宗麟のまち 模型と私

自然を畏れること、忘れてはいけないなあ・・・

この私ですら、昔は子供だった

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

【前回までのあらすじ】
ご禁制のマンガを学校に持ち込んだ麗馬原哲僑(当時12歳)は、突然現れた相撲の新弟子のようなWにイキナリ漫画を取り上げられる。抵抗する麗馬原であったが、相手の図体の大きさだけでなく、彼が取り上げた理由によって、それを許さざるを得なくなってしまった。
その理由とは、堀●えみの存在とは無関係なところで、意外な太平洋戦争秘話に関するものであった・・


「おい、てなワケで、このマンガはしばらく借りておくぞ!」
そういって立ち去るW君の背中は、いつもより(ただでさえ)デカく見えました。

ああ、いままでこのおすもうさんみたいなWを
私はなんと、アタリマエな見方しかしてなかったんだろう・・
ちょっと並外れて太っているだけかと思っていたが
あの肉の付き方にすら、どことなく威厳と気品が感じられるではないか!

「ああ、オレはなんと素晴らしい友を持ったのだろう・・」

そんな感慨に浸ってると、W君が突然振り向いて、曰く

「あー、オマエがこれを貸してくれたけん、
じいさんのことについて詳しく書いた本を貸しちゃるわ。今度持ってくるけんな!」

おおっつ!皆さん、聞きましたか!
潜水艦戦闘史上、最高の殊勲を上げたサブマリナーを
「じいさん」呼ばわりできる男が、私の目の前にいて
恐れ多くも畏くも、さらに詳しい本を貸してくれるという、ありがたい「ご託宣」
もーその時、このW君が神様に見えちゃいましたね〜。

で、彼は2日後、
「竜宮紀行」という本を持ってきてくれました。
この本は田丸直吉という元海軍技術少佐が書いたものでした。
この本は、昭和17年のイ19艦長を勤めた後、イ29号の艦長となった木梨鷹一中佐が
潜水艦によるドイツとの連絡航海に赴いたときのことを記録しているものです。
田丸技術少佐はレーダー関係の技術習得のため、イ29に便乗してドイツに行った方でした。

この本は当時の12歳のガキには少々難しかったのですが、
なんとなく、この遣独航海の流れがつかめたのと、
航海中、そして欧州へ上陸したあとの乗組員たちの生活のようすを知ることができる
興味深い内容の本でした。

そして時は過ぎ
少年はいつしか、ノーミソが成長しないまま図体ばかり大人になり
そのW君とのこと、木梨中佐のことも忘れかけていました・・・
臼杵にいる間、木梨中佐のことは
W君以外から聞くことはないままでした。
その生前の活躍は、世界中に知られながら
彼の生まれた臼杵では、誰もしらなかったように思えます。


それから、16年後・・
私は奈良での勤めを辞め、臼杵で就職して四年がたっていました。
近所に大きな書店ができたので、ちょいとひやかしていると
こんな本が目に付きました↓

イメージ 1


吉村昭といえば、『陸奥爆沈』、『軍艦武蔵』など
緻密な取材の行き届いた、冷静で客観的なタッチのドキュメンタリー作家として好きな方でした
それで手にとって、ページを捲っていると

「すでに伊号第二十九号潜水艦は、呉を出港後十一月十四日にはシンガポールに到着し、ドイツへ向かう準備を進めていた。艦長は、木梨鷹一中佐であった。」

この文字が目に入りました。
そして早速、この本を買ったのです。

私は当時、ある紙面に臼杵についての記事を月1回連載していました。
この本を読み上げるさなか、あるフレーズが目に入った瞬間
この「木梨鷹一」という、故郷で忘れられた人物のことを
是非記事にしたいと思ったのです。
そのフレーズとは、木梨中佐が伊19で「ワスプ」を撃沈した直後の、戦果報告のシーンです。

「『ワスプ型空母に六射線発射、命中音四を聴いたが、効果の確認はできなかった』
 と打電報告した。
 が、附近にいた伊号第十五号潜水艦は、
 『一八〇〇(午後6時)空母の沈没を見届けた』
と報告した。
事実空母「ワスプ」の損傷は甚大で、午後6時エスピリサント北西二百五十浬の位置で沈没したのである。
しかし、木梨も全く気付いてはいなかったが、その魚雷発射は意外な戦果をもたらしていた・・」

《つづく》

※文中引用箇所は、吉村昭『深海の使者』(文春文庫版  1991)によりました

イメージ 1

あれは小学校の卒業式を控えた、昭和53年2月のこと
休み時間にこっそりと、校舎の陰でご禁制のマンガを読んでいると

あっ・・後から人影がっ!
危うし麗馬原哲僑!

「おい、こら、オマエ何読みよるんか!」

ビックリして振り向くと、なんだ、ご同輩・・・

「おおっ!先生かと思うた。オマエ図体がデカいけん」
私の後には、おそらく年齢さえ達していれば、新弟子検査合格まちがいなしのW君がいました。

「やーけん(だから)、オマエ、何読みよんのか」

「ああ、これじゃあが、面白いで、潜水艦がドイツに行った話。初めて知ったわ」

で、W君に見せたのが、コレっ↑



「何?イ29だあっ! おっ!、ちょっと貸せやっ!」
「ちょっと待たんかこんやたあ!オレがまだ読みよんやねえかあ!
 なんしオマエが取り上ぐる権利があんのかあ!」
「オレには権利があんのや!」
「なんの権利がや!」
「こんマンガに出てきちょる、イ29の艦長は、オレん祖父さんなんやあ!」
じいさんなんやあ・・いさんなんやあ・・さんなんやあ・・んなんやあ(フェードアウト)

「おいちょっとまて、爺さんたあなんなんかあ?」

「ジイさんたあなんなんかあ?」、小学校6年生にもなって、私のこの質問はないでしょうね・・・。

いや、「ジイさん」の意味がわからないのではなく
コイツと、このマンガに出てくる「木梨鷹一中佐」がどういう関係なのかが
どうしてもピン、とこなかったんですよ。
だって、12歳の小僧がですよ、いきなり
今読んでるマンガの登場人物の孫を名乗る同輩と面と向かっているなんて
想像つかないですもんね。
高校3年のとき、数人の友人と
ドジでノロマな亀でおなじみの、「スチュワーデス物語」の話で盛り上がっているとき
神戸出身の同級生M君が突然
「あんなあ、オレ、堀●えみ」のイトコなんで」
と、さらりと曰う・・
「あーっ!なんやあっ!オマエが、オマエが、あの堀ち●みのイトコだとうっ!」
皆仰天しましたが、なかんずく我を失っていた、堀ちえ●の熱烈なファン、S原君は曰もうた!

「イトコっち、何な?」

はあ・・・??

その瞬間、M君が●ちえみのイトコということより
S原君が、高校三年にもなって「イトコ」の意味がわからないということのほうに
話題のウエイトがスライドしてしまいました・・・

「おい、S原、オマエ、イトコん意味もわからんで、よう高校入ったのう!」

当然ながら、皆さんS原くんに詰め寄りましたが、そこで、彼の親友T君が鋭い分析!

「あ、いや、コイツはな、イトコっちゅう意味がわからんのやねえんや。
 Mと堀●えみがどうしてイトコなんかが、わからんだけなんや、カンベンしちゃっちくりい」

ああ、そういうことか・・・
大好きな大好きな堀ちえみが、意外なところで異常に接近したので気が動転して
言葉をはしょってしまったんだな、S原君!

あーそういや、オレも小学生のとき、おんなじようなこと言ったなあ

と、ふと思い出しました・・

人間、意外な人間関係を知ってしまうと、気が動転して
「親戚っちなんなあ?」
「伯父・叔母っちなんなあ?」
「親っち何なあ?」

と、突拍子も無いへんちくりんな質問をしてしまうものなんですねえ・・・


で、こんな話持ち出して何が言いたかったかというと
先述のW君が、どうしても「木梨鷹一中佐」という、このマンガの登場人物の孫なのかを
現実のこととして受け入れられなかったのです。
だってこの木梨中佐と言う優れた潜水艦乗りは
イ19号の艦長であった昭和17年のソロモン沖海戦において、
魚雷斉射(6本)で、うち3本を米正規空母「ワスプ」に命中させこれを撃沈
さらに2本は米戦艦「ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」に命中させたという
前代未聞でさらに現在まで誰もなしえていない戦果を挙げた方として
戦記ものを読んでた少年たちにとっては、知られた存在であったのですから・・
そんなすごい人の孫が
なんと
目の前にいて
なおかつ
オレのマンガを取り上げている・・・

うーん、すごいことかもしれない・・・
とある意味感動してしまいました
なにかを取り上げられて、感動したことも
これがおそらく最初で最後でしょう・・・

そしてそのとき私はW君の口から、意外なことを聞いたのです。
それは、この木梨中佐という人が
わが臼杵市出身であるということでした。

《つづく》
私にマユゲはありません
別にどこかの武道家をマネしたり
どこかの用心棒へ就職するためにとか
そんなために剃ったわけではなく

いつのまにか、なくなっていたのです・・・
(ちゅうか、極度に薄くなってしまった・・)

フシギだな〜〜〜〜・・・・

いや、確かね、
22歳までは存在してたんですよ
しかも、大学入学時には、友人からただひとつホメられたのが

「オマエ、マユ毛(のみ)が、かっこいい!」

ということはだ
マユゲがなくなってしまったこの暁に
私のかっこよさなんざ、消えてなくなってしまったということだな・・・
うーん、こまったもんだあ・・・

で、いつなくなったかと言うと、写真を見る限り
25歳〜27歳くらいですね・・・
しかしすでに、23歳の頃
「オマエも、マユゲが薄いのお」と
やはりマユゲが薄かった職場の先輩に言われていたから
そのころから萌芽があったのかもしれません・・・

あーそれでね、
今日は別に、マユゲの話するわけじゃあないんですよ・・
いや、多少は関係あるけど、直接はない!
で、どうしてマユ毛がなくなったかと言うことについての証言を採りあげることに意味がある。

で、その証言とは
「そういえば、バイクに乗り始めて、ヘルメットかぶり出してからマユ毛が見られなくなった」
との、母の言葉・・・
母は未だに
「マユゲがないのは、ヘルメットで擦っているうちに消耗してしまったのだ」
という、極めて科学的なのか、非科学的なのかわかんない根拠をかたくなに信じてやみません。

で、どーでもいいけど
今日は私が乗ってたバイクの話です。


えー、以前確か書いたと思うけど
私は子供のころから
「蒸気機関車の運転手」
「飛行機の運転手」
「船の運転手」
「ガソリン」
「織田信長の運転手」・・ではなく。「織田信長」
などなど
さまざまなものになりたかったワケですが、
そのひとつに
「スティーブ・マックイーン」
がありました。
なんのことはない
「スイスとドイツ国境を、パスポートや税関手続きなしで
 バイクで超えてしまうスティーブ・マックイーン」
になりたかった・・要するに
「大脱走」影響です。
で、どうがんばっても、アメリカ国籍は取れそうもないので、
とりあえず、バイクには乗ろうと、20のときに、自動二輪免許(中型)を取りました。

で、選んだバイクは
ホンダXLR250R

イメージ 1


その理由は、
陸上自衛隊の偵察隊が、ホンダXL250を使用してたから、です。
ああこれならきっと軍用転用されてるから、鉄条網を飛んで越えられるだろうという
それだけの理由でした・・・

で、私がこれを購入した1986年は、ホンダXLシリーズにとって、ちょいと特異な年でした
それまでのXLが、XLRにモデルチェンジし
85年型XLRのみが、大型のハロゲンヘッドランプを搭載していました。
よって、四角くてデカイハロゲンランプを装備した、このタイプはこの年限りで
翌年からは小型化したハロゲン燈装備型へとマイナーチェンジしたのでした。

つまりは、この年限りのお買い得品であり、
とうとうこのタイプは自衛隊には納入されていないのでした・・


購入以来、こいつは極めてよく働いてくれました。
どこへいくのも一緒、雨の日も、風の日も、雪の日も・・
パリダカラリーにあこがれていた友人とともに
鳥取砂丘へ行ったのもよい思い出です。

イメージ 2


大学の卒論用資料収集のために
86年〜87年の2年間、毎年4回程度、西日本縦断単独ツーリングに出てましたね。
奈良を出発し、山陰を9号線で西進し、九州に入ると博多―唐津―八女―菊池―人吉―鹿児島―宮崎―大分―愛媛―香川―神戸―奈良
このコースがメインでしたが、
たまに福井や岡山へも行ってました。

で、購入から1年での走行距離は

イメージ 3


まあ、もっともと乗ってる人はたくさんいると思いますが
我ながら12,345キロなんて距離をバイクで移動したかと思うと
なんとなく感慨深いものがありました。

卒業後、2年くらいは乗り続け
総走行距離が48,000キロに達したころ
エンジン下のドレーンあたりに亀裂が生じ
そこからのオイル漏れが止まらなくなり、修理もきかないとのことだったので
泣く泣く廃車にしました。

バイクという、無機質の物体ですが
この廃車の日、涙がにじんでしょうがありませんでした。
どんなときだって一緒で、私の感情をいつも汲み取ってくれていた相棒
このころ、彼のなかに命の息吹を感じていたような気がします。
いよいよこの相棒が、墓場へと向かうとき、思わず
「ありがとう、本当に ありがとう」と
言ってしまいました。
今を去ること37年前のNHK大河ドラマは

「国盗り物語」

でした。


この放映に併せて、子供の世界にも
戦国大名、だの
天下統一、だの
お城、だの

それをテーマにした本やおもちゃが大流行、というか
販売されていたように記憶しています。

そのひとつが、学研から出版されていた学習漫画
「戦国5部作」でしたね。
私はおそらく、このマンガを読んで
日本史に興味を持ち始めたのかもしれません。
ところでこのラインナップは、
第1巻「国盗り!稲葉城」
第2巻「奇襲!桶狭間」
第3巻「逆襲!本能寺」
第4巻「決戦!関が原」
第5巻「風雲!大坂城」
でした。
今、このうち我が家に
3巻から4巻が保存?されています。

この本(2巻と4巻・・なぜしょっぱなから買ってくれなかったのか?謎だ)をオヤジが勤めの帰りに買ってきてくれたのは
昭和48年の11月ごろだったと記憶しています。齢8歳・・
それまで私は、木の上に置かれた二本の鉄の棒の上を走る物体にしか興味はなかったのですが
この本を読んだとたんに

「鉄」はすなわち、鉄炮である
「鉄」はすなわち、刀槍である

という方向の鉄ちゃんに宗旨替えしてしまったのですよ・・

で、それからというもの
作るプラモは城ばかり
(約半年の間に、相原模型の城シリーズを、小田原城以外全て製作・財源はお年玉)
読む本は、「歴史読本」と「歴史と旅」(当時、オヤジが定期購読してました)
近所のお子様たちが、仮面ライダーになりいたいと日々精進していたとき
私は
「織田信長になりてえ」
と精進もせずに思ってました・・・・


で、読む・作るでは飽き足らず
「遊ぶ」という要素の中に、「戦国時代」は持ち込めないものかと思っていたら
任天堂からこんなものが

イメージ 1

(どなたかのHPから勝手に引用させていただきました。申し訳ありません。心当たりの方はご連絡くださいませ。リンク先を控えていませんでしたのでご紹介できなかったこと、お詫び申し上げます)

そう、その名も

『国盗り合戦ゲーム』

確か、当時としては結構高価であったと思います(当時1,000円くらい。)
昭和49年の3月、進級祝いにねだって買ってもらったと記憶しています。


内容は、まあ、一言で言えば「出世双六」ですね。

織田信長の一生をモチーフにしたもので、
尾張の小名から、桶狭間で今川に勝利し、井の口城(稲葉山城)を攻略し
さらに姉川、長篠などの大合戦を経て、安土城を築くところでめでたくゴール、でした。

で、この双六の特徴は、単に一番早くゴールすればよい、というものではなく
ゴールまでに奪取した城の数、味方につけた足軽の数
確保した鉄炮の数などの総合得点で順位が決まるというものでした。

足軽の確保や、城を奪取するのは
そのコマに来たときに、「合戦盤」という
小さな金属球をはじいて、足軽人形を倒したりする
盤に付属する城の模型に当てたりするスマートボールのような小さな盤が付いていて
その結果で決めてました。

昨今、ボードゲームがまたブームになっているようですが
信長の一生を遊びながら知ることのできる、このゲーム
また再販してくれないかな〜

だったら年甲斐もなく
絶対買うぞっ!
あるとき、フト空を見上げる

そこで目に入ったものは、いつもは見かけることのない物体

それがなんなのか、誰にもわからない

だからこそ

UFO(UNKNOWN FLIGHT OBJECT=未確認飛行物体)

イメージ 1



昭和44年、当時住んでいた臼杵市江○田の我が家の上空を飛ぶ物体を
オヤジのカメラが捉えた。
この写真を撮ったあと、オヤジは・・・



いまだにピンピンしてます。
病知らずケガ知らず!
今日も元気だタバコが美味い!を実践中!


あ、いや、実はね
このへんちくりんな物体は、
飛行船なのです。
当時、日本を宣伝飛行していた、「日立キドカラー号」(だったかな?)。

最初(というか数年前、コレを見つけたとき)見たとき
マジUFOかと思いましたよ!
尾ヒレがついていたので、飛行船だな思って調べてたら
確かに昭和43年から44年にかけて日本を縦断したそうな、この「日立キドカラー号」
オヤジに言っってみたら

「ああ、なんか電器屋の飛行船じゃったわい」

おおすじでマチガイのない記憶でした・・

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
麗馬原哲僑
麗馬原哲僑
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • yuhdai
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事