心に響く音楽を訪ねて

音楽は心のオアシス オーディオは音楽の為に.

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モーツァルト・ピアノ協奏曲第24番K.491
アンドレ・プレヴィン指揮&ピアノ/NHK交響楽団(2005.5.8 N響アワー放送)
※写真はウィーン・フィルとの弾き振りのCD(PHILIPS 412524-2)のもの

プレヴィンと言えば、クラシックのみならず、ジャズ、映画音楽までこなすマルチ・アーティストですが、この人のモーツァルトが半端じゃありません。しかも弾き振り。

写真のウィーン・フィルとの弾き振りの演奏(PHILIPS 412524-2)は、それらしい表情を付け過ぎていたかも・・・と思うくらいに、このN響との演奏は自然体なのに遥かに深みを増しているのです。N響アワーの解説者も言っていましたが、プレヴィンは楽団員とアイコンタクトを取っています。そして、音楽の隅々に神経を通わせているのです。

ピアノの表情の付け方が絶妙で、やり過ぎず、やらなさ過ぎないのです。敢えて抑えた音が、微妙なテンポ・ルバートが堪らない・・・。オケのコントロールも流石、様式美を保ちつつ、この曲の持つ悲壮感を十全に表現するという神業に近いことを、まさか・・・やっちゃうとはねー!
プレヴィンのオリジナルになるカデンツァも、万感胸に迫るものがあります・・・作曲も本業ですから。

これだから、音楽は止められません。こういう演奏を成し遂げてしまう人がいる、ということ自体に既に感動します。

これは、是非、お聴き頂きたい名演です。

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ヤーノシュ・フュルスト指揮/グルベキアン財団管弦楽団、カール・エンゲル(ピアノ)
(LYLINX LYR CD 081)

旋律の優美さだけに止まらず、モーツァルトの作品の中でも屈指のものと思います。純白のK.488。

しかし、一体、どうしたらこんな曲が書けるのでしょうか?そして、どうやったらまともに演奏出来るのでしょうか?

非常に高度なバランス感覚が必要な気がします。やり過ぎも嫌らしくなって駄目、やらなさ過ぎはただの練習曲となる虞あり・・・。

聞くところでは、マルグリット・ロン(ピアノ)の演奏が素晴らしい模様ですが未聴です。どなたかお聴きになられた方、いらっしゃいますか?

このエンゲルの演奏、やり過ぎず、自在でありながら抑制の効いた美音を並べています。指揮のフュルストも強引ではない、曲をして歌わしめるといった風情に好感を持ちました。

カップリングの24番K.491も、やり過ぎないモーツァルトで・・・地味ながら多くのことを語ります。

この24番については、プレヴィンがN響で弾き振りした演奏がN響アワーで放送されていました。録画してDVD永久保存版にしてありますが、これが本当に素晴らしい演奏です。別途、コメントさせて頂きます。

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クリヴィヌ指揮/フィルハーモニア管弦楽団(DENON CO-4176)

指揮のエマニュエル・クリヴィヌ(1947年生れ)は、元々ヴァイオリニスト。
16歳でパリ音楽院の首席。1965年、ザルツブルクでのカール・ベームとの出会いが、指揮者としての道を決定付けました。

この演奏、第1楽章の導入部分、第5小節はスコアではピアノの指定ですが、クリヴィヌはピアニッシモで奏させます〜陰翳の濃さと馨しさが、ここからを一層期待させます。主部が始まると俄然エンジンが掛かり、もう飛ぶ鳥を落とす勢いで・・・目くるめく瞬間の連続、まるで大空を自在に滑空するかの如くです。

第2楽章も凭れることなく、凛とした様式感が綺麗。第3楽章は、生き生きとした響きそのものの美しさが清涼感を生んでいます。全体に胸が高鳴る密度の高い演奏だと思います。

プラハはワルター/フランス国立、シューリヒト/パリ・オペラ座が有名な演奏ですが、クリヴィヌのこの躍動感に満ちた演奏も素晴らしいものです。

カップリングの36番「リンツ」も、コントロールの効いた好演だと思います。

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当然ながら・・・指揮者自身は、音を出しません。

指揮者は、作曲者と聴衆の中間にあって、楽曲を解釈し、オケを統率し、音楽を再現します。「再現芸術をオケという一大楽器をもって成し遂げる演奏家」と言ってもいいでしょう。

譜面通りの演奏とは何でしょうか?
譜面には最低限の約束事しか書いてありません。指揮者が心の眼で譜面の行間を読み取り、楽曲に潜む心に共感・感動し、音のイメージとして再構成することがなければ、実につまらない演奏になります。機械にでも、演奏は出来ますから・・・。つまり、楽曲の解釈と再現力(オケを纏める力)がなければいけないのです。

指揮者って、実に大変な仕事です。

同じ曲でも、指揮者によって全く異なる曲に聴こえることはよくあります。指揮者によって、解釈の仕方が随分と違う証左ですね。指揮者の心・感性も百人百様、受け止めるものが違えば、解釈も異なるという訳です。

作曲家が何を言いたかったか、身を挺して再現して見せてくれる・・・献身的な音楽家こそ、本物の指揮者ではないでしょうか?

私が、その第1に挙げたいのが・・・カール・シューリヒトです。

以下、ドレル・ハンドマン (Dorel Handman)氏の言葉を引用しておきます。
・・・
張りつめた静寂の中に、最初の音がおこる。
そうして、カール・シューリヒトの芸術が、自由に、天の啓示に従うかのように繰り広げられてゆくのであった。

このような演奏会は、はじめての経験だった。彼の中で、ある一つの存在が、他の一つあるいはいくつかの存在に転化したのではなくて何であろう。しかもそれだけでは満ち足りず、楽員はもとより、その場に居合わせたすべての人を、その変身に参加させ、彼とまったく同様の体験をさせずにはおかない。確かに魔法は行なわれたのだ。
もしそんなものがあるとするなら白い魔法とでもいおうか。何よりもまず私の心を打ったのは、音によって表現されている、すばらしく透徹した精神であった。それはどんな偽善をも許さない芸術であった。あらゆる問題点に最も明快な解答が与えられており、非常に複雑な楽譜が明瞭なものになっていた。

楽譜を絶え間なく推し進めてゆく、たぐい希な彼のエネルギー―音楽の勢いを撓めることはないが、そのテンポに緩急をつけてゆくあのフルトヴェングラーの力とは、何とちがうことか。様々な本質を、互いに補い合い、たかめ合う方向へもってゆくことが、精神に許された貴重な特権の一つなのである。

ルバートは殆ど使わず、ひとつとして不要なリタルダンドはなく、<スタイル偏重>による犠牲など全くない:明解な運びと論理的な構成。しかも、ブルックナーの交響曲第7番の冒頭、第1主題の第2小節に現れる短いラレンタンドは、3度の間隔をもって、丁度良い長さだけ、溢れるばかりの優しさを表現し、リンツ交響曲の第2楽章の主旋律は、純粋と感覚の織りなす光の綾の中にただよっている。そして、ブラームスの交響曲第4番は、暗く傷ましいメランコリーに貫かれている。

巧まずして偉大さを表現し、情熱を省くのではなく抑制し、常に作品の魂を追ってやまない。

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ヴァント指揮/ベルリン・フィル(Sardana SACD-100/1)

ヴァントの辛口さが、見事に効いています。
名門ベルリン・フィルを得て技術は言うまでもなく完璧〜白いキャンバスにヴァントの筆が冴える!

表情、音色の変化が自在で、ベルリン・フィルがここまできちんとコントロールされているだけでも驚異的。
ハーモニー、旋律の歌わせ方、内声部の隈取り・・・初めて聴くような響きが随所に現れます。

ヴァントの体調も良かったのでしょう。同オケでブル5を振ったCDを彷彿とさせる、生き生きとしたドライブの掛かった演奏です。

ブルックナーが止むに止まれない気持ちで書いたこの譜面を、ヴァントがベルリン・フィルを率いて三次元空間に心に響く音として再現・再構成していく、その瞬間・瞬間が感動的です。

晴れた秋の空に、解き放たれたブルックナー。

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