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心の成長に対して、いろんなことを聞きながら、
自分なりに やって見ようと思って やったつもりだけど、
それが どんなことか、まだ はっきりと、よく わからない。
ときどき 妻に、「今日の心はどう?」と 聞かれて返事したけど、
実際は 心を見て返事したことか、体の行動を見て返事したことなのか、
それ自体も、よくわからなかった時が多い。
心の成長をしょうと やっていながらも、自分の心なのに よくわからないことが多い。
心なのか 体の動きなのかの正確な区別も、よく出来ない。
それで、心を見ようと集中してみたら、非常に小さな心であって、
見ることも 難しいことに 気が付いた。
本当に、あまりにも ちっちゃすぎて、あるのか どうかも、よくわからない心だった。
おそらく、この小さな心が、人になろうとする心だと思った。
だから 妻は、「心は 自動的に大きくなるものじゃなくて、意識を持って 自ら、
成長させなきゃならない」と、言いたんだ。
そして、こうすることが 人としての当然にやることだとわかった。
これからは この小さな心を 成長させるためには、
「はい」の心を 造って行かなければ成らない。
全てのことを 「はい」の心で見ながら、そのまま動いて、
実践して行かなければならないと、妻に聞いた。
それで 私の考えを入れず、聞いたままに やってみようとした。
ある日、妻が近づいて来て 聞く、
「あなたは 何の為に、心を成長しょうと思うの?」
その当時には、自分の考えを入れず、「はい」の心で やろうとした時だったから、
「観念を無くそうとするためだ」と、自然に出てきて 言うことになった。
瞬間、妻は、かなりあきれたようだった。
「私が いつあなたに 観念をなくさなきゃならないと、言ったことあるの?」
考えて見たら 一度もなかった。
あれほど 自分の考えを 入れないようにと 努力していたのに、
瞬間に、思いやりも無く 言ってしまった。
その時に 妻に聞いて、 知るようになったことがあった。
習慣的に出て来る私の考えは、「そうなんだ」と 言って、認めながら
人としての考えをして 行くことを言ってくれた。
そんなに 自分の思いがいやで、 否定ばかりしながら 考えないようにすると、
その考えは 動かないようにと 固定され、反復的に現れるしかないから
肯定して、プラス方向に 向かって 考えて行かなければ ならないことであり、
それが 人が思うことで、発展が出来て成長して行く事だとわかった。
また、何日か経って 妻が聞く、
「あなた、心を成長させようとする、その目的が何なの?」
「…」 何の思いも 出てこない。
「そしたら、何の為に心の成長をしょうとするの?」
「…」 考えたこともないから わからない。
「そんな確実性のない心をもっているから 返事が出来ないでしょう、
そうするから 発展も出来ず、いつまでも 足踏み状態でいるんじゃない、
そんな適当にやるんだったら もうやめて、前みたいに気楽に 心が向かっているままで思ってやる、
そういう人間のままで、死ぬまで生きて行けばいいじゃない。」
「人として やって行こうと 言ったのに、やっているのか、やっていないのかも
よく わからない言動で、期待するようにして 苦労させないでほしい。
今の機会に よく考えて、はっきりとしてから 行くように 覚悟をきめなさい。
どうせ、そんな適当な心では、心の成長させることも、人になることも、出来ないから。」
そうだ 私も ただ、このままでは 生きていきたくない。
人として 生きることが どんなことか よくわからないけど、
今までの 自分の考えで 生きて来た結果が、今のこんなんだったら
確実なのは、こういう風には 生きていきたくなかった。
そうしたら これからは どうすればいいのか 考えて見た。
そうだ、妻の言うとおりに 確実な心を持って、確実にやっていけばいい。
そう、これが「はい」の心でやることだ。
考えてみたら 妻の言うとおりだった、私はいつも、適当な性格で 多くの失敗を経験した。
これからは 確実に、やっていく心を持ってやってみよう。
まず、確実な目的を考えて決めてみた。
それは、「人としての心をつくって行くこと」だった。
この目的を成し遂げるためには、いつも 私のために、この心の成長のために、
自ら、緊迫感を持って、誠実にやっていくことだと思った。
「今のままでは 絶対にいけない!」という 叫びを、わすれちゃいけない。
これからは 日々生活の中で 心を落ち着かせて、
この心の成長のために、実践する努力に集中して行こうと 覚悟する。
もう一度、確実に、目的を心に刻んで、出発しょう!!
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