「人」の世

このブログは「心」を成長させていく人たちの話です

◇人の姿勢

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まず初めに言いたい部分は

自分は持っているのに他人は持っていない時、


我々は『心が痛い』、『かわいそう』と言いながら助けて上げようとします。


見方によってこの心はとても良いように見えますが、

思わぬ大きな問題があります。


自分と違う事を認められないことを

自分も知らない内に育てていく事になります。


私は自分の家が楽で、自分が持っている物が大事と思う事と同じに

他の人も自分のが最高だと思う事が多いのです。


食事をするのにも買って食べなければならない環境の人は、

それがその人の環境なのです。


買って食べる事がかわいそうだと 見る私が問題なのです。

この様な事が一番問題として見られるのが障害者、



「障害者」という言葉で 私と姿が違う人達を偏見している

私たちの心です。


自分は十個の持ってて、 誰は指を七個持ったとしたら

自分は十個だから正常で 誰は七個だから足りないではなく、

ただ私は十個、誰は七個という事です。



七個を持っているその人は それが十個という事です。

これが結局民族の違いと、国の違いを認められる問題に繋げられるのです。

我々人達がこの部分の感覚を育ってていかなければ

世界の平和を願える事は 難しい事だと思います。


そして二番目に言いたい事は、

もし私の手を 本当に必要な人が居るとしたら

それは私が誰かを助けて上げるのではなく、

その場に居る私が 同然にやるべきの私の仕事なのです。

上の指の話を改めて言うと、

指を七個持っているその人の事はそのまま認めてあげながら、

その人に足りない指の役割は私の仕事としてやるべきだという事です。


誰かさんのためにやるのではなく、

誰かさんの代わりにやる事でもないのです。

どうしても一人では 出来そうもない状況の誰かさんの仕事は、

その場所にいる まさに私の仕事なのです。

これを私が居る所で見える事は 

私がやるべきの仕事だと子供に教えています。

『助けてあげる』、『奉仕する』という表現も

この感覚で言うとしたら、

ただ私がやるべきな事を 私がやっただけの事…と言えるのでしょう。^−^

細かくて 複雑に思えられるかも知れませんが、

人であれば、持つべきの内容であり、心です。

分かったと言って すぐに生活の中で実践は難しいかも知れないが、

向かってくる状況、また現れる自分の気持ちに ただ『そうなんだ』と

して行く内にいつか 自ら分かるようになる事たと思います。

 全ての病気が心から始まると言われていることは

 本当にその通りだと思います。

 これは誰もが知っています。

 そして、誰も否定しません。

 心が原因となって体に病気と言う結果として現れるなら、

 その解決策も原因となっている心から

 探せばよいと思います。

 しかし、病気は心からだと知りながらも

 知っていることは知っていることで止まってしまって

 結果の体に現れている病気だけ治そうとしています。

 もちろん、緊急事態の時は体を先に治療しなければならないのですけど

 今現れている病気を治療しようとするのであれば

 また、根本になる根を掘り出して

 2度と病気にならないために

 病気になった原因となる心からその根を探します。

 

 私はこの方法を子供たちにも私自身にも、もちろん使っています。

 子供たちはまだ小さかった時には

 母の私が病気になる可能性のある

 考えの習慣、心の習慣を変えるようにして

 経験した病気とは相対性を結ばないような習慣を身に着けて生活しようとしてきました。

 それで、今は風邪、発疹、食あたりくらいは

 子ども自身がどんな生活の習慣の時に掛かるかという事を知って

 前の習慣に戻ろうとする自分にすぐ気づいて正しい状態にいられるように自ら調節をするぐらいになり ました。

 

 病気だけではありません。

 森羅万象、全てがそうです。

 すでに現れている結果をどうにかしようとすることは

 穴埋めのような治療であり穴埋めの解決だと言えます。

 根となる原因を解決すれば結果は自動的に解決することでしょう。

 ちょっぴり傲慢に聞こえるかもしれませんが

 自分の体、心の病気一つ管理できない私であれば、

 万物の霊長とは言えません。

 病気とは関係のない生活、それが「人」の生活です。

 

 自分の体と心を調節できる力を小さい頃から育てていけるようにしてあげるべきだと思います。

 それは親の責任の中で一番重要な部分に即すると思います。

 これから、機会がある限りこのような部分の話をしていきたいと思います。

この様な人が良い

 与えられた環境で肯定的な心で最善を尽くす事。

 どんな言葉でも、どんな文字でも これを100%表現する事は難しいです。



 しかし、生きている人達の生活を見ると あ!これだ。とすぐに納得します。

 この時には 説明が必要ありません。

 それ程、言葉より文字より生活の中の事は説得力が大きいと言えます。

 生活の中の姿 それがまさしくその人の姿だからです。



 どれぐらい良いことを知っていて、どれぐらい正しい事を知ったとしても、

 自らその様に生活しなければ、また自らやって見なければ 

 良いことは良いまま、正しい事は正しいまま 私達の人生とは何の関係もなく、

 ただの真理、ただの名言に過ぎません。



 どんな真理も、どんな名言も自分の生活で実践しなくては 何の意味もありません。

 実践して自分の生活で成しとげた時、真理は真の真理として実を結ぶのであって、

 名言は言葉通りの名言としてより輝き、良い言葉もただ“いいね! 感動だ!”ではなく

“本当にその通りだ!”とその価値を認められる事でしょう。



 与えられた環境で最善を尽くす中で生きて行く人は真に美しいく感じます。

 その様な人が言っている全ての言葉は ダイヤモンドの様に輝く事でしょう。

 その様な人の人生はとても真性に感じます。

 尊く感じます。

今の時の男たちよ!!

 最近、経済の話以外はニュースのメニューがないほどあちこちで経済の話ばかりです。


 この経済の風は特に 男性たちを大きく揺らします。


 我が家も例外なく何ヶ月前から給料が半分になる状況が続いています。


 会社もこの先どうなるか分からない状況だと言っています。


 はじめには衝撃が大きかったのか、夫は気が小さくなり、顔色も良くないし、たまにため息をしていま した。

 このような夫は、今は歩く足に力が入り、顔も明るくなり、お笑い番組を見ると大きく笑ったりいつも 
 の通りに本を読んだり…変わりなくいつもと同じ姿になりました。

 
 呼んでいる私の声に「うん」とやさしい返事もします。


 夫のこのような返事は私は大好きです。


 それである時はわざと何回も呼んでみたりします。


 何回呼んでも同じ声でその都度、優しい返事をしてくれます。(^−^)

 
 環境は前より難しい状況ですが、我が家の5人家族は昨日より今日のほうがもっと幸せです。


 夫のため息が聞こえる時


 “今月の生活費はこれでやらなくては…”


 と言いながら以前の半分にもならないお金を気が小さくなって渡してくれる時、


 「何がほしい」「何を習いたい」と言う子供たちの言葉に何にも言えない夫、


 そのような姿の夫に、世間の事情を良く知っても、怖がらない私はこのように言ってあげます。


 「あなたは本当に大きなことでも起きたような心をして、


 また、この世が終わったような顔をしているね!


 男だと言うのに器が何でそんなに小さいの?


 その小さい器で今までどうやって生きてきたのか疑問になるよ。


 これから生活はどうなる?子供たちの教育はどうするか?と言う心配は頭から消して下さい。


 ただ今出来ることだけすれば良いのです。


 今、会社が危機的状況にあるのでそれをどうするか考えるべきです。


 それもあなたが最善を尽くせるところまでのことだけど…


 家のことは一切心配することはありません。


 あなたがくれるままの生活費に合わせて暮らせば良いのだから…


 子供たちは塾に行かない代わりに学校で先生の教えを心の耳でよく聞いて学べられるようにするし、


 家では自分たちが勉強を出来るようにしながら、今までよりもっと一生懸命勉強を頑張れば良いことで す。


 そのおかげで子供たちは今しか学べられない大事な何かを学べられるようになるはずです。


 与えられた環境で最善を尽くすこと、


 また与えられた環境で一人一人が自分たちがやるべきことを見つけられるようにすること、


 本当にお金を上げても学べられない事を学べるチャンスとして使います。


 これからは今よりいろんな面で世間はもっと大変な状況に落ちるかもしれない。


 そうだとしても私は自身があります。

 
 家賃を払えないならワンルームに引っ越せば良いことですし、


 それも難しくなったならば親戚の家にお願いして部屋一つ借りれば良いことだし、


 それも難しいことになればその時も必ず生きていく方法はたくさんあります。

 
 どこでどのような暮らしをしたとしても、


 あなたが居て、私が居て、子供たちが居ればそれで十分ではないですか?


 それ以上願うことがあればそれは欲心でしょう。


 そのように考えませんか?


 今は余裕があるから お金だ、株式だ、経済だと言いながら大変だと言うけれど、


 今日寝ている最中、大きな地震でも起きたならこのような心配は派手だと思いませんか?


 その時はただ家族の命だけでも救おうとして、他のことは考えられないのではないですか?


 なのに要らない心配ばかりして自分の体を苦しめないで下さい。


 自分が可愛そうではありませんか。


 何の罪があって自分自身をそんなに苦しめるのですか?


 息を大きく吸ってあげて下さい、自分自身に。


 あなた自身が余裕を持って生きていくのであればあなたの周りの人たちも、私の子供たちも余裕のある

 幸せの中で暮らしていけます。


 あなたの願うことは結局これでしょう。


 妻の幸せ、子供たちの幸せを願うのであればまずあなたが幸せになるべきです。

 
 もう一つ面白いことを言ってあげましょうか?


 人々が生きていける方法は星の数ぐらいたくさんあるよ。


 でも私たちは自分が知っている、いまやっているこれが出来なければ終わりだと思うから、


 他の方法を探せられないの。


 今、自分が出来ることをやるように言うのは、


 自分に与えられた環境の中で自分が生きる道を見つけられるようにするためだよ。


 抑えきれない苦難に体と心が奪われるのではなく、


 どんな状況の中でも自分が出来ることは必ずあると思って、


 それを見つけてやれるようにしなければならないの。


 戦争で死んでいく人がいる反面、その中でも金持ちになる人もいるということ。

 
 否定的な心は自分自身にも周りのひとたちにも何の役にも立たない。


 どんな状況の中でも常に肯定的に考えることを忘れてはいけない。


 世間の人たちは歯がなければ歯茎で生きれば良い。


 死ぬのでなければ生きる。


 との言葉を半分冗談で使うけど本当に使う状況になったときはこの言葉たちはどこかに消えて


 否定の中に自分自身を押し込んで苦しませている。


 普段、力になる言葉、慰める言葉、勇気を与える言葉を平素はよく使うけど


 自分がその状況に応じることになるとそのような言葉は記憶から消えてしまう。


 本当に自分が辛い時、後一山だと思うときに


 自分自身に使えられるようにしなければならないと思わないのですか?


 そうすることでその言葉が生きている言葉になり、


 周りの人たちに使うときにも、その人にも力になれるはずでしょう?


 
 各自、自分の特技を使うチャンスが来たのよ。


 私は私の特技で 子供たちは子供たちの特技で あなたはあなたの特技で 


 毎日を学びながら楽しく一生懸命暮らすつもりでいるからあなたも瞬間瞬間を楽しい心で生きていくよ うに頼みます。

 そうするべきだと思いません?」


 顔を近くにして笑いながら聞いたら 恥ずかしそうに頭を横にして「何が」と言います。


 しかし夫の顔には暖かい微笑が見えました。


 その姿がとっても可愛く思い 広い夫の肩を力強い私の腕で抱いてあげました。


 「息苦しいよ」(^−^)


 3番目の娘が「ママだめ、60トンの布団でパパに掛けてあげるとだめだよ」


 2番目の息子は「ええ またー」と言って恥ずかしそうに笑っている。


 長女は静かに自分の机に戻る。


 最近ブログの中でもたくさんの男性たちの心配を見ます。


 もちろん 私たち女性も例外ではないけど一つの家庭に責任を持っている家長としての重さを感じる内 容がたくさんあります。


 男性たちはこのように世間の大変さから真っ先に考えるのが自分の家族のようです。


 その責任感と言うのが本当にすごいと思います。


 「男」彼らは本当にすごい存在だと思います。

 家が必要だとすると家を作り出し、橋が必要だとすると橋を作り出し、


 家で苦労する妻のために洗濯機、掃除機、冷蔵庫、炊飯器…何でも作り出し私たちが便利に暮らせるよ うな環境を作り出してくれます。


 戦争、地震、台風、どんな悪条件の中でも何年も経たないうちに新しいものに作り変えます。


 歴史上数回の大きい戦争と数回の経済危機がありました。


 それでも何もなかったように今日を作り変えてくれます。


 今また世界が揺れるような経済危機を「男」彼らはまた何もなかったように作り変えてくれるはずで  す。

 「男」彼らは本当にすごい者です。


 男たちよ、力を出して!!!


 自分たちの力を信じて下さい!!!

 以前、ある方からこのような話を聴いたことがあります。

“している、していると言うのだが いったい何をしているの? している事はなんだい?”

 その時、私の心は、鍵を掛けたように口を閉じたまま絶対話すものか!という気持ちでした(^^)

 今日はその中の一つをお話したいと思います。

 たいしたことではないけど…


 生活をしながら知るようになったことの中で一つお話ししますと、


 「人という立場を持っている所では全てがあります。人はすべての事を持っている存在です。」


 
 ここですべてと言うことは一人の人が願う全てのことです。(今現在までは)

 願う全てのことをなせる方法は

 願うそのもの(目的)に 自分の心を置かないで 自分の心を成長させて いくことに心を置き、

 自分が「人になること」を目的に置いていたならば 願ったことは自然的になしていけるのです。

 早くなすべきことは早くなすようになり、時間が必要なことはまたその時が来るたびに少しずつ段階的 になしていけるのです。


 経済の変動があるたび、心が動かされる生活をして来たのだが、

 同じ状況でも、全然不便を感じない環境の中で暮らしている今の自分を見て、

 
 また、高いところから落ちて、その現場を見た人たちは脊椎が骨折したので半身不随になって寝たきり 
 のまま生きていくしかない噂までなった人が、今は家族の中で一番健康な人だというイメージの持ち主 として生きています。


 夫は健康診断を毎年受けていますが3,4年間は再検査が必要だと診断されましたが2年前から49歳 の年で健康診断の結果は全部OKでした。


 子供たちもやはり波乱万障(?)でした。

 3人ともアトピーの判定を受けたこともありました。

 1番目(中3)の子は小さいころ2回も階段から転げ落ちたことがあります。

 そのうちの1回は(幼稚園の時)顔の骨が見えるほどの大怪我でした。

 今は痕跡もありません。


 2番目(中1)の子も2歳になる前に親戚のうちに泊まるときに階段から転げ落ちたり2階の窓から落 
 ちて救急車に乗って行った事もあります。

 
 その子が幼稚園のころには何の理由もなく鼻血がタオル2枚をびっしょり濡らすほど出たこともありま す。

 また小1の時は自転車事故で顎の骨が骨折したこともあります。

 生まれてから6年という時間の中でレントゲンを何回とったか分かりません。

 今、明るく活発な息子の姿を見るたびにそのようなことは夢だったのでは…と思うほどです。

  
 3番目(小5)の子は生まれる時、羊水を飲んでしまって保育器に入れられ、

 1ヵ月後に退院する時にとても深刻だったとお医者さんが言いました。

 ある日友達の家でガラステーブルから落ち、目のすぐ上が切れたこともあります。

 2歳の子供の唇が真っ青になりあまりのことで泣くことも出来ませんでした。

 今は眉毛のとこに少し傷跡が残るくらいです。


 子供たち3人とも言葉通りに波乱万障でした。

 その波乱万障も、私が自分を人として成長していくうちに順風に変わり、その順風は春の日差しのよう 
 に変わっていきました。


 経済の不便さから抜け出そうと一生懸命お金を稼ごうとすることもなく、

 半身不随になった自分の体をどうにかしようとすることもなく、

 毎日のように胃が痛たく、下痢も頻繁で、手足の爪の色も紫色になっている夫の健康をどうにかしよう とすることもなかった。

 生まれてから幼稚園の3年間が終わるまで2,3日が長いと思うほど病院の出入りが多かった時も、

 その子供たちをどうにかしようとすることもなく、

 家庭から起きる全てのアクシデントにどうにかしようとした覚えがありません。

 ただ、そうなんだ。の気持ちでただただ私自身は自分を「人」にしていくことだけに心を合わせました。

 
 このような時間を過ごしながらある日洗濯機を持ち上げる力強い健康な母としてのイメージを得て、い

 つ買って置いたか忘れるくらい夫の薬はそのまま薬箱に眠っています。

 何日か前、長女が“ママ、最近パパが表情も明るいし面白くなったね”と言うほどパパの健康も変わっ てきました。

 子供たちの友達のお母さんから“お宅の子供たちは本当に健康ですよね”と言われるほど今は風邪も知 らない生活をしています。

 
 このような歳月を経験しながら、知る者になったのです。

 願うことを中心にしたり目標にすることより、私自身だけが人らしい人として成長していくならば環境 は自然的に人となった私に合わせて作られるしかありません。

 
 私を知る人々はたまに そのように良くなる秘訣は何か?

 どのようにすると そのようになるか聞いてきます。

 その疑問の私の答えはいつも同じです。
 
 自分の心を成長させていくことだと…


 すでに生活の中で、環境の中で起きている、また現れていることは結果です。

 現れた悪い結果一つを少なくさせたとしてもほかの方面から、

 また違う形で現れる結果に引きずられ、また表れる結果にまた引きずられる…

 現れる結果だけに心が動かされると、開いた穴を埋めるようなことだけに引きずられる人生となるでし ょう。

 それで自分の人生の幕を閉じるころには、何もしたことのない自分の空虚感と寂しさ、むなしさの最後 が訪れるしかありません。


 全ての結果の原因的な自分自身だけが、良い結果を作らせるように変わっていけば良いことです。

 それが「人」と言うものです。

 自分だけが全てを持っている人になれば、

 現れる結果も、人として持つべき結果を持つようになります。

 私がブログに書き込むときにも、根本的に「人になること」この部分だけを書いています。

 良くなる結果の話、その過程的の話はただ穴を埋めるような内容になるためあまり書かなかったので  す。


 全ての中心となる自分だけが人になれば、

 生活と環境は自然的に人が持つべき生活と環境になるしかないからです。

 目的を人において生きていくならば、私が生きていく全ての一生はそのもの自体が人の一生となりま  す。

 

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