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<<言霊対話>>
写真は11月19日。山麓の仕事場の近く。
PitBull:Jindo:野性禅。
山の犬舎エリアの20日の夜明け前は、氷点下10度くらい。 山麓の仕事場の外気温は、氷点下6度くらいだった。 ジンドウは極短毛なので仕事場で一緒に寝起きしている。 ≪≪ 言霊対話 ≫≫
犬達とは無言対話で交信する場合も多いが、 言葉で話しかける場合も多い。状況による。 犬達は言語を聞くのではなくニュアンスを聴く。 犬達の深い感性が言葉のニュアンスを感知する。 しかし「心からの言葉」でなければ犬達に届かない。 「心からの言葉」だからこそ、ニュアンスが伝わる。 そのニュアンスは言霊だ。それはつまり言霊なのだ。 自分の言葉のニュアンスが犬達に伝わるかどうか?? 自分はそれに常に挑んでいる。そして常に試されている。 誰に試されているわけではない。自分自身に試されている。 おまえはほんとうに野性対話道を精進しているのか??と。 犬達の心境を読みとることは普通にできる。それが日常だ。 だが犬達に「伝える」ことは、なかなか難しいことである。 ただしこれは命令用語の「コマンド」のことではない。 コマンドは対話とは違うのだ。それはただの命令符号だ。 そういう領域ではなくて、これは対話の領域のことなのだ。 ほんとうの心からの言葉に、言霊を込めて、犬達に伝える。 ■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:11:23 ≫
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狼山道院
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<<交感手綱散歩>>
写真は2014年7月。PitBull:「Jindo」
家族に迎えて1箇月くらいのころ。停止場面。 「犬が引っ張って困る」という飼主は多いようだ。
犬それぞれに「引っ張る理由」というものがある。 その理由を洞察し、いつも根本の解決を考えていくべき。 たとえば強くチョークしたり、強いショックを与えたり、 そういう付け焼刃的な手段は、根本の解決にはならない。 たとえば。。。
*とにかく元気が有り余っている。 *心身のエネルギーが極めて大きい。 *「散歩の呼吸」というものを未体験。 *「落着く」という感覚を未だ知らない。 *主人の言葉が耳に入らない無我夢中状態。 *人間の徒歩速度で遅く歩くことに不慣れ状態。 *主人と共感して散歩する感覚を未だ知らない。 *短く制限されたリード範囲への反射的な反動。 *リードへの反射的反動を自制する意識が未熟。 たとえばこういった理由を、根本から考えていく。
最初から短く制御しようとしても反動を生むだけだ。 犬が短いリードを相手に喧嘩しているようなものだ。 だから最初は安全な場所で長めのリードで練習する。 暫くは大らかに動きを許しながら慣れさせていく。 長リードで慣れさせながら長短を変化させていく。 あるいはドッグランで元気を発揮発散させてから、 そのあとで長リードで徒歩散歩の呼吸を練習する。 あるいは途中で一緒に座り、沈静の時間を共感する。 沈静を共感し、「落着く」ということを体感させていく。 そしてまた、常に「対話」というものを実践していく。 対話が深まっていけば、 元気発揮の際にも、「聞く耳」を持つようになる。 犬が落着いて聞く耳を持つようになることが基本。 そして散歩の「呼吸」を深化させていく。一心同体!! 長尺リードを操る際には、自分の全身を起動させる。 基本は片手でリード長短を自在に操るのだが、 長尺の場合は両手をフルに使って瞬間対応していく。 常に自分の全身を起動させ、リードに命を吹き込む。 「リードに命を吹き込む!!」ことが散歩の大基本。 *私は280cmのリードを使う。 常に長短を操るので、この長さが丁度いい。 *犬の推進を停止させる際には、 あるいは強力犬を引き戻す際には、 闇雲に腕で引き戻すという感覚ではなく、 「全身力でリードを握る!!」という感覚が大事。 腕と身体を一体化させた全身力で握ることが大事。 全身力でリードを握ると、リード力は格段に高まる。 *犬が前であろうが左側脚であろうが、
そういうことは状況に応じて臨機応変である。
状況に応じた臨機応変を修練していく。
小手先の制御道具に依存すれば深化は無い。
ご褒美で釣れば深化は無い。上辺の領域で終る。 やたらと誉めまくりながら、 相反して不自然な制御道具を当然の如くに使う?? それは「犬をバカにしている!」ということだ。 初期の「きっかけ」だけに「術」を使うのなら、 それならば話はわかるが、ずっと普通に使うなら、 あまりに「犬をバカにしている!」ということだ。 犬達はほんとうは、ご褒美に感動などしない。 犬達はほんとうは、口先の誉め言葉など見抜く。 犬達の心を揺さぶるのは、主人の本気の深愛だ!! ■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:11:13 ≫
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<<Come What May>>
なにが起ころうとも俺達の愛は変わらなかった。
たとえ生きる世界が変わろうとも俺達の愛は終らない。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:11:08 ≫
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<< 僕はもう行くよ・・>>
写真は2013年12月6日。積雪の直前。
「悍:kan」の他界する半年前の17歳の写真。 人間で言えば100歳くらいだろうが元気に走った。 そして氷点下22度の真冬を乗り越え初夏に他界した。 他界の数日前から禅境地に入り静かに堂堂と他界した。 悍の若いころは気性が烈しく犬達に敬遠されていたが、
歳とともに随分と丸くなり慕われるボスとなっていった。 私を父と慕い私を大好きだったが悍は私に甘えなかった。 「甘える」という表現はしないが、それが彼独特の個性だ。 甘える表現をしなくとも、心の深奥で私を大好きだった。 そういう犬もいるのだ。不器用な愛の切なすぎる美しさ。 悍は最期、私の膝で、安らかに嬉しそうに、目を閉じた。 17年半。一緒に生きた。一心同体で。乗り越えてきた。 「お父さん、僕はもう行くよ。 お父さん、ありがとう!」 それは彼の今生最後の言葉。それは彼のほんとうの本心。 悍は山界の体現者だった。
彼から、いろんなことを学んだ。 彼はどんな学者よりも山界を知っていた。 どんなナチュラリストよりも山界を知っていた。 どんな本を読むよりも彼からの学びは深いものだった。 彼から学んだことを、犬達から学んだことを、 人間からは学べない深い領域の学びを心に刻んできた。 彼らからの学びは、人間達には理解されにくいが、 たとえ理解されにくくとも、そのままで書いてきた。 彼らからダイレクトに学んだことを、そのままに書く。 それが彼らへの礼義であり感謝であると信じている。 ■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:11:07 ≫
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<<EverlastingMountain>>
≪≪山斗16歳半:仁15歳半≫≫
※写真は10月28日から11月2日。 今年の初夏から秋にかけて、 17歳半の「悍」と16歳半の「猛」と16歳半の「小太」が他界した。 山斗と仁は彼らの他界を理解している。今生の死の意味を覚っている。 そして彼らは、自分にも「死」というものが訪れることを覚っている。 山斗と仁は、己の今生の寿命を迎えるその時まで、全身全霊で生きる。 彼らの勇気に満ちた姿を心深くに刻む。生死を超えた境地を学んでいく。 **Wolfmountain in Winter**
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:11:04 ≫ |




