|
表題を見るとなんのこっちゃと思うかもしれぬが、この変化のターニングポイントは1990年前後で、その起因は日本にあったということを述べて見たいと思う。
そもそもクルマの歴史を紐解けば、生まれは欧州、そしてマスプロダクションが米国という流れで世界中にモーターリゼーションという大きな潮流を生み出したのはご存じの通りだ。今でこそ、自国生粋の生え抜きメーカーが皆無となり、総て外資の民族メーカーだけになってしまった英国など、昔は戦後の日本車メーカーが繰り返し入手し、もの真似して作って来たのだ。ドイツの自動車産業は戦前から大したものだったが、日本と同じ様に大敗戦したのだが、ベンツ、BMW、VWなど、戦時中は特に軍用航空機などで成長し続け、戦後も、航空機の流れを巧みにクルマに取り入れるなどして、マスプロダクションでは米国に遅れを取ったが進歩し続け、米国および欧州車は日本の教科書的な存在だったとものの本で知る。
ところが、自虐史観はないつもりだが、もの真似から入った我が日本では、トヨタが世界に広めた有名語「カイゼン」に掛けては世界一の国であったのだ。例えば、排気ガス規制が強まり、米国マスキー法が制定されるや、いの一番で適合車を作り出したのは、ホンダのCVCCというエンジンであった。また、それ以前から、ドライバビリティや排ガスで有利な電子制御燃料噴射関連の技術は、独ドイツからライセンス生産で導入したのは日本の各社で同様だったが、53年度規制に適合させるべく、O2センサー使用による空燃比補正と三元触媒の使用を真っ先に実現したのはトヨタだった。この辺りから、こと電子制御においては、日本が先生を追い抜いていたのだろうと思える。
しかし、クルマというのは、エンジンだけで気持ち良い走りが成立するものではない。車体だとかサスペンション、そして全体を包括したコンセプトだとか、外形意匠であるとか、内装の質感など、多くの要素技術の集大成が求められる。そして、それを如何に合理的に短時間に安価に作れるかという原価低減の技術が大衆車だけでなく余程の特殊車でない限り、およそ高級車と呼ばれるジャンルにまで求められる様になって来たのだ。
先に記したターニングポイントとなる1990年時点で、日本は述べてきた様な、如何に合理的に短時間で安価に作れるかという技術面で世界の頂点に達した。そして、主に北米で強化されつつあった日米貿易戦争に対応せざるを得ないとう問題に、数より単価でという高級車路線に乗り出す思考が生まれたのだ。今まで本気でベンツに張り合おうとは思いもしなかった高級車部門の先兵として、まずは初代レクサス(日本名セルシオ)が生まれた。このクルマが、ベンツを始め、欧州高級車メーカーに与えた衝撃は大きかったと思える。操縦性でこそ、今一つの部分もあったのかも知れぬが、レーシングドライバーにしか評価できない極狭い部分の話しだろう。どんなド素人ドライバーでも、あの静粛性、振動感のなさ、内外装のフィニッシュの素晴らしさは、直ぐ評価できるものだった。しかも、ベンツより安くて、燃費も良い。だから、いたずらにブランド偏向でなく合理的な視点で評価する米国の知的富裕層には、直ちに受け入られ大成功を収めたのだろう。
これは想像だが、ベンツ、BMW社など、初代レクサスを入手し、徹底的に走りの評価を行い、そして、全分解して、エンジン内部からトランスミッション内部、そしてボデーワークを観察し、そこから想定できる生産システムを知りつつ驚嘆したに違いないと思える。つまり、かつての先生が生徒の立場になって日本車を見つめ直す時が来てしまったのだ。
ここで、話しを旧車好きな私見としての話しに戻す。この1990年の初代レクサスが出ても、それから経年した現在でさえ、私がクルマとしての頂点と感じるクルマは、写真のベンツ3車種(W126、W201、W124)なのだ。これらクルマは、静粛性も振動感も内外装のフィニッシュの良さも、決して初代レクサスを凌ぐものではない。しかし、そのボデーデザインやそれを成立させた、作りと、そこに投入されている素材や人的労力などを垣間見る時、素晴らしいクルマの頂点を極めたものであったと思えるのだ。そして、Youtubeでこれらの開発だとか、実車評価テストの風景を眺める時、ここまで評価を繰り返し作るということは、現在ではおよそしていないだろうとしか思えないのだ。
しかし、悲しいかな資本主義の世界では、如何に安く作ってライバル競合車より立派に見えるクルマを成立せしめ、そこに付加価値としてのプラスアルファのプライスタグは付けられたにせよ、量産車ではおのずと限界はあるだろうというものだ。欧米では、徹底的に日本車の生産システムを真似しだしたのだ。端的に云えば、如何に安い素材で高級化した美観と性能を、合理的で安く作れるかという生産システムとしての競争だ。
日本車では、初代レクサスの後も、生産の合理化として、プラットフォームや個別ユニット部品の共通化という思考をバーションアップし続け、またリードタイムと記す開発期間の短縮化を徹底的に追求し始めた。その端的な例が、私の過去ブログで何度も指摘しつつ批判して来たエンジンカバーに至る理由だ。このカバーがない時代は、エンジン開発とエンジンに直接もしくはエンジンルーム内に装着される間接機器などは、同時に設計を開始はするものの、本体エンジンが一定の完成をしないことには、その相互位置関係だとか、パイピングやハーネスの取り回しも含め、なかなか同時に完了という訳には行かないのが実情だった。その為、試作段階では木型などの実際品と同寸法のダミーを作り、それを元に試行錯誤を繰り返して、適切な見栄えの良い、エンジンルームとして完成に至って来た訳だが・・・。ところが、三次元CADで作図はそれ以前から行っていたのだろうけど、最終的な見栄えや、相互位置としての組み付け問題性とかを検討するためには、木型などダミー品での視覚的な確認が必要であったのだが、初代レクサスで、エンジン本体以外の一部の部品をカバーリングすることで、個別部品の外見的見栄えを考慮する必要がないことに端を発したのだろう、トヨタではエンジン本体にエイヤと安っぽカバーを被せるアイデアルを思い付いたのだろう。さあ、これで、木型なんか一切作らず、多少の手直しはあるにせよ、機能が伴ってさえいれば、例えどんなに醜いメカニズムでも関係ないということになったのだ。この安っぽカバーが与えたリードタイムへの影響は計り知れぬほど大きいものだったろうと思える。爾来、世界中で現在では、余程の高級スポーツカーでない限り、ボンネットを開けるとカバーに覆い尽くされ、エンジンが直接見える量産車は激減したとというのが実態なのだ。
※写真の実車風洞試験は今でも行われているだろう。写真の様な煙を流して、ボデー表面で乱流などの抗力となる要素がないかを確認している。その他、沢山の付箋紙状の紙を付け、紙のなびきで乱流を見いだすという手法も取られる様だ。このW124では車体後部の平面絞り込みにより、車体から引き剥がされる空気が乱流など起こさずスムーズに流れていることを示している。
なお、現在では空気抗力(CD)だけでなく揚力(CFL)にも留意しつつ、200km/h以上で真価を発揮し、およそ日本の高速道路下で制限速度を遵守している限り、例えどんなにセンシティブな者でも感じ取れぬ効果しかないフロアーアンダーカバーリングが装着されるクルマも多くなって来ているが、私は冷ややかに眺めている。
|
全体表示
[ リスト ]



