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日本は比較的均質な人が集まっている社会なので、一人一人が違わないことが
平等であるという風に考えられている。
たとえば、教育にしても同じ年齢の子どもであればどこに住んでいても同じ教育が受けられることが平等だと考えられている。
しかし、多民族社会である欧米などは平等という考え方が日本とは少し違っているようである。
そもそも、人種も習慣も宗教も違っているのが当たり前の人たちが集まっている社会である。
学校の給食だって、宗教上の違いから食べるものが人によって違っている。
日本だったら、隣の子どもと給食が違っていたら差別だと大騒ぎだろう。
「違っているのが当たり前」という前提で考えるのと
「同じであることが当たり前」という前提での考え方ではちがいがあるのだろう、。
欧米では平等という考え方は、むしろ公平かどうかという考え方に近いようだ。
たとえば、ケーキを同じ等分に分けるのが平等であると思う日本に対して
その子どもの体力や、栄養面、あるいは十分な食事を与えられているかなど
それぞれの違いに応じて分け前が変わってくるのが公平であり
平等であると考えるのが欧米の考え方のようである。
アメリカでは個別教育プログラム(IEP)というのがあって
それぞれの人間ひとりひとりで学び方が違うというのが前提になっている。
だから、通常のカリキュラムの学習に適さない子どもは
特別な教育を受けることができるようになっている。
それは、障害で学習についてゆけない子どもだけでなく
天才的な知能の子供も、特別の英才教育を受けることが出来る。
それは、権利として要求できることであると人々は意識しているようだ。
日本でも障害者向けの特別支援学級というのはあるけれど
親たちの意識としては、権利としてそこに入れるのだというよりも
「周りの人と違っているから」という意識が強く
出来れば通常学級に通わせてもらいたいと思う親も多い。
普通でないと見られることは恥ずかしいという気持ちからだ。
人と違っていることは恥ずかしいという思いが日本人には強いのだろうか。
子供でも「みんなもっているから、買って」と物をねだる。
親も皆が持っているのに自分の子供だけ持っていないのはかわいそうと思う。
欧米だと「それはみんなもっているから、違うのを自分は買って欲しい」となるらしい。
人はそれぞれ違うというのが当たり前の社会では
いかに自分の考えをわからせるかが大事になる。
だからそういう意識の国では、議論とか討論とかが大切になるのだろうと思う。
皆が同じであることが前提の社会では
言わなくても察してくれるはずだと思うようで
空気を読むことが大切になるのだろう。
それから、同質の集まりは競争意識が強い。
常に相手と自分を比較して、勝つか負けるかを気にする。
日本は和を重んじるというけれど
それは同質な集まりのため、放っておくと争いごとが増えすぎるから
あえて和を重んじるように教育したためだとも言われている。
欧米と日本とどちらの考え方がいいとか悪いとかではなく
それぞれに考え方の特徴をよく理解して
自分の考え方だけが正しいのだとは思わないことが大切だろう。
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まったく仰る通りですね。
お気に入りにポチしました。また寄せていただきます。
私は同じようなことを「個性」の尊重という観点から記事をいくつか書いています。
2011/4/25(月) 午後 4:15
凡人さん、ありがとうございます。
個性の尊重。そのとおりですね。
あるがままを受け入れること。違っているからこそ、人それぞれに価値があるのですよね。
2011/4/25(月) 午後 6:44