狼の山の魂

■■ A N I M A L T E M P L E ■■ 動物たちの真情を伝えます。全世界の動物たちを祈ります。

北極犬

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

狼の山の魂「雷魂」

 
<<雷魂>>
 
イメージ 1
 
今は亡き家族の「雷:ライ」は、
豪胆無比の北極エスキモー犬だった。
私は彼から本物の不屈精神を学んだ。
北極エスキモー犬の数千年の歴史が、
いったいどれほど過酷だったか、
彼と暮らすうちに、ありありと実感できた。
それはまさしく、命懸けの苦闘の歴史である。
ライは我家に於いて、狼の太郎の兄貴だった。
太郎は最後まで、ライを兄貴として尊敬していた。
もはや「力」では巨狼の太郎が圧倒していたのだが、
しかし太郎は、ライの豪胆精神に敬意を払っていた。
≪ライも相当に大型だったのだが、太郎はさらに極大型だった≫
ライは13歳の生涯で、三度くらいしか吠えたことが無い。
しかもそれは「ヴァン!!」という重低音の一言である。
ライは秘めた覚悟の塊りだったから、
いつでも命懸けの覚悟ができていたから、
だから吠える必要が無かったのである。
猛犬種で知られる大型犬連中も、
ライが無言で見詰めるだけで顔を逸らしたものだ。
ライの眼力は、とにかく途方も無かったのだ。
これまで大勢の種種様様な犬種たちと付き合ってきたが、
未だにライのような犬は見たことが無い。
それほどまでに強烈な豪胆だった。
ライは北極現地の橇犬チームのボス犬の直仔なので、
つまり世間で言われる「犬」の範疇には入らないので、
家族として暮らすには想像を超えた至難に満ちていた。
しかし道程の果てに、我我は永遠の絆を結んだ。
山に雷鳴が轟く時、山に雷光が閃く時、
私はいつもライを思い出す。
ライは我が子であり、そして恩師である。
 
ライの毛色は独特だったが、北極エスキモー犬の毛色は様様である。
見栄えという視座で言えば、「王嵐:オーラン」のような灰色が綺麗だが、
北極エスキモー犬の場合には、とにもかくにも「実力」が最優先なので、
毛色などは全く「条件」には入らないのである。
毛色は度外視されるが、「毛質:毛機能」は重大条件である。
北極現地では、極めて高密度の二重毛が絶対条件となる。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:07:27 ≫
 
<<古代犬の面影>>
 
古代の「原始野生犬」には、いくつかのタイプがあったが、
最も大きく逞しいタイプが「イノストランツェヴィ」である。
その子孫にロシアの大型護衛オフチャルカや、
大昔の古代系チベッタンマスティフや、
そして極地に進んだ大型極地犬たちがいる。
だが今や古代の面影を残している犬など極めて稀である。
なぜならあまりに「人の手」が入り込んでいるからだ。
人間の作意による「ブリーディング」が過剰になれば、
当然ながら古代の面影は失われていくのだ。
そこに人間の作為が入れば著しく「力」は失われていく。
そして身体各部に生来的な支障を抱え込むことになる。
病院通いの犬たちの、なんと多いことか!!
犬たちは本来は、極めて強靭な動物なのに!!
人間は知恵を自慢しているが、
「ブリーディング!」などと自慢しているが、
知恵どころか人間の浅知恵と強欲が、
「疾患を抱え込んだ現代の犬種たち」を生んだのだ。
そうなることは、考えなくても予測できたはずなのに!!
なんでそんなことすら予測できないのか!!
痛ましい疾患の話を聞くたびに、つくづくそう思う。
犬たちは我慢強いから口には出さないが、
日常の動作でさえ激痛を伴う犬も多いのである。
人間だったら間違いなく生きる希望を失うだろう。
 
 
イメージ 1
「1994:王嵐:一歳半」 2006年に13歳で他界。
とにかく圧倒的なパワーだった。
毎日毎日、10kmから20kmを運動した。
絶対に厳重に注意すべきは「暑さ」であるが、
この森の夏は涼しく冬は極寒なので助かった。
氷点下20度でも「心地良い」ような感じであった。
 
写真は北極エスキモー犬の「王嵐:OLAN」である。
祖父犬はグリーンランド北部の北極ソリ犬である。
まだ二歳手前の成長途上期の写真である。
私は多種多様な犬種たちと付き合ってきたが、
この王嵐には古代野生犬の必然美を強く感じた。
北極エスキモー犬には5000年の歴史があるが、
それは北極ソリ犬としての進化の道程だったが、
だが人間の作意からは遠く離れた場所に居続けた。
簡単に言えば「強い犬」だけが子孫を残していったのだ。
そこには人間の「趣向」など一片も介入していないのだ。
もしそこに人間側の身勝手な「好み」などが入り込めば、
あの過酷な北極ソリ犬の世界を生きてはこれなかったのだ。
その意味で現代の「北方犬種」とは全く異なる動物なのだ。
北極エスキモー犬には「人間側の好み」は入っていないが、
だが古代野生犬のような「必然美」に満ち満ちている。
だがその野性は、人人の想像よりもはるかに強烈である。
現代人間社会が本種の野性を理解することは至難だろう。
私は彼らの独特の野性を了解した上で一緒に暮らした。
だからこそ彼らは私を信じ、私を父と仰いでくれた。
もしも私が彼らの独特の野性を否定したならば、
彼らの苦闘の歴史と彼ら自身を全否定したことになる。
そうなれば、とうてい「対話」など不可能だっただろう。
そこには「絆」など、ひとかけらも無かっただろう。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:02:04 ≫
 
<<深野性>>
Polar Eskimodog
 
イメージ 1
<<1994 北極エスキモー犬 「王嵐:OLAN:一歳半」>>
頭骨に非常に厚みがあったが、これは本種の雄の特徴である。
本種の雄は重厚な骨格である。しかし動きは非常に素速い。
そうでなければ、北極犬世界では生きていけないのだ。
 
イメージ 2
毎日10kmから20kmを運動した。冬期は犬ゾリ運動も行なった。
鍛錬体重で45kgくらい。とにかく「力の塊り」であった。
彼は雄の北極エスキモー犬としては普通くらいの体格である。
なにしろ55kgを超える雄犬もいたのだ。
北極ソリ犬として生き抜くには、体格は重大条件である。
ただし「素速く動ける大型」でなければ生き抜けない。
※平均的体格の雄のシベリアンで27kgくらいだろう。
※平均的体格の雄のマラミュートで40kgに近いだろう。
ところで本種にとって最も重大な環境は「寒気」である。
彼らにとっては「暑さ」こそが致命的な最悪環境である。
彼らは「北極犬」として極限の進化を果たしたのである。
 
 
北極エスキモー犬は、
ペット産業領域で繁殖された「犬種」ではない。
世間の「ブリーダー」の作為とは無関係なのである。
だからペット界からは「雑種」と呼ばれたこともある。
いわゆるシベリアンハスキーとか、
サモエドとかアラスカンマラミュートとか、
そういった「犬種」とは懸け離れた動物なのである。
世間の嗜好や審美基準とは無関係の犬なのである。
毛色はどうだとか。毛並みはどうだとか。
スマートな方がいいとか、エレガントな方がいいとか。
サイズを小さくするとか。気性を穏やかにするとか。
服従訓練が容易な万人受けする気性にするとか。
そういうこととは無関係の領域を生きてきたのである。
ただただ「比類なく強靭な北極ソリ犬」だったのである。
彼らに求められるものは、それだけだったのである。
だから荒荒しい個体も多かった。
闘志も強烈だし、狩猟本能も強烈である。
野性的ではなく、野性そのものだったのである。
そうでなければ、生きてはこれなかったのだ。
彼らは幾千年に亘り、生死の境界を生きたのである。
私は北極エスキモー犬と家族として暮らしたが、
私は彼らの強烈な個性を厳然と了解した上で暮らした。
それを認めなければ、彼らを全否定することになるのだ。
彼らの幾千年の苦闘の歴史を全否定することになるのだ。
彼らの野性と剛胆は、世間には全く不向きである。
彼らは世間で飼育されるには著しく不適合なのだ。
彼らは全否定されて飼い殺しの悲劇となるだろう。
それは火を見るよりも明らかなのである。
だが幸いにも、彼らは世間に出ることは無かった。
「雑種」と呼ばれたことが、逆に幸いしたのである。
因みに本種には極地狼の血も混入しているが、
本種の気性は「狼犬」とも異なる独特のものである。
ある意味で狼犬よりも難しい部分を持っていると言える。
私は本種の荒荒しい野性美が大好きだが、
それが世間の審美基準から懸け離れているとしても、
そんなことは私には一切関係ないのである。
それは幾千年の命懸けの道程の結晶なのである。
それは繁殖家の作為など通用しない領域なのである。
 
もはやグリーンランド北部などの北極現地でも、
「本来の北極エスキモー犬」はいないと言われている。
彼らはついに人間達から感謝もされずに、
その苦闘の歴史の幕を閉じたのである。
あれほどまでに人間達を命懸けで助けてきたのに、
一片の敬意も感謝も無いままに使い捨てられたのだ。
無慈悲に利用された挙句に邪魔者扱いされたのだ。
だから私は、彼らのことを書いている。
世界中の誰も彼らの真髄を書いてくれないから、
だからこうして自分で書いてきたのだ。
これが彼らへのレクイエムである。
 
今は亡き「雷:ライ」という北極エスキモー犬は、
その生涯で「三回」くらいしか吠えたことが無い。
「ロアー」では語ったが、「ホウル」では歌ったが、
しかし「バーク」で吠えることは無かったのである。
「吠えることを知らない」と思えるほどに無言だったのだ。
それはなぜかというと、自信と覚悟の塊りだったからだ。
「いつでも命懸けで闘える」という自信と覚悟だったのだ。
いつでも彼は、ただ相手を眺めているだけなのであった。
私はそこに北極犬世界の壮絶な苦闘を垣間見たのである。
彼は本物の覚悟というものを教えてくれたのである。
北極エスキモー犬の深野性は、我が胸に刻まれている。
それは人人には理解され難い領域かも知れないが、
私はその深野性を心からリスペクトしている。
そして私は、彼らへのレクイエムを捧げる。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:08:29 ≫
 
<< 北 極 狼 犬 >>
 
イメージ 1
 
この写真は、45年くらい昔に見た。
まだ小学生だったが、
このエスキモー犬の風貌に衝撃を受けた。
この風貌から伝わる不撓不屈の野性の誇りに、
小学生の私は、とてつもなく感動したのである。
そして今に至るまで、この風貌を忘れたことがない。
この風貌こそが、私にとっての野性の記念碑である。
 
写真だと他の北方犬種と同じように見えるかも知れないが、
実際に眼前にすると北極犬は全く独特の雰囲気である。
口吻はスマートに見えるが、実質的には太い。
北極犬の身体のリアルな感触を知っているから、
その実質が、ありありと分かる。
そして全身の構成の比類なき見事さ。
やや胴長に見えるが、これは狼の特徴である。
尾は上げているが、躍動時には巻きを解く。
普段に尾を上げている理由があるのだが、
それを説明すると長くなるので今回は省略する。
この個体が尾を解いた時の姿は、ほぼ狼と同様だろう。
胸幅が狼よりも広いようだが、
それは北極ソリ犬としての特徴である。
彼らは「大型の重い橇」を曳き続けてきたのである。
それを曳いて、日に100km近くを走るのである。
口吻の長さは、狼よりも僅かに少しだけ短いようだ。
狼のアゴと牙は凄いが、北極エスキモー犬も、
「完全凍結した石のような凍肉」を瞬く間に咬み砕くから、
たとえ匹敵せずとも、狼に迫る咬力と牙を持っていると言える。
この写真の個体の口吻にも、その力を強く感じる。
そして耳も眼窩も、狼そのものと呼んでもいいほどである。
そしてなにより、全体の雰囲気が、もはや狼である。
これこそが、「北極狼犬」の気配である。
しかし現地でも、もはやこういう個体は極めて稀だろう。
この何十年で、事態が急激に変わったのである。
 
下の写真は現地出生の北極犬である。
その全身はまさに「これぞ北極ソリ犬!」である。
まさに「POLARDOG POWER!」である。
そしてその野性の被毛も、実に見事に素晴らしい。
北極犬の体格は雄で「35kg〜55kg」くらいだが、
北極現地では60kgの個体もいたらしい。
 
イメージ 2
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:13 ≫
 
Polar Eskimo Dog
<< 北 極 の 闘 士 >>
 
イメージ 1
1987: 小さい耳。不屈の眼光。太い首。荒荒しい被毛。
イメージ 2
ライの血族の北極ソリ犬。重厚な骨格。鋼の筋肉。太い口吻。
イメージ 3
ライの父。北極現地のボス犬。全身が歴史の結晶。
北極犬には、幾千年の極限の苦闘が刻まれている。
イメージ 4
北極現地。生後30日の赤ちゃん。限りなく狼に近い。
 
 
28年前に我が家族となった「雷:ライ」は、
北極エスキモー犬である。
北緯70度を超える北極地方の古代犬である。
グリーンランド北部:カナダ北極圏北部に生きた。
その歴史は5000年とも言われている。
生と死の境界上を闘い抜いた命である。
完全に北極犬として進化を果たした命である。
だがこの犬種は、もはや現地でも極めて稀少である。
そしてその実像は未だに世に知られていない。
今は亡き北極の闘士の想い出を綴る。
 
ライは、とんでもなく異質な犬だった。
これまで幾多の犬種と付き合ってきたが、
実にいろんな犬たちと付き合ってきたが、
未だに、彼のような犬は見たことが無い。
とにかく、犬と呼べない犬であった。
私は彼を通して、北極の壮絶さを垣間見た。
彼は最期まで、北極犬魂で生き抜いた。
 
ライはその生涯で、
三回くらいしか吠えたことが無い。
それも「ワンワン」ではなく、「ヴァン!」の一言である。
重く響く低音で「ウォー!」と語ることは多かったが、
吠えることは無かったのである。
それほどに彼は豪胆そのものだった。
要するに、自信と余裕と覚悟の塊りだった。
いつでも命を賭ける覚悟を秘めていたのだ。
ライを見た人は、「おとなしい犬だな・・」と思っただろう。
なにしろ人が何人訪れようと、見ているだけである。
誰もが、「おとなしい」と思うに違いないのだ。
だが実は、誰も彼を支配できない。
彼は誰にも隷従しないのである。
彼は私だけに命令を赦したのである。
しかしこの私も、二回ほど咬まれた。
あまりにも彼が頑固だったので、
まだ若かった私は、「力」で制圧しようとした。
私は相当に烈しく、力を使った。
ライは我慢し、私に抗議もしなかった。
彼は我慢していたが、ある日、ついに怒った。
彼の目が緑色に燃えた瞬間に、腕を咬まれていた。
バットで殴られたような衝撃だった。
その瞬間に、腕が動かなくなった。
私は直感的に、「鎮める」しかないと感じた。
彼の闘争本能に火が付けば、その場で終わりである。
誇張ではなく、一瞬で倒され、殺されるだろう。
それをありありと直感したのである。
<北極地方で御者がソリ犬に殺された話もある>
<馴致不可能に終わった北極犬の話もある>
だから沈着を装い、平然を装い、場を鎮めるしかない。
彼を鎮めることはできたが、しばらく腕は動かなかった。
見れば、牙の穴が黒黒と空いている。
だが彼が本気を出せば、腕を咬み折られていただろう。
もし攻撃なら、そのまま急所をアタックされただろう。
彼にとっては、それは攻撃ではなかったのだ。
それは「警告」の意思表示だったのだ。
強力犬の攻撃力を知らない人が多いと思うが、
防衣なしの人間なら、まず一発で倒されるだろう。
そして倒されれば、それで終わりである。
彼らの「攻撃」とは、そういうレベルなのである。
その後のある日、もう一度、咬まれた。
同じような状況だった。また腕が動かなくなった。
さすがに私は考え込んだ。
この先どうしていいのか、分からなくなった。
だが決心した。
真の対話を目指そうと、決心した。
それが野性対話道のスタートだった。
そしてライは、だんだん別の姿を現してくれた。
私の気持ちを汲み取ってくれるようになった。
我我は互いに、力を用いる場面が無くなった。
彼は自らを譲り、私を立ててくれるようになった。
彼は私を、父と仰いでくれるようになった。
我我はこの野性対話道で、ともに学び続けた。
互いに認め合い、互いに磨き合い、互いに成長した。
 
ライの沈黙の気迫は、尋常ではなかった。
彼はいつも自然体だったが、
唸ることさえ全く無かったが、
だが彼が見つめると、大型の猛者犬も目をそらした。
唸りもせず、牙も剥かず、ただ見つめるだけなのに、
猛者連中が黙り込むのであった。
まったく、驚くべき気迫であった。
なにしろ彼のパワーと瞬発力と素速さは桁違いなので、
そしてアゴと牙の力も並外れていたので、
絶対に闘争させる訳にはいかなかったが、
幸いにも相手がライの力を認めるので助かった。
よく本などでは極地のソリ犬が、
集団行動に適した温和な犬種だと書かれているが、
それはとんでもない誤認識である。
極地の犬ゾリのチームが調和するまでには、
途轍もなく過酷な「プロセス」が隠されているのである。
極地犬は、その酷烈な「牙の掟」の中で生きるのである。
とりわけ古代系北極犬は、その世界で生きてきたのである。
少し前の記事「容赦」で、狼との闘いを書いたが、
確かにライは一敗地を味わったが、
それはあまりにも特殊な話である。
狼の太郎は、とにかく怪物君だったのである。
ライも大型だったが、太郎はさらに二廻りは大きかった。
もしも互いに「同種の戦闘素質」を備えているのなら、
体格の差は、致命的ハンデになるのである。
それこそ決定的に勝負は明らかである。
たとえば大きくても鈍重ならば闘えないが、
太郎は極大型でありながら、
まさに「フラッシュ」のスピードだったのだ。
だから勝負は最初から明らかだったのである。
ライは太郎の一撃で、動けなくなった。
一週間動けないほどのダメージを負った。
だが心身ともに完全に回復した。
精神的ダメージが残っても不思議ではなかったが、
ライはそれを微塵も見せなかった。
本当に、「微塵も・・・」である。
太郎の狼舎に近付く時でも、
ライの尾は、僅か5mmも下がらなかったのだ。
犬の心境は、必ず身体のどこかに現れる。
特に尻尾は、一目瞭然の部分である。
もし僅かでも不安や怖れがあれば、微妙に尾に現れるのだ。
だがライの頭部も背中も尻尾も、まるで以前のままだった。
彼は全く以前通りに、「ボス」の貫禄のままだったのだ。
私はそれを見て、心底感服した。
北極犬の真骨頂を見た気がした。
そしてなぜ太郎が、
ライを兄貴と尊敬していたのかが、ありありと分かった。
なぜ太郎がライを慕っていたのかが分かった。
太郎は、ライのスピリットを見抜いていたのだ。
尊敬に値する兄貴だと、認めていたのである。
この闘いは是非を超えた、野性の決戦だった。
だがライは負けを認めながらも誇りを護った。
ライはその後も、兄貴であり続けたのだ。
 
ライは肩高70cmで、鍛錬体重が45kgだった。
肩高とは、肩までの高さである。
そして毎日20kmを運動していた頃に、45kgだった。
鍛錬体重で45kgの体格は、相当に大きい。
雄の大型のシベリアンで30kgくらいである。
その150%の大きさである。
雄の紀州犬で22kgくらいだろうか。
実質40kgの秋田犬なら、かなり大きい。
北極エスキモー犬の実際の体格は世に知られていないが、
雄の健常な個体で、35kgから55kgくらいである。
大きさに幅があるが、だいたい40kgから50kgくらいだ。
だから本種は、実際には相当に大きい犬種なのである。
雄の北極ソリ犬として生きていくには、
そのレベルの体格が求められるようである。
それほどに過酷な世界だということだ。
 
ライとは、何万km走っただろうか。
毎日毎日、20kmを自転車運動した。
山に移住してからは、犬ゾリでも運動した。
自転車運動で基本教導していたので、
彼は即座に犬ゾリで本領を発揮した。
なにしろ彼のパワーと闘志は尋常ではなかった。
私が号令を掛けた瞬間に、その力を爆発させた。
そのとき我我は、一心同体だった。
ライと私は、心ひとつに一緒に走ったのだ。
彼は寒気と白銀世界と犬ゾリの毎日となった。
彼の歓喜の姿を見て、私は感無量だった。
なにしろ暑さと湿気が大敵だったのだ。
だから標高1300mの森に移住したのだ。
零下20度の白銀の森は、彼にとっては安らぎの家となった。
彼の安息の姿を見ることが、当時の私の悲願であった。
 
山の奥に山行して、よく一緒に野営した。
真夜中の山で、ライは野性の超感覚を発揮した。
彼は闇の中で音も無く起き上がり、無言で彼方を見つめる。
すでに起きた瞬間に臨戦態勢に入っている。
しばらくすると、遠くでかすかに動物の気配がする。
ライの狩猟本能は強烈なので、
手綱を通して彼に制止の合図を伝える。
いつもは彼は私の指示を聞き入れてくれる。
だがたまに、ライは闘志を現わした。
どうやら大型獣のようだった。
今思えば、熊か猪だったのだろう。
ライが闘志を現わした時には、実に大変だ。
重厚な骨格の大型なのに、動きが異常に速いのである。
小型中型のシャープな実猟犬レベルの速さなのである。
だから彼の動きを制御することは実に困難だったのだ。
だから彼の闘志に火が付く前に、鎮めなければならないのだ。
私はただ、その山獣の気配が去ってくれることを願った。
そしていつも私の願いは届き、山獣は去っていった。
ライは己に潜在する能力を発揮したかっただろう。
だがライには、野性の本能を我慢してもらった。
だから私は心の中で、いつも彼に詫びた。
ライもまた心の中で、私の気持ちを了解してくれた。
ライも私も、本来とは異なる境涯に進んだのだ。
我我は互いに、未知の世界に踏み込んだのだ。
 
ライは13歳で生涯の幕を閉じた。
その前日まで、ライは運動に出た。
壮年期と変わらぬ精悍な気迫で、
肉体の衰弱をものともせずに、
前を見据えて運動に出発した。
その翌日、彼は雪の中で死んでいた。
白い粉雪に抱かれて、北極の闘士は旅立った。
彼は死の寸前まで、不屈の北極犬であり続けた。
彼は北極犬魂で生まれ、北極犬魂で死んだのだ。
ライはいつも無言で教えてくれた。
ライは野性対話道の恩師である。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:08:11 ≫

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事