いまからここから 「念ずれば花ひらく」

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       伊弉諾大神(イザナキノオオカミ)  
   御祭神 伊弉册大神(イザナミノオオカミ)
       軻遇槌大神(かぐツチノオオカミ)
       景行天皇平定より八年後(西暦七十九年)
       熊襲征討のため入国した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、
       土豪大兄彦が献じた御神器の弓矢をこの地に鎮祭した。
       玉体を近くに守り給うとの意をもって近津大神と稱し、
       又戦に千度勝つようにとの願いをこめて千勝社とも呼ぶ。
       主祭神の伊奘諾命・伊奘冊命は健康長寿の神として、
       又軻遇槌大神は火の神として昔より多くの人たちの信仰を集めている。
       境内には直方藩主黒田長清の歌碑や
       当地名発祥の源となった十堂像も祀られている。
       社殿は慶長元年(一五九六)雷火のため焼失、
       寛文13年(一六七三)に再建され、
       その後大正十四年現在の神殿・拝殿を新築した。
                           (境内御由緒石碑より)

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    十堂さまについて

深田水神さまにおまつりしている 焼本尊のあたりに多数の仏様を 奉ったお堂がありました。

しかし戦国時代の たび重なる戦火にあったことなどから、

いつしか近津神社の境内にまつられるようになりました。

現在の相撲場あたりにまつられていたものが

その後現在の社務所付近に移され

大正十四年に社務所 新築した際現在地に安置されました。

木造の十堂さまと呼ばれている仏像は 鎌倉時代のものと言われていますが

戦火にあったことや虫害などにより 作者や詳しい年代などは判定できません。

また多数の石像は羅漢像で神仏を別々の宗教として分ける事なく

あがめていた時代に 近津宮の境内の合祀されたものだと思われます。

多くのお堂があったことからこの地を十堂と呼ぶようになったのは

明治以降と伝えられています。

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