「人」の世

このブログは「心」を成長させていく人たちの話です

■『つぼみ』の部屋

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最近、周りから多くのことを見たり、聞いたりしたことが、

自分の中で、宝物になって 重ねてある。

しかし、まだ、自分の物に成ったのは 一つもない。

実践を通して、自らその宝物自体に 成らなければ、ならないからだ。

それで、一旦、その中から 今、私が一番必要なことを探して

一つ出して、実践して見ようと決めた。




それは、「今 私がいるここで、やることを考えたら、直ぐ動いてやる。」事だ。
 
これは、人としての私に 一番必要な事と同時に

現在、自分にとって 最も 弱い部分であった。

これから、これを 自分を中心にして、全てのことを見ながら 実践して見ようと思った。

最初に、やったのは、シャワーのことだ。




最近、何ヶ月間 仕事を辞め ほとんど 家に居るようになって、

日常生活が かなり 自由になった私は、見える環境より
 
見えない自分が 気に入らない事に 気が付いた。

外出しない時は、家で あれこれやりながら、疲れて 眠くなったら、シャワーを しようとする。

そしたら、急に 眠くなり、洗うか どうかのことで 迷いが始まる。

眠いのに、無理して 洗うようになると、眠気がなくなり

再び、眠くなるまでは 時間がかかり いらついて 体も重くなる。




これが嫌に成って、そのまま 寝るときは、気持ちが悪くて

睡眠が浅くなり、朝までは 何回も起きて 寝たりして、

気持ちが良い朝を 迎えることも出来ない。

それで、結論を出してやったのは、眠くなったら寝て

深く眠れず 起きたら、その時に洗って寝るようにとした。

そうすると、一日の始まりが 午後になってしまう。




こんな自分が 気に入らないけど、それでも これを必要とする私を

このまま 「そうなんだ」と、受け止めるしかなかった。

こういう風にやって来て、「今 やることを思ったら 直ぐに動いてやる」ことを考えて、

さっそく、適応したことになった。

「そうだ、今 洗おうと思ったら 全てのことを止めて そのままやる。」

これだけに 思いながらやると、何の葛藤もないで洗い、何の考えもなしで、寝るようになった。




朝 起きたら、さっぱりした感じで 体も軽くなって 気分が良かった。

「そう! これだ、これ!」 この はっきりした感覚に、喜んでいた。

こんなに、簡単で 単純なことなのに、あんなに 苦労したなんて…

その日は、一日中気分が良くて、目に見える いろんな事をやり遂げた。

その時の問題は、後で 分かったけど、その時の失敗は、

実践の感覚に付いて、いろんなことが 分かる様になった。




一回 実践を通して その感覚を分かったら、その感覚の紐を攫んだら、

離さずに 自分に安定するまで、全ての部分に 攫んだ感覚を 使わなければ、ならないのに。
 
どんな 状況になっても、今 やっていることを 忘れちゃいけないのに、

そのことを通して、人としての自分が見えて 成長させることができるのに、

「やっと出来た、こうゆう感覚だ。」と 安心して、他の事を 考えを始めた。




今 必要な事でも無いのに、急に 大阪お姉さんの言ったことが 思い出した。

「人間の世界では、いくら悪い人間だとしても 人に成れる要素が 

一つ位は、皆 持っているね」と 言った。

それを 今 考えたら、おそらく、相手の為の思う心だと 考えた。

こういう場合は、「そうなんだ」と認め、そのまま切り、

人としての 自分の意思を持って、今 やっていることを中心にし、

また、続きをやって行かなければ ならないのに。

最後まで やってもないのに、瞬間に忘れてしまって、他の思いに 入ってしまった。




その日の夜は かなり疲れて、シャワーもせずに 眠ってしまった。

朝 起きて 鏡を見ると、黒っぽくなった肌が、

ほこりと皮脂で 詰まっちゃって 息苦しく感じた。

「そうだ、今からは 肌の為に 必ず、洗って寝るようにしよう。」

寝たくて寝ることじゃなく、相手の肌のことを考えて
 
洗って寝るようにと、思うようになった。

今になって 考えて見たら、その前にやったことと比べると 感動や喜び、確信も無かった。




その 次の日、大阪お姉さんからの電話があって、
  
その時 現在にやっている事で、二回目の シャワーの件を話した。

急に 静かになったお姉さんは、「そなんだ」と 言って 電話を切った。

その 反応で、さっそく 自分の中で 何を間違えたのか 探し始めた。

もう すでに、私は 分かっていた。




いつもの 習慣のことである 苦労して探すより、

微妙なことを確認がしたくて、ただ 知っているような人に 聞いて見たかった。

でも、直ぐに ここで、これからの自分は どうするべきかを 分かっていた。

頼る前に はっきり分かるまで、続けて努力してみること。

それでも 分からない場合は、聞きながらも、諦めずに最後まで やって行くことを…




それで、自分の心を確認して見たら よく 分かるようになった。

何かの為の心は 今の私がやることじゃなかった。

それに 相手の為の心は、人の心ではなかった。

相手を思って 口に出すだけで、私はもう 自分の所から 離れていることだ。

自分の口から 自分以外のことが出たら、もう 自分じゃない証拠だ。

人は いつも、心と体が 一体になって 動いてなければ、

人だとは言えないことを、もう一度 確かめて見る。




外側から見ると、二つの実践の違いは 良く 分からないかも知れない。

探しにくいけど 私を中心にして見れば、はっきりと見えることだ。

最初の方は、私が 今 やる事を考えて やったことで、

二つ目は、自分の意識と関係のない 自然に出てきた思いで、

体がいるその時の 状況にもあってない、相手を思ってやったことだ。

それと、その 結果が違うし 感覚も違った。

はっきりと違うことが見えて、分かるようになった。




思ったことを 直ぐやろうと考えて、同じように 実践したことだけど、

中心をしっかりと 持ってやることと、そうじゃないことの差が 実感出来た。

そう、中心なのだ、中心! もちろん、自分がやる事の この紐を

人としての自分が 完全になるまで、

自動になれるまで、緩めても 離しても いけない。




もしかしての失敗で、攫んでいた紐を 手放すようになり、

道を迷ってしまうように なったとしても、

まさかの自分が、違う方向に向かって 気が付かず いくら行ったとしても、

それを 分かった瞬間から、心を 空に作って 自分の場所に戻り 
 
最初からの心にして、始められる。
  
必ず、初心に戻って 覚悟を決め、やって行く中心を考え 探し出して、

その中心を持って、人としてのその目的に 向かって 行かれる。




やっと、自分の根っこが 生える事に 感じられる。

生えたばっかりの 弱い根っこなので、抜けて落ちないように

ちゃんと 育つ為にやることは、実践する努力に 頑張ることだ。

もう一度、 人としての 心を成長させていく事を
 
強い意志で覚悟を決め、今 やることを中心にして 出発してみよう!

私でいる感覚

いつも、相手を通して、心の動きがあったとき、自分を感じていたから、

会社を辞め、人と逢わず 静かに家で、何日間過ごしてみたら、

私がちゃんと、自分を中心にして、いるのかどうか、

その感覚が、よく分からなくなった。



北本の姉さんは、自分が静かにいるとき、自分を中心にしている感覚を、

感じることは難しいけど、神経を集中してみれば、必ず分かると言った。

また、現在、やっていることがあれば、やりながら、

新たにやること一緒に、やって行くことも言ってくれた。



今になって、考えてみたら、私のことを良く知っていった言葉だった。

その時にやっていた、自分の体がいる所に、集中して最善をつくすことを、

心でやらなきゃならないのに、体に覚えさせようとしていた。



その時には、実践と言いえば、体を動かすことだと思っていた。

心の成長の為にと言いながら、今までの観念と習慣のままで、

体のことを先に思って、やろうとしていた。

体を動かして、体を通して、自分を感じようとしていた。



その結果、自分(心)から離れ、目は、体に向いていて、

体が動くことで、集中し、神経を使うようになり、

それで、自分の感覚を分からなくなって、迷ってしまった。

それほど、自分から離れないように、決心していたのに..

心と体を、困難にしていたようだった。



自分の心を中心にして、心でやると、体は、自動的についてくることを

その当時は、分からなかった。

そうなったとき、体と心が、一体になって、一体感を感じるようになるのに..

逆に、一体感を感じたくて、体を動かそうとしていた。



頭では、自分(心)以外は、全てが相手であり、

相手を見て思うことはいけないと、それは自分が中心になってないことだと、

自分が中心になってないと、なにもはじめられないんだと、

いつも思っていたのに、実際になると失敗ばっかりだ。



これ以上は、反復失敗はやりたくないから、

こんどこそ、良く出来るように、いつも私(心)を向いているよう、

実践をする為、心に刻んでみた。



「自分の(心)を中心にして、やること」

1、今、現在、「自分の立場」で、自分がやることを考えてやること。

2、全てのことを「はい」と、肯定しているか、精密に見ること。

3、常に、「目的と今やること」を考えて、いること。

4、「言葉や考え」を、自分のことなのか、確認すること。

5、やることは、「心を100%集中」して、最善をつくすこと。

6、全て、「そうなんだ」と受け取って、無になっていること。

7、「プラス方向」を見て、やることを考えること。

8、「ありのまま」見て聞くこと。(私的な思いか、習慣的な思いを分別)

9、「自分の意思」を持って、やること。(そうじゃないと自分ではない)



完全に、自動になれるよう、気を張ってやりながら、

いつも、心の成長の為に、前を向いて、進みましよう!!

そうなんだの意味

人として生きようと覚悟して、一番最初にやったことは、

全てのことを肯定する、「はい、そうなんだ」をやることだった。

なぜ、やるのかもはっきり分からないけど、それ自体も「はい、そうなんだ」とやって、

全てのことを肯定することばっかり集中しつづけた。

肯定が良く出来ない時は、強く「そなんだ」を連発し、

それでも出来なかった時は、その相手と同じ要素を探して、認めて

反省と一緒に成長の土台に思うことにした。

そして自分なりに、そうなんだは、自分自ら鍛えて成長する部分を知ることだと考えた。



そうする中である日、会社の同僚たちとの会話の途中、韓国のキムチが話題になった時、

皆の手作りキムチを食べてみたいことを聞いて、

瞬間の雰囲気に合わせて、そしたら味をみせてあげると簡単に言ってしまった。

でも実際は、忙しい生活の中で、自分たちが食べる分以上に8人分(白菜2個分)を

もっと作り、臭いが出ないように包装して、一人づつ渡してあげることを考えると、

面倒さいな〜と思いが出始めた。

好きな人でもないのに、何の意味も無く、ただ自分が言ったことの為に

しょうがなくやるしかないと思ったら後悔が出た。



こんな思いと心でやるのは、いけないことを知っているから、そなんだと言いながら

思いを消す為に頭を振ってみても、消すことが出来なかった。

今思えば、考えを消したくて「そなんだ」をやったことが、間違えていたことが分かった。

そなんだの本来の意味は、心から全てのことを認めて肯定することなのに、

自分の思いを否定し、消したくて「そうなんだ」をやったことが、いけないことだと

その結果を通して、分かるようになった。



キムチを渡してその次の日、嘘みたいに不思議なことが起こった。

そのキムチを持って行った皆は、約束をしたみたいに、ただの一人も

そのキムチのことで、話することがなかった。

普段は、アメ一個、チョコ一個でも、ありがたいお礼を何回も繰り返しながら言ってたのに...

今回は、食べたいと言って作ってあげたのに、いつでも良くやっている挨拶一言も無かった。

もちろんお礼を聞く為にやったことではないけど、寂しいさより不思議なことだと思った。

それで、自分を見たら、喜んで作ったことではないけど、一生懸命作ったし、味も自信があったし、

心の問題だったことを分かっても、こんなふうにトラブルが起こることを思いもなかった。



体は、いくら一生懸命やっても、心を100%入れ無かったことで、

あげる人ともらう人、お互いに喜ばれない結果を見るしかなかった。

それ自体もそうなんだと言いながら、これからは何かをすることで、どんなことでも

体と一緒に心も、最善を尽くす様に決心した。

それで、そうなんだは、今、自分が、やらなきゃならないことで、

必要なことだと、分かるようになった。



ある日、北本の姉さんとの電話で、姉さんがやったことを言ってくれった。

姉さんは、出て来る思いをそうなんだを通して消滅するのは、私が自分自体にいる為だと言った。

強く出て来る思いは、もっと強く「そうなんだ」で反応するんだと言ってくれった。

そうすることで、自分の中に有る要素を探して納得し、反省しなくても

その要素自体も、自動消滅するんだと言った。

結局、私に入って来る思いは、私が自分自体になってない証拠だから、

入って来る思いは、私の中心ではないし、

自分を中心にしているためには、全てのことを肯定する「そうなんだ」をやることだと言った。

そして、私が自分でいる時といない時の体の感覚を、良く感じて見る様にと言って、

私が自分自体にいる時が、安定する状態であって、私の体に自分の心が中心にして

無かった時は、ストレスを感じるようになるんだと言った。



そうだ、そうだった、本当にそのとおりだった。

はい、そうなんだで、肯定をして、肯定になった時に、私の五臓六腑は安定になっていた。

反対で、私の考えと違って良く受け取れなかったときは、怒り、いらつき、不安、などの

マイナスを感じるようになるんだ。そうすると、心臓の行動が早くなり、

五臓六腑がねじていることを感じるんだ。

その時に、全てのことは、理由があって起こったことだと良く知っているから、

そのまま、そうなんだが心から出来ると、不思議ながら心が落ち着いて、体も一緒に安定になるんだ。



やっと分かった!なぜ、そうなんだをやるのか?を

始めは、理解も出来ず、自分の観念でみると、正しいことでもないし、

話もならないことで、なぜ はい、そうなんだを やらなきゃならないのか?

ぱがみたいなことだと思って、やりたくなかった時期もあった。

でも、そなんだをすることは、完璧に私の為のことたった。

私が自分自体にいることで、いつも自分の体の中心にいる為に、ひとつの道具だった。

今まで、感じれなかった霧が晴れてるようだ。

傷つく私

最近、会社の同僚たちの姿がありのままに見られなくなってしまいました。

特に マネージャーの言葉によく傷ついてしまい、

常に神経を使うことになり、楽になりません。


私より3才年上の彼女は一言で言うととてもしっかり屋さんで

真面目で優しさまで揃えた性格で

会社の中では色んな面で認められ、評判が良い方です。

それなので 彼女の周りにはいつも話したがる人達と、

質問したがる人達がいます。


しかし、私の目に映っている彼女の姿は、

矛盾で、傲慢で、不平不満で、不規則で、また自己中心者など…

そして意地悪い所も度々見られます。

その様な姿が見えるたんびに『お前も人間だからそのくらいの者か!』嘲笑いました。

だからか、彼女もほかの人と私に対する態度が違うのでした。

お互いに目を合わせるのも不自然でした。

ある時は皆の前で、

私のことを無視するような言葉と行動を迷わずする事も有りました。


その時は喉を引き締めるように「そうなんだ…、そうなんだ…、」と呪文見たいにブツブツ

言いながら自分の気持ちをなんとか収めようとしました。


ある日また

私が終わらせた仕事の事に対して後輩達が見る前で、

新入社員でもないのに 『確認しなくては…』と言いながら

「何故こうなったの?説明してちょうだい?」と細かく聞いてきました。

本当に私の思う通りなら『マネージャーと言う人がそのくらいの事も分からなくて聞くの?

分からないのなら ちゃんと学びなさい』と言い返したい気持ちをやっとの思いで我慢しながら

どのように説明したのかも分からない気持ちで説明して、

恥ずかしさと悔しさで心が乱れてどうやって自分の席に戻ったかも分かりません。


しばらく心を落ち着かせようとしてもやり返したい思いでいっぱい…

しかし 今のこの心は人が持つべき心ではない。

「人」ならどうするんだ!自分の中で探し始めました。



そうだ! 相手は私の鏡だ。

私が持っている要素で相手を見ている。

という事は あのマネージャーがやっている事と同じ事を私が気が付いてないだけで

私もどこかでやっているはず。


私の目に見える彼女と同じ所を自分の中から探し始めました。

また相手ばかり見てたのね。


やっと自分を見るようになった目でさがしはじめました。

彼女と同じ姿はどこに隠れているのだろう…

あ、あった。やっぱり… あった。



過去に戻って思い出そうとしなくても 今日一日の中にもありました。

思い出すのも恥ずかしいけど

この会社で一生懸命に働いているフィリピン人がいます。

日本人と再婚して永住しながら本国に置いてきた子供達のために

仕事をするという事で無視する気持ちがありました。

また、日本の生活が何年たっているのに片言しか言えない他の国の人を

無視したり、そして 時間が余ると後輩が終わらせた仕事が当てにならなくて

口出ししたり、確認したりしました。


その人達の気持ちを考えるより、外側をみて評価をして 間違いには場所を考えずに

指摘してきました。

相手より 少し自分がもっと知っているということで その薄っぺらの知識で

また 自分の観念で相手を測ったり、見たりしたと思うと…

そこまで自分を見てからやっと 心の奥から“そうなんだ”と共に反省をしながら

この様な覚悟をするようになりました。



これからは心の目で相手を見るように…

知っていると言う観念的な姿ではなく、

言葉ではない 心を通して相手を見る様にと思いました。

そうする事で私の心を通して相手を知る事になるのではないかと思います。

そして 相手を通して私の心を覗く事で私自身、自ら成長できることだと気が付きました。

自分に向かい…

人らしく生きよう!!


この気持ちを心に染み込ませてから、


長い時間が過ぎてしまった。


いつも覚悟と考えだけで…




これからは実践を通して


生きている自分の感覚で


生きてみたい… そう願う私…




人の姿で生きていく者たちを見習い


自分の実践した内容を記録しながら、


より客観的な目で


自分を観察しながら


人の姿で成長し、生きて行きたい…




自分の心に気に入った私、


自分が満足出来る私、


その様な私、


その様な自分と、会って見たい…

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