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狼山道院は人間世界の寺ではない。
この山から全世界の動物達を祈る。
<<狼寺狼山道院>>
■ 華 厳 心 経 ■
** 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 **
戒 香 定 香 解 脱 香
光 明 雲 台 遍 法 界
供 養 十 方 無 量 佛
見 聞 普 薫 證 寂 滅
所 有 十 方 世 界 中 三 世 一 切 人 師 子
我 以 清 浄 身 語 意 一 切 遍 礼 盡 無 余
普 賢 行 願 威 神 力 普 現 一 切 如 来 前
一 身 復 現 刹 塵 身 一 一 遍 礼 刹 塵 佛
於 一 塵 中 塵 数 佛 各 処 菩 薩 衆 会 中
無 尽 法 界 塵 亦 然 深 信 諸 佛 皆 充 満
我 以 広 大 勝 解 心 深 信 一 切 三 世 佛
悉 以 普 賢 行 願 力 普 遍 供 養 諸 如 来
我 昔 所 造 諸 悪 業 皆 由 無 始 貪 瞋 癡
従 身 語 意 之 所 生 一 切 我 今 皆 懺 悔
我 願 普 随 三 世 覚 速 得 成 就 大 菩 提
所 有 十 方 一 切 刹 広 大 清 浄 妙 荘 厳
願 持 諸 佛 微 妙 法 光 顕 一 切 菩 提 行
究 竟 清 浄 普 賢 道 盡 未 来 劫 常 修 習
三 世 一 切 諸 如 来 於 彼 無 尽 語 言 海
恒 転 理 趣 妙 法 輪 我 深 智 力 普 能 入
我 能 深 入 於 未 来 盡 一 切 劫 為 一 念
三 世 所 有 一 切 劫 為 一 念 際 我 皆 入
我 於 一 念 見 三 世 所 有 一 切 人 師 子
亦 常 入 佛 境 界 中 如 幻 解 脱 及 威 力
於 一 毛 端 極 微 中 出 現 三 世 荘 厳 刹
十 方 塵 刹 諸 毛 端 我 皆 深 入 而 厳 浄
所 有 未 来 照 世 燈 成 道 転 法 悟 群 有
究 竟 佛 事 示 涅 槃 我 皆 往 詣 而 親 近
速 疾 周 遍 神 通 力 普 門 遍 入 大 乗 力
智 行 普 修 功 徳 力 威 神 普 覆 大 慈 力 遍 浄 荘 厳 勝 福 力 無 著 無 依 智 慧 力 定 慧 方 便 諸 威 力 普 能 積 集 菩 提 力 清 浄 一 切 善 業 力 摧 滅 一 切 煩 悩 力 降 伏 一 切 諸 魔 力 円 満 普 賢 諸 行 力 普 能 厳 浄 諸 刹 海 解 脱 一 切 衆 生 海
善 能 分 別 諸 法 海 能 甚 深 入 智 慧 海
普 能 清 浄 諸 行 海 円 満 一 切 諸 願 海
親 近 供 養 諸 佛 海 修 行 無 倦 経 劫 海
三 世 一 切 諸 如 来 最 勝 菩 提 諸 行 願
我 皆 供 養 円 満 修 以 普 賢 行 悟 菩 提 心 如 工 画 師 画 種 種 五 陰
一 切 世 界 中 無 法 而 不 造 如 心 佛 亦 爾 如 佛 衆 生 然 心 佛 及 衆 生 是 三 無 差 別 諸 佛 悉 了 知 一 切 従 心 転 若 能 如 是 解 彼 人 見 真 佛 心 亦 非 是 身 身 亦 非 是 心 作 一 切 佛 事 自 在 未 曾 有 若 人 欲 了 知 三 世 一 切 佛 応 当 如 是 観 心 造 諸 如 来 応 観 法 界 性 一 切 唯 心 造 一 念 永 劫 華 厳 空 一 念 無 辺 大 悲 空
南 無 華 厳 菩 薩 道 南 無 華 厳 大 悲 界
** 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 **
■南無華厳 狼山道院■
≪≪ 2014 ≫≫
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華厳共生義
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■華厳仏教は「種を超えた尊厳・共生心」を提唱します■
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<<貪欲人間>>
自分の欲望を満足させるために、
手段を選ばない人間が存在する。
どんな手段を使おうとも欲望を満足させる。
たとえ異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
そんなことは平然と平気な人間が存在する。
「フォワグラ」のことが日本でも話題になったが、
フォワグラの生産過程が如何に残酷無情かを、
多くの人人が知ることとなっただろう。
もし人間ならば絶対に耐えられない残酷環境だ。
しかしどうやら、その残酷実態を知ってさえ、
それでもなお「食いたい!」と言う人が多いようだ。
「それでも食いたい!」とは?
異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
「それでも食いたい!」とは?
そこまでして食いたい!というのか?
フォアグラの場合だけではない。
世界は様様な残酷生産に満ちている。
しかし他の動物の残酷生産の場合でも、
その残酷実態を知ってさえ、
それでもなお「食いたい!」と言う人が多いようだ。
「それでも食いたい!」とは?
異種の命を生き地獄に突き落とそうとも、
「それでも食いたい!」とは?
そこまでして食いたい!というのか?
問題の根本は、
「それでも食いたい!」という欲望だ。
そこまでして食いたい!という貪欲性だ。
その貪欲性こそが問題の根本なのだ。
人間とは、そういう生き物なのか?
そういう貪欲な生き物なのか?
それならば自ら貪欲だと認めればいい。
「人間は貪欲なんだ!」と自認すればいい。
「貪欲のどこが悪いんだ?」と主張すればいい。
そうすれば、話はややこしくならない。
ところがそういう人間は、必ず詭弁を持ち出す。
その残酷生産は酷すぎるという論点の論議でも、
「人間は命を戴かなければ生きていけない!」などという、
「植物も命だ!植物はいいのか?種差別だ!」などという、
著しく論点から外れた頓珍漢な意見を叫ぶのである。
彼らは異種の命の苦しみなど眼中に無いから、
だから残酷実態など、どうでもいいことなのである。
どうでもいいことだから、だから平気で詭弁できるのだ。
普段の日常で平気で草刈する人間が、
普段の日常で芝生の上に寝転がる人間が、
普段の日常で道端の草を踏みつける人間が、
「植物にも命がある!種差別だ!」などと叫ぶのである。
「とにかく食いたいんだ!」と言えば、ややこしくならないのに。
「人間は貪欲なんだ!貪欲のどこが悪いんだ!」と言えば、
話はシンプルに核心に向けて論議されていくというのに。
貪欲人間が「平和!」と謳う。
貪欲人間が「戦争反対!」と謳う。
貪欲人間が「共生!」と謳う。
貪欲人間が「地球環境!」と謳う。
今の世の中は、そういう世の中である。
欲望のままに異種の命を痛めつければ、
人類はどういう未来を迎えることになるか?
大宇宙の道理の根本は大慈悲である。
欲望のままに慈悲に背くことこそ、
それこそが全宇宙で最も重大な背理なのだ。
それは罪とか罰のレベルの話ではない。
罪とか罰の話よりも、もっと厳しい領域の話である。
欲望のままに慈悲に背く無慈悲に対して、
大宇宙の道理がどう働くかを、
いずれ必ず誰もが知ることになる。
例外なく、誰もが知ることになる。
無慈悲の人間は、己自身で慈悲というものを知るまで、
延延と際限なく果てしなく課題を与え続けられるだろう。
己自身で実感するまで、その旅は決して終わらない。
誰に頼もうと終わらない。己自身で実感するまでは。
自分は非肉食者だ。
もう非肉食の生活は長い。
そして絶食行も実践してきた。
自分は氷点下20度の山に棲んでいる。
毎日毎日、長時間に亘り野外活動している。
非肉食でも、身体にパワーが湧きあがる。
風邪も引かず医者の世話にもならず、
来る日も来る日も、極寒の雪山を突き進む。
自分は、この自分の身体で実証していく。
この狼山ブログは、その実証記でもある。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:01:30 ≫
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<< 感 受 性 >>
日本は自然環境についての教育に於いて、
子供達に強引に数字的生態系論を教え込むようだ。
数字的バランスで自然界は成り立っていると教え込む。
数字の帳尻が合えば自然界は成り立つのだと教え込む。
自然界は数字で成立しているわけでは無いというのに!
自然界の奥の奥は、「心の世界」だというのに!
そして人間は世界の頂点であり、
人間は人間の都合で行動すれば良いのだ!と教え込む。
人間にとって迷惑に感じる生き物は排除すべきだ!と教え込む。
快適生活の邪魔になる動物は「害獣!悪者!」なんだと教え込む。
「害獣だから手段を選ばず捕えて殺して食うのだ!」と教え込む。
「動物が苦しもうが泣こうが、そんなこと気にするな!」と教え込む。
あるいは「利用できる動物は手段を選ばず利用しろ!」と教え込む。
「人間の贅沢のためには手段を選ぶな!気にするな!」と教え込む。
そういう教育が、大手を振って、まかり通っている。
そういう教育を受けて育つ子供は、どういう思想になるか?
そんなことは、火を見るよりも明らかである。
そういう教育を受ければ、「人間至上主義思想」になるだろう。
どんどん「人間優越意識・人間特権意識」に染まっていくだろう。
それでは昔の西洋諸国と変わらないではないか。
そういう歴史が地球環境をズタズタにしてきたというのに。
そういう歴史を、わざわざ現代日本は再現しようというのか。
実際にそういう教育を受けて育った子供達が大人になっている。
今の日本の大人達の多くは、そういう教育に染まっているだろう。
だから「異種の命への想い」というのは極めて稀薄だろう。
これは野生動物に関してだけではない。
「ペット動物」に於いても、「産業動物」に於いても、
愛情稀薄の傾向は同様だと感じる。
すべては根本で直結しているのである。
もし繊細な感受性の子供がいたとしても、
その尊い繊細な感受性は、
大人から学校から世間から社会から、
容赦なく踏み躙られることになるだろう。
「生きるためには感受性など邪魔なのだ!」と怒られる。
たとえ異種の命への感受性に満ちた子供がいたとしても、
そのことを誉める大人は、あまりにも少ないと感じる。
多くの大人は、そういう感受性を蔑んでいるからだ。
それがどれほど大切なものかを知らないからである。
それこそが真の共生を実現させる最も重大な鍵なのに、
大人達は一向にそのことに気づかないのである。
感受性で社会は変わる。感受性で世界は変わる。
どれほど理論理屈を捏ね繰り回そうと、
その人の思考の方向を決めるのは感受性なのだ。
その人の感受性こそ、その人の思想を生んでいくのだ。
異種の命への感受性に満ちた子供が、
肩身の狭い思いで生きるような社会とは、
どれほど外側が豊かに見えても、
その内側は暗黒荒涼殺伐世界である。
狭量な人間主義というのは、
民族主義に繋がり身内主義に繋がるだろう。
そして自分主義へとエスカレートしていくだろう。
異種の命への感受性というのは、
実は壮大世界への「鍵」なのだ。
もし異種の命達の全身全霊を教えてあげれば。
もし命達一頭一頭の渾身の生涯を教えてあげれば。
もし命達の深く繊細な感情を教えてあげれば。
子供達の感受性は、どんどん磨かれていくだろう。
そして世の中は、必ず変わっていくだろう。 ■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:01:28 ≫
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<<宇宙慈悲>>
**V A I R O C A N A**
「2014年1月2日15:29」
動物達に「心」があることは、
今では誰もが知っていることだろう。
昔の人人はそれを否定していたが、
今では普通の常識となっているはずだ。
動物達に「心」があると知っているなら、
普通は動物たちを苦しめたりできないはずだ。
自分と同じように「痛みと苦しみ」を感じる命に対して、
まさか残酷虐待行為など、絶対にできないはずである。
それが人類の人道というものだろう。
それが英知を自慢する人類の人道というものだろう。
それができないのなら英知など自慢すべきではない。
「自分達は強欲非情野蛮人」だと自ら認めるべきである。
「虐待繁殖:動物実験:家畜工場:毛皮生産」などで検索すれば、
あるいは「害獣:くくり罠:熊罠:猪犬訓練:犬肉」などで検索すれば、
世界の動物悲劇の実態が多少なりとも調べられるはずである。
「YOUTUBE」でも同様に検索できるはずである。
これらはただ「殺す:食う」という次元とは全く別のものだ。
「殺す:食う」という話とは別の問題であることが見れば分かる。
「人間はここまで残酷になれる」という現実が分かるはずである。
もしかして人間は残酷になれる素質を備えているのだろうか?
人間の残酷性というものを真正面から見つめていかなければ、
世界の動物悲劇を食い止めることは不可能だと思う。
問題はシンプルなのだ。複雑ではないのだ。
問題の根本は人間に潜む残酷性なのだ。
「1月2日15:37」
「15:37」
「15:38」
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:01:03 ≫ |
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≪≪ 2014年1月1日 ≫≫
■ 山 界 唯 心 ■
**阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提**
心 如 工 画 師 画 種 種 五 陰
一 切 世 界 中 無 法 而 不 造 如 心 佛 亦 爾 如 佛 衆 生 然 心 佛 及 衆 生 是 三 無 差 別 諸 佛 悉 了 知 一 切 従 心 転 若 能 如 是 解 彼 人 見 真 佛 心 亦 非 是 身 身 亦 非 是 心 作 一 切 佛 事 自 在 未 曾 有 若 人 欲 了 知 三 世 一 切 佛 応 当 如 是 観 心 造 諸 如 来 応 観 法 界 性 一 切 唯 心 造 *** 一 念 永 劫 一 心 合 掌 *** *** 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 *** ■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:01:01 ≫
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