みんな生きているんだなぁ。

もう少し、自分勝手に生きてもいいかも。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全70ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

休業します

突然ながら、申し訳ありませんが
このたび、ブログをしばらく離れることにしました。
このテーマで約2年、
たくさんの方と知り合えたこと、うれしく思っております。
また、再開できる日を楽しみにしています。
 
 長い間、ありがとうございました。

歯車

 人はみんな、どこかしら欠けている部分を持っている。
 長所もあれば、短所もある。
 まるで、歯車のようにでこぼこしている。
 だから
 自分ひとりの力でがんばっても
 でこぼこがあってうまく力が発揮できない。
 
 でも、
 歯車と歯車がかみ合うと大きな力が出るように
 お互いがお互いの足りないところ、欠けているところを
 補い合って助け合って生きようと手を結べば
 きっと、自分ひとりでは出せない力も生まれてくる。

普通って何?

 私の長男は自閉症です。
 
 自閉症の子供は、悪い事をしたら「叱る」良いことをしたら「ほめる」ことで
 社会性を身に付けさせるとか
 目的に向って我慢させたり、困難をがんばって乗り越えさせることで
 経験を積んで学ばせるとかいうようなやりかたは通用しないところがあります。
 
 私は、子供に接するたびに、いかに自分は自分の物差しで相手を判断しているのかということに気づかされます。
 
  私にとって有用な物差しであっても、相手には有用でない。
 相手には相手なりの世界がある。
 その当たり前のことに、いつも気づくのです。
 
 自閉症というのは障害であって病気ではないので
 治るとか治すものではありません。
 心の病気や、考え方の違いであれば矯正できるかもしれませんが
 それは、その子供の特性でありその子供と切り離すことが出来ないものだと
 考えています。
 そういう子供として、ありのままに受け入れるしかないのだと思います。
 
 とはいえ、そのままではなにかと社会生活を送る上で不便なので
 あれこれ、社会のルールを学ばせるのですが
 それは、普通じゃないから普通になれるようにするということではないのです。
 
 障害を持った子供は、学校でも特殊学級とか特別教室とかに所属して
 普通の子供とは区別されるのですが
 そもそも、普通って何を差すのでしょうか?
 
 何が特別で、特殊なのか、よくわかりません。
 
 普通といわれる子供だって、みんな少しづつ偏っていますし違っている。
 
 みんな違っていて、特別の存在で、
 それが普通じゃないだろうか。
 
 

平等ということ

 日本は比較的均質な人が集まっている社会なので、一人一人が違わないことが
 平等であるという風に考えられている。
 たとえば、教育にしても同じ年齢の子どもであればどこに住んでいても同じ教育が受けられることが平等だと考えられている。
 しかし、多民族社会である欧米などは平等という考え方が日本とは少し違っているようである。
 そもそも、人種も習慣も宗教も違っているのが当たり前の人たちが集まっている社会である。
 学校の給食だって、宗教上の違いから食べるものが人によって違っている。
 日本だったら、隣の子どもと給食が違っていたら差別だと大騒ぎだろう。
 「違っているのが当たり前」という前提で考えるのと
 「同じであることが当たり前」という前提での考え方ではちがいがあるのだろう、。
 
 欧米では平等という考え方は、むしろ公平かどうかという考え方に近いようだ。
 
 たとえば、ケーキを同じ等分に分けるのが平等であると思う日本に対して
 その子どもの体力や、栄養面、あるいは十分な食事を与えられているかなど
 それぞれの違いに応じて分け前が変わってくるのが公平であり
 平等であると考えるのが欧米の考え方のようである。
 
 アメリカでは個別教育プログラム(IEP)というのがあって
 それぞれの人間ひとりひとりで学び方が違うというのが前提になっている。
 だから、通常のカリキュラムの学習に適さない子どもは
 特別な教育を受けることができるようになっている。
 それは、障害で学習についてゆけない子どもだけでなく
 天才的な知能の子供も、特別の英才教育を受けることが出来る。
 それは、権利として要求できることであると人々は意識しているようだ。
 
 日本でも障害者向けの特別支援学級というのはあるけれど
 親たちの意識としては、権利としてそこに入れるのだというよりも
 「周りの人と違っているから」という意識が強く
 出来れば通常学級に通わせてもらいたいと思う親も多い。
 普通でないと見られることは恥ずかしいという気持ちからだ。
 
 人と違っていることは恥ずかしいという思いが日本人には強いのだろうか。
 子供でも「みんなもっているから、買って」と物をねだる。
 親も皆が持っているのに自分の子供だけ持っていないのはかわいそうと思う。
 欧米だと「それはみんなもっているから、違うのを自分は買って欲しい」となるらしい。
 
 人はそれぞれ違うというのが当たり前の社会では
 いかに自分の考えをわからせるかが大事になる。
 だからそういう意識の国では、議論とか討論とかが大切になるのだろうと思う。
 皆が同じであることが前提の社会では
 言わなくても察してくれるはずだと思うようで
 空気を読むことが大切になるのだろう。
 
 それから、同質の集まりは競争意識が強い。
 常に相手と自分を比較して、勝つか負けるかを気にする。
 日本は和を重んじるというけれど
 それは同質な集まりのため、放っておくと争いごとが増えすぎるから
 あえて和を重んじるように教育したためだとも言われている。
 
 欧米と日本とどちらの考え方がいいとか悪いとかではなく
 それぞれに考え方の特徴をよく理解して
 自分の考え方だけが正しいのだとは思わないことが大切だろう。
 

ひとりでいても大丈夫

 がんばりすぎてしまうのは、十分だと思えないからです。
 まだまだこの程度では、相手の期待にこたえられない、 
 相手の要求にかなわない。
 相手の期待や要求にこたえられなければ
 自分は相手に認められない。
 そういう脅迫的な思いが、疲れているのに自分を休ませない。
 
 相手は「お前のためを思えばこそ」と言うかもしれない。
 「お前に期待しているからこそ」と言うかもしれない。
 でも、お前のためとは言いながら
 決して相手の気持ちを大切にしているわけじゃない。
 ただ、自分の思いや期待を大切にして
 思い通りに相手を動かしたいだけのこと。
 
 だから、もう相手の期待に振り回されるのは止めませんか。
 人を当てにして幸せになろうなんて、止めませんか。
 
 花は誰かにほめられたくて、認められたくて咲いているのではありません。
 春が来たことがうれしくて、楽しくて、幸せだから
 一生懸命に咲いているのです。
 自分が幸せで、楽しいから
 周りの人も楽しくて幸せになるのです。
 一人でいても幸せだから、誰かといても幸せになれる。
 
 自分の不幸を誰かに埋めてもらおうと思っていれば
 誰といても幸せになれない。
 そう思うのです。
 
 大丈夫、ひとりでも満たされる。
 大丈夫、ひとりでも幸せになれる。

全70ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
あすなろ
あすなろ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(9)
  • 黎
  • rocoroco
  • MAKI
  • チコ
  • ★
  • makibuu
友だち一覧

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事