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睡蓮の花のように



睡蓮



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睡蓮は まるで人間のようです


朝花を開かせ夜には閉じます


睡る蓮だから睡蓮…



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泥の中でも美しく咲く睡蓮…この花に魅せられた人は少なくありません

 


フランスの画家モネは


パリ近郊の庭園の睡蓮の池を題材に たくさん絵を描きました



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以前 八重洲ブックセンターでふと目にした


山野美穂さんという方が書いた


「睡蓮の花のように自立から個性化へ」


そこに書かれてあった言葉が忘れられません



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“大きな緑の葉の上に 浮かんだように静かに咲いている花 睡蓮


登校拒否・非行・いじめなどの問題をかかえた子どもとともに


苦しみながら世間の目から身をかくすような思いで過ごした日々を

泥水の中から生まれ出て 汚れを見せず気高く開き

そして ポンと小さな音を立てて目覚める睡蓮のようだと感じました

泥水の中で根を張った後

真っすぐ伸びた茎が「もがき」「苦しみ」ながら水面上に出て

太陽の輝きや爽やかな五月の風が 水面を優しく愛撫しています

その優しさで子どもの可能性を摘みとることなく

子どもとともに成長し それぞれが個性的に生々と生きるために…“



たぶん親や教師に向けて語りかけた言葉なのでしょう



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水に浮かぶ睡蓮はなぜ沈まないのでしょうか?


それは 茎を切ってみればわかります


あふれるほどの気泡が出てきます


睡蓮は 見えない泥水の中でも 地下茎の空洞をつかって


絶えまなく新しい空気を送り込んでいるからなのです



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もし睡蓮の住む世界を 人間の社会という泥水に例えるならば


常に成長できること 自分を高めることを


次々にとりいれる努力を怠らなければ 決して沈むことはない…


美しい花を凛と咲かせるために




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先日立ち寄った花屋さんの店先にあった睡蓮の水鉢

なにげに勇気をもらえそうです


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花言葉は「清純な心」「純粋」





クリスマスの贈り物

 
 
今日はクリスマス 
 
 
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それにちなんで
 
オー・ヘンリーという作家の書いた「賢者の贈り物」という話を紹介します
 
 
 
 
 
 
ある街に貧しい夫婦がおりました
 
明日はとうとうクリスマス
 
妻のデラはつぶやきます 「たった1ドル87セント」
 
れは彼女が毎日必死にためたお金の全部
 
これじゃ夫のジムに「値打ちのあるもの」をあげたくてもどうしようもない
 
 
でも彼女には宝物が一つだけありました
 
それはシバの女王でさえ羨むであろうという長くて美しい栗色の髪
 
「そうだわ これを売ろう」
 
髪は20ドルになりました これで21ドル87セントあります
 
夫のジムには大切にしている宝物の金時計がありました
 
でも革紐がぼろぼろになっていました
 
「あの金時計に合う上品なチェーンがいいわ」
 
デラは全ての店を見て回り とうとうプラチナチェーンを買い求めました
 
 
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帰ってきた夫のジムはデラの髪を見てたいそう驚いて力を落とします
 
そしてそれはデラが想像していなかったとても謎めいた表情でした
 
「あなた 私の髪がなくなったら私への愛情もなくなっちゃうの?」
 
ようやく口を開くことができたジムはこう言います
 
「見損なっちゃ困るよ そんなことで恋人に愛想をつかす僕じゃないさ
 
ただ…この包みを開ければわかるよ」
 
渡された包みの紐を解き やがて泣き出すデラ
 
そこには かつて彼女が憧れていた長い髪に似合う櫛セットが…
 
無くなってしまったあの髪にとてもよく似合う色の…
 
 
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ひと泣きして気を取り直したデラは言います
 
「髪ってすぐ伸びるのよ それより私あなたの時計のチェーンを買ったの
 
さあ付けてあげるから出してみて」
 
うなずく代わりにソファにどっと座り込むジム

「プレゼントは片付けようよ
 
お互い今すぐ使うにはもったいなさすぎるよ
 
実は くしを買うお金を作るために時計を売っちゃったんだよ」
 
 
「さあ 夕食にしよう 肉を温めておくれ」
 
 
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無駄になった贈り物と見えますが 
 
なぜか最高のプレゼントが交換されたようです
 
 
 
 
ちなみに 私事ですが 昨日クリスマスイブは 
 
私達の結婚記念日でした
 
 

不満より感謝

 
今日も蒸し暑い1日でした
 
でも今週はこれから猛暑日が戻ってくるようですね
 
                                                (写真は八重ヒマワリです)
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世界遺産に登録された富士山について調べていたら
 
富士山の山小屋でバイトをした女の子のブログを偶然見つけて
 
興味深く読みました
 
お風呂は週に1度 それも雨水を貯めたもので 
 
雨が降らなければずっと入れない状態だそうです
 
それに比べると 普段の生活で水が足りないから節水しましょうと言いながら
 
当たり前にある水のありがたさはあまり感じていないのが実際のところです
 
私たちは99%幸せでも残り1%が不幸せであるなら 
 
幸せであることは感謝せず 
 
不幸であることを口に出して愚痴を言います
 
当たり前のような幸せに感謝することはなかなかできません
 
水だけでなく空気だって あることすら意識もしないで 
 
高山病にかかって初めて空気の有難さを知って感謝なんですね
 
 
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あの島田紳助さんが売れない時代に
 
「売れない時代が長くて 人生は厳しく 不公平だと思ってる」
 
と愚痴を吐いたら
 
明石家さんまさんに言われたそうです
 
「紳助 お前は一体 何が不満なんや? 
 
確かに俺らは まだ大成功はしてへんよ 
 
でも一応飯だって食えるし狭いながらもこうやって部屋だってあるやないか?
 
それに 俺達は好きなことやって毎日くらしてるんやぞ俺なんか 
 
いつも生きているだけでまる儲けと思ってるよ」と
 
 
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島田紳助さんは この考えをみならうことにしました
 
すると不満も減り 今まではロケで悪態ついていたのが 
 
不思議と受け入れられるようになり 仕事も増えてきたそうです
 
 
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明石家さんまさんの娘さんの名前の「いまる」は
 
生きているだけでまる儲け」から付けたそうですよ
 
 
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1%の不満を口に出すより 99%の幸せに感謝ですね
 
 
3.11 
 
この日がまた巡ってきました
 
決して忘れられない 忘れてはならない日です
 
 
 
外務省のHPを見ていて 女川中学校の生徒による提言に感動してしまいました
 
日本の未来を担う若者として 立派というよりもすごいと感じました
 
 
その提言は 昨年の734日に 「世界防災閣僚会議 in 東北」が
 
宮城県仙台市を中心に開催され
その時に 女川第一中学校の生徒による基調報告のなかでされたものです
 
 外務省のHPから抜粋させていただきました


 私たちの町女川は,宮城県の東部,南三陸国定公園の最南端にあり,銀ざけやホヤの生産額が日
 
本一で,水産加工業も発展し,小さくてもとても活気溢れる町でした。
 
 2011311日午後246分。東日本大震災で30分後に襲ってきた巨大津波によって,女川では,
 
各地で観測された中で最大の43mもの津波が到達し,人口1万人の8%以上の尊い人命が失われ,家
 
屋の80%以上が流失しました。甚大な被害があった岩手や福島,私たちの宮城では,食べ物や飲み
 
物さえない極限の生活が来る日も来る日も続きました。そして,辛く,悲しいたくさんの出来事が,私
 
たちの周りで起こりました。
 
 「あの日津波は私たちの大切なものを次から次へと飲み込んでいきました。あの日の4日前,ぴー
 
ちゃん(曾祖父母)が,もうすぐ中学生になる私にお祝いをしてくれました。「またおいで。今度は制服
 
姿を見せらいよ(見せてね)。」と言われ,「うん,また来るね。」何気ない会話でした。ひいじいちゃん
 
は,帰る時は,にこにこの笑顔でハイタッチ,ひいばあちゃんは,おいしいご飯をいつも作ってくれま
 
す。そんな二人が大好きでした。
 
 
 
 
 
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あの時私は,一週間後に控えた卒業式の練習をワクワクでしていました。地震後に総合体育館に避
 
難する途中,津波を見ました。涙が止まらず,ただただ家族やぴーちゃん達の無事を祈るだけでし
 
た。私の家はギリギリで流されず,蝋燭の火で不安な夜を迎えました。家族皆が無事で安心した正に
 
そんな時,叔母から1通のメールが届いたのです。「ぴーちゃんと,小4・中1のいとこが行方不明」とい
 
う内容でした。石巻のぴーちゃんの家から100mほどで日和山につながる坂があるので私は,大丈夫
 
だろうと思っていました。しかし,何箇所も避難所を回っても,4人の安否は分からないままでした。
 
「津波で流されたんだなあ」そう思ってから私は,ぼーとすることが多くなり,何もする気にもなれま
 
せんでした。門脇小の並びにあるぴーちゃんの家は,火事でずっと近づけず,ようやく行けるように
 
なっても,私は行きたくありませんでした。でも,ひいじいちゃんのあの言葉が頭によぎりました。「ま
 
たおいで・・。」あの言葉にはっとし,「行ってみよう」と決心して行きました。余りにも悲惨な現実でし
 
たが,私はなぜか涙がでず,瓦礫の中を手でかき分けていました。すると,私たちがあげた手紙が全
 
部入っていた袋がありました。その時,やっと涙が溢れてきました。女川の家に戻り,急いで毎年二人
 
がお年玉袋に書いてくれた手紙を探しました。ようやく見つけた袋には,「愛ちゃん,もう中学生だ
 
ね。色々あるけど頑張ろうね。」と書いてありました。
 
あの時から私は,辛いことや嫌なことがあっても震災前に比べて挫けないようになりました。どん
 
な辛いことがあっても,4人が近くで応援してくれている気がするからです。私にとって,この1年は,
 
とても辛く,悲しい毎日でしたが,「勇気」を与えてもらった1年でした。私は,これからも4人のことを
 
いつまでも忘れず,私に勇気を与えてくれた二人に感謝し,今を生きていきたいです。4人は,今も行
 
方不明です。一日も早く見つかるように願いながら,4人の分も一日一日を精一杯生きていきたいで
 
す。
 
 
 
 
 
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これは,1年間の社会科の授業のまとめとして私が書いた作文です。411日,私たち新入生67名は
 
入学式を例年通りに行うことができました。食料やガソリンもなく,制服は津波で流され,鉛筆やノー
 
トを買うことさえきませんでした。でも私たち女川町の全ての児童生徒700名には,入学式の日に,ユ
 
ニセフからのバック,そして,阿部一彦先生の呼びかけにより,三重県鈴鹿市のNPO法人愛伝舎の
 
坂本久海子さんのご協力により全国,世界からのご支援により始まった「希望のえんぴつプロジェク
 
ト」を通じて,鉛筆やノート等をいただきました。不安ばかりの私たちはとても感動しました。
 
3年生の先輩は,避難所でその夜,いただいた鉛筆を握りしめ,家族全員で泣きながら喜び合ったそ
 
うです。
 
最初の社会科の授業で,阿部先生は,「愛するふるさとが,大震災で大変なことになった。「社会科
 
として何ができるか」小学校で学んだことを生かして,考えてみよう」と話され,皆で夢中で話し合い
 
ました。
 
ほぼ全員が避難所や仮設住宅から安全面の理由でバス通学。校舎も半分しか使えず, 3つの小中
 
学校との共同生活。何もかも制約された生活ですが,ユニセフのアンソニー事務総長が来校するな
 
ど,温かいご支援のおかげで,私たちは充実した学校生活を目指しました。「希望のえんぴつプロジ
 
ェクト」の縁で,先輩の描いた絵や私たちの俳句が,スペースシャトルで日本の宇宙実験船「きぼう」
 
届けられ,絵は復興の絵葉書として,女川の感謝の心を届けています。
 
「見上げれば 瓦礫の上に 鯉のぼり」は17の言語に翻訳され,連句が世界中で作られています。
 
3年生は修学旅行で,支援の感謝と御礼を外国人記者クラブで発表し,町内に花を植えたり,小学
 
生に全校合唱を届けるなど,自分たちができる事を積極的にしてきました。
 
私たち1年生は,社会の授業で,ふるさとの地理的な特徴を調べ,「津波の被害を最小限にする方
 
法」を皆で考えました。「大地震の時は一人一人がとにかく逃げる」あるグループで結論がでた瞬間
 
です。「逃げよう!!と言っても逃げない人がいるんだよ。それは,どうするの!!」友達が涙ながら
 
に訴えました。友達の祖父は,高台への避難を呼びかけ多くの命を救いました。しかし,逃げようとし
 
なかった方の家に3度目に向かい,流されてしまったのです。「あの過酷な体験をした私たちにしか言
 
えないことを出し合おう」と,話合いを最初からやり直しました。
 
 
 
 
 
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私たちはまだ中学生で実現できることは限られています。でも,あの大震災の中で大切な命を家
 
族や先生,町の人など,たくさんの方々が守ってくれました。今度は,私たちがこれから生まれてくる
 
人のために,「三陸の豊かな海の恵みに支えられた暮らしを1000年後まで残そう!!」と考え,ぜひ
 
実現したいことが3つあるのです。
 
1つ目は,「互いの絆を深めること」です。非常時に共に助け合うためには,普段から絆を結んでおく
 
ことが必要だと,避難する時や避難所生活を通じて感じました。もっと絆を強くしておけば,避難を呼
 
び掛けて亡くなってしまった,友達の大切な祖父や多くの人たちの尊い命を守れたはずです。
 
2は,「高台へ避難できる町作り」です。住宅や病院,学校等は,津波が絶対に来ない高台に移しま
 
す。でも,漁師さんや加工場の人達は海沿いで働きます。
 
そこで,夜でも,初めて来た観光客にも分かるように,太陽光パネルを活用した避難誘導灯と高台へ
 
の広い避難路を整備しておくのです。
 
そして,何より大切であり,私たちがぜひ実現したいと願っているのは,この大震災の出来事を「記
 
録に残すこと」です。
 
社会の授業で様々な資料を調べましたが,津波の記録が私たちの体験と違っていました。
 
今ある記録だけが残ったのでは,きっといつかまたこの大惨事が繰り返されてしまいます。
 
そこで,女川町内にある全ての浜に最大の津波が来た所に石碑を建てます。
 
その石碑の周りには,3日分の食料や水を備蓄しておき,毎年311日,全員で避難訓練をし,
 
震災のことを書いた私たちの本を子どもや孫に代々語り継いでいくのです。
 
そうすれば,祖父母が囲炉裏端で津波のことを語り継ぎ,三陸の海で2000年以上も暮らしてきたよ
 
うに,あの豊かな町を私たちの手で作り上げていきたいのです。
 
 
 
 
 
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 でも,私たち中学生だけで,これらを実現することはできず,どうしたらよいか悩んでいましたが,
 
今日,野田佳彦総理大臣はじめ,世界30か国の代表の皆様にお伝えする貴重な機会をいただき,女
 
川第一中学校の現在の2年生を代表して発表させていただきました。
 
「夢だけは 壊せなかった 大震災」これは,私たちの同級生が昨年の6月に読んだ俳句です。3
 
つの津波対策案は,まだ夢の段階です。でも,あの日,この夢を実現させる唯一の源である大切な命
 
を守ってもらい,世界中の数多くの人々の支えによって今ここにいることができる一人の人間とし
 
て,これから生まれてくる全ての人の幸福のためにも,ぜひ3つの夢を実現させたいと私たちは強く
 
願っています。
 
終わりに,世界中のみなさんのご支援に感謝するとともに,私たち一人一人が,いつの日か世界中
 
の人々の,よりよい未来に少しでも貢献できるような人になれるよう,努力していきたいと思っていま
 
す。今日は本当にありがとうございました。
 
                          宮城県女川町立女川第一中学校
                                 2
年今野伶美
                                   勝又愛梨
 
 
 
午後から天気は回復し 夕方にはきれいな夕焼けが見られました
 
夕陽を浴びるこたろうです
 
 
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燃えるような夕焼けに カラスが飛び込んでいきました
 
 
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幼稚園のロケットのオブジェも飛び立ちそうです
 
 
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PHPから 心あたたまるいい話を紹介します
 
 
 
「人のあたたかさに触れたとき」といえば 今も忘れられない思い出があります
 
中学2年の終わりの春休みです
 
当時 バイオリンの勉強のため東京で一人暮らしをしていた僕は
 
 一日でも早く親許の長崎へ帰りたくて 
 
ある日 キップもお金も持たずに急行「雲仙」に飛び乗りました
 
 
 
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東京駅を朝10時30分に出て 翌朝には長崎に着きます
 
「キセルをしよう」と考えたわけではないんです
 
ただ 実家からお金を送ってくれる予定が何かの事情で届かない
 
望郷の念にかられた僕は 
 
気づいたら「雲仙」の座席にバイオリンのケースを抱えて座っていたのでした
 
列車が動き出しました 長崎駅までは23時間と57分 
 
途中で車掌さんが検札に来れば すぐに無賃乗車がばれるのは子どもの僕にもわかります
 
「よくない」と思いつつも 「次の横浜駅まで行って引き返そう」と身を硬くして座っていたら 
 
意外に早く車掌さんが検札にやってきました
 
「どうしよう」もう 心臓が破裂しそうなほどバクバクです
 
「正直に話して 次の横浜駅で降りようか」とも思ったのですが 結局 帰りたい気持ちが勝ちました
 
 
 
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僕は咄嗟にポケットに手を突っ込んでキップを探すふりをし
 
 「さいふとキップを落としたみたいです」と泣きそうな顔でウソをついたのです
 
車掌さんは困った顔で「どこまで行くの?」と聞きました
 
「長崎」と答える僕 一瞬の沈黙が流れたそのときです
 
 向かいに座っていた大学生のお兄さんが立ち上がり 
 
「僕が立て替えておきましょう」とキップ代を支払ってくれたのです
 
「同じ長崎だから 長崎に着いたら返してくれたらいいよ」といって
 
お兄さんは僕のウソを疑うどころか 「お腹 減っただろう」と昼どきと夕方に駅弁とお茶を買ってくれ
 
 翌朝にはうどんまで食べさせてくれました
 
 
 
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長崎駅に着くとお互いの住所を交換し
 
 僕は「できるだけ早くお返しに上がります」と深々とお辞儀をして走り出したら
 
 「おーい」「おーい」とお兄さんが後ろから追いかけてくる
 
何だろうと思って止まると 「どうやって帰るの?」と聞く
 
「歩いて帰ります」
 
 お兄さんは「歩いてたら2時間かかるじゃないか」と百円玉を握らせてくれました
 
「これは貸すんじゃない 上げるから電車で帰りなさい」
 
そう言い残して去っていくお兄さんんの後ろ姿を見送りながら 涙がぼろぼろこぼれました
 
おかげで市電に乗って30分足らずで帰ることができ 
 
事情を聞いた母はその日のうちに カステラを持ってお兄さんの家へお金を返しに上がりました
 
 
 
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そのお兄さんとはそれっきりですが 
 
このとき こんな大学生に出会えたというのは僕の人生において本当に幸運でした
 
13,4歳のいちばん多感な年代に 人のあたたかさに触れただけでなく
 
「人に親切にするとはこういうことですよ」と教えてもらったわけですから
 
お金を立て替えてあげるだけではダメ 途中の弁当の心配をしてあげるだけでも中途半端
 
家の住所を見て「この子はどうやって帰るんだろう」と相手のことを最後まで考えてあげて
 
はじめて本当の親切なのだ というお手本を示してくれたのです
 
 
 
 
 
 
この中学生こそ 今は歌手として活躍している さだまさしさんです
 
雑誌のインタビューの中でこんなことを言っています
 
”本来 人間は誰しもあたたかい心を持っています
 
ただ その発芽のタイミングを持っているだけ
 
誰かがちょっと背中を押してあげると一気に芽吹くんです”
 
 
 
 

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