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雨の日には雨の中を
風の日には風の中を
相田みつを
はっきりとしていることは、生きている限り不安やストレスはなくならないということです。
いくら、頭で「その不安は、不合理だ」と理解しても
そのことで不安がなくなるわけではないということです。
現に今、不安やストレスを感じているのであれば
そのことを受け入れて生きてゆくしかないのでしょう。
よほど、自分がエネルギーに満ちている状態でなければ
不安や恐怖に抵抗したり立ち向かうことは
却ってストレスを大きくさせてしまうように思います。
基本的な態度は
不安と共に生きてゆくということ。
不安やストレスはあって当たり前だと受け入れて
それに飲み込まれないように、距離をとる術を身に付けることなのでしょう。
それは、たとえるならば
雨の日に傘を差して歩くようなこと。
自分を守る傘を見つければ、
たとえつらくても何とか生きてゆけるような気がします。
でも、時々、
傘を広げる気力もないほど打ちのめされることもあります。
そんなとき、私は開き直って濡れるがままに歩きます。
どんなに惨めでも、情けなくても
ただ、生きていればそれでいいではないか。
その一念だけを見つめて淡々と日々をやり過ごします。
明日がどうなるかなんて、考えない。
なんとかしようとも思わない。
これでいいのか悪いのか、判断することも止める。
ましてや、誰かに認められようとか
価値ある人生がどうだとか、
そんなことは、どうでもいいのです。
こんな生き方はみじめだとか、かっこ悪いとか
余計なことを考えたり、生き方を選択しようとするから
苦しみに足元を救われるのです。
馬鹿にされようが、ののしられようが
びしょぬれになりながらも
なんとか今日を生き延びた。
それで、十分ではないでしょうか。
それ以上を期待しない。
ただ、淡々と
雨の日には雨の中を
風の日には風の中を
歩いていけばいいのです。
明日のこと、将来のことを考えるより
とにかく、今日を生き抜く。
つらいときは、つらいままに
うれしいときは、うれしいままに。
それは、川の水が
汚水の場所も清水の場所も選ばずに流れてゆくように
来るものを拒まず選ばす
ただ、生きるということ、その事のみを見据えながら。
そんな風にしながら
なんとか今日まで生き延びてきたように思います。
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気持ちを切り替える
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人間関係の場に身を置いたとき
自分に自信がもてないと、自分が試されているように感じて
落ち着きません。
相手が自分のことをどう思っているかが気になって
コミュニケーションを楽しむこともできず
早くこの場から逃げたいという気持ちばかりがつのります。
対人不安が強い人は
人と会うのが楽しいからそこにいるというよりも
ひとりでいると自分がみじめに見えるから
そう見られるのは恥ずかしいから
仕方なくそこにいるという意識が強いのではないでしょうか。
人とつきあわないでいると
変人と見られる。
そういう世間体や体裁を意識しすぎて
コミュニケーションを楽しむことができません。
相手は自分が気を使っているほどには
自分に気を使っていないものです。
だから、無理してまで相手に気を使う義務なんてないのです。
みんなと同じように適当に、いい加減に
相手の話にあわせてうなずいていればいいのです。
それから、自分の人生ですから
自分が楽しいと思うことを優先して生きていいのです。
いくら自分が相手に気を使っても
世間体に合わせて生きても
だれも最後まで自分の面倒をみてくれるわけではありません。
体裁を繕ってその場だけ周りと合わせて生きるような人生では
いつまでたっても心が満たされることはないでしょう。
ひとりでいるほうが楽しいと思えば
ひとりでいればいいのです。
話したくなったら人と会えばいいことです。
それが人とコミュニケーションが取れない人間は
社会から置き去りにされるという不安があるので
半分義務のように人と付き合わねばならないと思い込む。
それでは人と関わることが苦しくなって当たり前です。
社会では必要に迫られて
人と関わらなければならないこともあるでしょう。
でも、コミュニケーションの基本は
自分がそれを楽しいと思い、関わりを望むからこそ
人と付き合うのです。
社会人として取り残されるのが怖くて、関係を結んでいるのではないのです。
今の自分にとって、コミュニケーションが楽しいと思えないのならば
必要で付き合うこと以外に
無理に関係を作る必要などないと思います。
世間体を繕う生き方をするよりも
自分が楽しいと思えることを追いかける。
そういう生き方に転換してみてください。
わがままでしょうか?
でも、対人不安や対人恐怖を抱えて生きていることで
人とコミュニケーションをとらなかったとしても
それが誰かに迷惑をかけているでしょうか?
自分で自分を許せない?
世間の人と同じに出来ないから?
では、自分を苦しめることが自分を許すことなのでしょうか?
自分が自分の楽しいを追いかけないこと。
自分が心の中で嫌だと思うことを無理にしようとしていること。
それって、自分に対する裏切りではないのでしょうか。
だから、心が苦しいよと悲鳴を上げているのではないでしょうか。
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世の中に、嫌なことはなくならない。
だから、嫌だと思うことから逃げて一時的に楽にはなっても
また同じような嫌なことに遭遇する。
そこである人は
嫌なことはその人の果たすべき課題であると言う。
その課題を果たすまで、繰り返し嫌なことは表れるのだと言う。
確かに、嫌なことから逃げれば逃げるほどそのことが怖くなる。
逃げずに立ち向かえば、案外恐れていたほどのこともない場合もある。
挑戦してゆくうちに、最初の恐怖心が薄らいでゆく場合もある。
では、嫌だとストレスを感じることには逃げずに立ち向かえばいいのだろうか。
まじめな人ほど、逃げることでは解決しないと思って
嫌なことに正面から立ち向かおうとする。
しかし、
嫌なこと、恐怖を感じることに立ち向かえば向うほど
ますますそのことに対する耐性が低下して
些細なことにも敏感になって、耐えられなくなる場合もある。
あげくに「逃げたらダメだ」と自分を追い込みすぎて
ストレスで心身症に成ってしまうこともある。
逃げてもダメ、立ち向かってもダメ。
いずれにしろ、生きている限り嫌なことはなくならない。
この社会の中でストレスを感じることは仕方ないことだと割り切って
逃げもせず、戦いもせず淡々と受け止めて行くのが一番いいのかもしれない。
山登りをすると、山に興味のない人は
「なぜ、わざわざ疲れることをしなければならないのだ」とぼやきながら
嫌々頂上を目指し、
「やっぱり、行かなきゃ良かった」とストレスと疲れを貯めて返ってくる。
でも、同じ疲労を味わいながらも山の好きな人は
「おいしい空気や、珍しい高山植物に出会えた。
山の頂上からのながめは最高だった」と
リフレッシュして家路に着く。
この違いは、状況を楽しめるかどうかの違いである。
あるいは、楽しみの感性があるかどうかの違いである。
嫌な上司の元で働いていても
そのことのストレスに押しつぶされるかどうかは
他に楽しみを見つけられるかどうかの違いである。
楽しみの感性の高い人は、嫌なことがあってもほかに楽しいことがたくさんあるから
嫌なことの比重が相対的に小さくなる。
でも、他にあまり楽しみのない人は嫌なことの比重が大きいので
嫌なことのストレスを重く感じる。
だから、日ごろから楽しみの感性を養っておくことが大切だと思う。
それには、自分を楽しませてくれるものが訪れるのを待っているのではなく
自分で楽しいことを探しに行く、見つけ出す、作り出す。
そういう心がけが大切だと思う。
それが、やがて自分の楽しみに対する感性を高め
ストレスに強い自分を作る。
戦うのでも逃げるのでもなく
楽しみに対する感性を高めてゆく。
ストレスに押しつぶされないためには、こういうやり方もあると思う。
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本当にどんなつらいことでも
それが正しい道を進む中での出来事なら
峠の上りも下りも
みんな本当の幸福に近づく
ひとあしずつです。
宮沢賢治
人はみんな幸せになるために生まれてきたのだと思います。
そして生まれてきたということは、
幸せになれる資格をすでに持っているということだと思います。
だから、自分の身に起こることは
どんなにつらい出来事であっても
幸せになるために必要なことだと思うのです。
幸せの形は、ひとつではないし
それぞれその人にあった幸せの形がある。
だから、自分の生き方を人と比べる必要はないし
人の幸福をうらやましがる必要もないのです。
ただ自分らしく生きる。
自分らしく生きるということは
自分のペースで、自分に無理のない生き方をする
そういうことだと私は思います。
それが、自分にとって正しい道であり
幸福に近づく道だと思います。
だから、何も心配しなくてもいいのです。
流れに身を任せていれば
訪れるものを素直に受け入れて放してゆけば
川の水がやがて大海にたどり着くように
いつか幸福にたどり着く。
そして、その時
あのつらい出来事も、あの苦しい出来事も
みんな幸せにたどり着くために必要な出来事だったんだなと
気づけるのだと思います。
何かあるとすぐ「もうダメだ」と思ってしまう人がいます。
でも、そういいながらもう何百ぺんもその人は
「もうダメだ」を乗り越えてきたんです。
それは、いつも天が守ってくれているからですよ。
だから、今度のことも大丈夫。
次も大丈夫。
その次も大丈夫。
死ぬまで大丈夫だから、安心してくださいね。
斎藤一人
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自分なりの楽しみを見つけてみる。
生活に自分なりのこだわりを持ってみる、
すると、そこに自分の世界が広がってゆく。
自分の世界が広がると、そこに居場所が出来る。
もう、外に居場所を求めなくてもよくなる。
パワースポットが注目されています。
お金と時間があれば、そういう場所に足を運んでみるのも楽しいと思います。
でも、遠くまで足を延ばさなくても、自分の身近なところでも
癒しの場所は見つかります。
たまには、いつもと違う道を歩いてみる。
きっと、身近なところに自分だけのお気に入りの場所が見つかるはずです。
そういう場所が近くにあることを発見すると、とても楽しい気持ちになります。
足元に転がっている石でさえ、楽しみを与えてくれます。
私の友達には、石に絵を描くことを趣味にしている人がいます。
これが結構、素敵な作品になるのです。
グラスに絵をかくことも出来ます。
ちょっとしたお気に入りのイラストでも描けば
自分だけのオリジナルのグラスが出来上がります。
絵を描くのが苦手な人は、筆で字を書いてみるのはどうでしょうか。
最近は、カラーの筆ペンもあります。
文字アートといって、デザイン的な文字を書くのです。
自分なりのオリジナルな書体ができると、楽しいものです。
ベランダで、ハーブを育てオリジナルのハーブティを味わうのも楽しいものです。
お酒の好きな方は、自分でビールやお酒を作ってみるのはどうでしょう。
意外と簡単に出来るのです。
客人を、マイビールでもてなすなんて、考えただけで楽しい。
動物好きなら、近所の犬や猫と知り合いになって
動物の友達を増やしてゆくのも楽しそうです。
空ばかり映っている写真集があります。
空の表情は、時間ごとに変わってゆきます。
雲のかたちも、さまざま。
お気に入りの空に出会ったら、コレクションしていくのも楽しいものです。
パソコンと画像処理のソフトを使えば
自分だけの観光名所、空想世界が作れます。
誰も知らない自分だけの観光地をつくって、オリジナル絵葉書を作ってみるのも楽しそうです。
お金をかけなくても、
特別なことを学ばなくても、
小さな楽しみは、探せばあるものです。
そういう、小さな楽しみをいくつも持ってみる。
そして、自分のしていることを自分で面白がってみる。
それができるようになると、きっと、毎日が変わってゆきます。
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