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みなさま 明けましておめでとうございます 本年もなにとぞよろしくお願いいたします。 目が覚めると、そこは雪国だった・・・ 今年の元旦は、朝降りだした雪が、あれよあれよというまにうっすら積って ホワイト元旦になりました(^◇^) 私たち南国の人間は、こうして雪が積もると物珍しくてどこかで喜んでいるのですが 雪は、雪地帯に住む方々にとって本当に厄介な存在でしょう。 同じものであっても、ある人たちにとってはとても大切なものであっても ある人たちにとっては、どうでもいいか、むしろ厄介な存在であるというものになるということ、 昨年一年、考えさせられたことでした。 二律背反するものを、ひとつの価値にまとめてしまうこと それは本当に難しいことです。 今から約400年前、日本ではキリスト教が禁止され ザビエルの来日以来、着実に増加していたローマ・カトリックの信者たちは、 信仰を捨て、納得いく行かないにかかわらず、仏教徒となることを幕府より強制されました。 以降約250年間、日本のキリシタンたちは信仰捨てるか、 それとも潜伏して非合法に信仰を続けるかの選択を迫られたのです。 その後、潜伏キリシタンにどれほど悲劇が生じたか・・ 慶応元年(1865)、大浦天主堂を長崎の浦上村の人々が訪れ ベルナール・プティジャン司祭に、自分たちが250年間の弾圧を耐えて信仰を守り通した潜伏キリシタンであることを告白します。 250年間、弾圧下でローマの保護なしに信仰を継続した人々のことは奇跡と賞され、 そのニュースは世界中で大きな評判となりました。 その後、明治新政府もキリスト教弾圧を継続して行いますが すでにこうした潜伏キリシタンの存在を知っていた世界の列強国は、 キリスト教弾圧は野蛮な行為であり、日本を文明国家として認めないという抗議を強く行い、 ついに明治6年(1873)、260年ぶりに禁教令が解かれるにいたったのです。 そして今、日本では当たり前にクリスマスが祝われ ミッション系の学校に通える世の中になりました。 その中で次第に、潜伏キリシタン260年の歴史を顧みられることも少なくなり 現在の、個人の自由と幸福が保証される世の中になったその凄惨な過程が忘れ去られようとしているのも事実です。 私が地方の教会を訪ね、絵を描くようになったのは、 ひょっとすると、それを忘れたくないという意識がどこかにあるからかもしれません。 現代の幸福は、過去の犠牲の上にある・・・ 二律背反するものを、多くの犠牲をはらいつつも 「幸福の追求」という価値一点のみにむけてまとめあげたのが、現代日本かもしれません。 そらが完成しているのか、そうでないのかは、これからの未来が語っていくのでしょうけれど 少なくとも今は、他人さまの権利と幸福を侵さない限り 自由に学べて、好きな職を選ぶことができ 生活できる最低限度の保障制度があります。 そういう世の中にしたいなあと思いつつ、その最後まで努力してきた方々を想い これからそんな方達の意思を継続していくのが、私たちの役目かもしれません。 上五島の、浦々の教会を訪ねると この小さな教会が、実は先人たちの計り知れない努力と犠牲の上にあることを実感します。 しかし、これらの教会は、私たちに決してそんな表情を見せません 陽だまりの中で微笑む老夫婦のように 穏やかに、優しい表情を向けてくれます。 だからこそ、過去を忘れたくない、
そんな思いを込めて、今年は上五島中の浦教会を描いてみました。 |

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