|
書庫の奥に眠っていた小説「日本沈没」(小松左京著)を引っ張り出して再読しています。巻末の奥付を見たら、昭和48年(1973年)ですから38年も前に読んだ本です。微かな記憶では、若かりし当時、上下巻を
この日本沈没にも出てきるのですが、地球表面は7つのプレートに分割されていて、その内の4つが日本列島付近でぶつかり合っているのだそうです。プレート下層のマントルは固体にもかかわらず、対流により年間1〜2cm動いているそうです。この対流に引きずられる形で日本列島および近隣には、地中に常に歪みエネルギーが溜め込まれていて、限界が来ると一気に吐き出されます。
その様な理由もあり、太古から多くの地震や津波、そして火山の噴火などに襲われ続け、それでも都度、復興し発展し先進国と云われるまでになったけど、呪われた国・・・かもしれないと思ってしまいます。地震のほとんどない国の方から見たら、日本人は良く安住してるなと思います。そんな国に原発作るのは、やはり間違いだったという思いを持ちます。
|
一般
[ リスト | 詳細 ]
|
福島第1原発の致命的事故は、発生から3週間を経ようとしていますが、未だ解決の方向性は定まらぬ様です。報じられるのは、「どうやら相当な時間が掛かりそうだ・・・」という不安を感じる言葉です。それは、ことここに至っては止むないことでしょうが、放射線の影響を最小限に抑えるべき時間との戦いへの敗北宣言だからでもあります。
テレビで見る福島第1原発の震災および津波直撃後の画像は、ワイドショットでは原子炉建屋やタービン建屋などの大きな構築物に被害も見受けられません。しかし、カメラがズームアップしていくと、建屋前の敷地に細々と設置された各ポンプがすっ飛んでいたり、各パイプラインが雑然としているなどの様子が判ります。これでは、所要の給排水機能も失われているし、たぶんパイプラインとほぼ平行に引き回されている電気配線もまともではないでしょう。
そして現在ですが、2度の水素爆発や、火災、冷却のための放水を受け続けた姿は、正に廃墟であると思います。でも、この毒を出し続け、容易に人を近づけぬ危険な廃墟ですが、一般廃墟みたいに板塀で取り囲んで立ち入り禁止で放置にはできぬ廃墟です。安定状態に持ち込み、撤去および土壌小などの封印するまでに、数十年を膨大な人、物、金を注ぎ込まねばならぬ正に究極の廃墟ではないでしょうか。
|
|
クルマの塗装については、大雑把に区分して下塗り、中塗り、上塗りに分けられます。これは。塗装の目的として、概観の美観だけでなく各種環境で長期間の使用での防錆を保つためです。この防錆を保つ目的を持つのが下塗り塗装工程です。
クルマメーカーでの下塗塗装に至るまでの工程までのをちょっと説明します。鋼材メーカーよりロール状に巻かれた冷延薄板鋼板(t=0.8前後)が、クルマメーカーに搬入されます.クルマメーカーでは、所要の寸法に裁断し、各部品をプレス加工で作成し、溶接治具とロボットで正確な寸法で組み合わされ、抵抗スポット溶接によりモノコックボデーが完成します。さらに、ボンネットやドアなどの金属製の蓋物パーツをボルトで取り付け、ホワイトボデー(付属品が付かないボデー状態)が完成です。
さて、ここから下塗塗装に入りますが、作られたホワイトボデーは、プレス加工で付着した油分などが付いていますので、脱脂および水洗浄を行います。そして、その後はリン酸塩の溶液中にフルディップ(ドブ漬け)する化成皮膜処理を行い、さらに水洗浄と乾燥を行います。ここで.リン酸塩による化成皮膜処理ですが、リン酸塩の極薄皮膜を付けるのですが、皮膜を付けると云うより、新品のツルツルの表面を適度に荒し、つまりサンドペーパーによる足付け研磨と同様に、次の行程での塗膜との密着を良くすることを目的としているのだと想像されます。
化成皮膜処理が完了すると。ED(Eletric Deposition=電着)塗装工程となります。このED塗装ですが、先の化成皮膜処理と同様フルディップにより行われますが、水溶性塗料を用い、塗料溶液と車体の間に電位差(1万Vを超えるそうです)を設けることで、塗料の付着性を向上させています。この電位差の関係で、塗料をマイナスにボデーをプラスにしたのがアニオン電着と呼び、逆に塗料をプラスにボデーをマイナスにしたのがカチオン電着と呼ばれるそうです。日本車では昭和50年代中頃(1980年頃)に、従来のアニオンからカチオンに各社共変更され現在に至っていると聞きます。
この理由ですが、カチオンの方が前処理行程でのリン酸塩皮膜が溶け出し難く防食性が低下しないことにある様です。なお、これは想像ですが、水溶性塗料の樹脂も(たぶん)エポキシ系)のものに変更されているではないかと思われます。
ED塗装でフルディップされたボデーは、コンベアで熱風乾燥炉にて180°C程度、30分ほどで焼き付け乾燥されます。
何れにしても、この昭和50年代中頃を境に、日本車の防食性は著しく向上したと感じられます。昭和40年代位のクルマでは、サイドシル部だとか、トランク開口部周辺や、各ドア下部など、新車から6年も経る屋外駐車のクルマでは発錆で孔食しているなんてことはザラにあったものですが、現在では事故キズを放置でもしておかない限りその様なことを見ることは少なくなったと思います。
なお、若干補足として記しますが、カチオン電着とほぼ同時期頃から、亜鉛メッキ鋼板の使用が徐々に増加して行ったことも、防食性の向上に相当寄与していることは確かでしょう。この亜鉛メッキ鋼板のことは、またの機会に記してみます。
|
|
思えば1995年1月に生じた阪神大震災の時も思ったのですが、大震災を目にすると、従来の安全神話が瓦解して行くことを感じます。それまでどんな強い地震でも壊れっこないと思っていた、高速道路・高架橋の馬鹿太い鉄筋コンクリートが柱が、根元付近で複合材の母材たるコンクリートが粉々に粉砕されました。そうなると当然垂直過重を支えきれないで柱は引き倒され鉄筋の束が露出しているという写真を見て驚愕しました。また、十数階建てのデパートやオフィスビルが、中間階で縦柱が座屈した様になってしまった姿も見ました。これは。縦柱で先の高架橋のコンクリート柱と同じ現象が起こったのでしょう。
地震動は初期動の縦波であるP波と、その後に続く大きな横波であるS波に別れるそうです。このS波による前後、左右への反復する振動加速度(ガルと呼ぶ単位を用いるらしいです)により、構築物などは頭上のマス(重量)に反復加速度より生じた応力が破壊部位に集中した結果なのでしょう。
その後、既存の高速道路や鉄道高架などのコンクリート製縦柱に鋼板を巻き付ける補強工事が狂った様に進められました。しかし、次に起こるであろう大地震に耐えられるか・・・保証の限りでないでしょう。あの阪神大震災で、引き倒された高速道路・高架橋の姿は、それまで壊れないと信じていた巨大建築物の安全神話を見事に吹き飛ばしたと感じます。
そして、今次の東北巨大震災と広範囲への巨大津波の来襲です。直撃の受けた町の姿は、まるで血も涙もない広島の原爆投下の跡とか、とんでもない絨毯爆撃をうけた東京大空襲の跡の如きです。恐るべき津波の破壊力を見せつけられたと思います。さらに、この津波はもっともっと恐ろしい災厄を誘発したのでした。
我が国は地震の多い国ですから、ある程度大きな地震が来る都度、震源地に近い原発は自動停止しました(ですから安全です)と報じられ、安堵していたと思います。でも、今更知る原子炉の停止とは、核連鎖反応が停止した状態であって、クルマのエンジンに例えればアイドリング状態みたいなものと感じます。しかし、その停止状態でも発熱は大きなもので、冷却水の循環を数年は続けない限り炉内温度は上昇を続け、燃料のウラン(融点は約2200度もある!)さえ溶かし、炉心溶融(メルトダウン)を起こすのだということを知り驚きます。
2重、3重の放射線防御だから安全だとか云われてきた原発です。しかし、素人ながら思うのは、確かに原子炉や格納容器に地震の揺れや津波でも、本来は損傷は生じていなかった様です。しかし本体は確かに安全は保たれても、緊急電源だとか各ポンプ装置、そして配管などの付帯設備があまりにも脆弱かつ設置場所の考慮不足などの欠陥があったことは明かな様に感じます。
こうして、安全だ、安全だを連呼してきた電力会社や政府など行政関係者や大学教授達のまやかしが露呈し、新たな安全神話が崩壊したと思います。
|
|
独断と偏見を記します。(まあ、このブログ全体がそうなんですが・・・)
仕事上も私的にも何らかの文章を記したり、受け取ったりすることは多いです。そんな中、メール等での一行メールで論拠のない否定や、ぶしつけな要求をされ憮然とすることがあります。 これが、可愛い女の子なら許せちゃいますけど、野郎だとちょっと以後の対応について冷淡となってしまいます。この様な方のことを「一行メール野郎」と勝手に呼んでるんですが、考えてみれば勤め人時代から、結構居ました。いわゆる作文能力がないというか、文章表現応力のない方ですね。
この文章は、私みたいにくどくどしく書く必用はなく、作家みたいに芸術的な表現を追求する必用もないと思います。しかし、私は技術屋ですから、技術的な論拠をしっかりした上での結論を記すことが肝要と思う次第です。
|




