私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画,、乗り物系全般、好きのエンジニアの放言ブログです。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

山彦乙女を読んで

 表題は、このところはまっている、山本周五郎氏の中編作品である。
 山彦乙女(やまひこおとめ)とはと何ぞやと思い読み進めていく内に、後半でそれは、「やまびこおとめ」のことだと判った次第です。
 
 物語は、隠された武田信玄の財宝や武田家再興の野望が蠢き、財宝の隠し場所たる「かんば沢」などの地のことが出たりしてミステリックに展開していきます。そして、終章で財宝の隠し場所である洞窟が大崩落を起こすなど、アクション活劇の要素も持っています。黒澤作品を初め数々の映画化がなされている周五郎作品ですが、この山彦乙女が映画化されたという話しは聞きません。
 
 私が周五郎作品に魅力を感じるのは、物語の主人公達に言わせている言葉、それはおそらく周五郎氏自身の思いでもあるのでしょうが、格言めいて心を打つところにもあることでしょう。
 
 この山彦乙女ですが、主人公の半之助の心の内を、山本周五郎は次のように語っています。
 
 政治を執る者は変る、後者は前者の秕政を挙げ、己の善政を宣言する。だがそれはかつて実行された例がないし、将来も実行されることはないだろう。なぜなら、かれらは強者であり、支配者であるから。それが公卿の出身であろうと、武家の出身であろうと、また庶民から出た者であろうと、かれらがいちど政治の権力をにぎれば、彼は、もはや彼自身ではなくなる。いかに高潔な、無私公平な、新しい政治理想をもっていても、現実には、必ず強者であり、支配者であることから、ぬけ出ることはできないのである。
 
 物語は生き甲斐を失った半之助が乙女(花世)との出会いから、徐々に生き甲斐を取り戻すところで終わりますが、力量の大きな監督に映画かしてもらえたら、きっと良い作品になると思うのです。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事