私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画,、乗り物系全般、好きのエンジニアの放言ブログです。

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 最近、打ち上げられる国産ロケットも、ほぼ順調に打ち上げ成功が続く様になったと感じます。十数年前迄は、打ち上げ時毎の失敗の連続だったことを思うと、主エンジン(LE−7)の信頼性を含めた熟成が進められた結果であろうと思います。
 国産ロケットや米国スペースシャトルの主エンジンは、大容量の液体酸素と液体水素を、極低温のままターボポンプによりミキシングし、燃焼室で爆発的に燃やし続けることにより強力な推進力を得ています。
 しかも、姿勢制御装置に連動してロケットノズルの角度をタイムラグ少なく変位できる様になっており、これにより正しい姿勢制御を行いつつ上昇を続けられるのでしょう。
 ところで、液体燃料ロケットの噴射ノズルですが、材質はインコネルなどの耐熱素材を使用しているのでしょうが、如何な耐熱合金とて5千度を超えるという燃焼温度に絶えられるものではありません。このため、ノズル内には、冷却用配管が組み込まれており極低温の液体燃料が循環し冷却されているのだそうです。
 一方、運行コストの高額化など諸事由により退役が決まってるスペースシャトルですが、決定した最終運航が遅れに遅れています。米国も、今後は通常型ロケットによる打ち上げで、宇宙開発を続けるとのことですが、スペースシャトルの様な大容量の貨物を一度に運搬するのは困難でしょう。それにしても、シャル開発の要にもなった機体下面に張り巡らされた超高性能の断熱タイルですが、その脆さががウィークポイントの一つとなったことは皮肉なものと感じます。

池波正太郎の世界

 昔から歴史物小説が好きで、司馬遼太郎さんとか吉村昭さんを中心に読んで来たのですが、最近は池波正太郎に引き込まれています。
 今のところ、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安を読破し、現在は鬼平犯科帳を読み進めているところです。
 池波作品を読んで来て思うのですが、ストーリーの巧さを感じることと、文章が平易で読み易いこと、何十刊ものシリーズ本であっても、長編は少なく、短篇の連続が多く、区切り良く読み進め易いことなどがあろうかと思います。
 それと、巻末の多くの解説者も書いていることですが、直接ストーリーに関係ないのですが、当時の料理の話しが時々表現されているのですが、これがすごく美味そうに感じられ楽しくなるのです。これは、作者が時代背景のことと共に、料理のことにも造詣が深かったことが伺われるところです。

航空機にとっての着陸

 およそ航空機の操縦とは、クルマの2次元の運動と比べ、3次元の運動となりますから、難易度が高まることは間違いないでしょう。中でも、飛行の最終工程となる着陸は、難しい操作をパイロットに要求するのではないでしょうか。
 それでも設備の整った空港においてはILSと呼ぶ計器着陸装置を持っており、この指向性の電波ビームに航空機を乗せれば、後は半自動で適切な降下率と方向性を維持しつつ安全な着陸が行える様になっているそうです。
 しかし、Youtubeの映像などで見ることがありますが、着陸降下進入中に大きな横風を受けた様な場合、パイロットはラダーを当てて方向を、エルロンで左右のロールを押さえつつ降下していきます。この時、進行方向は滑走路に沿っているものの、機種は大きく横を向いてしまっています。これは、クルマのコーナリングにおけるドリフト状態と同じことですが、クルマではドリフト量を前輪逆転舵当て(逆ハン)によりドリフト量をバランシングさせますが、航空機の着陸では、横風によるドリフトをラダー当てで補正している訳です。
 そして、車輪が設置した瞬間、素早くラダーを戻し(一瞬反対方向に当てるのでしょうか)、機種の方向を滑走路と一致させます。これは、正に職人芸だと思います。
 話しがちょっと飛びますが、長さ数キロもある地上の滑走路と違い、海上の長さ数百メートルの航空母艦に着陸するというのは、相当な難しさを生じるのではないかと想像されます。しかも、航空機は小型機とはいえ、失速速度が高い戦闘機ですかかなおさらです。
 空母への着陸を映像で見ていると、降下率が高く、大げさですが車輪を叩き付ける様に着陸している様に感じられます。着陸後は、着艦フックによりワイヤーを引き出して、急速に減速、停止するというもので、このワイヤーの伸びる減衰力(ショックアブソービング)特性も重要となることと想像されます。
 大量に空母と軍用機を保有する米軍ですが、戦闘機は空軍機(Air force)と海軍機(Navy)に明確に別れていて共用されることは少ない様です。これは、要求される諸性能とか戦略、戦術的な要素があるのでしょうが、車輪(ランディング・ギヤ)の強度の違いもその一つなのでしょう。

廻船が行き交う時代

 江戸時代は商業がそれなりに発達し、蝦夷(北海道)を除き我が国の沿岸を、多数の廻船が行き交う時代だったそうです。米や各地の特産物を満載した廻船が、海岸線に沿って風を頼りに帆走していたのでしょう。
 特に、東海道と平行する大阪と江戸の間は、多数の廻船が行き交っていたことでしょう。しかし、当時の和船は、外洋の荒海を航行する能力はなく、紀伊半島とか浜松から御前崎を通り伊豆半島の先端辺りなど、外洋の海流と接近する地域では、一旦嵐に巻き込まれてしまえば、難破してしまうことも度々あったのでしょう。この辺りの話しは、ジョン万次郎とかその他、当時の世界に旅立った者の数少ない事例ですが、吉村昭氏の各小説で興味深く知ることができます。
 さて、当時は廻船を保有して商いを行う廻船問屋(廻漕問屋)が各地に存在した様です。それは、今では、地方のひなびた漁港みないな地でもあったことの様です。写真は沼津市戸田(へだ)の小さな漁港ですが、往時は複数の廻船問屋がり廻船も優に50隻を超えていた様です。
 この戸田ですが、江戸時代にペリーの圧力により下田が開港し、しばらくしてから安政の大地震というのが起こります。その際、来港中だったロシアのディアナ号というのが被災し、修理のためこの戸田へ回送しようと向かいますが、折からの暴風に遭遇し富士市沖合に沈没した事件があったそうです。そして、多くの日本漁民に救助された艦長以下乗組員は陸路戸田へ到着し、戸田の船大工と共に、小型の洋式帆船「ヘダ号」を完成させ帰国したのだといいます。その後、洋式帆船のノウハウを会得した船大工達は各地に散り、以後の洋式船製造の一翼を担ったと伝えられます。
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 まあ、こんな話しは太古からあることでしょうが、士を同じくする仲間や友人と信じていた者が、ある日突然、対抗するグループや人物に与する、この自らの利益だけを考えてのこととしか思えない行動に不快感を感じる方は多いことでしょう。
 これは、明治の高名な歌人に子孫と称する人物の最近の行動をを指しますが、幾ら本人に取って魅力ある要請を受けたからとて、よくもこの様な恥知らずな行動を取れたものと感じます。一流大卒で記憶力だけの頭の良さはあるのかもしれませんが、義を無視する奴が何を宣ったところで、信じるものはいないでしょう。
 国会で首相に続き挨拶に立った同人の演説について、相当なヤジが飛び交っていました。私もヤジりたい、「この変節漢!」と。

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