「人」の世

このブログは「心」を成長させていく人たちの話です

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

心の成長に対して、いろんなことを聞きながら、

自分なりに やって見ようと思って やったつもりだけど、

それが どんなことか、まだ はっきりと、よく わからない。



ときどき 妻に、「今日の心はどう?」と 聞かれて返事したけど、

実際は 心を見て返事したことか、体の行動を見て返事したことなのか、
 
それ自体も、よくわからなかった時が多い。

心の成長をしょうと やっていながらも、自分の心なのに よくわからないことが多い。

心なのか 体の動きなのかの正確な区別も、よく出来ない。



それで、心を見ようと集中してみたら、非常に小さな心であって、

見ることも 難しいことに 気が付いた。

本当に、あまりにも ちっちゃすぎて、あるのか どうかも、よくわからない心だった。

おそらく、この小さな心が、人になろうとする心だと思った。

だから 妻は、「心は 自動的に大きくなるものじゃなくて、意識を持って 自ら、

成長させなきゃならない」と、言いたんだ。

そして、こうすることが 人としての当然にやることだとわかった。



これからは この小さな心を 成長させるためには、

「はい」の心を 造って行かなければ成らない。

全てのことを 「はい」の心で見ながら、そのまま動いて、

実践して行かなければならないと、妻に聞いた。

それで 私の考えを入れず、聞いたままに やってみようとした。



ある日、妻が近づいて来て 聞く、

「あなたは 何の為に、心を成長しょうと思うの?」

その当時には、自分の考えを入れず、「はい」の心で やろうとした時だったから、

「観念を無くそうとするためだ」と、自然に出てきて 言うことになった。

瞬間、妻は、かなりあきれたようだった。

「私が いつあなたに 観念をなくさなきゃならないと、言ったことあるの?」

考えて見たら 一度もなかった。



あれほど 自分の考えを 入れないようにと 努力していたのに、

瞬間に、思いやりも無く 言ってしまった。

その時に 妻に聞いて、 知るようになったことがあった。

習慣的に出て来る私の考えは、「そうなんだ」と 言って、認めながら

人としての考えをして 行くことを言ってくれた。



そんなに 自分の思いがいやで、 否定ばかりしながら 考えないようにすると、

その考えは 動かないようにと 固定され、反復的に現れるしかないから

肯定して、プラス方向に 向かって 考えて行かなければ ならないことであり、

それが 人が思うことで、発展が出来て成長して行く事だとわかった。



また、何日か経って 妻が聞く、

「あなた、心を成長させようとする、その目的が何なの?」

「…」 何の思いも 出てこない。

「そしたら、何の為に心の成長をしょうとするの?」

「…」 考えたこともないから わからない。



「そんな確実性のない心をもっているから 返事が出来ないでしょう、

そうするから 発展も出来ず、いつまでも 足踏み状態でいるんじゃない、
 
そんな適当にやるんだったら もうやめて、前みたいに気楽に 心が向かっているままで思ってやる、

そういう人間のままで、死ぬまで生きて行けばいいじゃない。」



「人として やって行こうと 言ったのに、やっているのか、やっていないのかも

よく わからない言動で、期待するようにして 苦労させないでほしい。

今の機会に よく考えて、はっきりとしてから 行くように 覚悟をきめなさい。

どうせ、そんな適当な心では、心の成長させることも、人になることも、出来ないから。」



そうだ 私も ただ、このままでは 生きていきたくない。

人として 生きることが どんなことか よくわからないけど、

今までの 自分の考えで 生きて来た結果が、今のこんなんだったら

確実なのは、こういう風には 生きていきたくなかった。

そうしたら これからは どうすればいいのか 考えて見た。



そうだ、妻の言うとおりに 確実な心を持って、確実にやっていけばいい。

そう、これが「はい」の心でやることだ。

考えてみたら 妻の言うとおりだった、私はいつも、適当な性格で 多くの失敗を経験した。

これからは 確実に、やっていく心を持ってやってみよう。



まず、確実な目的を考えて決めてみた。

それは、「人としての心をつくって行くこと」だった。

この目的を成し遂げるためには、いつも 私のために、この心の成長のために、

自ら、緊迫感を持って、誠実にやっていくことだと思った。



「今のままでは 絶対にいけない!」という 叫びを、わすれちゃいけない。

これからは 日々生活の中で 心を落ち着かせて、

この心の成長のために、実践する努力に集中して行こうと 覚悟する。

もう一度、確実に、目的を心に刻んで、出発しょう!!

最近、周りから多くのことを見たり、聞いたりしたことが、

自分の中で、宝物になって 重ねてある。

しかし、まだ、自分の物に成ったのは 一つもない。

実践を通して、自らその宝物自体に 成らなければ、ならないからだ。

それで、一旦、その中から 今、私が一番必要なことを探して

一つ出して、実践して見ようと決めた。




それは、「今 私がいるここで、やることを考えたら、直ぐ動いてやる。」事だ。
 
これは、人としての私に 一番必要な事と同時に

現在、自分にとって 最も 弱い部分であった。

これから、これを 自分を中心にして、全てのことを見ながら 実践して見ようと思った。

最初に、やったのは、シャワーのことだ。




最近、何ヶ月間 仕事を辞め ほとんど 家に居るようになって、

日常生活が かなり 自由になった私は、見える環境より
 
見えない自分が 気に入らない事に 気が付いた。

外出しない時は、家で あれこれやりながら、疲れて 眠くなったら、シャワーを しようとする。

そしたら、急に 眠くなり、洗うか どうかのことで 迷いが始まる。

眠いのに、無理して 洗うようになると、眠気がなくなり

再び、眠くなるまでは 時間がかかり いらついて 体も重くなる。




これが嫌に成って、そのまま 寝るときは、気持ちが悪くて

睡眠が浅くなり、朝までは 何回も起きて 寝たりして、

気持ちが良い朝を 迎えることも出来ない。

それで、結論を出してやったのは、眠くなったら寝て

深く眠れず 起きたら、その時に洗って寝るようにとした。

そうすると、一日の始まりが 午後になってしまう。




こんな自分が 気に入らないけど、それでも これを必要とする私を

このまま 「そうなんだ」と、受け止めるしかなかった。

こういう風にやって来て、「今 やることを思ったら 直ぐに動いてやる」ことを考えて、

さっそく、適応したことになった。

「そうだ、今 洗おうと思ったら 全てのことを止めて そのままやる。」

これだけに 思いながらやると、何の葛藤もないで洗い、何の考えもなしで、寝るようになった。




朝 起きたら、さっぱりした感じで 体も軽くなって 気分が良かった。

「そう! これだ、これ!」 この はっきりした感覚に、喜んでいた。

こんなに、簡単で 単純なことなのに、あんなに 苦労したなんて…

その日は、一日中気分が良くて、目に見える いろんな事をやり遂げた。

その時の問題は、後で 分かったけど、その時の失敗は、

実践の感覚に付いて、いろんなことが 分かる様になった。




一回 実践を通して その感覚を分かったら、その感覚の紐を攫んだら、

離さずに 自分に安定するまで、全ての部分に 攫んだ感覚を 使わなければ、ならないのに。
 
どんな 状況になっても、今 やっていることを 忘れちゃいけないのに、

そのことを通して、人としての自分が見えて 成長させることができるのに、

「やっと出来た、こうゆう感覚だ。」と 安心して、他の事を 考えを始めた。




今 必要な事でも無いのに、急に 大阪お姉さんの言ったことが 思い出した。

「人間の世界では、いくら悪い人間だとしても 人に成れる要素が 

一つ位は、皆 持っているね」と 言った。

それを 今 考えたら、おそらく、相手の為の思う心だと 考えた。

こういう場合は、「そうなんだ」と認め、そのまま切り、

人としての 自分の意思を持って、今 やっていることを中心にし、

また、続きをやって行かなければ ならないのに。

最後まで やってもないのに、瞬間に忘れてしまって、他の思いに 入ってしまった。




その日の夜は かなり疲れて、シャワーもせずに 眠ってしまった。

朝 起きて 鏡を見ると、黒っぽくなった肌が、

ほこりと皮脂で 詰まっちゃって 息苦しく感じた。

「そうだ、今からは 肌の為に 必ず、洗って寝るようにしよう。」

寝たくて寝ることじゃなく、相手の肌のことを考えて
 
洗って寝るようにと、思うようになった。

今になって 考えて見たら、その前にやったことと比べると 感動や喜び、確信も無かった。




その 次の日、大阪お姉さんからの電話があって、
  
その時 現在にやっている事で、二回目の シャワーの件を話した。

急に 静かになったお姉さんは、「そなんだ」と 言って 電話を切った。

その 反応で、さっそく 自分の中で 何を間違えたのか 探し始めた。

もう すでに、私は 分かっていた。




いつもの 習慣のことである 苦労して探すより、

微妙なことを確認がしたくて、ただ 知っているような人に 聞いて見たかった。

でも、直ぐに ここで、これからの自分は どうするべきかを 分かっていた。

頼る前に はっきり分かるまで、続けて努力してみること。

それでも 分からない場合は、聞きながらも、諦めずに最後まで やって行くことを…




それで、自分の心を確認して見たら よく 分かるようになった。

何かの為の心は 今の私がやることじゃなかった。

それに 相手の為の心は、人の心ではなかった。

相手を思って 口に出すだけで、私はもう 自分の所から 離れていることだ。

自分の口から 自分以外のことが出たら、もう 自分じゃない証拠だ。

人は いつも、心と体が 一体になって 動いてなければ、

人だとは言えないことを、もう一度 確かめて見る。




外側から見ると、二つの実践の違いは 良く 分からないかも知れない。

探しにくいけど 私を中心にして見れば、はっきりと見えることだ。

最初の方は、私が 今 やる事を考えて やったことで、

二つ目は、自分の意識と関係のない 自然に出てきた思いで、

体がいるその時の 状況にもあってない、相手を思ってやったことだ。

それと、その 結果が違うし 感覚も違った。

はっきりと違うことが見えて、分かるようになった。




思ったことを 直ぐやろうと考えて、同じように 実践したことだけど、

中心をしっかりと 持ってやることと、そうじゃないことの差が 実感出来た。

そう、中心なのだ、中心! もちろん、自分がやる事の この紐を

人としての自分が 完全になるまで、

自動になれるまで、緩めても 離しても いけない。




もしかしての失敗で、攫んでいた紐を 手放すようになり、

道を迷ってしまうように なったとしても、

まさかの自分が、違う方向に向かって 気が付かず いくら行ったとしても、

それを 分かった瞬間から、心を 空に作って 自分の場所に戻り 
 
最初からの心にして、始められる。
  
必ず、初心に戻って 覚悟を決め、やって行く中心を考え 探し出して、

その中心を持って、人としてのその目的に 向かって 行かれる。




やっと、自分の根っこが 生える事に 感じられる。

生えたばっかりの 弱い根っこなので、抜けて落ちないように

ちゃんと 育つ為にやることは、実践する努力に 頑張ることだ。

もう一度、 人としての 心を成長させていく事を
 
強い意志で覚悟を決め、今 やることを中心にして 出発してみよう!

学ぶ

私が、最近身の回りから学んで分かったこと

改めて「そうだなあ・・」と思ったこと



・自分の悪い習慣が分かると、それを直そうと意識がいく。
 それが、今、私が分かっている「自分という場所」にちゃんと立っているんだということ。

・今、自分がしなくちゃいけないことをしっかりやっていけば、
 嬉しい結果は、自然に来るんだということ。

・自分を励まして頑張らすのは、自分だということ。

・毎日「学ぼう!」という意識で見ていれば、学べることはたくさん
 あるんだということ。

・今の自分は、意識がたりないということ。

ひとあしの行方

私の根を見ようとしたら、根にあるものがいっぱい・・・ため息が出る。

今、私の前に起っている事を見ながら、

これは私とは関係ない、これは私の事と関係があると思っている。

こんなことは初めてだ。

甥が風邪をひいている。

風邪は、一日二日は、私に関係が無いと思っていた。

三日目は「明日は学校行くから大丈夫」と、安心していた。

風邪も治ったのかと思いきや、四日目からの風邪は、

私に向かってくるもの(風)を感じ始めていた。何だろう?

私がここで悟るものがある!と風に臭いを感じた。

必死で私に向かって私を直視していった。見て行きながら手ごたえがあった。

やっぱり私を中心にして見るべきよ・・・私が悟って行かないから風邪は治らない・・・

私を見た後・・・風が治って行く臭いを感じていた。

しばらくして甥が“おばちゃん明日から大学へ行けるよ”と言ってきた。

やっぱりそうだったか・・・。

見たものは、私の根っこに私が有る(優柔不断、責任転嫁、過剰、

甘え、私の考えを押し付ける、素直でない、感情的、

まだまだ子供で心が育っていなくて小さい・・)。私を肯定して行った。

何日か前に真っ直ぐに聞いて行った夫の話からも私を分かって行った。

韓国人の夫から何回も聞いて来た「日本人が韓国を侵略して36年間!

その間どんな思いをして生きてきたのか・・・言葉を取り上げられて・・・

無理やりに日本に引っ張られて連れて行かれれ家族を引き離されて・・・

北と南に分けられた38度線・・・常に私が聞く立場に有った。

私自身は生まれてから韓国を侵略した事はないと思っているから、

私には関係はないという気持ちで聞いて来た。無視しては行けない事だった。

(以前の私だったら・・・私が出来る事なら38度線に行き線路を取り付けて

列車を走らせようと意気込む気持ちがいっぱいに成っていた)。

私は日本人として韓国人の夫の話を肯定していった。「そうなんだ」と。

そうやって行く事を選んだ。

先ず私の心と身体を一つにすることからやって行かなければならないと

思うようになっていた。

私と関係がないと思って無視していたから行くことが出来なかった。

事実、私は日本人。

私にないものを欲しかった。ないものが心の畑。

その内容を韓国人が持っていると感じた。

だから、私は韓国人と同じになりたかった。

私も同じ心を持っていると思いたかった。しかし、

あまりにも違いすぎていた。

あまりにも遠い、遠い存在だった。

私を見てきて、見ながら、人に成れるような存在ではなかった。

なのに、行こうとしたりして・・・本当にとんでもない事だった。

だからずっこけ転落するしかなかった。

知らなかった。このような私だと分かっていれば絶対に行こうと、

人に成りたいとは思わなかった。

今に成ってはもう遅い・・・行くしかない。

私をも生かすしかないのだから!“そうなんだ“するしかない。

それで生きて行くんだから。

100%肯定するしかないんだから。

それが出来ないときストッパーが掛ってしまう。

今までを思い返すといっつもここでストップしていた。

行くことも出来ず戻る事も出来ず、ただ年月が過ぎ去った。

私を空っぽにして全てを肯定し同じ心でないと絶対に出来ない事だ。

とんでもないものだと分かりこれからどうやって行くのか・・・

常に一番下に其処にいるようにして行くなら行き易く頑張れる。

これもまた私は絶対に忘れてはならない事だ。

心を空(カラ)にして私を見ると、心がない、心の根がない、心を置く場所がない。

宙に浮いている。宙に浮かぶしかない存在。根を張る処がなかった。

私の過去、現在を見るとこの道を行けない原因が有るように見えた。

人に成る種を植える畑(心)がないから種をもらっても植え育て根を張り、

大きく育てて行く事は決してなかった。本当にそうだった。

私が見えてきて少し分かってきた。

私の根っこをどこまでも底がなくなるまで、そうなんだ、をやって行くこと。

通しきらなくてはならない。通通にして行かなくてはならない。

隅々までも見て、人に成る種を、植える畑を作って行かなくてはならない。

今からでもやって行く。

畑とは心。畑を耕して種を植えて流さないように

栄養と光と水などをしっかりあげて風も通して、

いつも目を向けて行かなければ死んでしまう事。

心を見て育って行ってるの?栄養は与えているの?

腐ったものは与えないで新鮮なものをあげているの?

空(カラ)になって肯定して同じ心で、いつも学ぶ姿勢でいるの?

心が生きてるの?育っているの?死にそうにはなっていないの?

いつも、いつも気を配って見て行かなくてはならない事。そうだったのか・・・

私は心を見ていなかったから(私を忘れてばっかりで)

どうやって育てていかなければならないかも知らなかった。

人に成る種をもらっても、もらっても!・・・

栄養失調で朽ち果てて死んでいた。

二度と朽ち果てる事のないように私から離れてはならない。

(この間悟って決心したばっかりだったのに・・・!!!)

そして、頭で理解したなら心で感じて実践をして行かなくては

定まって行けない事。この三段階を超えたとき本物に成る事。

一つの事もこうやって行けば確実に、

間違いなく心を育てていくことが出来ると思える。

人に成る種を植えるためには心の畑を作ることから、

そのためにはまず、心の姿勢、心の耳、心の目・・・

心の感覚を作り持たなければならない。

私の体のあるところに私の心を常に置く事、

心と身体がいつも一つに成っている事。

常に私を見る事を絶対忘れないで。

常に一番下に私を置いている事。

心を空(カラ)にし肯定し同じ心で行く事。

考えと言葉と行動を一致させていかなければならない。

何回失敗しても転んでも躓いてもまたそこから起き上がって行く。

絶対諦めないで、ただただ努力して行く。

行く道は有る!

もう一つの目

人は目を三つ持っています。。


生まれつきの目二つと


もう一つはその目の裏についている自分だけを見る目です。


  

顔についている目は物事を見る目、見えるものを見る目です。


その裏についている目は自分を見る目、見えないものを見る目です。


感覚を感じる目です。




自分を見る目は、顔についている目と違って


生まれつきではありません。


自分自身 自ら見つけ出して自分の手に入れるものです。


思春期からじょじょに心を成長させながら感覚で感じる目です。


これは自分を見ながら自分自身を成長させるのに


必ず必要な目なのです。



感覚で感じるこの目は、


人類歴史を置いてみても解かれなかった


自分に関する全ての疑問を解く事が出来ます。


自分自身の生きる目的をはっきりと知るようになります。


どのように生きていくべきが信念を持たせてくれます。




これを基本に、


自分が属している社会、国家、世界その中で


どんな心持ちで生きていくべきかも、


その中での自分のわけまえもはっきりと


認識しながら生きる事が出来ます。




そして一番大事なのは今まで明らかにされなかった


この世の全ての事を一つ一つ知るようになります。


見えない目を見つけ出す事と同じように、


人の責任として探すべきことはあまりにも多いのです。




物事を見ながら考えで使った脳が5%だったとしたら、


見えない目で見る範囲は無限なのです。


残りの95%の脳を全て使用するためには


まさしく 自分を見る目を先に見つけ出すことです。


この世に沈まれている事は自分を見るその目で


全て明らかに見えるようになります。

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事