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突然ながら、申し訳ありませんが
このたび、ブログをしばらく離れることにしました。
このテーマで約2年、
たくさんの方と知り合えたこと、うれしく思っております。
また、再開できる日を楽しみにしています。
長い間、ありがとうございました。
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つぶやき
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人はみんな、どこかしら欠けている部分を持っている。
長所もあれば、短所もある。
まるで、歯車のようにでこぼこしている。
だから
自分ひとりの力でがんばっても
でこぼこがあってうまく力が発揮できない。
でも、
歯車と歯車がかみ合うと大きな力が出るように
お互いがお互いの足りないところ、欠けているところを
補い合って助け合って生きようと手を結べば
きっと、自分ひとりでは出せない力も生まれてくる。
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人にはそれぞれの課題というものがある。
そして、その課題は自分で乗り越えなければならないものだと思う。
誰かが代わりに解決したのでは
それは、自分の成長にはならない。
でも、時として
その課題が、人に助けを求めることだったりする。
私は、「人に迷惑をかけてはならない」
「自立した人間にならなければならない」と教えられて育った。
そのため、どんな困難であっても自分で解決しないとならない、
人に頼ってはならないと思っていた。
そうしなければ、自立した人間になれないと思っていた。
でも、
自分で解決できないことを、誰かに助けを求めること
困ったときに誰かに支援を求めること
そういうことが出来る人間が、
真に自立した人間なのだと
大きくなってから気づいた。
「人に助けを求めること」
それが、私にとっての課題だったのだ。
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クレーマーのように、自分の都合や利益を優先させようと
相手に攻撃的に迫る人もいれば
自分の権利を主張して当然と思われる場面でも
「すいません」と謝ってしまう人もいる。
気軽に同僚に話しかけることができる人もいれば
「おはよう」のひとことさえ言い出せない人もいる。
人によって、ハードルの高さが違う。
そのことが分らない人は
みんな自分と同じハードルの高さだと思っている。
だから、「皆がきちんとできるのに、なぜ、お前だけが
出来ないのだ」と相手を責める。
結果だけを見て、さもすべてを分ったかのように
「それは、お前の努力が足りない」
「甘えているからだ」
「考え方を変えた方がいい」などと
説教を始めたりする。
自分にとって、苦もなく越えられるハードルも
ある人にとっては、必死になっても超えられない場合だってある。
「がんばっていないように見える」のは
相手をきちんと見ようとしていないからだと思う。
見ようとしなければ、何も見えない。
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相手によって、距離を変えて付き合ってもいいのだと思います。
この人とは、形式的に付き合おうとか
この人には、ほんの少し自分の素顔を見せてみようとか
この人には、ここまでにしておこうとか
そうやって、相手によって自分の距離を変えてゆく。
誰に対しても誠実であろうとする。
誰に対しても本音で付き合おうとする。
それは、自分をわかってもらいたいという想いからだとは思うけれど
相手に自分のすべてをわかってもらおうというのは無理なこと。
この人にはわかってもらえなくても構わない。
この人には、自分のこの部分だけでもわかってもらえたらいい。
この人とは、わかりあえる部分だけで付き合おう。
そんな風に、いろんな付き合い方をしてゆけばいいのだと思う。
最初から完璧な関係を求めない。
そのうち、距離が縮まってゆくこともあるのだから。
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