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まったくの私見だが、SUVとかクロスオーバーというモデルが嫌いだなのだ!
何故?と問われれば、色々と云いたいことはあるのだが、次の2つくらいに集約できる。
・プラットフォームを基本のセダンモデルと共有化した、安直なトールボーイスタイルだから。
・この手のクルマは、最大安定傾斜角が35度以上の保安基準には通っていても、ひっくり返る(横転)事故が多い。
雨の日の高速道路を走っていて、単独事故などで横転しているクルマは、ランクルとかいわゆるジープスタイルのクルマやこの手のSUVが多いと様だ。もっと重心位置が高いトラックとかバスも横転するケースはもちろんあるが、これは統計的に確かめた訳でないが、この手の乗用系の背高車は横転する事例を多く見て来たと実感している。この理由だが、一つは一般的なセダンより全高が高く、従って重心位置も高くなるからだろう。そして、トラックなどでは、サスペンションが硬いこともあるが、有効ストロークの短さを要因とした限界ロール角が飽和してしまい、後はタイヤがドリフトするしかないのだが、この乗用車ベースのSUVは乗用車同様の有効ストロークを持ち、ドリフト→当て舵の遅延と過大→そして反対方向へのドリフトの誘発を繰り返し、ロールオーバーしている事例が多いのではないだろうか。
そもそも、ムービングバリヤを対象車に当てるサイドインパクトテスト評価では、この手のクルマの多くが、ひっくり返っているのだ。その挙動は、サイドインパクトを受けた直後は、衝突を受けた側が沈み込むが、押し出されつつ沈み込んだサスペンションのリバウンドの勢いが加味され、横転するという現象だろうと見受けている。
そんな私見とは真反対に、今や世界中にSUVとかクロスオーバーと呼ばれるクルマが、セダンを駆逐するかの如く増えた。驚くのは、ランボルギーニとかロールスロイスまでSUVを作り出すのだから、流行とは呆れる程に凄いものだ。
この乗用車然としたSUVを世界で初めて世に出したのは、我が国(というより今や世界No1メーカー)のトヨタハリヤーだ。それ以前にもSUVと呼ばれるクルマは、ジープチェロキーなどあったが、如何にもジープ然とした無骨さで、一部のマニア以外には一般大衆に受け入れられなかったのだが、ハリヤーの乗用車然とした背高スタイルは、少なくとも愚人を除いた多くの世間には強く歓迎されたということなのだろう。
しかし、この潮流を生み出したトヨタにしてみれば、してやったりと笑いが止まらぬことだろう。ハリヤーの場合は、カムリのプラットフォームと多くのメカニカルユニットを共有するから、まったく新規の新車開発に比べれば開発コストもリードタイムも格段に少なくて済む。また、共通プラットフォーム故に、同一ラインを流す、いわゆる混流生産も可能になる訳だ。そんな、コスト低減があった上で、付加価値向上から高いプライスタグでも売れるとウハウハだったろう。そんな儲け話を他メーカーが黙って見ているハズもなく、急激にSUVブームは過熱し、著しくこの手のクルマの市場は拡大した。そうは云っても、クルマの全体の市場は頭打ちだから、セダンからSUVもしくは1BOXへの占有比率の変化というところであろうが、セダンベースだから実態の原価は低いのだが、商品性で高いプライスタグが付けられるという魅力には勝てず、乱立する様に増えたのだろうと冷ややかに眺めるのだ。
私の敬愛する西部邁翁は「資本主義とは情報の格差の上に存在するのだ」と述べている。だから、冒頭に記した様な欠点だとか比較的低コストで開発できたなんてことをメーカーはお首にも云わぬし記さない。そして、作られたブームという雰囲気は、そんな情報格差を餌食にして、資本主義の原理通りにメーカーを嬉しがらせる訳だが、全SUVが売れ行き好調な訳ではない。やはり商品性とかコンセプトで、売れ行きに差を生じる訳だが、1997年に初代ハリヤーを出し世界にインパクトを与えた大トヨタの戦略眼(騙しのテクだが)には頭が下がる。
追記
ついでに、西部邁翁の言葉でもう一つ引きたい。「世に新しもの好きとか、新しがり屋の者がいるが、これね、ある意味で軽度な蔑視を表している」というのだが、愚人の年にしても、およそ今より世が貧しかった幼少の頃、類似の発言を聞いた思い出が蘇るのだ。但し、そんな愚人だが、古いモノ総てが良いなんてことは思ってもいない。しかし、本質を見つめるスキルがあったとすれば、古いモノの中に本物があるんであって、新しい多くの偽物に欺されないぞと、意気込みだけはあるのだが・・・。
しかし、古来日本は良いモノを長く使うが美徳だったハズだが・・・。グリーン化税制なるものをでっち上げ、排ガスと燃費が良い新車に替えれば税金安くなり、古いクルマは重課だと抜かして澄ましている創作者(官僚共)と、それを法律として容認している政治屋には憤然とする。さらに、そんな税制を食い物にする金ある者に利を与え、貧しい弱者に重課を強いるという、モラル無視をただ呪うだけだ。
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表題を見るとなんのこっちゃと思うかもしれぬが、この変化のターニングポイントは1990年前後で、その起因は日本にあったということを述べて見たいと思う。
そもそもクルマの歴史を紐解けば、生まれは欧州、そしてマスプロダクションが米国という流れで世界中にモーターリゼーションという大きな潮流を生み出したのはご存じの通りだ。今でこそ、自国生粋の生え抜きメーカーが皆無となり、総て外資の民族メーカーだけになってしまった英国など、昔は戦後の日本車メーカーが繰り返し入手し、もの真似して作って来たのだ。ドイツの自動車産業は戦前から大したものだったが、日本と同じ様に大敗戦したのだが、ベンツ、BMW、VWなど、戦時中は特に軍用航空機などで成長し続け、戦後も、航空機の流れを巧みにクルマに取り入れるなどして、マスプロダクションでは米国に遅れを取ったが進歩し続け、米国および欧州車は日本の教科書的な存在だったとものの本で知る。
ところが、自虐史観はないつもりだが、もの真似から入った我が日本では、トヨタが世界に広めた有名語「カイゼン」に掛けては世界一の国であったのだ。例えば、排気ガス規制が強まり、米国マスキー法が制定されるや、いの一番で適合車を作り出したのは、ホンダのCVCCというエンジンであった。また、それ以前から、ドライバビリティや排ガスで有利な電子制御燃料噴射関連の技術は、独ドイツからライセンス生産で導入したのは日本の各社で同様だったが、53年度規制に適合させるべく、O2センサー使用による空燃比補正と三元触媒の使用を真っ先に実現したのはトヨタだった。この辺りから、こと電子制御においては、日本が先生を追い抜いていたのだろうと思える。
しかし、クルマというのは、エンジンだけで気持ち良い走りが成立するものではない。車体だとかサスペンション、そして全体を包括したコンセプトだとか、外形意匠であるとか、内装の質感など、多くの要素技術の集大成が求められる。そして、それを如何に合理的に短時間に安価に作れるかという原価低減の技術が大衆車だけでなく余程の特殊車でない限り、およそ高級車と呼ばれるジャンルにまで求められる様になって来たのだ。
先に記したターニングポイントとなる1990年時点で、日本は述べてきた様な、如何に合理的に短時間で安価に作れるかという技術面で世界の頂点に達した。そして、主に北米で強化されつつあった日米貿易戦争に対応せざるを得ないとう問題に、数より単価でという高級車路線に乗り出す思考が生まれたのだ。今まで本気でベンツに張り合おうとは思いもしなかった高級車部門の先兵として、まずは初代レクサス(日本名セルシオ)が生まれた。このクルマが、ベンツを始め、欧州高級車メーカーに与えた衝撃は大きかったと思える。操縦性でこそ、今一つの部分もあったのかも知れぬが、レーシングドライバーにしか評価できない極狭い部分の話しだろう。どんなド素人ドライバーでも、あの静粛性、振動感のなさ、内外装のフィニッシュの素晴らしさは、直ぐ評価できるものだった。しかも、ベンツより安くて、燃費も良い。だから、いたずらにブランド偏向でなく合理的な視点で評価する米国の知的富裕層には、直ちに受け入られ大成功を収めたのだろう。
これは想像だが、ベンツ、BMW社など、初代レクサスを入手し、徹底的に走りの評価を行い、そして、全分解して、エンジン内部からトランスミッション内部、そしてボデーワークを観察し、そこから想定できる生産システムを知りつつ驚嘆したに違いないと思える。つまり、かつての先生が生徒の立場になって日本車を見つめ直す時が来てしまったのだ。
ここで、話しを旧車好きな私見としての話しに戻す。この1990年の初代レクサスが出ても、それから経年した現在でさえ、私がクルマとしての頂点と感じるクルマは、写真のベンツ3車種(W126、W201、W124)なのだ。これらクルマは、静粛性も振動感も内外装のフィニッシュの良さも、決して初代レクサスを凌ぐものではない。しかし、そのボデーデザインやそれを成立させた、作りと、そこに投入されている素材や人的労力などを垣間見る時、素晴らしいクルマの頂点を極めたものであったと思えるのだ。そして、Youtubeでこれらの開発だとか、実車評価テストの風景を眺める時、ここまで評価を繰り返し作るということは、現在ではおよそしていないだろうとしか思えないのだ。
しかし、悲しいかな資本主義の世界では、如何に安く作ってライバル競合車より立派に見えるクルマを成立せしめ、そこに付加価値としてのプラスアルファのプライスタグは付けられたにせよ、量産車ではおのずと限界はあるだろうというものだ。欧米では、徹底的に日本車の生産システムを真似しだしたのだ。端的に云えば、如何に安い素材で高級化した美観と性能を、合理的で安く作れるかという生産システムとしての競争だ。
日本車では、初代レクサスの後も、生産の合理化として、プラットフォームや個別ユニット部品の共通化という思考をバーションアップし続け、またリードタイムと記す開発期間の短縮化を徹底的に追求し始めた。その端的な例が、私の過去ブログで何度も指摘しつつ批判して来たエンジンカバーに至る理由だ。このカバーがない時代は、エンジン開発とエンジンに直接もしくはエンジンルーム内に装着される間接機器などは、同時に設計を開始はするものの、本体エンジンが一定の完成をしないことには、その相互位置関係だとか、パイピングやハーネスの取り回しも含め、なかなか同時に完了という訳には行かないのが実情だった。その為、試作段階では木型などの実際品と同寸法のダミーを作り、それを元に試行錯誤を繰り返して、適切な見栄えの良い、エンジンルームとして完成に至って来た訳だが・・・。ところが、三次元CADで作図はそれ以前から行っていたのだろうけど、最終的な見栄えや、相互位置としての組み付け問題性とかを検討するためには、木型などダミー品での視覚的な確認が必要であったのだが、初代レクサスで、エンジン本体以外の一部の部品をカバーリングすることで、個別部品の外見的見栄えを考慮する必要がないことに端を発したのだろう、トヨタではエンジン本体にエイヤと安っぽカバーを被せるアイデアルを思い付いたのだろう。さあ、これで、木型なんか一切作らず、多少の手直しはあるにせよ、機能が伴ってさえいれば、例えどんなに醜いメカニズムでも関係ないということになったのだ。この安っぽカバーが与えたリードタイムへの影響は計り知れぬほど大きいものだったろうと思える。爾来、世界中で現在では、余程の高級スポーツカーでない限り、ボンネットを開けるとカバーに覆い尽くされ、エンジンが直接見える量産車は激減したとというのが実態なのだ。
※写真の実車風洞試験は今でも行われているだろう。写真の様な煙を流して、ボデー表面で乱流などの抗力となる要素がないかを確認している。その他、沢山の付箋紙状の紙を付け、紙のなびきで乱流を見いだすという手法も取られる様だ。このW124では車体後部の平面絞り込みにより、車体から引き剥がされる空気が乱流など起こさずスムーズに流れていることを示している。
なお、現在では空気抗力(CD)だけでなく揚力(CFL)にも留意しつつ、200km/h以上で真価を発揮し、およそ日本の高速道路下で制限速度を遵守している限り、例えどんなにセンシティブな者でも感じ取れぬ効果しかないフロアーアンダーカバーリングが装着されるクルマも多くなって来ているが、私は冷ややかに眺めている。
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昨年9月の事故について、1年近くも経てやっと書類送検だそうだ。そんなに忙しいのか千葉県県警と千葉検察はと思わずにいられない。しかし、押し潰された車両の写真を見るとき、なんとも心が痛む!
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過積載疑い運転手書類送検 横転3人死亡事故、荷主も
2019/8/5 18:30
千葉市若葉区で昨年9月、大型トレーラーが横転し下敷きになった軽乗用車の男女3人が死亡した事故などで過積載を繰り返したとして、千葉県警は5日、トレーラーの在原伸悟運転手(27)や荷主の金属売買業「丸二商店」(同県八街市)、荷物を積み込んだ同社の男性会社員(33)を道交法違反(過積載)などの疑いで書類送検した。
また過積載を知りながら運転を容認したとして、在原運転手の勤務先で、家族が経営するリサイクル業「在原商店」(千葉県八千代市)と同社の社長(55)も、道交法違反(過積載容認)の疑いで書類送検した。
過積載の書類送検容疑は昨年8〜9月、今回の事故を含め11回にわたり、最大積載量を超えた鉄くずを積んでトレーラーを運転するなどした疑い。過積載容認の書類送検容疑は、違反を知りながら各運送を認めた疑い。
県警によると、事故当時は最大積載量約29トンに対し、コンテナ自体を含め約47トンを積んで走行していた。いずれも容疑を認め、在原運転手は「経営が苦しかった。利潤を追求した」と話している。
事故は昨年9月8日、トレーラーが坂道を下って交差点を左折する際、曲がりきれずに横転。対向車線で信号待ち中の軽乗用車が下敷きになり、会社役員、吉田亮さん(当時43)ら家族3人が死亡した。〔共同〕
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事故直後の速報
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トラック横転、車下敷き 3人死亡、千葉 KyodoNews
2018/09/08 に公開
8日午前8時45分ごろ、千葉市若葉区中野町の県道で、鉄筋を積んだ大型トラックが横転し、軽乗用車が下敷きになった。千葉県警などが軽乗用車から男女3人を救出したが、いずれも死亡が確認された。
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今回はあまり知られていない、淡島にイエスタディ(の碑)とフェラーリ(の間)があることを紹介してみます。それぞれは、写真1淡島マップ内のそれぞれにあります。
1.淡島のイエスタディ
イエスタディと聞くとビートルズの1965年発表作(ポール・マッカートニーが単独で作詞作曲とのこと)を思い浮かべますが、これはフランスのシンガーソングライターたる「シャルル・アズナブール」の詩を和訳した石版の様です。
この石版は島の南側に位置する外周遊歩道の崖側にひっそりとあります。海の方ばかり見れていると知らずに通り過ぎてしまうという感じです。石版の大きさは、縦1.5m横0.9程のそれほど大きくない石板に掘られた英語原文の日本語訳ですが、翻訳には設置者(淡島ホテル設置総指揮者)の思いが込められていると想像します。
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イエスタディ 若き頃
イエスタディ 若き頃 人生を楽しく甘く味わった
舌に感じる雨のように 人生をばかばかしいゲ−ムとからかうなど
ちょうど夜風が蝋燭の炎をからかうように
無数に見た夢も 華麗な計りごとも
すべて崩れやすい砂の上で 長持ちするように築きあげていた
私は太陽と共に生きた 昼間の明かりと共に
今になって やっと歳月がすぎていったのに気付いた
イエスタディ若き頃 沢山の楽しい歌がうたわれるのを待っていた
喜びへと いざなってくれたあらゆる道が 私を迎えていた
私の目は眩んで 苦しみなど見ようともしなかった
あまりにも早く走り過ぎて 青春の時間はついに つかい果たしてしまった
人生は何なのか と立ち止って 考えたこともなかった
そして今 思い出せる会話は すべて自分のことについてだけ
イエスタディ 月も青く見えた
そして忙しい毎日には 何か新しいことがあった
青春を魔法の杖のように使い
将来の無駄や虚しさをを感じることはなかった
うぬぼれ 横柄な態度で 恋もしたが
燃やした炎は あまりにも早く消えてしまった
友達も皆なぜか遠ざかってしまい
幕を降ろすとき ステ−ジに立っているのは自分だけになってしまった
私の中には うたってもらえぬ歌が沢山あり 苦い涙を舌に感じる
ついに 自分の若き頃のおかえしをしなければならない時がきた
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この詩はフランスの歌手(シンガーソングライター)、「シャルル・アズナブール」が1964年に作ってヒットさせた曲「Yesterday when I was young」(邦題は「帰り来ぬ青春」)を訳したものの様です。彼(Charles Aznavour)の歌のYoutubeリンクと原文と引いておきます。
Charles Aznavour-Yesterday When I was Young (lyrics)
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Yesterday when I was young,
The taste of life was sweet as rain upon my tongue,
I teased at life as if it were a foolish game,
The way the evening breeze may tease a candle flame;
The thousand dreams I dreamed,
The splendid things I planned I always built, alas,
on weak and shifting sand;
I lived by night and shunned the naked light of day
And only now I see how the years ran away.
Yesterday
When I was young, So many drinking songs were waiting to be sung,
So many wayward pleasures lay in store for me
And so much pain my dazzled eyes refused to see,
I ran so fast that time and youth at last ran out,
I never stopped to think what life was all about
And every conversation I can now recall concerned itself with me,
and nothing else at all.
Yesterday the moon was blue,
and every crazy day brought something new to do,
I used my magic age as if it were a wand,
and never saw the waste and emptiness beyond;
The game of love I played with arrogance and pride
and every flame I lit too quickly, quickly died;
The friends I made all seemed somehow to drift away
And only I am left on stage to end the play.
There are so many songs in me that won't be sung,
I feel the bitter taste of tears upon my tongue,
The time has come for me to pay
for Yesterday When I was Young.
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2.淡島のフェラーリ
フェラーリと聞くとイタリアの高級高性能スポーツカーを思い浮かべる訳ですが、ここでのそれは、まったくクルマとは関係ないイタリアのワイナリーです。wikiの解説では、「フェッラーリ(Ferrari)は、イタリア、トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレント県に本社を置くワイナリーである。」と冒頭に記してあります。
このフェラーリがあるのは。淡島ホテル内2Fにある「サンセットラウンジ」というちょっと小粋なコーナーなのです。なお、サンセットラウンジ内から「海軍桟橋」方向を見た景色を載せておきます。
淡島ホテルでは、島を一周できる遊歩道がホテル設立時に整備された様ですが、ホテルの真裏を貫くトンネルまでが作られています。そのトンネルの中央部付近にホテル用のワインセラー(収蔵庫)が設置されています。
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山田洋次監督の映画「男はつらいよ」は、もうちょっと古い小津安二郎監督の「東京物語」とか「お茶漬けの味」、「秋刀魚の味」などと共に日本の情緒を残していて忘れ得ぬ作品群だと思って高く評価している。
ところで、この「男はつらいよ」はロードムービーではないが、監督の趣向なのだろう全国各地の決して名所ではないさりげない風景が出てくるのだが、その中で沼津も例外ではないのだ。そんなことから、本ブログでも過去に、3件の関連記事を記している。
男はつらいよ 沼津ロケ地 2018/08/28
男はつらいよ16話を見て 2018/08/31
男はつらいよ 第7話を見て 2018/09/24
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