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<2008年3月3日>
神や仏や天使や菩薩に出逢いたい!と願う人は、
まず世間を見渡してみるといい。
人間世界に舞い降りた天使や菩薩を見抜くことができなければ、
神や仏の世界を感じることもできないはずだ。
「悟りの者」は、悟りの世界に住んでいる訳ではない。
多くの人たちが「悟りの世界」に憧れるようだが、
本物の覚者は、そこに安住などしていない。
「敢えて異世界へ降りていく」のだ。
「敢えて降りてきた覚者」は、大変だ。
人間界の殆どの人間に理解されないからだ。
人間の理解を超えた者だから、人間は彼らを容易には理解できないのだ。
降りてきた覚者の道は、想像を絶する難行苦行の連続だ。
覚者は、途方もない孤独と途方もない理不尽の嵐の中を突き進む。
宗教家もスピリチュアルの人たちも覚者に憧れるが、
実際の覚者の道を知れば、憧れる人は激減するだろう。
盲導犬は、菩薩だ。
人間は彼らを「利口な犬」程度にしか見ないが、その人間の感性が、哀しい。
人間の感性はつくづく貧しい。 人間の感性は死んだ状態だ。
盲導犬の献身の道は、いかなる人間にも真似できない。
盲導犬の心境を知れば、いかなる人間も言葉を失うだろう。
盲導犬は、「犬」としての殆ど全てを犠牲にする。
全てを抑え、果てしない忍耐の海を泳ぎ続ける。
彼らは、使命感だけで生きている。
支え尽くす献身の心だけで生きている。
しかも、自分を真に理解する者が殆ど皆無の世界の中で、それを実行する。
誰も自分の真意を知らない世界で、ただただ無償の愛を捧げ尽くすのだ。
一体、誰が真似できるというのだ??
理解も、報酬も、名声も、なにひとつ無い無償の極致の献身を、誰が真似できるのだ??
犬本来の本能と習性を知れば、犬本来の喜びの実像を知れば、盲導犬の忍耐の偉大さが分かる。
盲導犬訓練士が凄いのではなく、盲導犬が凄いのだ!!
盲導犬育成団体が偉いのではなく、盲導犬が偉大なのだ!!
「盲導犬育成にご協力を!」と叫ぶ人は多いが、
「盲導犬の心を知ってください!」と叫ぶ人は滅多にいない。
盲導犬の心から学ぶものは無限にあるのに、誰も注目しない。 寂しい話だ。
盲導犬は、この世に降りた菩薩だ。
彼らの心を知ることは、偉大な学びだ!!
盲導犬・聴導犬・介護犬・セラピードッグなど、さまざまな福祉犬がいる。
世間は「福祉犬を人間の福祉に利用する行為」を福祉活動だと認識する。
だがそこに、福祉犬への敬意はあるのだろうか??
本物の「リスペクト」はあるのだろうか??
世間は福祉犬を「道具」として捉えているようだ。
人間はどこまでいっても「利用」の好きな生き物だ。
利用の魂胆のある内は、真の共生など遥か夢の話だ!!
**** WOLFTEMPLE ****
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