WJCC支援会

ワシントン日本人教会と片岡先生を支援する会です。

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 カイルくんが主の御もとに呼び寄せられたことを想い、上の御言葉を何度も読み返しています。
「一行が」という言葉に、彼だけでなく、ともに歩む家族、友だち、教会の仲間たちが見えてくる思いがします。一行は同じ目的地を歩んでいる。その中で足が速い人や遅い人、疲れている人や元気が有り余っている人がいる。ともに歩んでいたかと思うと、一人だけが先にもうたどり着いてしまったかのような、そうしたペースの違いも見えてきます。
けれども誰よりも先にたどり着いているお方が、この一行を導かれていることを同時に思わされます。そしてそのお方との距離が縮まるほど、「自分の身に起ころうとしていること」の目的地が魂全体でわかってくるのかもしれません。それはイエス様と同じ道でありながら、同じ死ではなかった。神への道を歩みつつ、呪いの死という大きな穴は、主イエスの十字架によってもうふさがれていた、という場所です。
だからこそ、ハイデルベルク信仰問答でもその問42において、次のような率直な問いに一言で力強く答えてしまっているのだと思います。

        42 キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、

どうしてわたしたちも死ななければならないのですか。

         答  私たちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、

            むしろ罪との死別であり、永遠の命への入り口なのです。

大きな仕事をなしとげて、永遠の命への入り口を通ったカイルくんは、のびのびとした場所を与えられて何をしてイエス様と遊んでいるのかな、とも想像いたします。本当に彼の姿を通して多くの神様の命の種がまかれたことを覚えます。私もその種がまかれた一人であることに感謝しています。その種が芽を出し、実を結ぶには、時間がかかるのかもしれません。とりわけご家族には、その主の時がどうしても必要です。どうかまた続けてお祈りください。

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