|
今から20年以上前の高校生の頃、携帯電話など無かった時代に当時つるんでいた仲間と 公衆電話を使ったことがあった。当時は駅前の電話はどこも混んでいたが、そのときは 障がい者が使える(車椅子でも入れる)広さのブースがたまたま空いていたので僕は「こっち を使おう」とそこに入って電話したことがある。通話を終わって出てくると、仲間のひとり が「そんなところ汚いだろ。障害者が使うんだぜ」と放言した。 その言葉に僕は大変なショックをうけた。当時17歳位だった僕には障がい者が汚いという 認識が無かったが、同い年の彼にとってはそれが当然のことだったようだ。高校を卒業後、 自然に連絡をしなくなったが、彼が今では認識を改めてくれていることを願っている。 障がいを持つ方々を「汚い」という愚かな人間が今ではどれくらいいるのだろうか。そういう 無意味な偏見を自分の子が持つような事は避けたい。ごく自然に普通に障がい者の方々と 接する人間に育ってほしい。そんな思いを常々抱いていて、昨日はその手がかりを求めな がら千葉ニュータウンのはずれにある印旛学舎オソロク倶楽部に行ってみた。 石窯で焼いたピザをレストランで出し、同じくパンを販売している。本格的な石窯で高い 温度で焼かれるピザはたいへん美味しく、コーヒーとのセットで1000円と驚くほど安価 だった。そしてオソロク倶楽部では、障がいをもつ方々がそれぞれの役割で働いていた。 注文をとりに来る、ピザを焼く、給仕をする、すべて別々の方々だった。もともと健常者と 障がい者の垣根など無いのだ。それぞれの個人が自然に役割を果たしていればそれでよい、 そういう社会になって欲しい。そんなことをMrs.Winterと話しながら楽しい食事をした。 空が青く晴れた昨日、オソロク倶楽部でのひとときはとても幸福だった。 また、杉を使って建てられたポスト&ビームの建物はとても美しかった。建物はまだ新しい そうだが、きっとこれからも時を経ながら沢山の人達に幸福をとどけてくれるだろう。 千葉ニュータウンにあるホームセンターやアウトレットモールに買い物に訪れる皆さん、
お食事は是非ともオソロク倶楽部に脚を運んでください。 |
全体表示
[ リスト ]






こういう施設は、それを理解し支える人達がいないと機能しませんね。winterさん達のような素晴らしい人が、その感動を伝え、その愛がまた別の愛を生む社会になるといいですね。でもきっと自分の子供を茶髪にするバカ親で止まることでしょう。シクシク・・・
2008/12/17(水) 午後 0:38
素晴らしい自立支援福祉施設ですね。スウェーデンで障がい者が作ったおしゃれな布製品(主にかばん)を売るお店がありましたが、レジにいたさわやかなお姉さんが印象に残っています。健常者と一緒になんの違和感もなく働ける社会に必要なものってなんでしょう?人間として他の人と「共感」して「共生」できることじゃないかしら。それを子どもに伝えていくことを私は課題にしているのだけど、果たしてどれぐらい伝わっていることやら...
2008/12/17(水) 午後 1:07
>Blackさん オソロククラブは千葉でも(僕んちといい勝負の)かなり田舎のほうにありました。お陰で環境は素晴らしいんですが、都市部でもこういうお店がさりげなくあって欲しいと思います。とりあえず、うちではお客さんが来たらオソロクでランチすることにしたいと思います。
2008/12/17(水) 午後 2:53 [ boeing787 ]
>千春さん 「共感と共生」、おっしゃるとおりですね。上でも書きましたが、障がいを持つ人が健常者と同じ条件で働ける社会であって欲しいです。その際の健常者の役割は、例えば障がい者の接客サービスを受けた時に「お客様」であっても障がい者をいたわるような気持ちを持って接することでしょう。「俺は客だ」ってやたらエバるクレーマーおっさんの時代は早いとこ終わりにしないといけません。
2008/12/17(水) 午後 2:59 [ boeing787 ]
ノーマライゼーションは大切な概念ですね。実は私の母は中学校の養護学級教諭でした。そのため生まれたときから障がい者がまわりにいるのが当たり前という環境で育ってきました。当時は今の「知的障がい者」を「精神薄弱者(児)」、略して「せいはく」なんて呼んでいました。ひどい時代ですね。最近好きな呼び方に「チャレンジド」という呼び方があります。過去形のedではなく、挑戦することを使命づけられたという過去完了形のThe challengedです。そうした人々が社会に参加して、自立していくことので きる社会にしたいですね。
2008/12/17(水) 午後 11:29
連続投稿失礼します。全員がいつも頑張って、結果を出すことを常に要求される社会より、頑張るときは頑張る。休む時は休む。そしてそれぞれの能力と個性を認め合う社会にしたいですね。記事にあるとおり障がい者を差別する人はまだ結構います。特に学校に「なかよし学級」がない学校出身者にはかなりの確率でそういう人が存在します。つまり身近に障がい者がいるかいないかだけで、結構な差となるんだと思います。
さて、ちょっと見てもらいたいサイトがあるので、紹介しておきます。
http://www.prop.or.jp/
2008/12/17(水) 午後 11:30
僕は、善意による行動って、ホント出来ない人間です。
寄付などは殆どしたこともありません。
個人的には、自分も、こういう風にしか生きられない・・・という強い癖みたいなものがあるので、障害というか個性の強い人間だなと思っています。こんな人間でも、活かしてくれる人達が居るというのは、有難いです。
支えられる事は多いのに、支える事を知りません。
2008/12/18(木) 午後 1:14 [ P&B ]
オソロク、素敵!
私は自分で、障害者を嫌った時期がありました。小学校くらいからなのですが、私は人一倍ちっちゃいんです。で、授業や運動会なんかで、養護学級と合同のことがあると、なぜか先生が私をその子達と組ませるんです。背丈が同じくらいだから、っていうんです。ダンスでも組み体操でも。
私は良い子ですので(笑)、それでも最初は嫌がらずに、よだれが服につこうが、うんこの付き添いまでさせられようが、全部やりましたよ。
でも、まわりの子達から、私まで養護クラスなんじゃないか疑念が出てきてしまったんです。オール5なのに。泣
2008/12/18(木) 午後 2:37
で、悩んで悩んで、母に打ち明けました。だんだん、その養護学級の子に腹が立ってきたんです。ぶちのめしてやりたくなりました。
周りの子達ともうまくいかなくなりました。体の大きさはコンプレックスになりました。情けないですが、そうでした。そんな思いを知らない周りの子たちが憎らしかったです。
母はもう少し、思いやりを持って頑張りなさいというので、頑張ったのですが、母も心配だったようで、様子を見ていたらしいんです。
そして、どう考えても当時の私の担任の先生が、優等生の私に押し付けているという風に見えると。。。
で、結局は教育委員会に相談して、私ばかりが組まなくてもよくなりました。が、ずっとその苦い思い出を持っていたので、大人になるまで大嫌いでした。触るのも嫌でした。
実は主人の妹が、チャレンジドな施設にいます。彼女は作業もできないくらいのことも多いんですけれどね。。。それでも、ちゃんと社会の一員です。大好きです。
写真はY君ですね? 大きくなりましたね!
2008/12/18(木) 午後 3:02
>Harryさん そういえば僕が行った小学校には養護学級がありました。どんな授業をしているのかも僕たちには分かりませんでしたが、5年生になると養護クラスの教室に放課後の掃除に行くようになりました。学級の子達は既に帰ってしまっていましたが、高校生になって「障がい者が汚い」という仲間に違和感を覚えたのはそういうところからかも知れません。
うちの子は今のところ順調に(わがままに)成長をしていますが、もし彼がなんらかの障害を持って産まれていたら、彼の成長と自立を切望するでしょう。そういう僅かな想像力だけで自分がどうしたら良いのかってわかるんですよね。とすると、障害者差別=想像力欠落なんでしょう。
2008/12/19(金) 午前 8:00 [ boeing787 ]
>P&Bさん 寄付のような善意による行動は僕も思い出す限りしたことないです。駅前の募金活動なんかもなんとなく胡散臭いと思っています。どこかのテレビ局みたいに貧困や障がいなどの社会テーマをチャリティーという形に変えてお金で解決しようとする姿勢も嫌いです。
ですが、オソロクは美味しいものを安く食べられるのですから、ついつい脚が向いてしまいます(笑)。実は昨日も休みだったので行ってきました。無理なく楽しくやりたいです。
2008/12/19(金) 午前 8:08 [ boeing787 ]
>Cheeさん なるほど。オール5の優等生には僕のような2ばっかりの劣等生には分からない苦悩があったのですな(苦笑)。大人になった今からされると貴重な経験だったのでしょうけど、担任の先生が安易すぎたんでしょうね。どうも小学校あたりの先生は「成績優秀な子=しっかりしているからなにをやらせても大丈夫」という様な安直な発想があるような気がします。勉強ができることと社会に成熟している人間かどうかということは必ずしも一致するわけではないのに。
2008/12/19(金) 午前 8:18 [ boeing787 ]
私は視力が悪いのでメガネをかけています。ある方は歩くのが不自由なので車椅子を利用します。
どちらも自身の体の不自由さを装置でカバーしているだけなのですが・・
人間ならみんな多かれ少なかれ何らかの不自由があるものです。
2008/12/20(土) 午前 0:04
>勉強ができることと社会に成熟している人間かどうかということは必ずしも一致するわけではないのに。
winterさん、自分で言うのも何ですが、私は小学生としては、かなり成熟した子どもでしたよ。笑
ポイントは、それでも耐えられなかった、ということです。
先生も周りの子達も、養護学級の子が3人いたんですが、特に1人、強烈な子がいたので、その子の世話を嫌がったんです。(ブルドッグのようにやたらに体当たりしてくる彼女も時々、小さな女の子みたいでかわいく見えるときはあるんですけれどね。。。)
”自分は健常者で、この子たちを世話しているんだ”という気持ちでやっているうちは楽だけれど、実際に身内というか、養護学級の側に本当に入ると、まわりも冷たいし、本当に大変だということです。
そうだ。あと、発見したのは、養護学級の子のお母さんは美人でやさしい人が多いことでした。
2008/12/20(土) 午前 4:48
>sniperさん 障がいをひとくくりにしてしまう事は簡単かも知れませんが、ひとつの個性なんですね。僕も「個性」というか特徴の多い人間です(目も●も悪いです)。
2008/12/20(土) 午前 8:39 [ boeing787 ]
>Cheeさん 失礼しました。僕は幼少の頃から中年の今までずーっとボーッとしてる人間ですので(笑)。僕のポイントは、Cheeさんの担任の先生がちょっと安易過ぎるということです。養護学級の生徒さんの世話をしたこともない僕も甘すぎますね。
2008/12/20(土) 午前 8:48 [ boeing787 ]
養護学校に勤めておられる山元 加津子さんのドキュメンタリー映画
「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」を観ました。
そこで語られていることは、「人間はみんな違ってみんなが大事だ
ということを、世界中の人が当たり前に知っている世の中がきっと
来る」ということでした。
私も4級の身体障害者です。みんなが社会の一員として出来ることを
シェアし合う世の中は楽しいでしょうね。
近くに福祉支援施設の食事処があります。分厚いホットケーキと
コーヒーのセットが何と350円です。そういえば最近行ってない
ので行ってみよう。(^^)
2008/12/20(土) 午前 10:17
>Naturalさん 僕も世の中のジョーシキ的な人間からはかなり違っているタイプですが、最近ではKY(空気読め)が常套句となってきているように、グループの中で異質を許さない空気が漂っている気がします。その原因は住環境にあるのではないだろうか、とひそかに思っていますが、そのあたりのことは後日書きます。
ホットケーキとコーヒーで350円って安すぎですね。もっと高くてもいんですが・・・
2008/12/25(木) 午前 7:26 [ boeing787 ]
コメントを返すのが遅くなってしまいました。「オソロクな日々」の管理人です。
winterさんのブログ、そしてよせられたコメントも拝見させていただきました。オソロク倶楽部や、知的障害者の支援施設をみなさんに知っていただくうえで、とても手助けになっていると感じています。
オソロク倶楽部はレストランをやる上で立地条件は決して良くはないですが、森に囲まれた空間というのは、気持ちが落ち着いてとてもいい場所だと思っています。なかなか見つけにくい場所にあるので、こういった口コミで広がっていただけると助かります。
2008/12/25(木) 午後 2:20 [ osoroku ]
>osorokuさん コメントありがとうございます。オソロク倶楽部の前の道は、人が歩いて通ることはほぼ無いですし車が通り抜けすることも無いため1時間に2台ほどの車が通れば多いほうでしょうか。そのおかげで空気は綺麗ですし、おいしい食事を静かな環境で楽しめます。まだ新しいレストランらしいですが、これからお客さんが増えるといいですね。
2008/12/27(土) 午後 2:46 [ boeing787 ]