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国政選挙でそれまでの与野党が逆転し、新しい政権が発足してから2週間が経つ。 八ツ場ダムの建築計画中止は民主党の政権公約であったのだから、これまで57 年もの長きに渡り、ダム建築計画に翻弄されてきた地元住民からは多少の不安が 出ようとも、計画が白紙に戻されるのは仕方のないことだし、長期的に見れば 計画の中止がやがては地元住民にとっても平穏な暮らしの始まりとなることを信じ たい。 ダムの必要性に関しては賛否があるため、数字をあげながら議論するつもりはないが 57年のあいだ八ツ場ダムが無くても誰も困らなかったことは事実であり、もし 建設推進派の方がいるのであれば、なんのためのダムなのかを論証できないといけない。 千葉県民として、気になることがある。 今年3月に行なわれた千葉県知事選挙では、立候補者5名のうち4名までが八ツ場 ダム建築反対の立場を選挙運動の際に表明していた。反対を表明する4名はどれも 主張するところが似ていたため、候補者の多い選挙の宿命として票が割れてしまい、 ダム計画に対する立場を公にしていない候補者が結局のところ当選してしまった。 その候補者が森田健作である。森田氏は選挙で当選して知事に就任後にやっと八ツ場 ダム建築推進派であることを公言し、そのことは新聞の地方欄に小さく報道された。 もし彼が「羽田-成田空港間の大深度リニアモーターカー」などという、不可能で不必要 な夢物語を宣伝文句として使わずに「ダム推進」であると選挙運動中に公言していても、 知事の職に当選していただろうか? 国民の信託を受けた政府が、選挙公約に基づいてダム建設計画を中止しようとしてい る時に、森田氏は「(ダムが無ければ)どうやって利水・治水をするのか?きちんと 説明してほしい」などとフザケタ発言を会見でしている。ダム推進に関する森田氏の 考え方は、千葉県民の信託を受けていないというのに、どういうつもりだろうか。 利権の匂いがプンプンする大規模公共事業にしがみつきたいだけなのではないか。 森田氏に関しては、知事就任後に経歴に関する虚構が次々と明らかになったが、今回の
ダム計画に関する彼のインチキ行動についてはあまり知られていないので、この閑散ブロ グでぼやいてみた。 |
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高度経済成長の頃からか、一党独裁が続いた日本では都市に産業を集中させる政策を国 が取り続けた。戦後の農村で育った若者は、成人すると東京や大阪などの大都市で就職 口を見つけて定住するのが日常になり、人口が流入して過密になった都市部では地方から 出てきた者同士が家族を持つために核家族化が進んだ。国はこうした核家族に対し、 都会で家を持つことがステータスだというマイホーム幻想を抱かせ、東京では家族3、 4人で住む狭小な住宅で溢れるようになった。 日常的に祖父・祖母に触れられないまま核家族の中で子供が育つのは少し残念に思う。 人間は誰でも年を取ると動作が遅くなり、感覚は鈍くなり、外見は醜くなる。家庭の中で 日常的に年老いた身内に触れていると自然とそうしたことが理解できるようになり、自 分よりも弱いものをかばおうとする気持ちを持つようになるのではないだろうか。 僕も仕事の都合上、親元から離れて核家族として住んでいるので、あまり偉そうなことは 言えないが、今日の出来事を書き留めておきたい。 台風が房総半島に近づき朝から雨がぱらつくなか、午前中に投票を済ませてしまおうと 投票場になっている最寄りの小学校まで家族で脚を運んだ。余談だが、今月で3歳になっ た息子も投票場に行けば風船をもらえると知っていて、風が吹いても傘をさして一生懸 命に着いて来た。ひとりでカサをさして歩く姿を見るのは初めてだったので、傘を頭上に さすことなど今まで言葉で教えたわけでもないのにキチンと知っていることには少し驚いた。 やはり子供は周囲を観察して吸収してしまうものらしい。 投票を済ませた後に着替えて午後からの仕事に行くために通勤電車に乗った。成田空港に 向かう電車は下り線ではあるが、週末は大きなスーツケースを持った乗客が多く座席は 埋まっていたために、僕はドア脇に立って文庫本をめくっていた。 次の駅では、足腰が不自由そうな年配の女性が乗ってきた。話しを聞くと駅にして3つ ほど、10分くらいのところまで行くらしい。立ったままでは電車の揺れで倒れてしまい そうなので、周囲に座れる席が無いか見渡してみた。 すぐに席を譲ってくれたのはおそらく20代の男性だった。年配女性が「お兄ちゃんあ りがとうね。空港から海外に行くのかい?」と質問すると「私、日本人じゃない」とその 男性は言った。日本語が分からない様子で、言葉の訛りから韓国の人だと分かったので 僕の下手糞な韓国語で少し話してみた。 僕「席を譲ってくれてありがとう。あなたの国では当たり前の事でしょうが、今の日本人 はお年の方に席を譲ることができない人が多いんですよ」 青年「そうですかね。当然のことですよ」 その席は対面が優先席になっており、そこに座っている5人ほどはどう見ても優先席に座る 必要がなさそうな人物ばかりだ。中にはスーツケースを抱かえて携帯メールをしている20 才くらいのカップルまでいる。彼らは海外に行く元気はあっても、電車では座っていないと いけないのだろうか? 優先席を陣取ってしまう若者というのは、もしかすると核家族で育ち「自分さえ良ければ いい」というような躾を受けてきたのかな、と想像した。年配者を見ても「見て見ぬフリ」 をするのであればまだマシで、彼らは年配者が乗ってきても全く気にならない様子だった。 国政選挙ではマニフェストというものが流行り、各党ともその宣伝に躍起になっていた。 しかし、「高速道路は休日1000円がいいか、それとも無料化がいいか」「年金問題は 現状でも満足か不満足か」「公務員の天下りはどの程度ケシカランか」「こども手当はいくら 欲しいですか」などというのは、実は全部目先の金銭問題だけの気がする。 そもそもこの国がこれから50年後や100年後ににどんな姿であったらいいか?私たち日本 国民は目標のためにどうしたいのか?自分の目先の問題のためにもっと大切なことを見失っ ていないか? 選挙のことだけしか考えていない政治家から、そうしたことを聞きたいと願 うのはムリな話しだろうか? 選挙の結果として電車で席を譲れる若者が増えるだろうなどと、甘っちょろい主張をして いるのではない。しかし、都市部の核家族化もその背景にあることは明確であり、現在の 様な核家族を対象とした住宅政策は家族内での世代間コミュニケーションを失わせているの も疑いようが無い事実だろう。 中年になった今、「歳を取る」ということについては、他に書きたい別の側面もあるが、
それは次回にします。選挙があった今日、このようなことが気になりましたと書きとめて おきました。 |
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テレビのニュースや新聞で休日の高速道路が1000円になったと報道していたので、 我が家のコンパクト自動車にもETCとかいう機器を取り付けてみた。週末の休みを 待ちわびること数ヶ月、その間に千葉県知事の選挙があり新たに就任した自称剣道2 段のタレントがアクアラインを800円にしてくれた。 千葉県にある我が家から神奈川にあるMrs.Winterの実家まで、週末であればアクアライン を経由しても1000+800=1800円で行けるものと、すっかり勘違いしていた。 料金表示板に出てくる通行料金がどう合計しても1800円にはならないので、ハイウェ イナビとかいうHPで料金を計算してみた。 なんのことはない。今まで首都高湾岸線を通って正規料金で行っていたときより400 円程度安いだけだ。「首都高以外は休日なら1000円」と勝手な勘違いをしていた のだが、大都市周辺も割引対象外らしい。(先に言ってよ。) そもそも、春から始まった休日一律1000円という愚策は、 1.自家用車を所有していること 2.ETCを装着していること 3.自家用車で遠出をすること 4.週末や祝祭日が休みであること 5.できれば大都市周辺に居住していないこと という5重の条件を満たした人だけがメリットを享受できる仕組みになっている。国民の 何割に該当するか知らないが、むしろ「マイノリティ」とも思われるメリット享受組に テレビカメラを向けて「安くなって良かったデス」などとコメントを取る報道機関がある から、僕のようなウブな運転者も騙されるのだ。 さらに、97年に開通したというアクアラインもこのお盆に初めて利用してみたが、こち らを強引に800円に値下げした社会実験にも、問題点は多い。 まず、差益負担が国と千葉県の折半であることは、車を所有しないかアクアラインに用が無い 国民(千葉県民)からしたら、迷惑な話だ。徴収された税金がヨソの人が車に乗るために 使われるのだから、たまったものではない。 さらに、アクアラインは東京や神奈川の人達も利用する筈なのに、千葉県の対岸側に居住 する人たちにはそうした負担を求めない。にもかかわらず、千葉県側の住人が東京・神奈川 側に買い物に出かけてしまい、木更津の商業はむしろ衰退してきていること。 少し南側には東京湾を横断するフェリーが運航されているが、利用客が激減していること。 こうした公約を掲げた人物を選挙で当選させたのだから、我が千葉県はレベルが知れている。
もうひとつの公約の柱である「羽田-成田間リニアモーターカー」には少しの血税も使わない ことを、せめて願いたい。 |
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8月生まれの子供がいる我が家としては、夏が近づいてくる今は誕生日が近づいてきて 幸福を感じる季節です。Y君はまもなく3歳になるので、もう少しでどこかに預け ることを考えていい時期だと思えるまで成長してきました。幼稚園や保育園に子供 を預けることについてはこれまでにも時々書いてきましたが、僕なりに意見がある ので考えを整理して少し書とめておきたいと思います。 生まれてから幼稚園に通い始めるまでの数年間は、いつでも好きなときに無限とも 感じられるような親の愛情を受けられる特別な時期です。この後Y君の人生には そういう特別な時間は二度とありません。とても貴重なものです。 3年近く前の8月のY君が生まれた日に、病院でY君をガラス越しに見つめながら、 僕は元々信心深い人間でもないクセに神様の存在を感じていました。振り向いて目を こらしても見えないし手を伸ばしてみても触れないけれど、その場所のどこかに神様 は鎮座しており、その存在を僕は確信しました。それ以来、僕は祈るような気持ちで 子供に接しています。子供のウンコを拭くときでもそうです。あの日を思い出すと、 今でも涙が出ます。 Y君にとって長いこれからの人生の中でもっとも特別なこの数年間を、童話の世界の 中のような夢や慈しみに満ちた美しい愛情の中で過ごさせてあげたいと僕は切に願っ ています。毎日Y君を抱きしめ、夜の寝かしつけの時には「ダァダもマァマもY君の ことが大好きだよ」と言っています。Y君にはそうして親の愛情にどっぷりと浸りな がら安心して幼児期を過ごして欲しいです。そうしながら人を信頼する心を育みたいです。 Y君とママが最近トイレトレーニングに頑張っているので、オムツが取れるまであと もう少しのようです。託児所に預ければプロの保育士にY君のオムツを替えさせる ことになります。そうして他人にY君のオムツを替えさせたくないのは、この世界の なかでダァダとマァマだけは自分が絶対的に信頼しても大丈夫だということを、 Y君に感じて欲しいからです。 子供がトイレができるようになるのと、社会性が出てきて自分の友達ができるように なるのは、ほぼ同時期なんじゃないでしょうか?蚕が繭を作り、やがては繭を破って出 てくるように、あと少しでY君はダァダとマァマのいる家庭から外に出る準備が出来て きているように感じます。 育児というのは過酷な仕事なので、これまで何度でも思い通りにいかない育児に疲れ を感じたMrs.WinterからY君を預けたいという提案がありました。僕はその度に「まだ 早い」という主張を繰り返し、頑固オヤジのレッテルを貼られかけたときもありました。 ですが、こういう理由ですので理解してくださいね。今まで大変だったことはダァダも
ちゃんと分かっていますよ。そしてあともう少しだけ、一緒に頑張ろうね。 |
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現行の臓器移植法が施行されたのは、97年のことらしい。今でも15歳以上の成人の ばあい本人の意思が確認できれば、脳死と判断された場合に臓器提供が可能になる。 今朝の新聞一面記事によると、国会で0歳児でもドナーとなり、臓器提供が可能になる らしい。 現代の医学では臓器を移植するしか完治する方法が無い病気を持つ人には朗報となり、 脳死状態の患者を持つ家族には「脳死は人の死」と認定されたようで悲しいことに映る だろう。朝日新聞の社会面でもそうした双方の様子を取材し伝えていた。立場が違えば 同じ法律でも全く違うように見えることは仕方ないことなのかもしれない。 ところで、こうした問題を社会的対立のような立場だけで報道してしまい、それが国民 の論議として2極化してしまってよいものか?僕には違和感がある。まるで、臓器提供 を受けたい側と臓器を取られたくない側しか考え方のポイントが無いように感じる。 脳死が人の死であるかどうか?これは社会問題というより、倫理的・宗教的な問題だ。 生命維持装置をつけていれば生きている人間を「死人である」とみなすことが、私たち 日本人にできるのだろうか? 人間の意識が脳の働きだけであると考えるか、魂や心の 存在を身体とは別のものとして考えるか、そうした議論がまずされなければならない。 こんな大切な問題を、生命に関して全く素人ばかりしか集まっていない国会で決められ てしまって、いいものなのか? 僕個人は脳より魂の存在を感じており、「脳死が人の 死」であるという考え方はアメリカから「輸入」されたものだと思っている。 だから、今回の立法には少なからず反対の立場です。皆様、いかがでしょうか?
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