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2回目は真田幸村コースとなっていますが、幸村隊が伊達政宗隊と合戦したのはもっと南の道明寺付近になり、
今回のコースは戦勝祈願したり退却したりした通過地点と言った所になります。
前回の若江岩田の戦いコースは6Km、今回のは9.5Kmで結構歩き応えがありました
下の地図は第3回目ウォーキング予定の誉田・道明寺方面の地図です・・・雨なら不参加予定
幸村にとってこの南河内・道明寺での戦いは不利な形勢を立て直す爲の戦いでしたが、あえなく敗退、その後大阪まで退却し天王寺は茶臼山の戦いで討ち死してしまいます、そしてその翌日に大阪城は落城したと言われています
徳川家康に「ひのもといちのつわもの」と褒められた幸村は、大阪人にも人気があります
赤揃えの鎧兜と六紋銭の紋章!かっこええ ↓大阪への帰り道に戦勝祈願したといわれる「志紀長吉神社」
軍刀と軍旗を奉納したとされますが、軍旗のみ現存しているそうです。
↓「大念仏寺」
平野に戻って、こちらは徳川家康が戦勝祈願したとされるお寺でかなり立派なお寺でした。
↓「杭全神社」・・・くまたじんじゃ
征夷大将軍「坂上田村麻呂」の子孫が創建したと言われる。
大昔は渡来系の氏族が多く住んでいた地域になります・・・読みにくい地名はその為?
↓杭全神社のすぐ南にある「全興寺」
このお寺は大阪的に? サービス精神旺盛で境内には「地獄めぐり」や「駄菓子屋さん博物館」なんてなものも
あります、下の写真は「昔のおもちゃ」・・・所狭しと並んでます。
↓「赤留比賣神社あかるひめ」
記紀に書かれていた(と思う?)新羅のアカルヒメ伝説に出てくる赤留比賣を祭った神社です。
アカルヒメは旦那のアメノヒボコと大喧嘩して、はるばる倭の大阪まで逃げ延びてきたそうなんです。
アメノヒボコ伝説も日本海側に沢山残っていますので、相当派手で近所迷惑な夫婦喧嘩だったんですなぁ
アメノヒボコ=ツヌガアラヒトも同じ様なお話で、
このツヌガが語源となって「敦賀」と言う地名がある、なんて聞いた事があります。
↓「平野環濠集落・・・樋の尻口門」あたり
ココから久宝寺方面へ向かいました。
↓「久宝寺遺跡」・・・・どうしても古代に興味がいってしまう
完全に「大阪の陣 真田幸村」から脱線してしまいました・・・しゃ〜ない・・・習性や!
↓「許麻神社こまじんじゃ」
平野から久宝寺八尾方面の古代は今の「関西国際空港」みたいなもんで外国人がいっぱいでした
コマは高麗(高句麗)から来た人達が祖先を祭祀したのが始まりらしいっつす
最後は又も近鉄八尾駅から帰りました・・余計な寄り道が・・・・少し足が痛いわ
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