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「親の所得が学力左右」文部科学白書が指摘」
こんなニュースがあった。
これに関して以下の説明が成り立つだろう。
①親の所得が多いため、子供にかける教育費が増大する。
所得の低い親は子供への教育費がかけられないため、必然的に学力が低くなる。
②高所得の親は、そもそも勉強をしてきた人間なので、子供にも当然同じように求める。
求められる子供の学力は求められない子供の学力より相対的に高くなる。
③高所得の親は、そもそも学力があるから高所得であり、学力のある親の子供の学力が
あるのは、遺伝的にも環境的にも必然である。
文科省が言っているのは①の部分だけであり、社会的に②と③を言ってしまうのは日本ではタブーだ。
だが、①だけで説明できる問題なのだろうか。
これは、原因と結果の問題であり、そもそもどちらが原因で、どちらが結果なのかを間違えると
全く違った答になる。政治的にもこれは小さくない問題だろう。
例を挙げると、地球温暖化問題がある。
温暖化の主犯は二酸化炭素CO2だと言われている。
CO2によって温度が上昇していると言うのだ。
この場合、CO2が原因で、温暖化が結果だ。
だが、原因と結果を逆にすると、温暖化によってCO2が増えたことになる。
実はこの話、事実かも知れないのだ。
そうなると、温暖化の産物のCO2をいくら抑制しても、何の意味もなくなる。
このように、原因と結果を間違って判断すると大変なことが起こる。
つまり、所得格差が学力格差を生んでいるのではなく、
学力格差が所得格差を生んでいるであれば、所得格差を問題にしても意味がないということだ。
この場合、問題なのは就学や勉強の機会を奪うことのみに限定される。
つまり、所得に関係なく勉学の機会を奪ってはいけないということだ。
ここで問題になるのは、勉学の機会を奪うのが何かということだ。
例えば親に金がなく、教育に金がかけられないのかも知れない。
親に金はあるが、子供に興味がなく金をかけないのかも知れない。
ニンテンドーDSがあるから勉強をしないのかも知れない。
塾が遠く通えないのかも知れない。
純粋にやる気が起きないのかも知れない。
それとも元々頭が良くないのかも知れない。
上記の場合、元々頭が良くない以外は機会ロスと言ってよいだろう。
地の利を選べない子供にとって、就学する小・中学校を選べないのは
すでに教育の機会を奪っていることになるだろう。
これを解決するには教育バウチャー制度が最も良いと思う。
つまり、親には教育だけに使えるクーポンを配布するのだ。
学校に通うにもそのクーポンがいる。
学校は教育の水準を上げ、親からできるだけのクーポンを集めるだろう。
その集めたクーポンをもとに国は教育機関に現金を支給するのだ。
そして、日本では忘れられている教育の機会ロスがある。
それは、特に良く出来る子供に対する機会だ。
ここでは、特に良く出来る子供を スペシャルな子供と呼ぶ。
日本では、例えスペシャルであっても、スペシャルでない子供と同様の機会しか与えられない。
これは大きな機会ロスだ。
現実的な世の中は、一握りのスペシャルが作ったシステムや金で回っている。
そのスペシャルを教育する機会がないことは、日本にとって大きな損失だろう。
今回は、教育の機会ロスについて書いた。
そして、原因と結果の問題に関しても。
所得の大小が学力に直接影響するのではないことも書いた。
宝くじに当選した親の子どもの学力は高いとは言えないでしょう?
詐欺で儲けている親の子供の学力が高いとは言えないでしょう?
つまり、所得の問題ではなく、多くの機会を親に頼っている教育システムの問題だということだ。
東大卒の親の子供が東大に合格するのが必然なように、
勉強をしないという理由で中卒だった親の子供が中卒なのも必然だと言うことだ。
日本は、ゆとり教育をし、土曜日の授業も減らし、公の教育の機会を子供から奪い続けた。
教育の機会を親に委ねたなら、それが教育格差を生むのは必然だろう。
公教育自体のシステムを改変しなければ、この問題は永久に変わらない。
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