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北前船でかつては栄えた富山市の岩瀬地区に訪問して来ました。ここの北前船回船問屋 森家(国指定重要文化財)とその周辺のようすをほんのすこしご紹介を。 富山港の展望台から黒部方向の風景です。蜃気楼のようにも見えるのですが違いますよね。
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町並み
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今年9月に開町400年を迎える富山県高岡市のふるい町並みを少しご紹介したいと思います。 9月12、13日には開町400年まつりが盛大におこなわれる予定で是非、皆さんも見に来ていただきたいです。 そんな、高岡市のふるい町並みが残る早朝の朝日を浴びる金屋町付近の様子です。 ■以下は フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より ●概要 富山県の北西部に位置する、富山県西部(高岡都市圏)の中心地。面積は富山市、南砺市、黒部市、立山町、上市町、氷見市、朝日町に次ぎ、富山県第8位。人口は富山市に次ぎ、富山県第2位。現在の市街地は、かつて高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は越中国の国府だった。1889年4月1日に市制施行、日本初の市の1つとなった。 市名の由来は、加賀藩主の前田利長による「高岡」という瑞祥地名である。もともと、現在の高岡地域は「関野」と呼ばれていたが、1609年に高岡の町が開かれたとき、詩篇『詩経』の中の「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」という一節をもとに、前田利長が「高岡」と命名した。この他にも、高岡城が小高い丘に立地していたことも、「高岡」の由来のひとつとされている。 産業都市として発展し、今日ではアルミサッシの生産額日本一で知られる。富山地域と共に新産業都市の指定地域にもなっていた。また、伝統工芸も盛んで、高岡銅器や高岡漆器などの伝統工芸品が有名である。 商業面ではかつて「北陸の商都」と呼ばれていたが、近年では中心商店街などから、郊外のショッピングセンターや金沢市への買い物客の流出が激しい。 ●歴史
古代、現在の高岡の郊外は、越中国の国府であり、そのため、746年に国司として大伴家持が赴任し、在任した五年間にとても多くの秀歌を残した。これは、高岡市が“万葉の里”と呼ばれる由来であり、現在も行われている高岡万葉まつりのメインイベントである万葉集全20巻朗唱の会にも受け継がれている。近世になると、1609年に加賀藩主の前田利長が高岡城に入り、“高岡”の町が開かれる。この1609年の開町により、近世高岡の文化が始まることとなる。開町の当時は、5,000人にも満たない人々で町が構成され、城の周囲や南の台地に、侍屋敷が配置されていた。だが、1615年の一国一城令により、高岡城は無くなってしまった。当時、「城の無い城下町は衰退していく」と言われていたが、前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏したため、高岡は発展の道を辿り始め、高岡の“商工業の町”としての歴史が始まっていく。高岡銅器や高岡漆器などもこの頃から始まった。近代では、1889年4月1日に青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、日本初の市の1つとして、“高岡市”が誕生する。この頃から伏木港(現・伏木富山港)での交易が盛んになってくる。 |
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早いものでもう、半年が過ぎてしまいましたね。今日から7月ですよみなさん。 歳をとるとどうしてこんなに早いのでしょうか。と、感じるのはわたしだけ・・・。 井波町で見かけた七夕飾りが町の通りの一軒一軒の玄関先に飾られていました。富山でも 7月と8月に七夕を祝うところが地域によって違うみたいで、北海道と似ていますね。 短冊にわたしならだるま太陽に会えますようにと書くかな(笑い) 井波町の八日町通り(瑞泉寺通り)の入り口から瑞泉寺方向を見たようすです。
この両側に木彫りの店や酒作りの店などがあります。 遠くに見える屋根が日本で一番古い木造のお寺【瑞泉寺】です。(間違っていたらごめんなさい) ■ 観光地としては電信柱が少し気になるのですが。 |
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