「人」の世

このブログは「心」を成長させていく人たちの話です

■『ひとあし』の部屋

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ひとあしの行方

私の根を見ようとしたら、根にあるものがいっぱい・・・ため息が出る。

今、私の前に起っている事を見ながら、

これは私とは関係ない、これは私の事と関係があると思っている。

こんなことは初めてだ。

甥が風邪をひいている。

風邪は、一日二日は、私に関係が無いと思っていた。

三日目は「明日は学校行くから大丈夫」と、安心していた。

風邪も治ったのかと思いきや、四日目からの風邪は、

私に向かってくるもの(風)を感じ始めていた。何だろう?

私がここで悟るものがある!と風に臭いを感じた。

必死で私に向かって私を直視していった。見て行きながら手ごたえがあった。

やっぱり私を中心にして見るべきよ・・・私が悟って行かないから風邪は治らない・・・

私を見た後・・・風が治って行く臭いを感じていた。

しばらくして甥が“おばちゃん明日から大学へ行けるよ”と言ってきた。

やっぱりそうだったか・・・。

見たものは、私の根っこに私が有る(優柔不断、責任転嫁、過剰、

甘え、私の考えを押し付ける、素直でない、感情的、

まだまだ子供で心が育っていなくて小さい・・)。私を肯定して行った。

何日か前に真っ直ぐに聞いて行った夫の話からも私を分かって行った。

韓国人の夫から何回も聞いて来た「日本人が韓国を侵略して36年間!

その間どんな思いをして生きてきたのか・・・言葉を取り上げられて・・・

無理やりに日本に引っ張られて連れて行かれれ家族を引き離されて・・・

北と南に分けられた38度線・・・常に私が聞く立場に有った。

私自身は生まれてから韓国を侵略した事はないと思っているから、

私には関係はないという気持ちで聞いて来た。無視しては行けない事だった。

(以前の私だったら・・・私が出来る事なら38度線に行き線路を取り付けて

列車を走らせようと意気込む気持ちがいっぱいに成っていた)。

私は日本人として韓国人の夫の話を肯定していった。「そうなんだ」と。

そうやって行く事を選んだ。

先ず私の心と身体を一つにすることからやって行かなければならないと

思うようになっていた。

私と関係がないと思って無視していたから行くことが出来なかった。

事実、私は日本人。

私にないものを欲しかった。ないものが心の畑。

その内容を韓国人が持っていると感じた。

だから、私は韓国人と同じになりたかった。

私も同じ心を持っていると思いたかった。しかし、

あまりにも違いすぎていた。

あまりにも遠い、遠い存在だった。

私を見てきて、見ながら、人に成れるような存在ではなかった。

なのに、行こうとしたりして・・・本当にとんでもない事だった。

だからずっこけ転落するしかなかった。

知らなかった。このような私だと分かっていれば絶対に行こうと、

人に成りたいとは思わなかった。

今に成ってはもう遅い・・・行くしかない。

私をも生かすしかないのだから!“そうなんだ“するしかない。

それで生きて行くんだから。

100%肯定するしかないんだから。

それが出来ないときストッパーが掛ってしまう。

今までを思い返すといっつもここでストップしていた。

行くことも出来ず戻る事も出来ず、ただ年月が過ぎ去った。

私を空っぽにして全てを肯定し同じ心でないと絶対に出来ない事だ。

とんでもないものだと分かりこれからどうやって行くのか・・・

常に一番下に其処にいるようにして行くなら行き易く頑張れる。

これもまた私は絶対に忘れてはならない事だ。

心を空(カラ)にして私を見ると、心がない、心の根がない、心を置く場所がない。

宙に浮いている。宙に浮かぶしかない存在。根を張る処がなかった。

私の過去、現在を見るとこの道を行けない原因が有るように見えた。

人に成る種を植える畑(心)がないから種をもらっても植え育て根を張り、

大きく育てて行く事は決してなかった。本当にそうだった。

私が見えてきて少し分かってきた。

私の根っこをどこまでも底がなくなるまで、そうなんだ、をやって行くこと。

通しきらなくてはならない。通通にして行かなくてはならない。

隅々までも見て、人に成る種を、植える畑を作って行かなくてはならない。

今からでもやって行く。

畑とは心。畑を耕して種を植えて流さないように

栄養と光と水などをしっかりあげて風も通して、

いつも目を向けて行かなければ死んでしまう事。

心を見て育って行ってるの?栄養は与えているの?

腐ったものは与えないで新鮮なものをあげているの?

空(カラ)になって肯定して同じ心で、いつも学ぶ姿勢でいるの?

心が生きてるの?育っているの?死にそうにはなっていないの?

いつも、いつも気を配って見て行かなくてはならない事。そうだったのか・・・

私は心を見ていなかったから(私を忘れてばっかりで)

どうやって育てていかなければならないかも知らなかった。

人に成る種をもらっても、もらっても!・・・

栄養失調で朽ち果てて死んでいた。

二度と朽ち果てる事のないように私から離れてはならない。

(この間悟って決心したばっかりだったのに・・・!!!)

そして、頭で理解したなら心で感じて実践をして行かなくては

定まって行けない事。この三段階を超えたとき本物に成る事。

一つの事もこうやって行けば確実に、

間違いなく心を育てていくことが出来ると思える。

人に成る種を植えるためには心の畑を作ることから、

そのためにはまず、心の姿勢、心の耳、心の目・・・

心の感覚を作り持たなければならない。

私の体のあるところに私の心を常に置く事、

心と身体がいつも一つに成っている事。

常に私を見る事を絶対忘れないで。

常に一番下に私を置いている事。

心を空(カラ)にし肯定し同じ心で行く事。

考えと言葉と行動を一致させていかなければならない。

何回失敗しても転んでも躓いてもまたそこから起き上がって行く。

絶対諦めないで、ただただ努力して行く。

行く道は有る!

ひとあしの行方(2)

私の道を行く途中で、心を成長させていくブログの友達。

私の道から外れているのかな?

私の立場にいるのかな?

人の方向に行ってる?

人になろうとする姿勢?

私は記事を読むことで自分を点検している。

最近、「人の方向」「人の姿勢」と変更していることが、

私にとっては、とてもありがたく思っていた。

それで、友達に感謝を伝えたかった。

今まで私は電話をするときいつも迷っていた。

仕事もやって家庭の事も翻訳の事も、登校班の登板に・・・

とても忙しいと話を聞いていたから、電話をするのは気が引けていた。

しかし、今日は私の心をそのまま聞いてそのまま(思いきって)電話をした。

今大丈夫?と話が出来そう・・・

私は「人の方向」と「人の姿勢」を整理していただき、

私は行く道に於いてとても助かっている話をした。

また、私はみんなと違うみたい、私は私だから、私らしく、

「ひとあしの日記、独り言」にしてブログ記事を載せたのよ。

私は他人とは違うみたい、だから、私は私で私をただそのまま書いて行く。

違うんだからしようがないよ。

持っているものがまるっきり違うから、

もう!いいやと思ってそのまま載せて行くことにしたのよ。

長い文章でも複雑でもそれも私なんだから嘘でもないし

心に有るものだからね。

日記とか、つぶやきとか、独り言とか・・・

それが私に似合っているように思う。

私らしいと思って・・・そしたらスッキリしてこれが私よ、

そう思っている。そう話した・・・


友達は、パズルの一つなんだから、

誰かと同じにしようとしたらおかしいんじゃない?

(そうだよなあ・・・まだ、完璧な肯定はできてなかった。)

今、自信感を探している・・・という友達。

話の声は明るく温かく何とも言えない

自分自身の花を咲かせているように感じ、自信感たっぷりだ。

自分で努力して自分を作り上げていってる、そう思った。

話を聞いていると、えー!凄いなぁ、声を聞いているだけで

私までも自信感をもらったように感じた。電話が終わって私は嬉しくなっていた。

しかし、「嬉しい時ほど気を付けて」だった事を思い出し私に注意を向けていた。

みんなと同じではない事が私は気になっていた。しばらく「?」が続いていた。

夜になって私を振り返ってみたら・・・前に間違いそうになって行った「同じ心」

また繰り返し過ちを犯そうとしていたのです。

一回目の間違って行った事は、存在を見るとき(昨年)同じ心で見ているの?

と私を見る(点検)。自分のものになっていないから分かっていなかった。

二回目は、甥と子供を見るとき同じ心を間違えていた。

その時も苦しく行き止まりになっていた。

今回は、私はみんなと同じになりたかった。

みんなとあまりにも違い、私は変なものだと思っていたから・・・

ここで大きな間違いを犯していた。

同じ心で全てを見ると、私はみんなと違うという事。

違っていて当たり前なのに!!!

私に引っ掛かり躓いていた。

基本の事だった。まだ基本がしっかり足をつけていない事に気がついた。

その事を理解したら苦しく行き止まりになっていた私の心は軽くなり開いて行った。

同じ心が私の身になるまで頑張ってやって行こう。

同じ事なのに形が変わって見えると躓いて行く・・・

私から離れないでいたなら同じ心も間違わないはずなのに・・・

基本の基本は私を忘れないで!そういう事だと思った。

私がいつも私と一緒になっているなら私の立場を守っている事。

私が私を忘れるとその時から間違いが始まるという事。

私がワードに書き込み何回も読みなおしこれで私に間違いはないか?

と繰り返すことでまた私を発見していく。

そうして行くうちにブログはやはり私のためだったと改めて思った。

やって行くうちに私のスタイルが見えて、私らしさが分かって行くのか・・・

私に必要なものを一つ一つ身につけてそれを磨いて

本物に作り上げて行くことなのか・・・

私の心を作って行くことなのか・・・

簡単に思っていた事は簡単ではなく大変なことだと思った。

しかし誰かがやることではなく私がやらなくては私の事は出来ない。

私の事は私がやる事。

ひとあしの行方

今日は初めて私の心はプラス、マイナスとは

関係ない処に入りたい(訴えるような)気持ちでした。

と言う事は?(私を中心としていないという事)

私の心から出てくる考え、感情、観念がいっぱい(そう思った)出てきて

私をそのまま見る、そのまま聞く、そのまま行う事が出来ていないので

行き止まっていました。

ブログを書き始めて、私の事を客観的に見る努力をするようになって、

私の文章を自分で読みながらいつも感じるものがある。

何でこんなに言葉が多いの?

複雑なんだね・・心が・・(まるで脳の襞のように感じている)

他の人と比べてどうしてこんなに文章が長くなるの?

記事一つとっても・・・

自分を見て行きながら・・なぜ?・・

簡単にもっとハッキリ、スッキリ出来ないの?

私は他の人とは違うんだ。(同じ心だったら当たり前の事なのに)

人になりたいと思って頑張って努力をして、行っていこうとしても

なんだかなれないような・・・あまりにもひどすぎる。

みんな(ブログの友達)とはあまりにもレベルが違う。戸籍上の年齢だけは一番上だけど・・・

もともとの心の素質が違うんだ。

・・・

私の心を私はどれほど切り刻み傷つけてきたのか?・・・

もう嫌になるほど見たくもない聞きたくもない否定・批判・比較・・・

そのままみる?そのまま聞く?そのまま行う?

簡単に思えるような事が出来ないのです。

私の行く道に分厚い壁を作り

私はこんなにも苦しみや不幸が好きだったように感じるほど・・・

私が好んで不幸の道へ入って行ったとしか思えない。

今に始まった事ではない。(十年以上前の事、母から言われた・・・

お前は、何故そんなにまでして自分以外のこと

ばかりやって、自分から苦労を背負って生きて行こうとするの!

自分の事を考えてよ・・・母の話)

前々から私は自ら私を離れて私以外のところにいました。

子供のころから否定や批判、比較を自分で入れ込み

持ち続けてきたものだから今の今まで堂々と巡っていたのです。

私に住みつきなかなか出ようとせず離れて行かせなかった

私の意思があったのです。(私に合っていたのです。)

出て行ったかと思っていたのがまだ住んでいたのです。

今、出ようとして出てきた?

そのものが、自ら薄皮をはがして行きたくなって浮かんできたの?

ふう〜ん、そう、自ら出て行くんだね。

離れて行くソノモノト私は何の関係も無いかのように感じて

冷静・沈着・淡々としているのです。ふう〜ん・そうなんだ・そうなったんだ。

そうか・・・これも私の根っこにあるものか・・・

今まで私を責め、批判や否定をし、私から逃げて行こうとしていたのでした。

もう逃げられません!

私を、空(カラ)の心で認めて、肯定してプラス、マイナスにも、同じ心で

今、見て行きたくなっているのですから。

そうやって行くのです。

私の存在を、心を空(カラ)にして、存在意識と目的を分かって

あげたくなりました。

私の根っこをきれいに全てを見て一つもやり残す事のないように、

まるで検察犬のように私の五感を鋭く使って。

(私はこういう感覚が有る事を思い出しました。)

私を同じ心でプラス、マイナスを使えるようになるとバランスを取って

行くことが出来そうだ。

さあ!頭で分かって心で感じたなら後は・・・実践あるのみだ!

これからだ、頑張ろう!

考えと言葉と行動が…

私の中心を取り戻して元気も戻ってきた。


今日も自転車で難坂を越えて行く。


行く途中に信号が見えてきた。


私の前に女性が自転車で右見て、左見て、赤信号を渡って行った。


昨年までは急いでいる時、私も同じようにして渡っていた事があった!


しかし、今日は!


“「そうなんだ」肯定することが生きる事。


すべてを生かす事は「そうなんだ」これしかないよ!


無視し、否定しては絶対行くことはできないよ。


これ(肯定)が出来るとき行く道が開けるよ。“ 心の中で独り言を言っていた。


その事を考えていたから私は自然(当たり前)に止まっていた。


「赤信号」それも一つの存在よ、無視することはできないよ。


信号無視!そうか・・・納得していた。


そのとき、考えと心と行動が一つになったような感覚を初めて感じた。


この後、私は私にしっかり向かって行きやすくなっていた。


そして、存在を考えて行くとき、


昨日の心の空(カラ)の感覚を使って考える事を始めた。


「何にもない心の上で分かる事があって、出来る事がある」


(“空(カラ)にすることって?”はじまりさんのブログの記事より)


あぁ、この事だったのか・・・そうだったのか・・・


また、私の新しい一日がはじまった。

今日は、私に集中していた。

歩きながら、自転車に乗っても、電車に乗っても、ずうっとやっていた。

私に集中したくなっていた。

暫く途切れることはなかった。

私の行く筋は見えてきた。

気の長い道だから・・・

一生行く道だから・・・

一つの心だけを見て行く事だから・・・

簡単な事だから

あまりにも簡単すぎて

集中が切れてしまう。

しかし、簡単だから私にもできる。

たった一つ覚えて行けばよい。

私だけを見て行けば行けるという事。

私は、環境とは関係がない。

私は私だ。

私の行く道は

存在する私を意識する事。

私を刳り抜いた感じ。

「私」と言う存在を客観的に見て行くこと。

私は私を探して行く。

私を、意識する事。

私は、私を意識する。

私の意識は意思。

私の意思は心。

私の心は。

私の心は無い。

私の心は空(カラ)。

カラとは・・・カラの心になって行くことが必要。

カラの心で初めて存在そのものを見て行くことが出来る。

”はいと言う心”の記事の内容が、こういうことなんだ・・・やっと分かってきた。

心を空(カラ)にして私の存在を見る事。

心を空(カラ)にして、ありのままの存在が見られるという事。

ここまで来て心身ともに消化が出来た。


ホッと一段落。

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