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以前の記事に書いたかもしれませんが、競輪を題材にした物で佐世保在住の佐藤正午さんの書かれた本、
「永遠の二分の一」が書店に無くって探しまわった事があります。
取り寄せすればいいのですが、色んな店で探す時間もまた楽しみのうちなんですね。
そんな訳で、大阪は梅田の旭屋さんで発見した時は本当に嬉しかったものです。
実際に読んでみたら、ごく普通のものでしたがww、でも探す楽しみもあったのでチャラでしたw。
画像は汚い私のデスクですが、何故か英和辞書があります。
これは30年前ぐらいの物だから、娘のを貰ったのかもしれません、平成6年からここにいますw。
部品の説明書きで英文のが結構あるので、そんな時に使っているのですね、最近はPCのエラーの時の
メッセージの分らない単語などを調べています。今、開かれているページは「シール」を調べた時の
もの(数年も前ですよww)その時に右側に「シーズン」がありました。
「こんなん知ってるがな〜四季やんww」と読んでいると、違う使い方で「味付けをする」がありました
これは、この時まで知らなかったのです、一つ利口になったわけですねww。
つまり、この二つのお話で何が言いたいかというと、本にはそれなりの人格みたいな物があるので、
書かれている事もそうですが、存在自体にも素敵な部分があると思うのです。
辞書は、ある単語を引いていると、必ずその付近にも目がいきますね、そして新しい単語を覚えます。
つまり、水平展開するんですね、これがネットなどの検索では、こうならないんです。
ネット環境でも本は読めます、でも実際の書物は、寝ころんでみたりww大事に拭いてみたりと、
それ自体に存在感があるとは思いませんか?たまにはヘソクリを挟んだりww。
先日の日経のコラムで、このような事が書いてあったので、私なりですが記事にしてみました。
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