「人」の世

このブログは「心」を成長させていく人たちの話です

◇人の基準

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もう一つの目

人は目を三つ持っています。。


生まれつきの目二つと


もう一つはその目の裏についている自分だけを見る目です。


  

顔についている目は物事を見る目、見えるものを見る目です。


その裏についている目は自分を見る目、見えないものを見る目です。


感覚を感じる目です。




自分を見る目は、顔についている目と違って


生まれつきではありません。


自分自身 自ら見つけ出して自分の手に入れるものです。


思春期からじょじょに心を成長させながら感覚で感じる目です。


これは自分を見ながら自分自身を成長させるのに


必ず必要な目なのです。



感覚で感じるこの目は、


人類歴史を置いてみても解かれなかった


自分に関する全ての疑問を解く事が出来ます。


自分自身の生きる目的をはっきりと知るようになります。


どのように生きていくべきが信念を持たせてくれます。




これを基本に、


自分が属している社会、国家、世界その中で


どんな心持ちで生きていくべきかも、


その中での自分のわけまえもはっきりと


認識しながら生きる事が出来ます。




そして一番大事なのは今まで明らかにされなかった


この世の全ての事を一つ一つ知るようになります。


見えない目を見つけ出す事と同じように、


人の責任として探すべきことはあまりにも多いのです。




物事を見ながら考えで使った脳が5%だったとしたら、


見えない目で見る範囲は無限なのです。


残りの95%の脳を全て使用するためには


まさしく 自分を見る目を先に見つけ出すことです。


この世に沈まれている事は自分を見るその目で


全て明らかに見えるようになります。

常に感じる事ですが観念と言うのは真に恐ろしいものだと思います。

自分自身を一歩も前に進む事が出来ないようにするのです。

出来ない事は出来ないと思い込み…

難しい事は難しいと思い込み…

大変と思うこともそのままに大変と思い込んで

自分自身をその中に縛り付けて停止させるのです。



自分自身を棺桶に押し込んでお経を唱える事と同じ事が


観念と言うものだと知りました。


いくら経験のない事だとしても それを判断する観念は自分の中に


はっきりと持っています。


いくら経験した人が経験談を語ったとしても、


初めて聞く話だとしても、


自分の観念の中にある情報は きりが無く出てくるのです。


推測と共に…


観念は自分を発展させるどころか


新しい事と出会うことも出来ないのです。


 一人の人をありのまま見る事ができないし、


存在が持っているその価値をありのまま見る事も出来ないのです。


観念は自分自身を自分の考えの中に閉じ込めるのも、もちろんですが、


同時に相手の批判によって気を小さくさせます。



観念は実践するより、


推測と想像によって頭だけが大きくなります。


その頭で考える95%が観念だとしても過言ではないでしょう。


今日知ったことも明日には観念なのです。



昨日知った事によって、10年前に知った事によって、千年前に知った事によって、


今を生きている自分であれば


その自分は観念の中で生きていると言う事です。



結局、それは歴史が繰り返す一番大きな原因になりました。

しかし問題は、観念と言うのはそこから出てこなければ 観念だったという


事実を知らないのです。


それを壊して出てきた時、昨日の事も観念だったという事を知るようになり、


観念の中では ただの自分の考えだったと錯覚するのです。


観念から目覚めるためには毎日を『無』になって生きていくべきであり、


全ての人を、全ての存在をありのまま認めなければなりません。


これの始まりが「そうなんだ」と思うことです。


どんな事であっても、どのような考えだとしても、


「その様になることもあるんだ」「そうだったんだ。」の

生活をする事です。


その様な中で新たな事を知るようになります。


その様にして知るようになった事で自分を成長させてくれるのです。


新たな事によって生きていく人々が住む社会、この世の中は


新しい方向にむかって進む事でしょう。


同じ事を繰り返す歴史から抜け出し、新しい歴史を作っていくべきだと思います。


全ての事を『そうなんだ』で見ると言う事は


観念の枠を壊して新たに生きていく事が出来るのです。

私にとって幸せな時間は自分を磨く時です。

今日、私の頭の中の考えを人が持つべき考えとして磨いていく事が幸せです。

今日、私の口から出た言葉達が人としてするべきの自分の言葉だったのかを

確認する事が幸せです。

今日、自分の心を中心に出る全ての行動を一つ一つ噛み締めるような気持ちで、

振り返り、人の行動ではなかった姿には悔やみながら、

「今後は必ず直そう!」との覚悟、決意をする時が幸せです。



自分を磨いていく時に輝く自分の目を感じる時も幸せで、

今日の心の様に明日も同じ心で生きる自分を信じるため幸せです。

少しずつ成長していく自分を見る事は最高の幸せで、

輝く自分の姿を作った自分を見る時には

幸せと言う単語では物足りない程です。

この世にあるどんな単語でも表現できません。



自分の力で磨いて輝かせ、

人としての価値を持った自分の姿を見る事はこの世にある

どんな幸せにも比べられません。



結婚して子供を生んで育てながら子供の成長を見る幸せは、

自分自身を人の姿に磨きながら成長していく自分の姿を見る事に比べれば

10分の1しかならない幸せです。

それ程、自分を磨いていく幸せは真の幸せです。



これは「私」と言う存在を持った人なら誰でも味わう事ができる幸せです。

自分の作った幸せはまた違う大きな幸せを作れる

ノウハウを持つようになります。

これもまた胸いっぱいになれる幸せです。

私を作ったこの幸せはまた違う幸せをも作れる自信感に繋げるようになります。

火を見るよりも明らかだ…

私が生んだ子供だから 私が良く知っているのは当たり前…

この様な言葉は相手の全てを良く知っているという表現です。



思いを知って、心を知って、相手が持っている結果は

どのようにしてそうなったのかまでその本人が居なくても

良く知っているという言葉です。

我々の生活の中でよく聞こえる言葉ですが、

この言葉がどれ程 恐ろしい言葉なのか分かりません。

このような言葉によってどれ程多くの誤解を生み、

どれ程の高慢で生きているのか、一度くらい考えて見る必要があります。



このような言葉によって被害を受けた時には悔しくて相手を恨みながらも、

自分がこの様な言葉を使うときには

あまりにも軽く、あまりにも簡単に使用してしまいます。

いいえ、自信ありげにしゃべってしまうのです。

むしろ全てを良く知っているかのように自慢となって…



自分の言葉に傷つく相手は心の中に一切ありません。

どうして立場が変わると心もそんなに簡単に変えられるのか…

その様に人間として生きてきたのが遠い話のようです。



私が知っていると思う相手と、

相手自身が知っている自分とは完全な違いがありました。

私の考えで相手を知っていると思う自体が大きな矛盾でした。

自分の事には何一つ知っていることが無い者が、

相手を知っていると言うのは先ずありえない事です。



先ず自分を知る事、これが順序なのです。

自分の全てを知るようになれば、相手の事は自然に知るようになります。



自分を知れば相手を知るというこの表現も要りません。

自分を知れば、心のままで相手に通じるからです。

私の考えと相手の考えは別に存在しながらも通じるからです。

自分を知ると言うのは全ての存在と通じる門でもあり、

出発点でもあります。



ですからまず、自分を知る事が順序です。

それから 相手を知るようになるからです。

子供が1才を過ぎる頃から『はいと言う心』を育って行かなければならないと思います。

三、四才になる頃には子供自ら「はい」と返事した事を行動にも出るようにして、

同じ事を振り替えしながら習慣を育てていきます。

この過程を子供の考えが定着する時期の 小学校四年位まで続きます。



このように「はいと言う心」を育つべき目的は沢山ありますが、

その中で一番重要だと言えるのは 思春期を迎える時に耳を開くためなのです。

子供自身が一生使えるべきの心を作っていける様に、

自身の人格形成を揃える時期だと見られるこの時に、

親から、近所の大人から、先生方々、友達など 自分のために指摘してくれたり、

忠告してくれる言葉を聞けるように、いいえ 聞こえるようにするためです。


自分が自ら気が付かなかった部分は相手によって知るようになるので、

これのほとんどが忠告とか、指摘とかのあんまり喜べない形で本人に伝えてくるのです。


この様な時にも自分に必要な栄養剤として受け入れられるようにするためです。


4月になると中三になる娘を見るとバスケットコーチの厳しい言葉にも、

傷になりそうな友達の一言でも、

また この母の硬い表現にも、全て自分の成長に使っているのを見ても、

「はいと言う心」これ一つだけでも はっきり出来るようにすれば、

本人も楽で、楽しい思春期を過ごせられるし、親もやはり内外的に成長していく

娘を見ながら幸せを感じる余裕さえある事を知りました。


いままでの話は子供が小さい時から、人として成長するための一番 基本となる

「はいと言う心」の話でした。


しかし 今 思春期を迎えている人、また自分の考えの枠を作っている年には

この方法は合わないのです。

見える部分を通して 見えない部分を成長させて行く様にしなければ成らないのです。

この話の意味は、問題だと思う部分を直そうとする事より、

その問題だと見える その事を通して 心を動かさなければならないのです。

心を動かして自ら直すようにする事です。


食事をする時の姿勢が正しくなかった時には、

毎日あなたの為に一生懸命頑張っている体を あなたも考えて上げなくては…

体が無ければいくらあなたがやりたい事が多くても出来ないじゃないか!

体が あなたのやりたい事をやれるように最善を尽くしてくれるので、

あなたも 体の為に努力をするべきだと、

体の為に どのようにすれば良いのか分からない時には 周りの人達が、

特に一緒に生活をしている親、兄弟が言ってくれる事を聞いてそのように

しようとする努力をしなければならないと、

それが自分の為に常に最善を尽くす体に対しての礼儀だと、


誰から言われてやるのではなく、子供自ら自分の為に 一つでも出来るまで…

母の自分は 昨日言った言葉も忘れ、すぐ先に言った言葉も忘れ、

また 初めに言うような気持ちで言えるようにする事だと思います。


目標と期限は 自分の子供が自ら出来るまで、その時までです。

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