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最近、周りから多くのことを見たり、聞いたりしたことが、
自分の中で、宝物になって 重ねてある。
しかし、まだ、自分の物に成ったのは 一つもない。
実践を通して、自らその宝物自体に 成らなければ、ならないからだ。
それで、一旦、その中から 今、私が一番必要なことを探して
一つ出して、実践して見ようと決めた。
それは、「今 私がいるここで、やることを考えたら、直ぐ動いてやる。」事だ。
これは、人としての私に 一番必要な事と同時に
現在、自分にとって 最も 弱い部分であった。
これから、これを 自分を中心にして、全てのことを見ながら 実践して見ようと思った。
最初に、やったのは、シャワーのことだ。
最近、何ヶ月間 仕事を辞め ほとんど 家に居るようになって、
日常生活が かなり 自由になった私は、見える環境より
見えない自分が 気に入らない事に 気が付いた。
外出しない時は、家で あれこれやりながら、疲れて 眠くなったら、シャワーを しようとする。
そしたら、急に 眠くなり、洗うか どうかのことで 迷いが始まる。
眠いのに、無理して 洗うようになると、眠気がなくなり
再び、眠くなるまでは 時間がかかり いらついて 体も重くなる。
これが嫌に成って、そのまま 寝るときは、気持ちが悪くて
睡眠が浅くなり、朝までは 何回も起きて 寝たりして、
気持ちが良い朝を 迎えることも出来ない。
それで、結論を出してやったのは、眠くなったら寝て
深く眠れず 起きたら、その時に洗って寝るようにとした。
そうすると、一日の始まりが 午後になってしまう。
こんな自分が 気に入らないけど、それでも これを必要とする私を
このまま 「そうなんだ」と、受け止めるしかなかった。
こういう風にやって来て、「今 やることを思ったら 直ぐに動いてやる」ことを考えて、
さっそく、適応したことになった。
「そうだ、今 洗おうと思ったら 全てのことを止めて そのままやる。」
これだけに 思いながらやると、何の葛藤もないで洗い、何の考えもなしで、寝るようになった。
朝 起きたら、さっぱりした感じで 体も軽くなって 気分が良かった。
「そう! これだ、これ!」 この はっきりした感覚に、喜んでいた。
こんなに、簡単で 単純なことなのに、あんなに 苦労したなんて…
その日は、一日中気分が良くて、目に見える いろんな事をやり遂げた。
その時の問題は、後で 分かったけど、その時の失敗は、
実践の感覚に付いて、いろんなことが 分かる様になった。
一回 実践を通して その感覚を分かったら、その感覚の紐を攫んだら、
離さずに 自分に安定するまで、全ての部分に 攫んだ感覚を 使わなければ、ならないのに。
どんな 状況になっても、今 やっていることを 忘れちゃいけないのに、
そのことを通して、人としての自分が見えて 成長させることができるのに、
「やっと出来た、こうゆう感覚だ。」と 安心して、他の事を 考えを始めた。
今 必要な事でも無いのに、急に 大阪お姉さんの言ったことが 思い出した。
「人間の世界では、いくら悪い人間だとしても 人に成れる要素が
一つ位は、皆 持っているね」と 言った。
それを 今 考えたら、おそらく、相手の為の思う心だと 考えた。
こういう場合は、「そうなんだ」と認め、そのまま切り、
人としての 自分の意思を持って、今 やっていることを中心にし、
また、続きをやって行かなければ ならないのに。
最後まで やってもないのに、瞬間に忘れてしまって、他の思いに 入ってしまった。
その日の夜は かなり疲れて、シャワーもせずに 眠ってしまった。
朝 起きて 鏡を見ると、黒っぽくなった肌が、
ほこりと皮脂で 詰まっちゃって 息苦しく感じた。
「そうだ、今からは 肌の為に 必ず、洗って寝るようにしよう。」
寝たくて寝ることじゃなく、相手の肌のことを考えて
洗って寝るようにと、思うようになった。
今になって 考えて見たら、その前にやったことと比べると 感動や喜び、確信も無かった。
その 次の日、大阪お姉さんからの電話があって、
その時 現在にやっている事で、二回目の シャワーの件を話した。
急に 静かになったお姉さんは、「そなんだ」と 言って 電話を切った。
その 反応で、さっそく 自分の中で 何を間違えたのか 探し始めた。
もう すでに、私は 分かっていた。
いつもの 習慣のことである 苦労して探すより、
微妙なことを確認がしたくて、ただ 知っているような人に 聞いて見たかった。
でも、直ぐに ここで、これからの自分は どうするべきかを 分かっていた。
頼る前に はっきり分かるまで、続けて努力してみること。
それでも 分からない場合は、聞きながらも、諦めずに最後まで やって行くことを…
それで、自分の心を確認して見たら よく 分かるようになった。
何かの為の心は 今の私がやることじゃなかった。
それに 相手の為の心は、人の心ではなかった。
相手を思って 口に出すだけで、私はもう 自分の所から 離れていることだ。
自分の口から 自分以外のことが出たら、もう 自分じゃない証拠だ。
人は いつも、心と体が 一体になって 動いてなければ、
人だとは言えないことを、もう一度 確かめて見る。
外側から見ると、二つの実践の違いは 良く 分からないかも知れない。
探しにくいけど 私を中心にして見れば、はっきりと見えることだ。
最初の方は、私が 今 やる事を考えて やったことで、
二つ目は、自分の意識と関係のない 自然に出てきた思いで、
体がいるその時の 状況にもあってない、相手を思ってやったことだ。
それと、その 結果が違うし 感覚も違った。
はっきりと違うことが見えて、分かるようになった。
思ったことを 直ぐやろうと考えて、同じように 実践したことだけど、
中心をしっかりと 持ってやることと、そうじゃないことの差が 実感出来た。
そう、中心なのだ、中心! もちろん、自分がやる事の この紐を
人としての自分が 完全になるまで、
自動になれるまで、緩めても 離しても いけない。
もしかしての失敗で、攫んでいた紐を 手放すようになり、
道を迷ってしまうように なったとしても、
まさかの自分が、違う方向に向かって 気が付かず いくら行ったとしても、
それを 分かった瞬間から、心を 空に作って 自分の場所に戻り
最初からの心にして、始められる。
必ず、初心に戻って 覚悟を決め、やって行く中心を考え 探し出して、
その中心を持って、人としてのその目的に 向かって 行かれる。
やっと、自分の根っこが 生える事に 感じられる。
生えたばっかりの 弱い根っこなので、抜けて落ちないように
ちゃんと 育つ為にやることは、実践する努力に 頑張ることだ。
もう一度、 人としての 心を成長させていく事を
強い意志で覚悟を決め、今 やることを中心にして 出発してみよう!
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