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がんばりすぎてしまうのは、十分だと思えないからです。
まだまだこの程度では、相手の期待にこたえられない、
相手の要求にかなわない。
相手の期待や要求にこたえられなければ
自分は相手に認められない。
そういう脅迫的な思いが、疲れているのに自分を休ませない。
相手は「お前のためを思えばこそ」と言うかもしれない。
「お前に期待しているからこそ」と言うかもしれない。
でも、お前のためとは言いながら
決して相手の気持ちを大切にしているわけじゃない。
ただ、自分の思いや期待を大切にして
思い通りに相手を動かしたいだけのこと。
だから、もう相手の期待に振り回されるのは止めませんか。
人を当てにして幸せになろうなんて、止めませんか。
花は誰かにほめられたくて、認められたくて咲いているのではありません。
春が来たことがうれしくて、楽しくて、幸せだから
一生懸命に咲いているのです。
自分が幸せで、楽しいから
周りの人も楽しくて幸せになるのです。
一人でいても幸せだから、誰かといても幸せになれる。
自分の不幸を誰かに埋めてもらおうと思っていれば
誰といても幸せになれない。
そう思うのです。
大丈夫、ひとりでも満たされる。
大丈夫、ひとりでも幸せになれる。
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自分らしく生きる。
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禅宗に大きな苦痛を抱え、一時も安らぎを得られない若い修行僧の物語がある。
苦しんだ修行僧は、師に助けを求めた。
すると師匠は水を入れた茶碗に匙一杯分の塩を入れてかき混ぜ、一気に飲み干すように言った。
もちろん水はひどく塩辛かった。
次に師は、地面からぼこぼこと湧き水を噴出している泉を指差して言った。
「その泉に、匙一杯分の塩を注ぎなさい」
師匠に言われて、その水を飲んだ修行僧は、塩の味がごくわずかであることに気づいた。
「問題は塩ではない」と師匠は言った。
「問題は入れ物なのだ。そなたがすべきなのは、入れ物を大きくすること」
「人生という名の手紙」 ダニエル・ゴットリーブ著より
悩みや不安はあって当たり前なのです。
他人から見れば、つまらないようなこと、取るに足らないようなことで
悩んでいるように見えるけれども
そういう些細なことにこだわって悩んでしまうのが人間なのだと思います。
ですから、悩みや不安を持たない人間になろうと無理するよりは
生きている限り悩みや不安はついてまわるものと受け止めて生きるほうが
不安も少し和らぐ気がします。
さて、悩みや不安はなくならないものならば
それとどう付き合うかを考えなければなりません。
大切なことは、悩んでいる自分、不安な自分が自分の全てでないということです。
それは、自分の人生の一部に過ぎないのだということです。
その悩みや不安によって自分の人生が決まってしまうことはない。
不安があっても、大丈夫。
悩みを抱えながらでも、なんとなかる。
悩んだり不安なときはどうしても世界が狭くなりますが
自分の世界はそんな悩みや不安で崩壊してしまうほど小さな世界ではないのだと
自分を信じることも大切だと思います。
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あるカウンセラーによると、男女が別れたい理由のうち
外見が要因になったケースは極めて少ないということです。
つまり、相手が太ったからとか、禿げてきたからという外見上の理由で
別れる人はほとんどいない。
確かに、美男美女は周囲の注目を浴びやすいけれど
相手とつきあうかどうかは別の問題です。
美男美女でなくても、人間的に魅力がある人とは
長く付き合いたいと思うものです。
外見が悪いから人に好かれないと思うのは
本人の錯覚に過ぎません。
それから、自分に自信がない人の中には
自分に関係の近い人を高めることで自分の価値をあげようとする人もいます。
たとえば、人がうらやましがるようなパートナーと付き合うことで
自分の価値をあげようとする。
あるいは、自分の子どもを優秀な子どもに育てることで
その親も尊敬されようとする。
あるいは、有名人と知り合いであることを宣伝して
自分を見る周囲の目が変わると思い込む。
でも、それは錯覚です。
自分に関係する人の価値が上がっても自分の価値があがることはない。
そう思っていないのは、本人だけです。
どんな学歴があろうが、容姿が優れていようが
だれと知り合いであろうが
本人価値とは無関係です。
でも、自分の問題になるとそのことがわからなくなってしまいます。
それは、自分の顔に出来た小さなにきびのよう。
自分では気になって仕方ない。
変な顔になっているのではないか、笑われないか
気になって仕方ない。
しかし、周りの人からすれば
たいした問題ではないのです。
見た目の問題なんて、本人が思っていいるほど
周囲の人は重要視していない。
それより、中身です。
いくら、見た目で勝っていても
中身が空っぽでは、誰も相手にしてくれません。
逆に、中身さえ良ければ外見なんてたいした問題ではないのです。
ちいさなにきびのことで、あんまり悩まないことです。
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怒りの感情に支配されているとき
自分の頭の中を観察してみると
いかに自分を正当化しようと思考しているかに気づく。
悪いのは相手であって、自分ではない。
だから、この怒りは正当なもの。
なんとかして、相手に非があることを証明したくて
いろんな理屈を考え続ける。
誰に対して、自分の正当性を証明したいのかは分らないけれど
反論されないように理屈を組み立てている自分がいる。
でも、そんな時
「私は何を期待していたのだろう?」と自問してみる。
すると、感情の渦に溺れていた自分が
少し冷静になれる気がする。
感情は期待との関係から生まれるという説がある。
怒りは、期待通りに行かなかったときの感情。
喜びは、期待していることが手にはいったときの感情。
不安は、期待通りにいかないのではというときの感情。
悲しみは、期待していたことを完全に失ってしまったときの感情。
感情に流されてしまったとき
ふと、そんな考え方を思い出してみる。
そうすると、感情の渦の中でもがいていた自分が
ふと、その渦から抜け出して岸辺に立つ。
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何かが欲しい おいら
それがなんだかは分らない。
だけど、何かが足りないよ。
今の自分もおかしいよ。
吉田拓郎「人間なんて」
かつて「普通の女の子に戻りたい」と
解散した人気アイドルトリオがあった。
彼女たちは、普通の女の子で終わってしまうのが
何か自分の人生にとって足りないと思ったからこそ
芸能界に入ったのではなかったのか。
それなのに、なぜまた平凡で退屈と思っていたかつての人生に
戻る選択をしたのだろう?
結婚すれば、何かが変わるかもしれないと
結婚したものの
どうも違う。
自分の求めていた生活はこれではない。
そう思うのは、たぶん結婚相手が悪いからだ。
もっと違う相手であれば、きっと自分は満たされる。
そんな違和感を感じている人もいる。
そして、自分の進むべき道はほかにあるはずだと
離婚してしまう人もいる。
何かが違う。
他に何か自分が満たされるものがあるはずだ。
でも、それが何なのかは分らない。
自分がなにを望んでいるのか、何を欲しがっているのかは分らない。
ただ、漠然と他に自分にあった道があるはずだと信じている。
本当の自分探しというのも、同じような気持ちから出てくるのだと思う。
今の自分は、本当の自分を生きていない。
では、本当の自分って?
それは分らない。
ただ、今の自分は本当の自分ではないと
漠然と不安に思って、焦っているだけ。
探し物は何ですか?
まだまだ探す気ですか?
そんな風な歌が昔流行ったっけ。
今、ここに生きている自分。
その姿以外の自分はないのである。
今、生きているこの現実の自分以外に
本当の自分の生きかたがあると思うのは幻想に過ぎない。
だから、いくら探しても見つからない。
もともとないものを探そうとしているから
いくら探しても見つかるわけがないのです。
ほかに何かあると思うから迷うのである。
他に何もないのだと悟れば
そこで踏みとどまって生きるしかない。
何かを手に入れなければ幸せになれないわけではない。
何かが足りないから不幸なのでもない。
そう考えることが、自分を幸せから遠ざけている。
探すのを止めたとき
見つかることもよくある話。
井上陽水「夢の中へ」
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