WJCC支援会

ワシントン日本人教会と片岡先生を支援する会です。

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今週土曜日に、『Reach theUnreached 』と題して、D.Cエリアの様々な国の人たちへの宣教・伝道のための学びの時が、留学生伝道をしているInternational Student INC主催のもと、第四長老教会(FourthPresbyterian Church)で行われます。その一コマをお願いしてくれないか、ということで私も担当することになりました。

  私自身まだこちらに来て一年過ぎたばかりの者で、どこまで語りえるかというのは甚だ疑問でしたが、その長老教会に通われている日本人の方、宣教師の娘として長野で35年過ごされた方を紹介していただき、協力しつつ安心して参加できるように神様が備えてくださいました。主の御業は不思議で恵みに満ちています。
  その準備の一つの材料として、先日『日本人とアイデンティティ』(河合隼雄)という小さな書物を読んでいました。いかに場の平衡状態を壊さないように、うまく間接的に表現してゆくかという「場の倫理」が一般的傾向として日本的であるというのは、有名なのかもしれません。そのことを著者が踏まえた中で、次の言葉が目に留まりました。「『場の倫理』は、ある程度の貧しさのなかでのほうが体験されやすく、機能しやすい。しかし、そのなかで本当に体験されるべき「倫理」が明確に把握されていないと・・・ものが豊かになったときに機能しがたくなってくるのである」。
  本当に体験されるべき「倫理」とは何だろう、と思いました。単なる知識ではないことは明らかです。上の御言葉に照らし合わせるならば、「論語読みの論語知らず」のような、サドカイ派の人々の「聖書読みの聖書知らず」とならないように、と自戒させられます。もちろん、聖書は単なる倫理の書物ではありません。体験されるべき、人では満たされない神の救いが啓示されています。それゆえに救いを体験する人間の倫理は根源的に喜びです。そして罪人にのぞんだ神の愛がそれを貫徹させます。その御手に今週も私たちを明け渡しましょう。

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