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今回が最終回=「後藤又兵衛コース」となっています。
幸いな事?に今回も雨! 
参加人員も少なく、濡れた坂道は年寄りには自殺行為ですから気をつけましょうね
近鉄「道明寺駅」を降りて石川に架かる赤い「玉手橋」を渡ります。
下の図の中央辺りが石川で右端が河内国分駅です、こちらに伊達政宗や松平忠輝など徳川方2万の軍勢
迎える後藤又兵衛隊は2800人程、石川を渡り片山村辺りでドンパチやりますが、いかんせん多勢に無勢
又兵衛は玉手山古墳(小松山)で討ち死にいたしました。
 
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豊臣方は道明寺辺りに陣を敷き、薄田隼人隊、明石全登隊が大群を迎え撃ったそうです、
後に真田幸村隊も到着しますが、時、既に遅く木村重成や後藤又兵衛などの戦死で大阪城へと撤退しました。
↓「大阪夏の陣・古戦場跡」の石碑
 
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↓玉手山一号墳
この丘陵地帯は古墳の宝庫で3世紀頃から築造されていたらしい。
対岸にも「高井田横穴式古墳」など数え切れない程作られています
 
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↓玉手山から望む
玉手山一帯は古代から交通の要衝で、対岸には信貴・生駒丘陵、南側は二上山から葛城山
眺望は開けていて、北の対岸には柏原市や信貴山のカリンドオバタあたりが見え、
中央に流れているのは「大和川」、上流=右手方面が「奈良」、下流=左手方面が大阪になります。
 
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↓西側を見ますと、左が「応神天皇陵」右側に「仲津姫皇后陵」が見えます。
雲海にかすんでいますが、山を下ってこれから向かうのはこの二つの陵墓近辺になります
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↓「玉手山公園案内板」
玉手山公園は私のご幼少の頃、幼稚園の遠足で訪れた事がありますが、一切記憶には残っていません
「あれから何十年」
昔は木々の生い茂った丘陵だったのでしょうが、今は住宅がひしめき合って建っています。
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↓本日の主役「後藤又兵衛の碑」です。
近くに「又兵衛さくら」なる枝垂桜が植わっています?・・・又兵衛桜は宇陀の方にあるのでは?
桜の季節に確かめようか?いやこっちが本物に違いない!ここで戦死したんだから
うなだれているし・・・・
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↓詳しくは下記をご参照下さい
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↓公園内にあった「文化的な施設」!
 
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↓館内はこんな感じ・・・「郷土資料館」みたいなところもありました
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↓山を下って一路「道明寺」へ
この近辺で真田幸村隊と伊達政宗隊がぶつかり合ったそうです。
今年5月に「道明寺合戦まつり」が開催されるそうです・・・仮装行列もでるらしい
 
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↓境内の茶店で「ぜんざい」をば所望いたしつかまつり候。暖まるぅ
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↓「道明寺」といえば「菅原道真」
「菅原道真」といえば・・・「梅」・・・こちふかば♪・・・今は満開
 
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ここからテクテク歩いて
↓「誉田八幡宮こんだはちまんぐう」
源氏の氏神様とされている神様で、戦いの神様?
だから戦勝祈願のため全国的に広がって圧倒的人気を誇っています
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↓誉田八幡宮と古戦場の由緒書きです、大きくしてお読み下さい
 
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誉田八幡宮に隣接して・・・というより
「応神天皇陵」に誉田八幡宮がくっ付いているだけ・・・大きすぎてよく見えませんが霞んでる後ろの山です。
応神天皇は和風諡号では「ホムダワケのミコト」と言われ、倭の五王の一人と言われていますが、
九州地方から攻めあがった渡来系の部族長だったようです?
 
誉田はホムダ→ホンダ→コンダと訛ったもののようです・・・サッカーの選手はホムダ選手とは言いません
↓「応神天皇陵」は昔の人が勝手に名付けた天皇陵だそうでして、
正式には「恵我藻伏崗陵・えがのもふせのおかのみささぎ」といいます。  エガちゃんや〜
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