫刻の施された支柱や、反り返った屋根の上から今にも飛び立つのではないかと思わせる鮮やかな瑠璃色の瓦の竜や鳳凰など絢爛豪華な装飾には目を見はります。 龍山寺は台湾国内はもとより、海外にも知られる信仰の中心であり、国の指定する古蹟であるとともに 台北101故宮博物院中正紀念堂 と並ぶ台北市の 四大外国人観光地 とされています。
 
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 ワタクシも寺社巡りが好きで東京近郊の神社仏閣にはよく足を運んでいますが、ここ龍山寺でお祈りする人々の熱心さには本当に心を打たれました。 汚れて裾がボロボロになった服をまとい、両膝をついて様々な神が祀られた香炉を順に廻りながら、お経を唱えてそれぞれの神に参拝する姿には、決してそうではないつもりでも自分がいかに形だけうわべだけ手を合わせてきたかを見透かされたようで、なんとも恥ずかしく情けない気持ちになりました。
 
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 帰りしなにお守りなどが販売されていたので、連れの分に一つ購入していきました。 祈りの歌はまだ続けられていましたが、時間さえ許せば最後まで聴いていたかったほどでした。
 
 龍山寺を後にして、少し街中を歩こうということで 廣州街(グァンヂョウジエ)中正紀念堂 の方へ向かい東進しました。 萬華(ワンホア) と呼ばれる龍山寺の門前町は、雑貨や漢方薬、茶など伝統的な商品を扱う小さな商店が密集しています。 このあたりは台北発祥の地ともいわれています。 かつて 淡水河(ダンシュイフー) をさかのぼってきた漢民族が最初に交易拠点を設けたのがこの地で、丸木舟(艋舺:マンカァ) を使用していたことからかつては 艋舺 とも呼ばれていました。 龍山寺の正式名称である 艋舺龍山寺 の由来です。 淡水河の交易で栄えたのちに衰退しますが、清代の廟など古蹟が多く残る地域といいます。
 
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【廣州街】
 
 龍山寺から 200m ほど歩くと、さっそく清代の街並みを残した一角で 剝皮寮(ボーピーリャオ) と呼ばれる老街が見えてきました。 区画整理から開発が遅れ昔ながらの佇まいが残ることになったといい、現在は保存区域とされ観光地として公開されています。 入場は無料で公開は 9 時からということなので、時間まで少し待つようなのですぐ近くにある 市場(東三水街市場・新富市場) を眺めてみることにしました。
 
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 市場は日曜日のこの時間でも結構にぎわっており、鮮魚専門店や精肉専門店、フルーツや総菜を扱う店など比較的小さな店が集まっていて、日本人には珍しい食材なども多く大いに目を楽しませてもらいました。 また、海苔巻きやいなり寿司など日本のものとほとんど見かけも使用されている具材も変わらない食べ物もあり、これは日本統治時代の名残なのかもしれません。
 
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 朝食を出していた食堂はほぼ満席で、客の一人の年配の親父さんが台湾語でしきりに話しかけてくるのですが意味がまったく分からずお手上げ、笑ってごまかしました。 あれは 「 ウマいからここで食っていけ 」 と言ったのか、それとも 「 おまいらなにしに来たんだ ? 」 と言っていたのか …。 親父さんも笑っていたので悪いことは言っていなかったと思うのですが …。
 
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【剝皮寮】
清代の街並みを保存した観光スポット
 
 剝皮寮 に戻ってみると、ちょうどゲートが開いたところでした。 係の人に挨拶をし、見学させてもらうことにしました。 赤煉瓦を用いて造られた建物は一見して相当古いことが伝わってきます。 台湾も日本と同様に台風や地震など災害の多いところですが、よくも残っていたものだと感心しきりです。
 
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 街並みは映画のロケにもしばしば使われるらしく、いくつかの建物は歴史的建築に指定されているそうです。 この日はおそらく美術を専攻する学生たちの作品を展示するギャラリーとして開放されていたらしく、学生たちが準備と展示、集客に忙しく動いていました。
 
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 剝皮寮廣州街 側は 亭仔脚(ティンザイチァオ) と呼ばれるアーケード状の歩道と、大稻埕 (ダーダオチェン:迪化街) と同様のバロック様式でファサードを飾った家並みが特徴です。 東洋と西洋のコラボレーションと言っていいのでしょうか、かつて日本でも明治時代初頭の銀座などこのような和洋折衷の建物が多く建造されたのですが、関東大震災と空襲被害によりほとんどすべて失われてしまいました。 現在台湾ではこのような老朽化の懸念される歴史的建造物を修復・保存しようという リノベーション運動 が活発で、石造りや赤煉瓦の美しい街並みがよみがえり、若者に人気の雑貨店やカフェなどが次々とオープンしているといいます。
 
 剝皮寮はわずか 100m にも満たない小さな一角でしたが、見どころはとても多く大いに楽しめました。 さて、我々は廣州街から 愛國西路(アイグォシールー) に入り、中華民国の初代総統である 蔣介石 の偉業を記念して 1980年に造られた 中正紀念堂(チョンジェンジーニェンタン) に向かいました。
 
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【中正紀念堂】
高さ 70mの青い八角形瓦屋根が目立つ壮大な紀念堂
 
 中正紀念堂中正 とは蔣介石の本名である 蔣中正(チャン・チョンジェン) から由来しています。 紀念本堂内部には巨大な蔣介石の座像が置かれ、像の両脇で儀仗隊(衛兵)が警護しており、毎正時に行われる交代の儀式が有名です。 我々もこの儀仗隊の交代を見物しに時間を合わせてやって来ました。
 
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【中正紀念堂正門】
楼上部の扁額は「大中至正」から「自由広場」に架け替えられた
 
 ところが、中正紀念堂の敷地面積は 25万平方メートル にもなり、足を運んだ瞬間にとてつもない広さに圧倒されます。 かつて日本統治時代は山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地だったといいます。 入口の門をはじめ建造物それぞれが巨大で、正面の 紀念本堂 は高さ 70m にもおよび、紀念本堂から見て左側が 國家戲劇院、右側が 國家音楽廳 となっておりこちらも圧倒されるほどの威容を誇ります。 この様子からも蔣介石の偉業が伝わってくるようです。
 
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「 ところで、衛兵の交代ってどこでやるの 」
「 わからんけど、広場じゃなさそうだなぁ 」
「 とりあえず本堂まで行ってみますか、もうそろそろ 10時になるし 」
「 そうしますか、階段を登るのが辛いけど … 」
 
「 この階段、蔣介石の享年と同じ 89段あるらしいですぞ 」
「 んじゃ数えてみますか、いっち、にぃ、さん …… 」
 
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「 ずいぶん人が集まってますなぁ、あ !! やってるやってる交代式 !! 」
「 人だかりで見えないなぁ、自撮り棒が邪魔だなぁ 」
「 あれを持ってるのは主に半島の人だよねぇ 」
 
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「 ま、なんとか写真に収めることができたよ 」
「 終わるとあっという間に人が引けるんだな 」
「 それにしてもここからの眺めはいいねぇ 」
 
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【紀念本堂から正門を望む】
 
 紀念本堂の前では学生対抗のストリートダンス発表会みたいなのが行われていて、衛兵の交代式の最中もけたたましい音楽を鳴らしていたのがちょいと興醒めでしたが、一応目的を果たすことができて満足です。
 
「 この後どうしようか 」
「 ちょっとお腹が空いてきましたなあ 」
「 この中正紀念堂の裏手に小籠包のいい店があるんだって 」
「 もうやってるのかな ? 」
「 いや、11時開店みたいだね 」
「 それじゃあ紀念堂の下の顕彰施設でも覗いていきますか 」
 
 というワケで、紀念本堂地階の 文物展示室 を見学することにしました。 フロア内は蔣介石の一生と業績が年代ごとに区切られており、それぞれに当時装用していた衣服や装身具類、日用品や文献、写真などが見やすく陳列されていました。
 
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【蔣介石 と 孫文(右)】
 
 蔣介石は、明治40年(1907年)から 東京振武学校(東京都新宿区河田町にあった国立の軍人養成学校) で軍事教育を学び、明治43年より日本陸軍に勤務、新潟県高田市(現在の上越市)の第13師団高田連隊の野戦砲兵隊の隊付将校として実習を受けました。 1911年、辛亥革命 が勃発し中華民国が建国されましたが、続く 第二革命 で敗北し、蔣介石は孫文とともに日本に亡命、日本の政財界による支援を受けて清朝打倒に奔走します。 しかし、盧溝橋事件 を契機に 対日抗戦 を推進、味方とも敵ともなった日本とは生涯にわたり深い関係を持っていました。
 
 大東亜戦争での日本の敗戦を受け 以徳報怨(徳を以って怨みを報ず) と称して蔣介石が 8月15日に行なった終戦演説では、対日抗戦に勝利したことを宣言した一方で次のように国民に訴えました。
 
 わが中国の同胞は 『 旧悪を念わず 』 と 『 人に善を為す 』 ということがわが民族伝統の高く貴い徳性であることを知らなければなりません。 われわれは一貫して、日本人民を敵とせず、ただ日本の横暴非道な武力をもちいる軍閥のみを敵と考えると明言してきました。
 今日、敵軍はわれわれ同盟国が共同してうち倒しました。 彼らが投降の条項をすべて忠実に実行するように、われわれが厳格に督励することは言うまでもありません。 但し、われわれは報復してはならず、まして無辜の人民に汚辱を加えてはなりません。 彼らが自らの誤りと罪悪から抜け出すことができるように、彼らがナチス的軍閥によって愚弄され、駆り立てられたことに、われわれは、慈愛をもって接するのみであります。
 もし、かっての敵が行なった暴行に対して暴行をもって答え、これまでの彼らの優越感に対して奴隷的屈辱をもって答えるなら、仇討ちは、仇討ちを呼び、永遠に終ることはありません。 これはわれわれの仁義の戦いの目的とするところでは、けっしてありません。 これはわれわれ軍民同胞一人一人が、今日にあってとくに留意すべきことであります。
 
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【蔣介石 1944年頃】
 
 蔣介石の業績と評価は、日本国内はもとより台湾国内でも二分しているといいます。 1895年、日清戦争の結果、台湾は大日本帝国最初の植民地として突然日本の版図に組み入れられました。 当時の台湾は、三年小叛、五年大叛 (三年に一度の小さな反乱、五年に一度は大きな反乱) が勃発するというほど統治が難しく、台湾統治当初の明治政府は台湾人の抵抗に手を焼き、帝国議会ではフランスへの台湾売却も議論されていたといいます。
 
 しかし、第四代台湾総督 児玉源太郎と民政長官 後藤新平の時代になると、インフラを整えて 学校・病院・道路・港湾を整備し近代化に努めました。 一方で厳しい同化政策(皇民化教育)などはありましたが、台湾の経済は当時の日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準までになったといいます。
 
 1945年、大東亜戦争で日本は敗北したため台湾を放棄することになります。 その際、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部) の D.マッカーサーは、日本に代わり中国大陸の国民党を率いる蔣介石に台湾統治を委ねました。 ところが、日本統治時代に比べ、国民党の統治はあまりに横暴で、台湾人の地位や財産を略奪し治安は悪化、役人の著しい汚職や軍人・兵士などの狼藉、さらには経済の混乱をもたらすなど杜撰なものだったといいます。
 
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【蔣介石同像】
 
 1947年、国民党に対し台湾人がついに蜂起、台北市で発生しその後台湾全土に広がった 二・二八事件 が勃発します。 国民党は武力によってこれを徹底的に鎮圧、日本統治時代に高等教育を受けた 裁判官・医師・役人 をはじめとしたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害され、その数は二万とも三万人ともいわれています。
 
 事件を受けて 1949年5月19日に発令された戒厳令は 38年後の 1987年まで継続し、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑されたといいます。 戒厳令の解かれる一年前の 1986年、国民党以外の野党から民主進歩党が結成されると、2000年にはついに政権を奪取します。 この民主進歩党政権下、二・二八事件をはじめ国民党政府による数々の台湾人弾圧政策の張本人は蔣介石であるという認識、および 台湾正名運動 (中華民国を「中国の国家」から「台湾の国家」へ再編成することを目標とする運動) の影響から 2007年に 中正紀念堂は 台湾民主紀念館 と改名され、蒋介石の銅像は覆い隠されて儀仗隊(衛兵)の配備も廃止されてしまいましたが、2008年に政権を奪取した国民党により再び中正紀念堂の名称に戻され儀仗隊配備も復活しています。(2016年より再び民主進歩党が政権奪取している) 一時間おき毎正時に行われる儀仗隊交代式は現在では台湾観光の名物となっており、皮肉なことだなあと思うのはワタクシだけでしょうか …。
【ウィキペディア・地球の歩き方:台北より】
  
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【キャデラック二台】
蒋介石が生前に乗用していた
 
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【故蒋介石総統紀念室】
蒋介石の執務室を忠実に再現
 
「 そろそろ開店時間の 11時だし、早めに昼食としますか 」
「 じゃ行きますか 」
 
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「 あ、あそこじゃないの ? 意外とすぐ近くだねぇ 」
「 開店したばかりなのに結構混んでるな、入れるかなあ 」
「 コンニチハ、二人です 」
コチラヘドウゾ〜
 
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【杭州小籠湯包】
リーズナブルな価格で地元で大人気の店
 
 三日目の昼食に選んだのは、小籠包がおいしいと地元台湾っ子の間では評判だという 杭州小籠湯包(ハンヂョウシャオロンタンパオ) という店です。 食堂風の気さくな雰囲気でしかも庶民的価格というのが嬉しいじゃないですか。 杭州小籠湯包といえば多くのガイドブックには必ず掲載されている MRT文湖線 中山國中(チョンザングォウゾン駅) にある支店が有名らしいのですが、我々が伺ったのは本店になります。 日本語メニューの用意もあり、日本語のできるスタッフもいるから安心です。
 
「 ふぅ、良かったな座れて 」
「 こんな時間からこんなに混んでるとは思わなかったよ 」
「 さあて、なににしましょか 」
 
「 まずは 小籠包 だろ、臭豆腐 もありますが … 」
「 いや、遠慮します 」
酸辣湯 があるな …、これにしよう 」
「 じゃあワタクシも同じものにしよう 」
「 すんませ〜ん、これと … これを二つ、あとビールを 」
ビールハコチラニアリマス、ジブンデトッテ …
「 あ、セルフになってんのね、じゃオレが持ってくる 」
「 すんませんね 」
 
 冷蔵庫にはビールなど飲物以外にも 小吃(シャオチー) と呼ばれる小皿料理が並んでおり、勝手に取ってきてもよいことになっています。 会計時に申告するかテーブルに備え付けのオーダーシートに取ってきた数を記入すればいいので便利です。 小籠包のつけダレはセルフ方式になっており、備え付けの小皿に針ショウガを取り、そこに特製のタレを注いで自分のテーブルに持ってきます。 とそこへガチャガチャと注文した品が運ばれてきました。
 
「 お〜湯気が立って、こりゃウマそうだねぇ ! 」
「 ん ? これ、酸辣湯 じゃないよね ? 」
「 まさか 臭豆腐 でもないよな … 」
「 あぁ、普通の厚揚げのスープ(油豆腐湯:ヨウドウフータン)だ 」
「 ははぁ、持ってくるときに間違えちゃったんだな 」
 
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【油豆腐湯】
厚揚げとヘチマの入ったスープ
 
「 替えてもらうのも面倒だな 」
「 これはこれでウマいからいいよ 」
「 小籠包も九份で食べたのより全然ウマいな 」
「 そうだな〜店が混んでる理由がわかるよ 」
 
「 あいけねえ !! 写真撮るのを忘れた !! 」
「 食いかけになっちゃった(笑)」
「 つい食欲に負けて … 」
 
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【小籠包】
カニ味噌やヘチマの入った変わりダネ小籠包など種類あり
こちらはプレーンな小籠包 本当は 10個入り
 
 小籠包は 九份 の 悲情城市小上海茶飯館 で食べたものよりもスープをたっぷり含んでいて、なるほどこれは美味しい。 隣の席には地元の家族連れと思しき客が小籠包以外にも炒め物や煮物などいろいろ注文しており、テーブルの上がとても賑やかだったのですが、その中にあの例の 臭豆腐 もあり、エアコンの送風の向きによってはこちらにあの例の香りがちょいちょい漂ってくるには閉口しました(笑)。 会計をするとビックリするほど安く、これならもっといろいろ注文すればよかったと思うのですが、なにしろ若い頃のように底無しに物が食える年齢ではないのがイタイ ……(涙)。
 
「 さてと、腹もマンパンになったし、最後に 永康街 でも歩いてみますか 」
「 お土産もいろいろ買わなくちゃならないからなあ 」
「 まあ、フライトまでは十分に時間があるからね 」
「 一日目に寄った 迪化街 にもう一度行ってもイイね 」
「 あそこ、台湾名物のカラスミをたくさん売ってる店があったなあ 」
 
 永康街(ヨンカンジエ) は、中正紀念堂 から 500m ほどの所にある商店街。 もともと日本統治時代には二階建ての洋館と和式の公務員宿舎があったといい、経済の発展とともに商店街として発展したといいます。 現在はセンスのいいブティックや雑貨店、スィーツの店が軒を連ね、若者に人気の街といわれていますが、日本でも小籠包で有名な 鼎泰豐(ディンタイフォン)永康街高記(ヨンカンジエガオジー)永康牛肉麺館(ヨンカンニウロウミェングァン) など名店がずらりと並ぶ台北随一の美食タウンともいわれています。 お腹にはなにも入る余裕がないけど、とりあえず行ってみることにします。
 
 
つづく
 
 
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 こんにちは、配膳係です。 ノスタルジックな雰囲気があふれ、まるで映画のセットのような人気観光地 九份(ジョウフェン) と、アジア一の金鉱の街として栄え、日本統治時代の名残が色濃く残る 金瓜石(ジングァーシー) を散策し、今回の台北旅行で唯一となる観光らしい観光をした我々は、狭い山道を飛ばすに飛ばすバス運転手によって、上下左右前後と座席上で悶絶しながらなんとか台湾北部を代表する国際貿易港 基隆(ジーロン/キールン) に到着いたしました。
 
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【基隆港】
高雄(カオシュン)、花蓮(ホアリェン)と並ぶ三大国際港のひとつ
 
 船着き場は憩いの広場のようになっており、ゆったりと座れるベンチでは午後のひと時を思い思いの過ごし方をする人々で賑わっています。 海の色があまりきれいではありませんでしたが、この場所から湾内観光船なども出ているようで時間があればぜひ乗船してみたいところ。 基隆駅のバックに見える山の中腹には、アメリカはロサンゼルスのサンタモニカ丘陵にある ハリウッドサイン を模した KEELUNG SIGN があり、思わずほほが緩みました。 なかなかユーモアがあって面白いですなあ。
 
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【KEELUNG SIGN】
 
 時計を見ると 3 時を少し回ったところ。 台湾一の美食夜市として知られる 基隆廟口夜市(ジーロンミャオコウイエシー) はおおよそ 5 時くらいから始まるとのことなので、基隆港の周りを少し歩いてみることにします。 といっても基隆港に注ぐ 田寮河(ティエンリャオフー) 沿いにを歩いただけですが、河沿いの文化センターの先にとても歴史を感じさせるいい橋がありました。 いつ頃のものかはわかりませんが、かなり古い橋だと思われます。
 
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 橋を渡り、夜市が催される 愛四路(アイスールウ) に足を運ぶと、屋台の準備がすでに始まっており、人がわさわさと出始めています。 日本ではほとんど見ることのなくなったオート三輪がボロボロの状態でも現役で頑張っています。 徐々に屋台が完成していく様を眺めるのはとても面白いですね。 すでに準備が整った店は客寄せに余念がありません。 台湾語なのでしょうが 「 今なら空いてるよ〜イスに座れるよ〜 ! 」 と言ってるのでしょう、ブラブラと見物しながら歩く我々にメニューを差し出してきます。
 
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 ガイドブックの通り、魚介類をこれでもかと並べた海鮮料理がウリの屋台が多く目移りがします。 が、カニやエビ、イカや貝などは値段がわりと手頃なものの、魚を一匹丸ごと調理した料理や大型のワタリガニなどの料理はそれなりの値段がしますね。 もちろん台湾夜市おなじみの蚵仔煎(オアジェン) に 大腸包小腸(ダーチャンパオシャオチャン)、いつの間にかどこからか匂ってくる 臭豆腐(チョウドウフ) の屋台や露店などが狭い通りにぎっしりと並んでおり、童心に帰ったようにワクワクしながら歩くのは実に楽しいものです。
 
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【基隆廟口夜市】
 
 愛四路 を右に曲がると 仁三路(レンサンルウ) になり、こちらでは黄色い提灯がずらりと並び壮観です。 時間が早くまだ明るいので灯りが燈っていませんが、暗くなったらそれは見事な光景になるでしょう。 仁三路の真ん中あたりに、奠濟宮(ディエンジーゴン) という清朝の 1875年に建立された 140年以上の歴史がある廟がありました。 基隆廟口夜市 とは、この 奠濟宮 のことをいいます。
 
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【基隆奠濟宮】
 
 唐の時代の 686年に、当時の福建省漳州(ヂャンヂョウ:しょうしゅう) と広東辺境の乱を平定し現地民衆を平和に治め、死後に 開漳聖王(カイヂャンシェングワン) として神格化された 陳元光将軍(チンユェングアン) が主祭神として祀られているといいます。 清の時代に大陸から台湾に渡ってきた福建省漳州出身の人々は、開漳聖王・陳元光将軍の恩恵と権威に対する敬慕から各地に廟を建てて祀ったといわれ、基隆の奠濟宮は  聖王宮廟 とも呼ばれています。
【基隆市政府 HPより】
 
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 廟と廟殿内は煌びやかな極彩色と精緻極まる彫刻や調度品に彩られ、夜市の喧騒がウソのような静寂で荘厳な空気を醸しています。 ワタクシも手を合わせずにいられませんでした。 大東亜戦争中に奠濟宮は爆撃を受け、風雨による長年の浸食も加わり見るも無残な姿をさらしていたそうですが、1964年に地方人士の寄付によって修築され、前殿や両廊鐘鼓楼も興建されて今日のような規模となったといいます。
 
 さて、そろそろ我々もお腹が空いてきました。 奠濟宮のとなりに、ちょっと入りやすそうな店があったので入ってみることにしました。 入り口のカウンターであらかじめ料理を注文するシステムになっていて(会計は後払い)、我々は事前にコンビニで購入した缶ビールで軽くつまみを食すつもりだったので、並んでいる鍋を指差して厚揚げを煮た 揚豆腐(ヤンドウフ) と筍の煮物 筍絲(スンシー) を注文、するとお店のおばちゃんが 魯肉飯(ルーロウファン) もしきりに勧めてくるので友人の分と二つ、ついでに注文しました。
 
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【天一香肉羹順】
魯肉飯 揚豆腐 筍絲
どれも優しい味でとても美味しい
 
 ところがこの魯肉飯がなかなか美味いではないですか。 厚揚げはあまり甘くなくしょっぱくなく優しい味わい。 筍の煮物は上にかかっているタレにお得意の八角が効いているようで香りが独特ですがビールによく合います。
 
「 なかなかこの魯肉飯、ウマいね〜 」
「 注文するつもりはなかったんだけど、ついおばちゃんの勢いで … 」
「 これでたったの 20元(約¥80 )だってよ 」
「 ホントかよ ! この値段で大丈夫なのかね〜 」
 
 あとから調べたら、ここは 天一香肉羹順(ティエンイーシャンロウゲンシュン) という店で、ガイドブックには 「 台湾一おいしいといわれる魯肉飯の店 」 と紹介されていました。 基隆廟口夜市でもとくに人気の店といい、我々が入ったときは空席もありましたが、瞬く間に満席となっていました。 支払総額は二人分で確か 95元(約¥380 安っ !! ) だったような ……。 とても満足して店を出ました。 しかし、料理以外に店の写真を撮影したつもりが一枚もなく ……(涙)
 
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 店を出た後、コンビニに寄ると日本のキリンの缶チューハイ 氷結 が売っていたのでこれを飲みながら夜市の屋台を冷かしながら歩きます。 台湾ではこのような楽しい縁日が毎日行われていると思うと、なんだか日本から移住してみたくなりました。 いやあ、それにしても楽しいですなぁ。
 
「 なんか買ってつまもうか ? 」
「 座るところがないからつらいよなあ 」
「 それじゃぁ屋台でちょこっと買って、基隆港の広場に行ってみようか 」
「 それがいいね 」
 
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「 オッ ! このエビの唐揚げウマそうじゃない ? 」
「 いいねえ、それ食おうよ 」
「 カニもいいけどデカいよなあ 」
「 どれも値段は安くていいんだけどデカいか量が多いんだよなぁ 」
「 この貝もウマそうなんだけどなあ … 」
「 若い頃のように食えないねぇ…(しみじみ)」
「 スンマセ〜ン、これくださ〜い 」
 
 注文したのは 鹹酥蝦(シェンスーシャ―) という小海老の唐揚げ。 注文するとあらかじめ揚げてあったのをざっとつかみ、二度揚げして香辛料などを炒ったものと和えてから袋に入れてくれました。 唐辛子をつまんで 「 辛いのは大丈夫か ? 」 と台湾語で聞いてきたのでひょっとすると鬼のように辛くなるのではと思い遠慮しておきました。 屋台料理のわりになかなか手が込んでいるなあと感心。
 
 仁三路を挟んだすぐ向かいの 一口吃香腸(イーコウチーシャンチャン) という一口サイズの台湾ソーセージを焼いて売っている屋台があったのでここでもちょっと買ってみます。 屋台は行列ができるほど盛況でしたが、ウマそうな香りに釣られて並んでみました。 店の娘がなかなか可愛く、つい見とれていたらうっかり写真を撮るのをすっかり忘れました … グヤジィ〜 !! (©谷岡ヤスジ) 台湾ソーセージは一つ 7元(約¥28)からで、いくつでも OK。 とりあえず友人の分とで 6 個注文しました。
 
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 再び基隆港の船着き場に来てみると、ちょうどいい具合にベンチが空いていたのでヨッコラショと腰を下ろし、さっそく缶酎ハイを開けて宴会の再開です。 我々の来る前に少しにわか雨があったようですが、今はすっかりやんでいて風が気持ちいい。
 
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【鹹酥蝦】
 
「 この海老の唐揚げ、香辛料が結構効いてるねえ 」
「 普通に塩と胡椒だけでも良かったんだけどねえ 」
「 台湾じゃこれが一般的なんだろうな、まあでもウマいや 」
「 八角かな、甘い香りなんだよね〜昨日から全部(笑)」
 
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【一口吃香腸】
 
「 この台湾ソーセージも同じ香りと味付けだな 」
「 これはでもなかなかイケるよ 」
「 これはニンニクかな、強烈だな 」
「 ビールが欲しくなるねえ 」
 
 もう少しなにかと思ったけど、たった一杯の魯肉飯が効いているのか結構満腹です。 ここでも友人は臭豆腐に後ろ髪を引かれているようでしたが ……。 ワタクシ的にはスープ類か貝料理が食べたかったのですが、ビールなどアルコールも飲むからすぐに腹いっぱいになってしまうのが悲しい(いや、歳のせいだと思うが)。 しかも時計を見てもまだ 5 時前。 このままホテルに戻るのはとっても惜しい。
…… とそこでナイスアイデア !
 
「 なあ、ここで基隆から 台鐵台北車站 まで行ってさ、寧夏夜市 に行かないか ? 」
「 昨日の昼に行ったところか、いいねえ行ってみよう 」
「 台北車站で MRT に乗り換えて 中山(チョンシャン駅) で降りればすぐだな 」
「 ちょうどいい時間かもしれないな、行こう行こう ! 」
 
 というワケで急遽 寧夏觀光夜市(ネイシャーグアングワンイエシー) にも行ってみることにしました。 基隆駅に行くと、台北車站行きの電車がすでに待機していて、間もなく発車のよう。 今回の旅行は乗り物の乗り継ぎタイミングが良くてラッキーです。 台鐵に揺られること約 50 分、台北車站で MRT 淡水信義線に乗り換えて一つ目の中山で降り、南京西路(ナンジンシールー) を西へ歩くとあったあったありました、土曜日ともあってたくさんの人でごった返しております寧夏觀光夜市。
 
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【寧夏觀光夜市】
 
「 オイオイ、サーバーから生ビールを売ってるぜ 」
「 オォ、飲もう飲もう、やっぱ生だよな〜 」
 
 生ビールを二つ注文すると、横で飲んでいた店員の友人らしき若者がつたない日本語で話しかけてきました。 台北はとても素晴らしいところだが、この生ビールはもっと素晴らしい、と誉めるとエラく喜んでいました。 若者とは固い握手をして別れます。 うひゃ〜こりゃもう楽しいわ。 こちらは地元の人たちに人気のあるといわれている夜市だそうで、基隆と同様に海鮮料理の屋台がとくに有名だそう。
 
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【蚵仔煎大王】
 
 あれもこれもと目移りがするのですが、寧夏夜市に来たらぜひ ― とガイドブックにも紹介されている 蚵仔煎大王(オアジェンダーワン) に寄らない手はありません。 店の前に来るとさすが人気店、数組の客が並んで待っています。 その間に店先の調理風景をパチリ。
 
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調理場は蚵仔煎の大量注文に大忙し !
 
「 コチラノテーブルヘドウゾ〜 」
「 へ〜日本語上手だねえ〜 」
 
 回転がいいのかいくらも待たずにテーブル席に案内されました。 みなさん牡蠣オムレツを注文していますね〜、こりゃ壮観ですな。 店先の調理場も大忙しというのがこれでよくわかります。
 
「 いやあよかったな、すぐに座れて 」
「 まずはビール飲もうよビール 」
「 すんませ〜ん、啤酒を二つください 」
 
「 あとねワタクシはこの 蚵仔湯(オアタン) をもらおう 」
「 オレもそうしようかな 」
「 それと、蚵仔煎(オアジェン) だね 」
「 すんませ〜ん、おねがいしま〜す 」
 
 缶の台湾ビールは炭酸が効いててのど越しはいいのですが、普段自宅で飲んでいるプレミアムモルツやエビスビール、居酒屋でよく飲むキリンラガーやサッポロ赤星に比べると麦芽の旨味やコクが今一つです。 良く言えばあっさり味になりますが、これはこれで慣れてくるといくらでも飲めそうな感じで口に合ってくるから不思議。 するとあっという間に 蚵仔湯(牡蠣のスープ) が登場。
 
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【蚵仔湯】
牡蠣のエキスがたっぷりとけだした滋味深いスープ
 
「 これ、ウマいわ〜 」
「 牡蠣がたっぷり、ほらこんなに入ってるよ 」
「 いや〜しみじみウマいね〜、来てよかったわ 」
 
 こちらの 蚵仔湯はぷっくりと丸い牡蠣がたっぷり入っていて、スープはあっさりした味ですが牡蠣の旨味が十二分に出ていて本当に美味い。 すると間髪を入れずに 蚵仔煎も運ばれてきました。
 
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【蚵仔煎】
牡蠣がたっぷりのオムレツ 濃厚なソースに絡めて !!
 
「 相変わらず量がすごいね〜 」
「 うん、どれどれ …… 昨日のよりこっちの方が全然ウマい !! 」
「 牡蠣の量が違うな〜 」
 
 さすが人気店だけあって昨日の 士林觀光夜市 の店のとはだいぶ印象が違いました。 片栗粉のもちもち感がそれほどではなく、中に入ってる牡蠣も量が多く、上にかかっているソースも味が濃くて玉子焼によく絡んでとっても美味しい。 あ〜やっぱり来てよかった。 会計をすると店先には長蛇の列ができていてさらにビックリでした。
 
 再びコンビニに入り、缶チューハイを買おうと 悠遊卡(ヨウヨウカー) をリーダーにかざすとなんと残額不足。 おかしいなあと考えると、そうか日本の缶チューハイはこちらではかなり割高になるんですな。 500ml 缶で¥300〜400 くらいになるようです。 ここでは現金で支払い、帰りに駅でチャージ(チャージの仕方が分からなかったが、現地の子連れの女性が親切丁寧に教えてくれた)しておきました。
 
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 基隆の夜市からチビチビ飲み続けてきて寧夏夜市ではしご酒、いよいよ酔いも回って気分は最高です。 週末とあって、また天気もなんとか持っているので人の出がすごいです。 ホントにこれが毎晩続けられているのか … 26年前に台湾に来たとき、たしかに夜市のことは聞いていましたが、衛生面で不安があるから、と言われていたので行かずじまいだったのですが、なんだよこんなに面白いのなら行っておけばよかったよ。
 
 当時は取引メーカーの主催だったので、いわゆる中〜高級レストランでのコース料理ばかりで、それが二日も続くとウンザリしてしまい、台湾料理にあまりいい印象がありませんでした。 ところが今回庶民的な食事を口にしてその印象は 180度変わりました。
 
台湾、すごくイイぜ !
 
 店員をはじめフレンドリーな人たちが多く、スイスでは緊張しながら街中を歩いたものですが、こちら台湾では浅草か上野を歩いているような気軽な気持ちで歩けたのはとても楽しかったです。 台湾の人たちは親日家が多いと聞いていたので、ワタクシはどこに行ってもまず コンニチハ ! と挨拶をするように心がけていました。 こんにちは と言えばすぐに日本人とわかってもらえるからです。 迪化街(ディーホアジエ) を歩いているときに、目が合った店員から アニョハセヨ〜 と声をかけられたときは一瞬つまづきそうになりましたからね(笑)。 コンニチハ作戦の結果、食事をする店に入っても用意があれば日本語メニューを持ってきてくれるし、片言でも日本語で応対してくれるなど、いいことばかりでした。 もちろん店を出るときは ありがとう の後に、謝謝 ! と 好吃 ! の二言を添えることも忘れませんでした。
 
「 ワタクシ、なんか甘いもんが食べたいな〜 」
「 オレはいいから、どうぞ 」
「 このタルトがウマそうだなぁ 」
 
「 すんませ〜ん、このレモンタルトをちょうだい 」
謝謝、ドウゾ〜
おねえさん美人だねぇ〜、よかったら写真撮らせて〜
 
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【タルトの店のおねえさん】
ピース !
 
 レモンタルトは甘さがやや抑えてあったのですが、爽やかなレモン風味で口直しにちょうど良かったです。 なにしろ美人のおねえさんに会えたし、しかも写真も OK してもらえたので今回はもうこの旅行の目的がすべて終了したといってもいいのではないのでしょうか ? (オイオイ)
 
「 いや〜、今の女の子、なかなか美人だったねぇ 」
「 今までで一番かな 」
「 ワタクシ、こっちに住もうかな 」
 
 会話は完全に中年の酔っぱらいですね。 お腹も十分いっぱいになったし、いい気分で酔ったので、ここいらで切り上げてホテルに戻ることにしました。 我々が宿をとった 忠孝敦化(ヂョンシャオドゥンファ駅) で降りたとき、ふと持参のガイドブックを開いてみると、ホテルのすぐ近くでも夜に屋台が出る通りがあることが記載されていました。
 
「 ちょっと寄ってみようか 」
「 そうだな、時間はたっぷりあるしな 」
 
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「 人通りはあるけど、屋台はそんなに出てないね 」
「 ま、ちょぼちょぼっていう感じかな 」
 
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「 あの台湾ソーセージ、ウマそうだな〜 」
「 まだ食うのかよ、オレは足裏マッサージでも行こうかな 」
「 マッサージね、オレはソーセージ買って部屋で一杯やってるから 」
「 まだ飲むのかよ、それじゃちょっと行ってくるわ 」
 
 というわけでフランクフルトのような台湾ソーセージを一本買い、部屋に戻って缶ビールを開けてさっそく一口。 またまた例によって八角の甘い香りのするソーセージですが、肉がギュッと詰まって歯応えがあって実にウマい。 もう一本買えばよかったな〜と思っていると友人が戻ってきて
 
「 今の時間、混んでて一時間くらい待つんだってさ 」
「 そんなに混んでるんだ、どちらさんもお疲れなんだねえ … 」
「 そこのコンビニでちょっと缶ビールを買ってくるよ 」
「 戻ってきたらノックして、鍵を開けるから 」
「 ちょっと行ってくる 」
 
 その後、もうそろそろ大丈夫かなと言って友人は再びマッサージ店へ行き、ワタクシは気持ちよく酔っ払ったので先に休むことにしました。 しかし今夜の夜市のはしごは実に楽しかった。 海老釣りや射的などのゲームもちょっとやってみればよかったか …。 今度来る時はぜひやってみよう、それにしてもあの牡蠣のスープはウマかったなあ、それと …
 
タルト屋の女の子は美人だったな〜
 
 そんなことを考えているうちにいつのまにか寝てしまいました。 翌日はいよいよ日本に帰る日、最後に台湾最古の寺院といわれる 龍山寺(ロンシャンスー) と、日本統治終了後に台湾を治めた蒋介石の偉業を記念して建てられた 中正紀念堂(チョンジェンジーニェンタン) を訪ねてみたいと思います。
 
 
つづく
 
 
 
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 こんにちは、注文を伺いにきた者です。 台北初日の晩、初めての 夜市 ということで楽しみにしていた 士林觀光夜市(シーリングアングワンイエシー) でしたが、雨足が強くなったこととかなりお腹がいっぱいになってしまったことで、ほとんど消化不良のまま撤収を余儀なくされてしまいました。 いかんせん朝が早かった(3:45起床) ため、おじさんの疲れもレッドゾーンに達しています。
 
 ホテルのある 忠孝敦化(ヂョンシャオドゥンファ駅) 周辺でどこか入れる店を探すもあまりいい店が無くて断念、ただ疲れを増幅させただけという徒労に終わり、しょうがないのでコンビニで缶ビールとつまみを買ってホテルに戻り、シャワーを浴びた後に飲み直し、そのまま就寝して一日目は終了しました。
 
 5月20日(土)晴。 6時半ころに起床。 7時からオープンする朝食のビュッフェに行くとすでに先客がいて賑わっています。 お粥に魯肉飯、炒麺といった台湾の定番朝食からトーストやオムレツ、サラダなど洋食までふんだんに用意されていました。 ワタクシは普段朝食は一切摂らないのですが、旅先ではやはり手が出てしまいますね。 というワケで洋風なものを軽くお腹に入れておきました。
 
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【朝食はビュッフェ】
 
 今朝は天気も良く陽も出ています。 本日予定している 九份(ジョウフェン) は雨の多いところらしいのですが、前日のこともあるのでどうか晴れててほしいものです。 準備も整ったので、予定より早めにホテルを出発し、我々の滞在している 忠孝敦化 から MRT 板南線 の隣駅となる 忠孝復興(チョンシャオフーシン駅) まで歩き、太平洋 SOGO 百貨 復興館 前から 九份 行きのバスに乗ります。 運がいいことに我々がバス停に到着する直前にバスが着き、難なく座席を確保することができました。 乗客のほぼ半数が大陸からの団体観光客のようで、出発する頃はほぼ満席になりました。
 
 最新の 2017〜18年版の 『 地球の歩き方:台北 』には、九份 行きのバス(基隆客運 1062系統)は 復興南路一段 88番 瑠公圳公園(リウゴンジェンゴンユェンバス停) から出発すると記載されていますが、実際は今年(2017年)の 4月 1日から 復興南路一段 180番 MRT 2番出口前 に移転していますので、ここを起点としてバスで九份観光を予定されている方は注意が必要です。
 
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東京都内を走るバスって、猛スピード出すんだって ?
ウン、都バス っていわれているからねえ …
 
 九份 までは約一時間半ほどかかるのですが、このバスがまた恐ろしいほど飛ばす飛ばす。 バイパスでは先行車に接近しては何度も車線変更をして追い抜いていくし、狭い道や山道でも 「 ブレーキは付いていないのか ? 」 と思うほど。 ビックリしたのは途中で自社のバス会社の車両基地に入り、燃料を補給していったこと。  しかも、燃料補給中に普通ならエンジンを止めるのが常識なのに、エンジン動いたままだし …。
 
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【只今燃料補給中】
出発する前に入れてこねえのかよ !
 
  日本のバスに比べるとはるかに音と振動が大きいバスに揺られること一時間と少し、ようやく目的地である 九份老街(ジョウフェンラオジエ) に到着しました。 あ〜、腰とケツが痛え〜(涙)。 バスを降りると、すでに観光客がたくさん集まっており人気のほどが窺えます。
 
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【九份老街バス停から】
 
 九份 は、台北東北部の港町 基隆(ジーロン) の近郊、新北市瑞芳区に位置する山間の小さな街です。 かつては人口十数人足らずの寒村で、九份 という地名は、当時の全九世帯分の生活物資をまとめ買いしていたことにちなむそうです。 1893年に金鉱が発見されると、九份一帯は空前のゴールドラッシュに沸き、日本統治時代に最盛期を迎え栄華を誇りました。 しかし、金鉱脈が尽き閉山されるとともに居住者も去り街は急速に衰退、一時は人々の記憶から忘れ去られた存在となっていたそうです。
 
 ところが、日本統治時代の終わりから中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会を描いた 1989年公開の映画 『 悲情城市(ベイチンチェンシー) 』 が台湾で大ヒットし、九份がこの映画のロケ地となったことから再び脚光を浴び、1990年代には多くの若者が訪れるなどブームが起きたといいます。 現在ではノスタルジーあふれる旧き良き街並みに出会えるとして、台湾国民はもとより外国人観光客にも絶大な人気を誇っています。
 【地球の歩き方:台北 より】
 
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【九份霞海城隍廟】
 
 まずはバス停からすぐの展望デッキに上ってみました。 色鮮やかなこの建物は 九份霞海城隍廟(ジョウフェンシァハイチュンファンミャオ:昭靈廟) です。 城隍廟 とは、城(城壁)と 隍(堀)の神である 城隍神 をお祀りする廟のことで、中華文化では都市の守護神として信仰されているといいます。 中華では、仏教など外来宗教の建物を といい、中華固有の宗教建築を と呼ぶそうです。
 
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【九份より基隆港を望む】
 
 海側に目をやると、台湾を代表する貿易港 基隆港 が一望できました。 基隆港からは香港や韓国などへの定期便も就航する国際的に開かれた港です。 大東亜戦争後、台湾に住んでいた日本人の多くがこの港から引き上げ船に乗ったといいます。 それでは日本統治時代の面影を色濃く残す 九份 の街を散策してみましょう。 こちらが入り口です。
 
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【九份舊道】
土産物雑貨や飲食店が軒を連ねる基山街(ジーシャンジエ)の入り口
 
 基山街 には雑貨店や土産物店、ローカルフードやスィーツなど 小吃(シャオチー) の店が軒を連ねます。 今思うと、あれも買っておけばこれも買っておけば、あそこでつまみ食いをしておけばなどと後悔しきり。 その時は荷物になるからとか無駄遣いになるからと思っていたのですが …。 結局、ここでは台湾高山茶をお土産に購入しただけでした。 日本語がまあまあ話せるお店のおねえさんが、髪をボブにして白く脱色したうえで前髪の一部だけオレンジとグリーンに染めているもんだから、からかい半分に
 
「 おねえさんヘアスタイルがカワイイね〜 」
 
 と言ったらすごく照れていました。 帰宅してから写真を撮ったつもりが一枚もなくてガックシ …(泣)。
 
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「 なあオイ、なんかまた例のあの 臭い がするんですけど … 」
「 ホントだ、なんか臭ってきた ! 」
うわっ ! あったよオイ、アレだよあそこだよ(泣)
 
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【臭豆腐の屋台】
鼻腔の奥から記憶が呼び戻る……
 
「 一串 40元ですと 」
「 やっぱり試さないと後悔するかなあ 」
「 ワタクシは 2 メートルくらい離れてますからどうぞご遠慮なく 」
「 う〜〜〜ん …… 」
 
 ワタクシはハナから手を出す気はありませんでしたが、同行の友人はこの旅行の最後まで躊躇した挙句、結局口にすることはありませんでした(笑)。 ただ、相当心残りだったらしく、焼いたのはクサいけど揚げたのはそう臭わないとかいろいろ言ってましたから、おそらく次回また台北を訪れることがあれば今度はしっかり胃袋に納めるに違いありません。
 
 九份 の街は猫が多く、あちこちでのんびりしているのを見かけます。 一年半くらい前だと思うのですが、NHK の 『 岩合光昭の世界ネコ歩き 』 を見ていたら、岩合さんが座り込んだり腹ばいになったりして猫たちの写真を撮影しており、背景のなんともノスタルジックな街並みがすごく気に入ってどこなのかなぁと思っていたら台北の 九份 という山間の小さな街だというので、一度行ってみたいなあと思っていたところでした。 念願がかなって嬉しい。 いやあそれにしてもかわいいですなあ。
 
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 まだ 10時半を過ぎたばかりですが、あちこちと歩き回ったらのどが渇いてきました。 ビールでも飲みながらなにか少しつまもうかということで、飲食店も見て回りました。 茶藝館(チャーニィグアン) と呼ばれる台湾茶を堪能できる茶館や、映画の舞台となったところなので映画のタイトルにちなんだ店名の店がいくつかあります。
 
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【左:九份茶坊】 築150年ともいわれる歴史的建築をリノベーション 趣のある茶器で贅沢な時間を
【右:阿妹茶酒館】 金鉱で栄えた頃の大邸宅を利用した茶藝館 基隆港を見渡す絶景が楽しめる
 
「 どこにしようか 」
「 まだ時間が早いのかな、そうでもないや、もう営業してるよ 」
「 階段の両脇に店が並んでいるんだな 」
「 この階段、夕方になると夕景を見る観光客で身動きが取れなくなるそうだよ 」
  
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【豎崎路】
茶藝館や飲食店が並ぶ
 
「 ここにしようか、客も一組だけだし 」
「 テラス席が空いてるからちょうどいいよ、ここにしよう 」
 
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【悲情城市小上海茶飯館】
 
 いろいろと迷った挙句、映画の撮影にも使用されたという 悲情城市小上海茶飯館(ベイチンチェンシーシャオシャンハイチャーファングアン) に入ってみました。 なんでも建物は 1916年に建てられたといいます。 この建物のある 豎崎路(シューチールー) の路地や石段は日本統治時代に造られたものだそう。
 
「 まずはビールでしょ 」
「 朝は食べたので軽くかな 」
小籠包麻婆豆腐 はどう ? 」
「 いいね、それでいこう 」
「 すんませ〜ん、おねがいしま〜す … 」
 
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まずはおなじみ台湾ビールで乾杯
 
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【小籠包】 と 【麻婆豆腐】
 
「 小籠包は … いたって普通かな 」
「 ウン、まあこんなもんかな 」
「 麻婆豆腐も … いたって普通だね 」
「 ウン、あんまり辛くないね 」
「 東京にもある 鼎泰豐 の台湾本店で小籠包が食べたいな 」
永康街(ヨンカンジエ) というところにあるみたいだよ 」
 
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 ガイドブックには 「 食堂風の素朴な雰囲気で、昔ながらの台湾料理が味わえる 」 とのことでしたが、確かに年季のいった建物や風情あるテラスなどロケーションは良かったのですが、注文した品が悪かったのかいたって普通の料理でした。 まあやっぱり、こういう観光地で食う物に文句言っちゃいけないぜ(笑)。 支払いをしてくれた友人は 「 観光地料金だねぇ 」 と言ってました(笑)。 まだ時間が早く客が少なかったので、お店のおかみさんらしき人が子供たちに学校の勉強を教えていました。 いやあ、素朴な雰囲気ですなあ。
 
 食後は 九份 の街に別れを告げて、アジアきっての金鉱の街として栄えた 金瓜石(ジングアーシー) に行ってみました。 バス乗り場で手を挙げると、運転手がなにやら言ってきます。 どうやら 「 台北には行かないよ 」 と言ってるらしいので、友人が行先表示の 金瓜石 を指差すと納得したようで事無きを得ました。
 
 しかしまたまたこのバスがエラい飛ばす …。 山道でくねくねしているうえに狭い道路ときてるから、対向車が見えるたびに肝を冷やします。 下り坂でもアクセルは吹かす、突然急ブレーキはかけるわで、これでも運転手は普段通りなのでしょうが、さすがに日本は安心安全な国だなあと改めて思いました。
 
 バスに乗っている途中でにわか雨が落ちてきました。 雨の多いといわれる九份では降られなかったのでラッキーでしたが、どうやら大した降りではなさそう、次第に晴れ間も出てきました。 上下左右前後に揺られること 20分ほどで 金瓜石 に到着しました。
 
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【新北市立黄金博物園區】
金鉱で栄えた金瓜石の街並み一帯が保存・復元されている野外博物館
 
 金瓜石鉱山(日本名:きんかせきこうざん) は、台湾北部の新北市瑞芳区にあった金鉱山で、かつてはアジア第一の金山と呼ばれ繁栄しました。 1987年に廃鉱閉山となり、2004年から 黄金博物園區 として観光地化されています。
 
 受付で見学料金の 80元を支払い、道なりに歩くとまずは日本式の四連棟宿舎がありました。 金瓜石は 1894年に金鉱が発見されましたが、当時の清国政府は日清戦争中で金鉱どころではなく、好き勝手に採掘されている状態だったといいます。 明治28年(1895年)に台湾の統治者となった日本政府は直ちに金鉱採掘禁止令を発し、翌年に日本近代製鉄の礎を築いた田中長兵衛率いる田中組に採掘権を与えました。 その後、金瓜石鉱山は大東亜戦争終結の日まで日本政府と日本人技師によって繁栄していきます。
 
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【四連棟日式宿舎】
建物内部は当時の生活の様子がくまなく再現されている
 
 四連棟日式宿舎 は日本統治時代の昭和 5年(1930年)頃に建てられた日本人職員の宿舎で、その名の通り四棟が連なっており、それぞれに独立した炊事場や風呂場がありました。 ここでは二十人ほどが生活をしていたといいます。 園内にはオブジェが置かれる公園や、昭和天皇が皇太子時代に訪問する際に建てられた日本建築の 太子賓館 をはじめとする建築物、採掘の様子が再現された坑道に金鉱石を運ぶ軽便鉄道跡、台湾若手ジュエリーデザイナーの作品展示に飲食のできるエリアなどがあります。
 
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 かなり急な階段を登るのですが、金瓜石神社(黄金神社) があったという場所まで行ってみることにしました。 金瓜石神社は、日本統治時代の昭和 8年(1933年)に建立されました。 冶金の守護神として 大国主命・金山彦命・猿田彦命 の三神が祀られており、金鉱山の従業員や周辺住民の信仰を集め、毎年盛大な山神祭が催されていたといいます。
 
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【無耳茶壷山】
金瓜石神社に向かう途中に見える Teapot mountain
 
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【鳥居と燈籠】
階段はところどころ崩れていて登り難いことこのうえない
 
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【金瓜石神社跡】
 
 やっとの思いで辿り着きましたが、社殿は大東亜戦争後に廃社・破却され、現在は社殿の柱や鳥居、燈籠などわずかな痕跡が残るのみとなっていました。 あとから調べたら、今では金運上昇のパワースポットとして多くの参拝客が訪れているのだそうです。
 
 もと来た道を下り、金瓜石 の金鉱産業の歴史について展示している 黄金博物館 を見学しました。 館内ではミニチュアによる金鉱採掘の様子や、当時使われていたさまざまな道具や日用品、純金で制作された装飾品や美術品などの展示がありました。
 
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 明治29年に 金瓜石鉱山 の採掘権を得た田中組は、本土から多数の日本人技術者を招聘して鉱山開発に取り組み、わずか数年の間に著しい発展を遂げます。 のちに金以外に大規模な銅の鉱床があることがわかり、さらに業績が上がりました。 金瓜石鉱山は、最盛期の昭和10年頃には住民 15,000人を数え、映画館だけでも三館、学校・郵便局・合宿・病院・旅館・日用品供給所・プール・テニスコート・陸上競技場・武道館・相撲場・弓道場・神社・寺院・火葬場から共同墓地までありとあらゆる設備が整っていたといいます。
 
 昭和16年12月に日本が米英に宣戦を布告し戦時非常時体制となると、政府は軍需要の金と銅の増産を奨励しましたが、戦争の影響から労働力が欠乏したため、昭和17年にシンガポールで捕虜になった英国兵 800余人を収容して坑内の採掘作業に従事させたり、またその翌年には台北刑務所で服役中の囚人まで労働力に組み入れるなど、ありとあらゆる手段を講じて増産に励んだといいます。
 
 当時の日本軍による英国兵捕虜の扱いは相当酷く、高温多湿の坑内での強制労働に制裁という名目の虐待が横行、疫病や栄養失調、医療品の不足による死者が続出し、これに反発した捕虜や囚人たちによる大きな暴動が起こったことがボードの説明に書かれていて胸を痛めました。 栄華を誇った金瓜石鉱山も大東亜戦争末期にはほぼ掘り尽くされて資源も枯渇、昭和18年に金の生産が中止され翌年には銅の生産も中止となり、日本が敗戦を迎えると鉱山は一時閉山となりました。 のちに金瓜石鉱山は中華民国政府の手に渡り、一時的に活気を取り戻しましたが、すでに鉱脈は尽き 1985年に廃鉱が決定、1987年に閉山し 金瓜石鉱山 90年の歴史に幕を降ろしました。 この間の総生産量は粗鉱量約 2,500万t、純金 120t、純銀 250t、銅 25万t に上るものと推定されています。 
【Wikipedia より】
 
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【220.3kgの金塊】
ギネスブックにも登録されている世界最大級の金塊
2017年5月29日公表 税込小売価格 \ 1,087,180,500- 也
 
 黄金博物館内には、重さ 220.3 kg にもなる世界最大級でギネスブックにも登録されている純金のインゴットが展示されていました。 記念撮影の順番待ちをする人がかなり並んでいたのでここはオミットし、なかなか見応えのあった博物館をあとにしました。
 
 まだまだ見所はたくさんあるのですが、園内は広くくまなく見て回るには丸一日はかかりそうです。 このあとは再びバスに乗り、基隆 の街まで行き、台北北部では最も賑わう夜市と言われる 基隆廟口夜市(ジーロンミャオコウイエシー) に行ってみたいと思います。 港町だけに、新鮮な海鮮食材を使用した屋台料理はどれも美味しく、台湾一の美食屋台と言われている ― とガイドブックに記されているので期待が持てます。
 
 バス乗り場に行くとすでに 基隆 行きのバスが待機中、運転手さんに促されて乗車するとほぼ満席でしたが、最後部に空席があったので座って行くことができました。 が、いざバスが発車するとこれもまた飛ばす飛ばす ……。 金瓜石 は山の中腹なので道程すべて日光のいろは坂よろしく蛇行した下り坂になるわけですが、いろは坂の半分程度の道幅しかないところを猛スピードで下っていくのでこれがもうホント生きた心地がしませんでした。
 
 終点の 基隆 に着きバスを降りるときに運転手さんから笑顔で 「 謝謝 ♪ 」 と言われましたので、こちらも今できる最大限の笑顔を作って 「 謝〜謝〜 」 と力なく返礼しましたが、イヤミの 「 シェ〜ッ ! 」 のようにその顔はおそらく引きつっていたと思います …。
 
 
つづく
 
 
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 こんにちは、フロアマネージャーです。 永樂市場(ヨンルーシーチャン) 裏手にあり、ドラマ 『 孤独のグルメ Season 5 』 のロケ地ともなった 原味魯肉飯(ユエンウェイルーロウファン) で遅めの昼食、しかも美味い昼食を堪能した後は、ノスタルジックな気分満点の問屋街 迪化街(ディーホアジエ) を散策します。 ところが、店を出る前後から雲行きが怪しくなり、ポツポツと雨が落ちてきました。
 
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【迪化街】
アーケード状の通りに問屋がずらりと並ぶ
 
 日本を出る直前に調べた台北の天気予報は、おおむね晴れで所によりにわか雨がある程度、と言っていたので予報通りと言えば予報通りですが、せっかく来たのに雨に降られてはテンションが下がります。 が、迪化街 はよくできていて、スイス・ベルン地方で言うところの ラウベン(Lauben) と同じく建物の一階部分が歩道となっているため傘を差さなくても歩くことができるのです。 珍しい乾物や茶葉、漢方薬にフルーツなどをあっち見こっち見しながら歩いていると容赦なく店員さんのセールストークを浴びせられるのが難ですが …。
 
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【新芳春茶行】
日本統治時代の 1934年に建設され、かつては台北最大の製茶工場だった
現在は茶文化と大稲埕一帯の歴史を伝える文化施設として公開されている
 
 迪化街 から MRT 淡水信義線雙連(シュアンリェン駅) に向かう 民生西路 (ミンションシールー) を歩いていると、台湾茶の博物館のような建物の中で 新芳春行特展 として 重回大稻埕老茶行的璀燦榮光 (Returning to the glory days of old tea shops at Dadaocheng) という展覧会が行われており、無料だったので入ってみることにしました。 いや、友人がトイレに行きたいというのが主な理由だったのですが …。
 
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 一階では、台湾茶の製造過程を再現したミニチュアと、その実物大の展示があり、付近一帯の 大稻埕 (ダーダオチェン:迪化街) の起こりや発展を説明するボードもありました。 もちろん台湾語なので意味不明でしたが ……(涙)。 
 
 アヘン戦争(1840〜1842年)後の 1860年に、台湾北部の 淡水(ダンシュイ) が開港されると、水運の拠点である淡水河下流の 大稻埕 には外国の領事館や商館が置かれ洋館が建ち並び、台北初の西洋式街路となったそうです。 日本統治時代には港町と呼ばれ、茶葉を中心に米や砂糖、樟脳・漢方薬・乾物類・生地など多岐に渡る商品が取引されていました。 ここで財を成した商人たちは、当時流行していたバロックやアールデコ様式といったファサードを持つ店舗にこぞって改装したといいます。 その後、時代が代わっても問屋街として存続したため、日本の統治時代の街並みが現在にも残り、台北一の老街の風情を今に伝えているのだそうです。
 
 一方で、大正時代からの建物だけに老朽化が懸念されていましたが、旧い建物を現代のセンスで改装するリノベーション・ブームに乗り、ここ二〜三年で次々と修復が行われているといいます。 現在はかつての石造りや赤レンガの美しい街がよみがえり、若いショップ・オーナーが店を開く最新のエリアになっているそうです。 
【地球の歩き方:台北 より】
 
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 二階には珍しい茶器などの展示、三階では日本統治時代の 大稻埕 を舞台にしたドラマのロケで使用された大道具や小物類が展示されていました。 蓄音機などもあり、なかなか興味深い展示でありました。 館内ではお茶のサービスもあり、フレンドリーな職員たちのおかげで短時間でしたが充実した時間を過ごすことができました。
 
  建物を出て、このあたりでも盛大に開かれる 寧夏觀光夜市(ネイシャーグアングワンイエシー) が催される場所に行ってみようと横断歩道脇で地図を開いていると、とても可愛らしい 30代前半くらいの小柄な女性に 「 どちらに行かれますか ? 」 と流暢な日本語で尋ねられました。 夜市の行われる 寧夏路(ネイシャールー) に行きたいというと丁寧に教えてくれました。 ただし 「 今行ってもまだなにもやっていないですよ 」 とも …。
 
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 ポツポツと小雨の降る中、とりあえず教えられた場所に行ってみると、確かにまだなにも行われていませんでしたが、蚵仔煎(オアジェン) という台湾のローカルフードである牡蠣入りオムレツで有名な 蚵仔煎大王(オアジェンダーワン) では店員さんたちが忙しそうに仕込みをしていました。 今回の旅行では 寧夏觀光夜市 は予定に入れていなかったのですが、ムムム …… やっぱり来てみたい …。
 
 寧夏路 を後にして、雙連 から MRT 淡水信義線 に乗り、劍潭(ジェンタン駅) で降りて道路を渡った先の一帯が台北で最大規模を誇るという 士林觀光夜市(シーリングアングワンイエシー) です。 台湾のローカルフード屋台やプチプライス雑貨の露店が並び、日本の縁日さながらの熱気に包まれるという名物夜市。 ただ、駅を降りたところで少し雨足が強くなってきてしまい、どうにもテンションが下がってしまいます。 しょうがなくいよいよここで傘の出番となってしまいました。 荷物もあるし傘とカメラの両方を持つのはキツいな …。
 
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【士林觀光夜市】
士林市場はまだ開店したばかり
 
 我々が訪れた時間はまさに今開店したばかりという感じで、まだ開店前や準備中の店もたくさんあって人出もそんなにないという様子でした。 士林市場(シーリンシーチャン) の一階をプラプラと歩いていると、フレッシュフルーツの屋台から 蓮霧(リエンウ) もしくは ワックスアップル というサクサクした歯触りであまり甘くないちょっと固めの洋梨のようなフルーツをいただきました。 店のおねえさんが美人だったのですが、写真撮らせてもらえばよかった … 失敗。
 
 そろそろビールが飲みたい、ということで 士林市場 の地下にある 美食區(メイシーチュー) と呼ばれる飲食店街に降りてみました。 ちなみに市場の建物の一階は雑貨店やシューティング・ゲームなどの露店が集まっており、地下には着席して飲食ができる店が軒を連ねています。 日本と比べると公衆トイレの少ない台湾ですが、ここは設備が充実しているので安心して飲食ができます。
 
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【美食區】
士林市場の地下一階に広がる飲食店街
 
「 とりあえず軽く調査でもしますか … 」
「 オイオイ、すげえなここは !! 」
 
「 ちょいちょいイヤ〜な臭いがするんですが … 」
「 オレも思っていたんだけど、なんの匂いだろな ? 」
 
「 うわっ、台湾のテナガエビって足が青いんだな〜 」
「 へ〜、これを食っちゃうのか〜 」
 
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「 しかしどの店も客引きがすごいねえ 」
「 まだ客が少ないからこっちも選び放題だな 」
「 これで数時間経ったら今日は金曜だしエラい人出になるんだろうな 」
「 どこに入ろうか … この店のおばちゃんが元気だからここにするか 」
 
ニイハオ〜 ! コチラヘドゾ〜 !!
 
「 んじゃここにしますか … 」
「 とりあえず啤酒ちょうだい 」
OK !!
 
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【佳鴻】
 
 おばちゃんの勢いでついつい入ったのは 佳鴻(チァフォン) という店。 壁のメニューやテーブル備え付けのメニューに日本語の表記もあるので言葉ができなくても指差しで簡単に注文できるから安心です。 ビールは他でも飲むので一本でもよかったんだけど、ありゃりゃ二本持ってきちゃったよ(苦笑)。
 
「 んじゃとりあへず乾杯〜 」
「 おつかれ〜 」
 
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【台湾啤酒】
もはや選択の余地のない台湾ビール
 
「 ん〜やっぱりコクがないな、この台湾啤酒は 」
「 大きいんだよな、600ml か 」
「 さ〜てと、なに食べようか 」
「 そうだな …… 」
 
カキオムレツオイシイヨ、アワビ、ショウロンポウオイシイ、カニモオイシイ
 
「 アワビとかカニとか、ちょいちょい値段のいい品を混ぜてくるね(笑)」
「 よしそれじゃ、これとこれと … これ ! 」
OK ショウロンポウハ ?
「 いや、いいいい(苦笑)」
 
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【おばちゃん一号:左】 日本人観光客でこのおばちゃんの勢いに釣られた人はかなり多いとみる
【おばちゃん二号:右】 恥ずかしいというわりには目線が… マスクをしているのは、アレのせい ???
 
 結構強引なおばちゃんです。 注文を終えて出てくるまで厨房の様子を写真に撮らせてもらいました。 マスクをした方のおばちゃんはカメラを向けると 「 ハズカシ〜 」 と日本語で言っていました。 そのわりにはカメラ目線です。 ここでワタクシが気付いたのは、迪化街 を歩いているときからどこからともなく漂ってくるイヤ〜な臭い、それがどうも今この目の前でマスクのおばちゃんが揚げているモノが発生源のようなのです。
 
!! これが ひょっとすると あの
 
臭豆腐(チョウドウフ)
 
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の 香り なのか ???
 
 検証は後にして、まずはガチャガチャとテーブルに運ばれてきたのでいただくことにします。 我々が注文したのは、蚵仔煎(オアジェン) という牡蠣入りオムレツに、香酥一口蟹(シャンスーイーカオシェ) という一口サイズのカニの唐揚げ、それに 姜蒜炸小竹蛏(チャンスァンチャーシァオチューチョン) というマテ貝のニンニク風味炒めです。
 
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【蚵仔煎】
牡蠣入りのオムレツ 片栗粉でとじるのでプルプルした食感
甘辛ソースで絡めて食べる夜市の必食メニュー
 
「 しかし … どれも量が多いねぇ 」
「 この牡蠣オムレツ、やたらプルプルモチモチしてるんですけど … 」
「 片栗粉を溶いたのを広げてその上に玉子を落としてるんだって 」
「 それでモチッとしてるのか、牡蠣は小ぶりだな、なんかビミョーな味わいだなぁ … 」
「 これが夜市に来たら必食の名物らしいよ 」
「 う〜〜〜ん、片栗粉はいらないなあ 」
「 プレーンオムレツの中に牡蠣を入れてくれた方がいいかもね、これイマイチかも 」
 
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【香酥一口蟹】
カニの風味が香ばしい一口サイズの唐揚げ
ビールのつまみに最適
 
「 カニはアレだね、かなり適当に塩コショウが振られてるね(笑)」
「 甲羅が外されてるのは食べやすいな、これはビールのつまみにはいいな 」
「 やたら量が多いんですけど … 」
「 小っちゃくてもカニの風味がして、これはイイわ気に入った 」
 
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【姜蒜炸小竹蛏】
ニンニクと生姜、香辛料が効いたマテ貝の炒め物
プニプニとした食感がクセになる
 
「 マテ貝はどうかな … 痛ッ ! 貝殻で口の中切っちゃったよ 」
「 貝の身だけ食べればいいんだよ、殻は普通食わないだろ 」
「 八角なのかな、この甘い香辛料がなんか余計だなあ 」
「 マテ貝は日本ではなかなかお目にかかれないなぁ 」
「 う〜ん、慣れるとなかなかイケるもんだなあ、これ 」
 
「 あ〜食った食った、ごっそうさん 」
「 腹いっぱいになっちゃったな、すんませ〜ん、会計 ! 」
 
 というワケで、蚵仔煎 はちょっと期待はずれ、香酥一口蟹 はカニの唐揚げに塩コショウを振っただけなので間違いようのない味、姜蒜炸小竹蛏 は香辛料にクセがあるけれどマテ貝の弾力のある食感はビールのいいツマミになりました。 あれだけ大声で客寄せしていたおばちゃんなのに、帰りしなは 「 謝謝 」 と小さく一言。 ゲンキンなもんだね〜(笑) でも、なかなか面白い店でした。
 
 何軒かハシゴしてやろうと思ったのに、悲しいかな齢五十のオジサンのお腹はもうパンパンです。 だって量が多いんだもん、それに昼食を摂ったのが遅かったし …。 日本の居酒屋の小鉢がちょうどいいと感じるのは、やれやれ歳をとった証拠だねぇ ……(溜息)
 
 地上に出ると雨がかなり降っていて、傘がないと歩けない状態。 雑貨屋や露店をひやかしながら歩いていると、街の中央あたりに 慈諴宮(スーシェンゴン) という廟があったので寄ってみることにしました。 廟の中では信心深い地元の人たちが熱心に拝んでおりましたので、ワタクシも端の方から旅の安全を祈念して手を合わせました。
 
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【士林慈諴宮】
士林夜市はこの慈諴宮の門前に開かれた夜市
 
 慈諴宮 はまたの名を 媽祖廟(マーズミャオ) ともいい、媽祖(まそ) を主神に祭っています。 媽祖 とは、航海・漁業の守護神として中国沿岸部を中心に信仰を集める道教の女神のことをいいます。 日本でもオトタチバナヒメ(弟橘媛:弟橘比売命) 信仰と混淆しつつ広まりました。 台湾では、中国沿岸部から移住してきた開拓民によって信仰が広まり、日本統治時代には一時規制されましたが、日本の統治終了後は再び活発な信仰がなされるようになり、現在では台湾で最も信仰されている神ともいわれています。 
【Wikipedia より】
 
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【士林慈諴宮】
建立は 1796年 とても幻想的
 
 雨さえなければコンビニで缶ビールでも買って屋台の料理をつまみながらブラブラと思ったのですが、いかんせん荷物はあるし傘とカメラで手は塞がれているしお腹もいっぱいなのに加え、朝早起きした疲れも少し出てきています。 屋台名物の 大腸包小腸(ダーチャンパオシャオチャン:もち米を豚の腸に詰めたもので台湾風ソーセージを包んだもの葱油餅(ツォンユーピン:台湾風ネギ入りおやき愛玉(アイユー:クワ科イチジク属のつる性植物の果実から作られるゼリーのデザート などいろいろ試したかったのですが、残念。
 
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 それでも 烤鳥蛋(カオニャオダン) というウズラの卵を焼いたものを六個串に刺した可愛らしいツマミを試してみました。 ウズラの玉子焼きなのでそれ以上でも以下でもありませんでしたが、普通に美味しかったです。(写真撮り忘れた〜) 雨足も強くなってきたので、ここは早めにホテルに戻ってホテル周辺でいい店があったら入ってみることにしよう、となりました。
 
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【Octopus 焼】
Eight claw octopus burned イイダコが一匹丸ごと !!
 
「 このさ、下水管 のような臭い、これがあの 臭豆腐 だろ 」
「 このちょいちょい漂ってくるヤツね、な〜んか鼻の奥から離れないんだよ 」
「 忘れた頃にどこからか一瞬ふわっと臭ってくるね 」
「 なんか服に染み付いてるんじゃないかな … 」
「 こんな臭いのを食うなんて、ワタクシにはできませんな 」
クサヤ と似たようなもんだろ 」
「 ワタクシ、クサヤって食ったことないんですよ 」
「 え〜、ホントかよ ! 」
「 いや〜、臭豆腐 は遠慮しとくわ 」
「 せっかく台湾に来たのになぁ 」
「 ワタクシはいいからぜひ試してくださいよ、その代わり 2 メートル くらい離れてるから 」
 
うわっ !! またどっからか臭ってきた !! あっ、あそこだ !!!
(カメラを向ける気にもなれない ……)
 
食ってもないのに検証もへったくれもあったもんじゃないですが …
とにかく匂いの正体が判明しました。
 
 というワケで、初めての夜市体験でしたが、あいにくの天気のためテンションが下がってしまい、いや、けっして 臭豆腐 の強烈な臭いのせいではありません。 それに一軒目のボリュームがすごかったためオジサンたちの胃袋は限界。 こんなしくじりもまた旅情なり(笑)。 ま、翌日も別の夜市に行く予定なのでそちらに期待しましょう。 写真ももっとたくさん撮りたかったのですが、雨水のせいでカメラの故障が懸念されて思うように撮影できなかったのが悔しいところ。 晴れていればなあ …。
 
 その後、劍潭 から MRT 淡水信義線MRT 板南線 と乗り継いで 忠孝敦化(ヂョンシャオドゥンファ駅) で降り、予約しておいた駅の目の前の Green World Hotel - Zhongxiao (グリーンワールドホテル・ヂョンシャオ) にチェック・イン。 フロントには日本語が堪能なスタッフがおり、台湾語が喋れなくてもまったく心配はありませんでした。 設備もとてもきれいなホテルです。
 
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【Green World Hotel - Zhongxiao】
駅から近くて設備も充実の☆☆☆ホテル
 
 とりあえず荷物を置いて、雨の中ホテル周辺で店探しをしますが、ガイドブックに載っていて目星をつけておいた店は廃業しており、その他の店も日本料理店だったりラーメン屋だったり韓国焼肉の店だったりとそそられる店がありませんでした。 雨も強くなってるし、仕方がないのでコンビニで缶ビールなどを購入し、部屋に持ち込んでシャワーを浴びた後に呑みながら反省会、台北一日目が終了しました。
 
 翌日は早起きしてバスに乗り、台北随一のノスタルジックタウン 九份(ジォウフェン) の街を散策し、少し足を延ばして、アジアきっての金鉱の街として栄え、日本統治時代の名残が色濃く残る 金瓜石(ジングアーシー) を訪ねたいと思います。
 
 
つづく
 
 

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