狼の山の魂

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動物の尊厳

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■動物尊厳義・共生義■
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<2009年6月13日>

狂犬病は危険に違いない。

だから感染防止の為に全ての犬を「撲殺」すると言う。

中国での話のようだが、手段が「撲殺」だと言う。

皆さん、ただ一撃で犬を殺せると思いますか??

一発で犬を昇天させられると思いますか??

犬は、棍棒を構えた人間達の姿に恐怖し、必死に哀願する。

しかしその哀願は、微塵も通用しない。

いよいよ、容赦なき打撃が始まる。

犬も必死だから、一発で急所など叩けないはずだ。

あちこちの骨を叩き折られながら死んでゆくのだろう。

皆さん、棍棒で殴られた事はありますか??

どれくらい痛いか、分かりますか??

私は昔昔、木刀で殴られたことが何度かある。

複数人を相手にした時に殴られた。

幸い骨折は無かったが、後になってその激痛に悶絶した。

しかし、その犬たちへの攻撃の激しさは比にならない。

なにしろ「撲殺」が目的の打撃なのだ。

徹頭徹尾、情け容赦の無い打撃が続くのだ。


その犬たちは、皆さんの愛犬と全く同様の感受性を持っています。

皆さんの愛犬と同様に、恐怖を感じ、痛みを感じます。

その犬たちも、皆さんの愛犬と同じように純真な天使たちです。

その彼らが、「撲殺」されたと言うのです。


中国が「国威」を誇るのなら、

「文化」を誇るのなら、「科学」を誇るのなら、

なぜに「撲殺」を選んだのだ??

なぜ、恐怖と激痛を与える方法を選んだのだ??

一番安上がりだからか??

それとも、犬の感情など、元から頭に無かったからか??

「犬は物だから、物に対して手段など選ばない!!」という感覚なのか??


本物の文明とは、目的の為に「手段を選ぶ」というものだ。

全知力を発動して「手段を考える」のが、本物の文明だ。

今まで、手段を選ばずに進んできたから大自然が破壊された。

今では誰もが、そのことに気付いているはずだ。

そして大自然は、命たちそのものだ。

そのことも、多くの人が気付いているはずだ。

異種族への理解なしには、もはや大自然を語れなくなっている。

人間が知能を誇るのなら、異種族に対する配慮を持って欲しい。

異種族たちにも「心」があることを、知って欲しい。

そしていかなる場合にも、手段を選んで欲しい。

■南無華厳 狼山道院■

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<2009年6月2日>

「宥和・yuuwa」とは、

「主張しながらも、相手の言葉にも耳を傾ける」

「主張しながらも、相手の事情と相手の心境を鑑みる」

「主張は主張としながらも、妥協の可能性も探索する」・・・・

このように私は「宥和」を考えている。

宥和は、重大だと思う。

さまざまな思考の人がいて、さまざまな思想の人がいて、

そこで意見が異なるのは至極当然のことだ。

ただし、じっと相手の話を聞いてみて、

そこに納得の部分があれば、それを認める勇気が必要だと思う。

「その部分は分かったよ・・・そこは了解したよ・・・

君の立場も分かったよ・・・君の事情も分かったよ・・・

それを知った上で話すよ・・・君を認めた上で話すよ・・・

でも俺はこう思っている・・・・・

どうだろう、俺の言うこの部分は、君も分かってくれるかい??

この部分については、君はどのように感じてる??」


私は「動物の尊厳」を語るとき、

いつも「せめて・・・・」という言葉を使ってきた。

人間界の事情も分かるから、「せめてこれくらいは・・・・」と提言してきた。

動物の尊厳を語る人の多くも、同様に「せめて・・・」の口調で話している。

だが反発者たちの多くは、宥和の意識など持たずに攻撃一色となる。


昔昔は、人間は動物に対して「尊厳」の概念など持たなかった。

ペットに対しても、どこまでも「ペット」だった。

それがだんだんと変わってきて、ようやく尊厳意識が芽生えてきた。

尊厳意識が芽生えてきたからこそ、

飼育放棄や虐待に対して世間が疑問を持つようになった。

疑問を抱き、そして対策を考えるようになった。

動物たちからすれば、本当に有難い状況になってきた。

やっと・・・やっとそのような世間になってきたのだ。

動物たちは長い間、気の遠くなるほど長い間、待ち侘びてきたのだ。

だが、その状況を、面白くないことと見る人たちがいる。

その人たちは、動物の立場を考える行為自体が許せない様子だ。

そんなことを考えるのは「反社会的行為」だと断罪する。

その人たちは、ずっとずっと昔昔のままの人間界でありたいのだ。

「人間が一番偉いんだ・・動物のことを考えるなんてどうかしてる・・・」

だからその人たちは、最初から聞く耳など持っていない・・・・・

「過保護」を謳っている訳ではないのに、

「動物優先」を謳っている訳ではないのに、

そんなことは微塵も提唱していないのに、

それでも反発者たちは、どこまでも許さない・・・・・

実際、いくつもの動物愛護ブログが、彼らからの攻撃を受けている。


ところでこのブログも、攻撃を受け続けてきた。

だが私の場合は、少し事情が違っている。

私への攻撃者は、動物愛護サークルのようなのだ。

そのサークルは独自の主義がある様子だが、

どうも私の記事が、その主義に反するから、

「叩き潰せ!!」ということになっているらしい。

私は相手のブログを読んだが、立派な記事が書かれている。

私がどうこう言う問題ではないのでコメントなどしない。

しかし大きな疑問が湧いた。

あれだけの記事を書く人が、

なぜあのような方法で、なぜあのようなスタイルで、誹謗中傷を繰り返すのだろうか??

連綿と執拗に揚げ足取りを繰り返すスタイルを見れば、とても同一人物とは思えない。

その人の記事を見る限りでは、なぜにこの私を攻撃するのかが分からない。

最終的な目標としては共通項も多い様子なのに、

大きな意味では重なる部分も多い様子なのに、

なぜああまで私を攻撃するのか、それが分からない。

私は東京都に問う。

「動物愛護推進委員」とは、どのような立場なのかと。

あのような手段で自分の気に障る者を叩き潰そうとする人間が、

愛護推進委員としての人格を有しているのかと。

■南無華厳 狼山道院■

<2009年5月18日>

世界人口は六十数億人だという。

この二百年で6倍くらいに増えたという。

とにかく物凄い数字だ。

果たして地球は支え切れるのだろうか??

人間が「何を食うか」が、

大きく問われる時代に突入したように思う。

それを考えなければ、地球は到底持たないように感じる。

人間の殆どは肉を食うが、

六十数億の人間が肉を求めていたら、

地球の調和が成立する限界点を軽く突破してしまうだろう。

六十数億の肉食動物を抱えるキャパなど、地球には無いだろう。

それは地球が想ってもみなかった予想外の事態だろう。

この予想外の事態に、さぞかし地球もビックリしているに違いない。

肉食の歯も持たずに、肉食に適合した胃腸も持たずに、

それなのに人間がこうまで肉を好むようになるとは、

地球も「まさか・・・・」と絶句しているだろう。

肉を欲しさに、不自然極まる方法で養殖し、

その不自然極まる養殖が結局、世界の食糧不足を招いている。

その不自然極まる養殖が、劇的な環境破壊を招いている。

それが人間自身をも苦しめているという事実に、気づき始めた人も多い。

それが「同族の飢え」に結びついている事実に、気づき始めた人も多い。

世間にも少しずつデータが紹介されるようになったから、関心を抱く人も増えた。

だが、未だなお、強い拒絶反応を見せる人が圧倒的だ。

なぜなのだ???

なぜそんなに「肉」に執着しているのか・・・・

世間は「エコ!!」と叫んでいるというのに、

もはや「エコ!!」が常識的感覚になっているはずなのに、

「反エコ」の筆頭である肉食に対して何も疑問を持たない人が、未だに圧倒的だ。

人が肉を求めなければ、世界はケタ違いに豊かになるという。

「少量のトウモロコシの粉」だけで生き延びている子供たちも、

おいしいパンや果物を、お腹いっぱい食べれるようになるというのに・・・・・

あるいは、非肉食が地球温暖化を防ぐ最も有効な手段だと言われているが、

たとえそれを知ってさえ、なおも人は肉に執着するのだろうか・・・・・


そして不自然極まる養殖により、動物は極度の不幸となる。

肉が食いたい!!という「嗜好」が、動物を不幸のどん底に落としている。

そうまでして、自分の嗜好を満たしたいのか・・・・

そうまでして、嗜好を楽しみたいのか・・・・

おいしい御飯があるではないか・・・

おいしいパンがあるではないか・・・

おいしい野菜があるではないか・・・

おいしい果物があるではないか・・・

いろんないろんな食べ物があるではないか・・・

いったい、なにが不満なのだろう・・・・・

なぜわざわざ、肉を選ぶのだろう・・・・・

昔は「五穀」を絶って精進に励んだ修行僧もいたと聞くが、

ここでの話は、そのような極端な話ではない。

穀物も野菜も果実もキノコも、いっぱい食べられるのだ。

不思議だ・・・なんの不服があるというのだ・・・・・

だが、動物の解放される社会の到来は、遠い未来になるかも知れない。

今はせめて、畜産動物の境遇の改善を、願うばかりだ。

今はせめて、「動物の尊厳」に対する意識を持ってもらいたい。

その意識の有ると無いとでは、すべてに於いて、天地の開きが生ずるからだ。

その意識の元に、人間の知恵を惜しみなく投入して、

動物たちが死ぬその時まで、彼らに平安を与えてあげて欲しい。

それがせめてもの、今の願いだ。

なにしろ、命を、戴くのだ。

境遇への配慮があって、当然ではないか・・・・・


「植物にも命があるだろうが!!肉は駄目で植物は食ってもいいのか??」

非肉食の話題となると、このような反論が、必ず渦巻く。

これが反論者たちの常套句だ。

だがその人たちは、植物に対して、どのように感謝しているのだろうか??

その人たちは日々、植物に対してどのように祈っているのだろうか??

道を歩く時、草を踏まないか??

芝生に寝転がったことは無いか??

草刈の光景を見たとき、何を思う??

花屋に切花が並んでいる光景を見て、何を感じる??

部屋の観葉植物が枯れたとき、何を感じる??

その枯れた観葉植物を、どのように弔った??

畑で野菜が育っている姿を見たとき、何を感じる??

野菜を切るとき、どんな想いで切る??

野菜を食べるとき、野菜の命に対して、どのように感謝している??

植物に、命がある。 当たり前の話だ。

だが植物と動物とは、その感受性が、かなり違う。

その痛みの感覚も苦しみの感覚も、かなり異なる。

その自然界での立場と役割が異なり、感性もそれぞれに独特のものなのだ。

私は長い年月、植物の心も、知ろうと試みた。

山で、野性禅の中で、植物の声を、かすかに聴いた。

彼らは自分たちが、無数の命たちを支えていることを知っている。

そして大自然の誰もが、その事実を知っている。

誰もが、植物の恩恵を受けて生きている事実を知っている。

つまり植物たちは、己の使命の理解者たちと共に生きている。

そこには、大いなる暗黙の了解が存在している。

植物たちは、その喜びの中で生きている。

人間界に於いて植物は、真の理解者と出逢ったとき、とても喜ぶ。

そして彼らはその時、己の使命を全うしたいと願う。

だが、真の理解者に出逢えることは滅多にない。

口先だけの理解者は多いが、植物たちは鋭く見抜く。

植物たちは、哀しい想いに肩を落とす。

植物たちはその時、大きな痛みを感じる・・・・・

山で華厳の祈りを捧げるとき、

もちろん、植物たちのことも祈る。

全霊で集中して彼らのことを想うとき、物凄い疲労が生じる。

動物たちのことを想う時とは異質のエネルギーが求められる。

疲れ果てて、動くこともできなくなるような時もある。

それほどに植物の感性は、独特なのだろう・・・・

ベジタリアンを批判する人は多いが、

己の健康ばかりに気をとられる健康志向ベジタリアンは別として、

動物の尊厳に配慮してのベジタリアンならば、

きっと植物に対する感謝も本物だと思う。

きっと植物たちに対しても、深い祈りを捧げているだろう・・・・・


人が肉を求めている。

世間が肉を求めている。

「誰がどうの」という話ではない。

社会そのものが、肉を求めているのだ。

その流れの中で、甚大な理不尽が発生する。

その甚大な理不尽は、肉食が続く限り、起こり得る。

それを根本から解決するには、非肉食社会に変転するしかないだろう。


※なお、このブログを断片的に読んで曲解する人がいるようですが、

この「狼の山の魂」は、常に「全体でひとつ」になっています。

ひとつの記事だけで局限的に解釈されないことを願います。

※「データ」などを知りたい方は、

「no.219 : 参考サイト」に紹介したサイトを御覧ください。

■南無華厳 狼山道院■

<2009年5月12日>

「動物の尊厳」に関する参考サイトを紹介します。

人間社会に於ける動物の境遇の現実を教えてくれます。

「地球生物会議」と「ヘルプアニマルズ」です。

あるいは「菜食のすすめ」も参考になるはずです。


私のこのブログには、

いわゆる「データ」的なものは載せていませんので、

データを知りたい時には上記のようなサイトを御参考ください。

■南無華厳 狼山道院■

<2009年4月28日>

人間は、生きるための全てを、自然界から頂戴してきた。

清らかな空気、水、食べ物、資源、その全てを頂戴してきた。

その自然界を成り立たせてきた者たちは誰か??

微生物たちであり、昆虫たちであり、植物たちであり、

魚たちであり、爬虫類たちであり、鳥たちであり、そして動物たちだ。

その誰が欠けても、成り立たなかったのだ。

彼らの「生」そのものが、調和への献身だったのだ。

だが人間は、頂戴することだけしか眼中に無かった。

自然界を成立させている命への感謝など、ひとかけらも無かった。

その恩義は、推し量ることさえ不可能な、途轍もないレベルだというのに。

それから考えれば、

たとえば「動物の尊厳を世に問う」ことなどは、実に控えめな、実にささやかな提言だ。

これまでの無量の恩義を想えば、

「せめて、尊厳の意識を持ってください・・」と訴えることなど、最低限の嘆願だ。


※「動物の前に、人間のことでしょ!!」と言うならば、

なぜに人間世界は本気で人間を救わないのか??

飢えた子供たちが、ごく少量の「トウモロコシの粉」だけで命をつないでいるという。

「ベジタリアン」どころのレベルではない。

トウモロコシの粉だけで、それもごく少量で、やっと生きている子たちがいる。

「人間のことが大事でしょ!!」と叫ぶのなら、

その子たちに、「パン」を「米」を「野菜」を送ってあげて欲しい・・・・

テレビでは、未だに「グルメ番組」が花盛りの様子だ。

自分たちは美食を堪能しておきながら、なぜ「まずは人間、でしょ!!」と語れるのか??


「動物の尊厳の提唱」は、無理難題でもなんでもない。

それを極論と感じるならば、「恩義」を微塵も感じていないということだ。

■南無華厳 狼山道院■

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