豊かな暮らし

我々の暮らしが貧しいのはなぜか?

街を綺麗に!

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6月の22日から7月5日まで韓国に滞在して、昨日やっと戻った。前回の記事で書いたが、
ソウルで仕事に関連があることのトレーニングを受けることになり、週末を除く延べ10日
間も朝8時半から夕方18時半くらいまでみっちりと韓国語で講義を聴いてきた。

参加者20人のうち、本国のコリアンでない生徒は在日コリアンで韓国に語学留学経験がある
K氏と、サンフランシスコ在住でこれまでの渡韓歴がたったの2回というコリアンアメリカン
のY氏だけ。この2人と僕にとっては徹底的なアウェーでの戦いとなった。僕を入れた3人
の中で一番韓国語が下手なのは明らかに僕だった。

ともあれ、2週間の授業と最後の日とテストを終えて帰国するころになると、僕は在日コリア
ンのK氏とも韓国語で日常会話をするほどにまであちらにどっぷりと浸かるようになっていた。
千葉県にある自宅に戻っても、暫くは日本語が出てこないというようなヘンな症状に見舞われ
ていた(そんなに韓国語が達者なわけでもないのにイッチョマエにそういう風にはなる)。

以前にも書いたが、1989年の夏に初めて韓国を訪れてからというもの僕は韓国との付き合
いが長い。Blackさんと違って、食べ物も辛いもの以外ならマァマァ食べられる。(といっても
辛いものが殆どだが)。

20年近くソウルを見つめてきたアマチュアコリアンウォッチャーだが、Blackさんの影響もあり
かつ自宅でも電柱問題に悩んでいるため、今回は時間があって外を歩くときには電柱電線の観察
をしていた。

例えばこの写真は、日本で言うと新宿の近くのような場所(実はBlackさんの宿泊先の結構ちかく)
のものだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_57147392_0?1215345508

電柱・電線は無い。繁華街ということもあるのかと思い、金浦空港近くの僕の宿泊先でも観察
してみたが、少なくとも表通りや再開発したマンション郡のあたりでは電柱は見当たらなかった。
どこにでも電柱を建てる日本の街より、なかなかやると思う。鋭角的な変化がとても韓国らしい。

電柱電線が無いために街路樹はかなり背が高くなるまでそのまま伐採されずに葉をしげらせてい
る。歩道を歩く人を梅雨の晴れ間の太陽から守ってくれていた。電線にとどきそうになると枝を
剪定される日本の街路樹と比べると、都市部の緑としての評価は高いと思う。

それでは、ソウルには美しい景観が形成されているだろうか?いや、それは別問題だ。たとえば
これ。トラックの荷台を店の広告に使うのが流行っているらしく、僕が宿泊したC級ホテルの地
下にあった安物ナイトクラブの広告がこれ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_57147392_1?1215345581

・・・・・・・・・・・・・・・。


ヒキガエルの電飾人形に、「成人観光ナイト」と書いてある。店の名前もずばり韓国語で「ヒキ
ガエル」だ。昼間のうちはホテルの周りにこのヒキガエルが数匹駐車してあり、夜になると光って
街を走ったりするのだからたまらない。せっかくの電柱の無い街路樹の並びを台無しにして、それ
でもまだマイナスポイントを付けたくなる気がしてきた。


ソウルレポートはもう少し続けます。

この貧しさの根源

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ちょっと前の出来事になるが、今の住まいの近所の方と時間をとって
話す機会があった。東京から郊外行きの電車に乗り、駅から更にバス
という土地なので、このあたりにはやはり元農家の家庭が多い。話し
をしていただいたのも、「親父の世代までは百姓だった」という団塊
世代の方(Iさん)である。

今でも農業を続けている家は圧倒的にコメ農家が多いので、自然と
日本の農業とりわけ稲作や農協についての話題になった。日本の稲作
は小規模な水田を家族で経営するのが国の政策でもある(というより
今までそうであった)ので、限られた面積から収穫できるコメの量は
たかが知れている。春から半年かけて育てたコメも、秋に収穫すると
農家あたり平均で200万円程度の収入にしかならず、そこから農耕
器具や燃料などにかかる経費を差し引くとせいぜい80万円程度しか
手元に残らない。

「コメなんかやっても今じゃ儲からないですよね。」と僕が言うと、
Iさんは即座に`「昔は儲からなくても良かったんだよ。今はお金が無いと
駄目になっちゃったからね。」と教えてくれた。僕はその一言に少く
ない衝撃を覚えた。

一体なぜ、いつからお金を儲けなくてはいられない社会に生きるように
なったのだろう?その理由について頭の中で自問するようになり、
最近になってやっとそれらしい答え(というより仮説)を見つけた。

結論から先に言うと、日本人は食べ物と余暇を得るために苦労して働い
ているのである。

と書くと、当たり前すぎる感じがするが、実際の問題はもう少し複雑
だ。

小中学校の社会科で日本は加工貿易の産業国だと教わった。地下資源に
乏しいことから、原材料を外国から輸入しそれを製品に加工することで
外国に輸出できるようにする技術の国、というような内容を聞かされ、
子供ながらに「日本人って賢いんだな」などと思っていた。

そうしたモノづくりで得られる貿易黒字が国全体で年間10兆円ほどに
なる。自動車産業がその典型だと思うのだが、鉄も取れない国に世界有
数のメーカーが存在し、国際競争に身をおきながら優れた技術で外国を
相手に車を売っている、つまり外貨を得ている。

かたや、中国の毒入り餃子などでもやっと問題が表面化してきたように、
日本の食糧自給率は下降線をたどるばかりで、近年では38%にまで落
ちている。食料品に関する貿易赤字は年間7兆円にもなる。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_56088304_0?1209552366

食料品とは別に、海外旅行による赤字も3兆円ほどあるらしい。国際線
の飛行機に乗れば誰でも感じることだろうが、日本を訪れる外国人観光客
よりも海外旅行をする日本人のほうが圧倒的に多い。

輸入食品と海外旅行の赤字10兆円が、ちょうど黒字10兆円に符合し
採算が取れている。というか、いくら働いても少しも豊かさを実感できない
この社会の構図となってしまっている。

これは現代日本の典型的な家計にも当てはまるような気さえする。サラリー
マンのお父さんが必死になって給料を稼いできても、スーパーでの日常
の食品調達と年に一回くらいハワイに家族旅行するので富を蓄えることが
まったくできない。そんな世帯は結構あるのではないだろうか?

ではどうしたらいいのか?国の食料政策も含んでいる悩ましき問題だが、
解決方法は案外と簡単な気もする。単純に言ってしまえば、食料の自給率
を100%近くまで上げ、そして海外旅行をやめてしまえばいいのだ。

食料は国の安全保障に関わる大切な産業であるので、今の自民党の政策と
農協の規格だけに頼っている時代ではないのだ。減反政策はやっと廃止
されたらしいが、そもそも主食であるコメを作らせない政策の一方で学校
の給食はアメリカから小麦粉を輸入してつくったパンだったなどというこ
とは道理に合わない。

食卓に並べる食材の全てが日本でしかも近隣でつくられるようして、昨年
のオーストラリアの旱魃のような天災が起きた時にだけは外国から食料を
輸入する政策に転換すれば、少なくとも今よりは富を蓄える必要がなくなる
はずだ。

海外旅行に行けばその渡航期間だけは楽しいのかも知れないが、(僕が言う
のはオカシイが)誰でも手軽に外国に行ける時代はそろそろやめにしておく
べきだと日頃から思っている。もともと外国は大した目的も無く行くような
所ではないだろうし、余暇を楽しみたければ3兆円もの金を国内に向けて
使い、日本を本当の意味で美しい国にしていく努力をしていけば、もう無闇
矢鱈に海外まで脚を運ばなくてもよくなるのだ。

その上でそれでも必死で働きたい人はそうして富を得ればよいし、そうで
ない人の場合には「儲からなくてもよい」生活をしながら、生活の質を高
めていくことに専念すればいいだろう。上のグラフでも明らかなように、
食料の自給率が下がった時から国民全員が「儲からなくてはダメ」という
幻想にはまり、働き過ぎによる過労死があるような何のための人生なのか
解らないような時代になってしまった。

豊かさとは消費のボリュームのことではない。生活の質なのだ。

開く トラックバック(3)

連載(だった筈の)「家を買うと貧しくなる」シリーズの途中ですが、昨日
あったこととそこから感じたことを書き留めておきたいと思ったので別のこと
を書きます。ハンカチを用意してお読み下さい(笑)。

昨日のお昼前に仕事へ行くために駅に行くと、改札のところでちょっとした
出来事に遭遇した。

障がいを持つ中年女性(以下おばさん)がたまたまそこにいた駅利用客に
道を訊ねていた。おばさんは脚が弱いらしく手押しカートに古いバッグを入
れて押しながら必死に歩いていた。

おばさん  「○×病院に行きたいんだけど」

訊かれた男性は病院への行き方など分からないらしく、駅員に話しを聞いて
あげてくれと依頼していた。

おばさん  「○×病院に行きたいんだけど」
駅員    「ここ(改札)出て右だよ」
おばさん  「こっちね」(と全く違うほうへ行こうとする)
駅員    「そっち右じゃないでしょ?こっち、こっち」

傍でやり取りを聞いていて、おばさんに知的障がいがありそうな事がわかった。
時計を見ると僕が乗る電車まであと7分程ある。駅前ロータリーから○×病院
のバスが出ていることを知っていたので、連れてあげることにした。

僕     「○×病院で間違いなのね?」
おばさん  「ここなんだけど・・・」(手押しカートに入れた古いバックから
                   慌てて病院の案内書を出して見せる)

僕の言い方がきつかったのか、おばさんを慌てさせてしまいバッグを開けた
時に小銭が何枚か落ちた。僕は小銭を拾って渡した。

僕     「わかった。じゃあ、おばさんついて来て」

おばさんは脚も不自由らしく、僕の後をついて歩くのも健常者の速度とはやは
り違っていて遅い。これでは7分後の電車に乗れないかも知れないが、仕方な
い。もし乗り遅れたら会社に電話して若干の遅刻を許して貰うことを決意した。

駅改札からコンコースが繋がっていて、そこに市役所の分室がありその奥にエ
レベータがある。階段では降りられなさそうだし、病院行きのバスは市役所分
室の正面から出るので、その建物のエレベータを利用することにした。

僕     「慌てなくていいんだよ。ゆっくりでいいからついて来て」
おばさん  「はい。ありがとうね」

1階に下りてとりあえず正面玄関前の自動ドアの脇にあったベンチにおばさん
を座らせた。

僕     「ここの外に病院のバスが来るから、それに乗ってね」
おばさん  「・・・外で待つよ。私、目も悪いから見えないんだ」

外で待つと言ってもバスは1時間に2本程度しか来ないだろうし、まだ北風が
冷たい外にいるのは辛くて不憫だ。周囲を見渡して、市役所分室の職員がいた
ので声をかけた。

僕     「すみません。私は通りすがりの者なんですが、あそこにいる女性
       は障がい者のようです。○×病院に行きたいということですので、
       バスが来たら案内して乗せてあげていただけませんか?」

市役所分室の女性は「分かりました。ありがとうございます」と快く応じてくれ
たが、それだけでは足りない。

僕     「知的障がいもお持ちのようですので、今から声をかけて安心させ
       てあげて欲しいのですが」

と言うわけで分室の女性をおばさんの所に連れて行き、

僕     「おばさん、バスが来たらこの方が乗せてくれるからね。大丈夫だよ」

と紹介した。おばさんには何回も「ありがとう」と言って貰った。再び駅に戻ると
なんとか目的の電車には間に合った。電車に乗って暫くしても形容の仕様が無い
充実感を心の中に味わった。たった7分の出来事により、僕はおばさんに多くのこ
とを教えて貰った気がした。というより、7分でこれだけのすがすがしい感覚を味わ
えるのだから、安いものである。

人のために小さなことをして感謝を受けるということは、なんと素晴らしいことな
んだろう。幸福な社会とはそこで暮らす人間どうしがお互いを助け合い、それにた
いして感謝しあう社会のことなのだ。何度も言うようだが、物質的な豊かさを闇雲
に享受することは幸福となんの関係も無い。

そして、僕が利用する私鉄駅職員の対応が(おばさんが障がい者であることが分かっ
た後も)傍から見ていても不快に感じるほど不親切であり、それに比べて市役所の
職員は大変に親切だったことから、数年前の社会風潮にあったようになんでもかんで
も民営化さえすれば全てがうまく行くという考えは誤りだということにもついでなが
ら気づいた。もし行政窓口まで民営化したら、健常者にとっては税金が下がるかも知
れないなどというどうでもいいメリットがあるが、社会的弱者は今より一層暮らし辛
くなるだろう。

さらにおばさんがハンドバッグから紙を出す時に小銭をこぼしてしまったりするのを
見て、きっと今までも折角の貴重な金品をことある度に紛失してしまったに違いない
だろうと想像した。「目が悪いので寒くても外でバスを待つ」というおばさんを見て
おばさんのこれまでの人生はそうした苦労の連続だっただろう事も想像した。健常者
に比べて損なことが多すぎる

社会インフラのバリアフリーは行政の仕事として必ずやらなければならない時代だが、
一般の健常者が生活しながらおばさんのような困っている方に手を差し伸べてあげら
れるような、「心のバリアフリー」が欲しいということも考えた。

川での思い出

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今から30年ほど前、小学校の夏休みに三重県にある母方の親戚の家に
寄せて貰うことが多かった。その家からは川や山が見え、夜には蛍が飛
ぶような美しい環境があった。

僕には兄が二人いて都会のプールか海でしか泳いだことが無かったので
川で泳ぐことには多少の違和感があったのだが、ある日に従兄弟一人を
含めて水着を着て川に入って泳いでみるとプールのような人工的な空間
にはない、川砂の踏み心地などが面白くてそれから数日間は病みつきに
なったように来る日も来る日も川で遊ぶようになった。

川で泳ぐようになって数日が経ち、その出来事は起こった。

岸を這っていた蛇(今から思うとアオダイショウだっただろう)が、水
に入りこみ、泳いでいた僕達4人の間をすり抜けるように横切って行った。
蛇が泳ぐ様子を見たことがある方はいらっしゃるだろうか?地面を這う
時とあまり変わる様子ではなく、水面を文字どうり蛇行するのである。
そのときのその蛇は反対岸にあった藪にあがり消えていった。

都会育ちの小学生であった僕達4人はそれまで騒いでいたのに、水を切っ
たように静かになり蛇が泳いでいく様子を見守った。子供なので動いた
ら蛇に噛まれるとも思ったのかも知れないが、それよりもまず蛇という「
気持ち悪い生き物」が泳いだ水に自分達も胸まで浸かっているというの
が嫌だったことが大きかったのだろう。

その経験の後のことはあまり覚えていないが、その日はとりあえず川か
ら上がり、翌日からも川には入らなかったのだと思う。川には多様な生
態系があり、魚も虫も亀も蛇もいるということを理解して受け入れるこ
とは難しかったのだろう。しかし、30年を経て大人(というより中年
オヤジ)になった今、川で蛇に遭遇した経験は自分にとって貴重な思い
出であり財産になっている。

20年ほど前に大きな台風の被害があり、その川は洪水を防ぐために川
幅を拡張され、岸は傾斜のあるコンクリートで固められた。水害の危険
性は減ったが、生物多様性も大幅に減った。当時カブトムシがいた藪も
工事のために伐採されて、川だけでなく陸の動物と昆虫も生息場所を失った。
子供が遊んでいるかどうかは知らないが、増水時以外は浅すぎるので泳
ぐのは無理だろう。

少し時間が経ってしまったが、4月15日にTBS系で放送された「東
京マガジン」(放送エリアは関東地方だけでしょうか?)でブログを通
して交流しているNao and Kittyさんが携わっている落合川の埋め立てに
関する問題を取り上げていた。東久留米市にある落合川の一部分を移設
して川の蛇行を直線にしてしまおうという行政の計画に、異論を唱えて
らっしゃるのがNaoさん達の活動内容だ。

番組の中で、清水国明氏が次のような発言をしていた。

釣り人が川で空き缶を拾ったら、その中にドジョウがたくさん入っていた
りする。なんでドジョウがそんなところにいるとかというと、川が真っ直
ぐ過ぎて生き物の棲家が無いんですよ。川は本当は曲がっているほうが生
き物にとっては住み易い環境なんですよ。

清水国明氏は自分でプロ並みのログハウスを造るほどの自然愛好家らしく、
その発言はなかなか大したものだと感じた。

少し専門的になるが生物の生息環境の中で、生き物の住処となる場所をハビタ
と呼び、ハビタを発生させるためにある様相の変化をニッチと呼ぶ。ハビタ
とニッチがいかに多いかが生物の生息数と多様性を決める大切な要素になる。
清水氏の例えで言うと、川の蛇行がニッチであり、空き缶がハビタとなる。
(ハビタは蛇行している川では自然に発生するものなので本来なら空き缶は
要らない。)

少し前にビオトープ管理士という資格がもてはやされ、行政機関への就職が
有利のように言われたことから不況の影響もありかなりの受験者がいたそう
だが、今でもあの資格試験は存続しているのだろうか?

10年ほど前に欧州の影響からかビオトープを設置する自治体が増えた。公
園の片隅などさほど広くない土地に水を流し、ニッチとハビタを人工的に造
ることで生態系を再現しようとした試みだった。考えてみれば、ビオトープ
を設置する日本の行政が、もう片方の手では天然のビオトープである河川を
破壊している行為はおかしくないだろうか?そもそも自然のままの状態にして
おけば大きなビオトープになるものは河川をはじめ沢山あるのである。

写真は僕が現在暮らす千葉県佐倉市を流れる川。3面コンクリート貼りになっ
ていて一応「川」だが、常識的に人はこういうものを「川」とは呼ばない。
好意的に言って「排水路」、素直に表現すると「ドブ」である。行政による
破壊の結果、ハビタもニッチも無い。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_48763435_0?2007-04-23

そしてドブの上流のもう少し駅寄りはコンクリートの蓋をして上に自転車や
原付きが停められるようになっている。駐輪場は有料登録制なので、利用者
が払うお金で若干の生産性がある。上下左右をコンクリートで囲まれ日差し
も入らないため、川は死にたえ破壊は完了している。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_48763435_1?2007-04-23

これが「美しい国」日本のあるべき姿だと考える人はいるのだろうか?

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街と田舎に家を持ち、バランスを保ちながら生活するのが理想だと
思っていた僕たちだが、残念ながら子供の成長過程で街に居続ける
のが不安になり街から少しだけ外れた場所に引っ越した。今の家の
前には通り抜けの車も無いし、歩行喫煙者も通らない。コンビニの
肉まんの紙も散らかっていない。買い物の利便性は失ったし、僕が
10年以上続けている水泳も気軽にはできなくなった。都会育ちの
僕や妻が街に暮らしたいと願うのは当然だと以前は思ったが、それ
はどうやら間違いだったようだ。

今月からは街を逃げ出すように駅からバス数分、バス停から徒歩数
分の家で暮らし始めた。今の家は静かでよく眠れることに幸福を感
じる。

それでもしかし、僕は日本の都市について将来への期待を捨ててし
まったわけではない。歳をとって体が動かなくなったら、また街で
暮らすかも知れない。それまでに日本の都市が美しくなり、都市生
活者が規律を守れる住みやすい場所になっていて欲しい。

都市を美しくするためにも日本の都市に長期的な計画を持って欲し
い。日本の建築家にも数百年後に愛される建築物を造る努力をして
欲しい。写真はロンドンのPiccadilly Circusという場所。東京で
いうと銀座や新宿にたとえられるような場所だが、200年ほど前
の建物が今でも美しく並んでいる。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_47960798_0?2007-03-24

ところで今月から生活を始めた千葉県佐倉市には、昭和46年に世
界的に有名な建築家である黒川記章氏が設計した市庁舎がある。
写真を撮りに行くのが面倒なので市のHPから転用するが、この写
真の建物が黒川氏の作品だ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_47960798_1?2007-03-24

僕にはこの建物が安物に見える。そしてたった建築後36年でこれ
ほどデザイン的に古めかしくなってしまっている事に憤りを感じる。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b8/19/winter68jp/folder/1393440/img_1393440_47960798_2?2007-03-24

最近、都知事選に立候補した黒川氏が「世界中の都市計画を知り尽
くした男にお任せください」などと演説している様子をテレビで
観たが、身のほど知らずもいい加減にして欲しい。36年後の東京
を上の写真のようにチープで古めかしい印象にしたい有権者は、ど
うぞ黒川氏に投票してください。

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