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桜の咲く頃に胡錦濤・中国国家主席が初来日することになっているが、そのタイミングでの東シナ海での日中ガス田開発に関する合意が、『利益総額を原則等分』という考え方で為されるとの希望的観測が流れている。以下は本日の日本経済新聞の1面のトップ記事の主な記載である。
日中ガス田、利益総額を原則等分に・共同開発案
日中の摩擦要因の一つである東シナ海のガス田開発問題の解決に向け、両政府が検討している共同開発案が3日、明らかになった。各ガス田の利益配分は双方の投資額の比率で決め、最終的な利益総額は日中でほぼ等分になるよう配慮する。対象海域は日本が日中中間線をまたぐ具体案を示し、調整が続いている。これらの基本条件で合意したうえで、対象海域など詳細はその後に締結する条約で定める二段階方式で決着を目指す。
両国は2月中にも次官級協議を再開し、今年春に予定する胡錦濤国家主席の来日までに基本条件の合意にこぎ着けたい考え。その後直ちに実務者による条約交渉に入る。条約締結は合意内容に法的な裏付けを持たせる意味がある。
(以上、日本経済新聞の記事より引用)
この問題の本質は、日中間での海における境界線に合意されたものが無いということである。1972年の日中国交正常化共同声明の合意の際においてでも、日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相との会談では、尖閣列島の帰属に関しては、両国はこの問題に決着を付けられず、棚上げ状態となっており、それが現在も続いている。
日本側は、東シナ海においては、距離的な中間線を排他的経済水域(EEZ)の境界線を主張しており、中国側は、大陸棚が終わる沖縄トラフ(=沖縄列島の西側に沿った長い帯状の深い海域)までが、中国側のEEZであるという主張をしており、双方共に自国の主張は全く譲らない立場を貫いている。
尖閣列島は、日本の主張する中間線を境界とするならば、日本に帰属することになるが、中国側の主張する境界線だと、中国に帰属することになる。これらの境界線問題を棚上げにした上で、ガス田の共同開発を両国で行い、東シナ海を平和と友好の海にして行こうということで話合いが近年行われている。
この話合いのきっかけとなったのは、中間線付近で、中国側が白樺(春暁)等の4つガス田開発を独自に行い始めたことである。中国側は軍艦まで派遣して、軍事的デモンストレーションをしてまで、この中間線付近のガス田開発を進めてきたのである。
中国側の主張は、日本の主張する中間線は認めないにしても、中間線の中国側海域で、ガス田開発を進めているのであるから、日本側に文句を言われる筋合いは無いとの主張を基本的には行っているのであるが、日本側の主張は、ガス田資源は地下では繋がっており、日本側の地下のガス資源まで、中国側が総て吸い取ってしまう可能性大なので、中間線付近での中国側のガス田開発は容認できないという立場である。
両国は、東シナ海でのガス田開発を共同開発で行うという方向性で協議してゆくことには合意しているが、現在中国が開発している中間線近くの4つのガス田は、日中共同開発で行うということに関しては、中国側は合意していないと報道されてきた。
中国側は、東シナ海の比較的北側地域の中間線の中国側海域と、南側海域の中間線の日本側海域の2ヶ所を共同開発の対象地域として、2006年に提案してきている。日本側は、中間線付近の4つのガス田が対象となっていないことに難色を示し合意に至っていない。
しかし、最近では、中国側は、中間線付近の開発中のガス田に関する協議には応づるようになったという変化が見えるという。
まだまだ、交渉には紆余曲折があると思うが、今春の胡錦濤・中国国家主席の来日の際に、このガス田共同開発の件が『利益総額、原則等分』という考え方で本当に決着できれば、日中関係にとって、画期的な出来事になることは間違いない。
中国側にとっても、日本側にとっても、東シナ海の天然ガス資源を、一国独自で行うよりも、両国による共同の投資により、より多くの天然ガス資源の活用という経済的メリットに止まらず、日中関係緊張の火種となりやすい排他的経済水域の境界線問題という永年の両国の懸案事項が、日本の主張する中間線と、中国の主張する沖縄トラフで囲まれる海域に関しては、事実上の『両国の共有の海』と位置付けられるという考え方が両国によって合意形成され、事実上の解決をみることになる。そして、そのようになれば、そのことの政治的メリットは計り知れない。
しかし、今までの交渉の経緯から見ても、中国側はかなりシタタカなので、『利益総額、原則等分』という考え方の対象となるガス田が具体的にどこになるのかを巡って、日本側の考えるようには、事が簡単には運ぶようにも思えない。
胡錦濤氏の来日の折に、両国が許容できるような何らかの合意が形成されることを期待したい。この機会を逃すと、また当分は、ガス田問題は全く動かなくなってしまうのではないかと思うからである。
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