塾講師の独り言

塾の日常を中心に、いろいろ語ります!

塾での日々

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入試問題を解く

僕はテキスト作成が好きなのだが
それと同じくらいワクワクするのが
入試問題を解くことだ。
 
各私立高校の5教科を解き、
その傾向と対策を練るというのは
塾講師として当然の仕事なのだが
それとは別に非常に心躍るものがあるのだ。
 
好きな本を読んだり、好きな音楽を聴いたり
好きな映画を見たり、好きなスポーツを観戦したり
好きなものを食べたり、好きな車を運転する。
そんなことに匹敵する楽しさがそこにはある。
 
これは講師としては極めて当たり前の傾向だと思っていたのだが
どうやら違うらしい。
少なくとも若い講師たちに話すと、かなりの確率で怪訝な顔をされる。
「オタクですか?」みたいな(笑)
 
いいじゃないか、オタクで!
っていうより、そういうことが好きだからこの仕事やってんだろう!
子どもに勉強を教えるのが好きだとかお前らは言うけれど
自分が勉強するのは好きじゃないのか!
 
「好きじゃないけどプロ野球選手やってます」みたいなものだ。
プロとはそんな甘いものじゃないだろう。
好きで好きで、それだけじゃダメで、日々能力を意欲を高めていく。
そうすることでかろうじて保てるのがプロだろう。
原点である「好きだ」「楽しい」という気持ちがない者にできる仕事ではない。
そしてそういった者が高められるスキルも、やはりそれなりだ。
 
いったい何が楽しくて塾講師やってんのかな……。
ひょっとして嫌々なのか?
よくわからん。
 
 
 
 

保護者会無事終了

中3保護者対象の入試説明会を実施しました。
今回は参加を強力に促したので、ほぼ全員出席で
他学年のご家庭もきてくれました。
 
唯一の懸案事項は部下。
そんなに若者でもないくせに、どうも常識が欠けている男で
敬語も満足に使えないのです。
丁寧語はOKなのですが、尊敬語と謙譲語の区別がたまにつかないとか
かなり格式高い場で、俗語表現をしてみたり……。
 
かなり念入りに練習したのですが
なぜかやる度に話す内容が変わり、5分に1回フリーズしてしまう。
これは本当に困りました。
保護者から見ても明らかに知性の問題としてとらえられてしまう。
経験不足も重なってか、可哀想なぐらいダメダメでした。
 
しかし強行。
話す箇所はほんの10分程度で、内容もあいさつくらいのものです。
なにより彼のこれからの経験と成長の糧になればと思いました。
 
結果としてはまぁ成功と言えるレベルでした。
本人も手応えがあったようで、さらに修練を積む意欲が増したようです。
 
ただねぇ……。
日々の講義を生業にしている者がたった10分話せないって。
しかも原稿を作ってあるのに、フリーズしちゃうって。
相手が子どもで、決まり切った法則や定理しか教えないから
生きている話ができないんですよねぇ。
これからの大きな課題です。
 
いつからこの国は魑魅魍魎が跋扈する地になったのか。
具体的事例など枚挙に暇がない。
いちいち論うことすら馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
 
元凶は強力な社会民主主義にあると個人的に思う。
我が国は世界でもっとも成功した社会主義国なのだ。
社会主義とはマルクスによれば共産主義への通過段階である。
むろんこの現代において暴力革命など看過されようはずもない。
しかし思想面においては着々と犯罪的暴力革命が進んでいる(ように思う)。
 
アメリカ型の個人自由主義にしろというわけではないが
あまりにも国が個人の面倒を見すぎている。
国民がそれに慣れすぎて、とんでもなく赤子になっている。
自覚なき思想革命の行き着く先はオーウェルの描き出した全体国家だ。
そして表面的にはそれに異を唱えながらも、安穏とむしろ嬉々としてそれを受容する。
そこに至り、ついに国家は国民一人一人の巨大なパーソナルスペースとなる。
(現代風に言えばエヴァンゲリオンの「ATフィールド」だ)
 
「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国に何をするかを考えてほしい」
といったのは誰であったか。
なぜ、この国にあってそのような考えを公で訴える政治家がいないのか。
理由は簡単。
国民一人一人、つまり我々一人一人がそれを許さないからだ。
着々と思想革命は進んでいる。
しかも犯罪的暴力革命だ。
 
私は教育の一端を担っている。
非常にもろく、しがない存在だ。
しかし水面に投げ入れられる石はいつだってもろく、しがない。
だがその波及たるや、決して消えることはないのだ。
同時代、同心円状に広がる波を作るべく、矮小ながらも尽力したい。
 

講師への指導

今、保護者会の準備で忙しい。
といっても自分自身の準備ではない。
他の講師の練習で、という意味だ。
 
塾講師といえば、日常的に「話すこと」を生業にしている。
しかも原稿などをただ読むというわけではなく
(理解力の劣る)相手に、できるだけわかりやすく
(集中が続かない)相手に、できるだけ興味を引くように
「話す」わけだ。
当然、そこには話術が必須となる。
 
講師には教えることへの熱意が求められるが
それは当たり前にできなければいけないことができた上での話。
教科知識や経験などを保有していることが大前提なのだ。
話すこともそう。
伝えたいという熱意は必要だが、話術がなければ意味がない。
空回りするだけ。
 
教員や講師というのは、周りから思われているイメージよりも
実は圧倒的に技能が足りていない者が多い。
熱意がない者も問題だが、
そもそも仕事を成立するに足る技能を持ち合わせていない場合があるのだ。
 
地道に愚直に努力するしかない。
しかし教員、講師は不要なプライドが異常に高い奴が多い。
「自分の授業が一番」「自分の話はおもしろい」「自分は好かれている」等々。
 
毎日のように指導しているが、若い講師は(決して若くない講師もだが)
「そんなにダメだったですか?」という表情でショックを受ける。
叱られた(事実は単なる指導だが)ということのみが残り、無用な同情を求める。
 
とても大変だ。
 
 

愉快な部下たち

塾講師というのは、一般企業のサラリーマン常識が通じない。
そもそもそういった教育を施されずに現場に入ることが多いため
他業種での就業経験でもないかぎり、なかなか酷いことになる。
 
ウチの新人講師たち。
私立高校の募集担当の先生が来訪し、名刺をいただく。
翌日、上司である私に渡さねばならぬところ
(私はその校舎での勤務日が毎日ではない)
自宅に忘れてきたとのこと。
名前を聞くと、「覚えてません」
風貌を聞いてもダメ。
手みやげを頂いているのに、お礼の電話もできない。
 
また、片づけるということができない奴も。
使ったテキストは出しっぱなし。
しかも至る所に散乱。
挙げ句の果てには「どこにいきましたかね」と俺に聞く始末。
「コピー機の横の棚に無造作に置かれているアレのことかね?」と返すと
天真爛漫な顔で「なぁ〜んだ、そこか」っときたもんだ。
 
領収書を、何回注意しても2、3枚複写して書いてしまう強者。
そうかと思うと、結構な頻度で4、5枚抜かして切っている。
「経理上問題になるから、時間がかかってもいいから落ち着いて」と言っても
改善の気配なし。
 
ちなみに彼ら、頭はいい。
いわゆる机上の「お勉強」は出来た子たちなのだ。
学歴など私が十人束になっても勝てない。
……で、これかよ(笑)
 
こうして私は楽しい日々を送っている。
 
 
 
 
 

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