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本日のTVのサンデープロジェクトの中で、田原総一郎司会で、塩川正十郎元財務相、山本一太参議院議員、評論家の桜井よし子氏と岡崎久彦氏が『安倍晋三氏の総理になってからの豹変』について語り合った部分を見た。 山本一太氏は、安倍氏は、本質は変わっていないが、対中国等に関しては、今までの安倍氏の個人の見方よりも、一国を担う立場の総理大臣として、国益を優先した行動をとっているのは理解できるという論調で、安倍氏を従来通りサポートした発言をしていた。 塩川氏も概ね、言い方は違っても、山本氏と同様の論調であったと思う。 日本の侵略戦争を認め、閣議決定を経た『村山首相談話』に関する官房長官時代の安倍氏の発言と異なり、総理大臣になってからの安倍氏の国会答弁においての村山談話を原則踏襲する旨の発言は変化してきていることは事実である。 私を含めた多くの国民は、タカ派であった安倍氏の総理大臣になってからの対中国、韓国に対する電撃訪問と融和に向けた姿勢を多いに評価している。 補選で自民が民主に連勝したのも、安倍氏の総理になってからの活動を評価していることを示している部分もあると思う。 安倍氏は日本の国益を考えて活動しているということが、我々国民に伝わってきているのである。 こういう中で、残念なのは、予想通り、桜井よし子氏や岡崎久彦氏のようなタカ派評論家の言動である。 彼等は、原則的に自説にしがみつくことしか言わない。日本の将来のことなど2の次なのである。安倍氏はいつか『村山談話』を否定する閣議決定を行うとか、自説に近い行動をいつか行うようになるという論調のことしか言わないし、言えないと言った方が正しいのかもしれない。 世界の政治・経済は変化してゆくのである。政治家が変化してゆくことは、ある意味で当然なのである。時代に合わせた変化・変身を行う勇気を政治家が持つことの方が、日本の将来にとって大切なのである。 桜井よし子氏や岡崎久彦氏のタカ派評論家の醜い自説固執染みた発言よりも、今までは、さして気にもしたことも無かった山本一太氏の政治家としての本日の発言には光るものを感じた。 最も大切なことは、誰が日本の将来をバランス良く、考えていてくれるか、そして誰がその方向に日本を持って行ってくれるかということである。 来年の参議院選挙では、民主党に投票しようかと思っていたが、安倍氏がタカ派を捨て、現在のように日本の国益をバランス良く考えた行動をしてくれるなら、何となく頼りない民主よりも、安倍自民に傾くかもしれない私のような無党派層は少なからずいるのではないかと思う。 総理になってからの安倍氏も見直したが、山本氏も見直した本日のテレビでの発言であった。
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靖国へのアプローチ
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10月17日の日経新聞朝刊に以下の記事が歓迎式典での写真と共に載っていた。 和解の旅最終章 元英国兵捕虜が最後の集団訪日 第2次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となった元英国兵を招く交流事業で来日した参加者の歓迎レセプションが16日、東京港区内であり、約120人が懇談した。 集団での訪日は今回が最後となり、出席した日英両国の関係者は『これからも絆(きずな)を大切にしたい』と誓いあった。 8日に来日した約20名の一行は広島、三重両県で日本人家族らと交流。約3年半をタイ、ミャンマー国境の収容所で過ごした元英国兵デービッド・ブラッドさん(86)は『行方不明になった友人の名が三重県熊野市の墓碑に刻まれているのを見つけ、やっと再会できた』と声を震わせた。 第2次世界大戦のタイ・ビルマ等のインドシナ半島戦線での日本と連合国側の戦いはかなり激しいものがあったことが伝えられている。 太平洋戦中の1942年、日本軍はタイ=ビルマ間にインパール作戦遂行のため全長415kにおよぶ泰緬鉄道の建設に着手した。これは当時の日本軍が救援物資輸送網として完成を急いだため、本来ならば5年かかる工事を1年3ヶ月で築きあげられた。この建設にあたって連合軍の捕虜、タイ人、マレーシア、ビルマ人など多くの労働者が狩り出され酷使されたため栄養失調、コレラ、マラリア等の伝染病等により多くの犠牲者をだした。その数は連合軍捕虜15,000人、現地労働者30,000人にも及んだ。犠牲者の数は泰麺鉄道の枕木の数のように多いため「枕木一本、人一人」と伝えられている。 実際、インドシナ戦線では英国人捕虜の7割以上が死亡したと言われており、それが大きな理由となり、イギリス人は戦後でもかなり反日感情が癒えなかったと言われていた。名画といわれ、クワイ河鉄橋を描いた『戦場にかける橋』も、イギリス人の恨みが底流にあったと見られている。 しかし、時間と共に、関係者の努力が実り、イギリスにおける反日感情は序々に消えて行った。これには故橋本元総理が特に尽力していたということもどこかで読んだことがある。日・英の心の和解はできたのである。 現在のブッシュ米大統領の父親が米大統領であった時代に、アメリカ政府は、太平洋戦争時に米国内にいた日本人を収容所に入れた事実に対して謝罪し、収容所に収容されたことがある生存する日本人一人一人に、大統領名で謝罪の手紙を直接送り、一人20,000ドルを贈ったという事実がある。 太平洋戦線での激戦を極めたと言われる硫黄島の戦いで生き残った日米の多くの旧兵士が、硫黄島で再会し、涙を流しながら抱き合ったと言う話も伝えられている。基本的に日・米も心の和解をしているのである。 靖国神社にゆき、日本の戦没者の冥福を祈るのも良いが、靖国神社には、戦争を戦って死亡した人しか祀られていない。戦争の被害を受けて死んだ人々は祀られてはいない。 満州事変、日中事変で死した中国側の人々も含めて、戦争で戦った日本の人々のみではなく、相手国の戦争被害者も一緒にして、戦争で死んだ総ての人々を追悼する日本の国としての戦没者慰霊碑もつくり、日・中の心の和解にも配慮してゆく努力もしてゆき、将来における日・中の心の和解も目指してゆくべきなのではないかということを、上記の日経新聞の元英国兵捕虜の記事で『「行方不明になった友人の名が三重県熊野市の墓碑に刻まれているのを見つけ、やっと再会できた」と声を震わせた』という部分を読んで感じた次第である。
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日本人が外国の人々と交わってゆくことで、諸外国の考えに同調したり、融和してゆくことにより、日本人のアイデンティティーは失われてゆくと言う人がいるが、私はこの記事で、何が日本人のアイデンティティーなのかを、私なりに考え、提起してみたい。 靖国神社にA級戦犯を合祀した松平永芳宮司は、極東軍事裁判を否定することにより『日本の精神復興』を唱えたと言われている。http://blogs.yahoo.co.jp/worldforum2007/13028488.html 彼にとっての日本の精神復興とは何であったのか、彼にとっては、戦前に多くの日本人が当時抱いていた信念や精神の拠り所を『日本の精神』と言わんとしていたのであろうか? いずれにせよ彼の言う『日本の精神』とは、彼個人やその一部の取り巻きが思い作り上げた偏った特定の精神なのではないかと私には思える。幅広い日本人の持つ精神を述べているようにも思えない。 日本と日本人の精神とは、日本人のアイデンティティーにも通じるものである。 1922年に来日した相対性理論でノーベル物理学賞を得たアインシュタイン博士が述べたと言われる『日本人が持っている謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらを純粋に保って、忘れずにいて欲しい』という趣旨の言葉を安倍首相が先日の国会演説で引用していた。 アインシュタインの述べたことも、当時の日本と日本人の精神の一部を顕したものなのであると思う。それはそれとしてわからないわけではないが、私がこの記事で投げ掛けたいのは、日本人の精神とか、日本人のアイデンティティーとは、ある時点で固まったもので動くことは無いのであろうか?という点である。 アインシュタインは日本を去る時に、日本独自の価値の何かを感じ、日本国民が『欧州感染』をしないように望んだと伝えられている。 実際には、日本は『欧州感染』され、欧州の列強と肩を並べるように外国を侵略したが、原爆を落とされた上で、敗戦を迎えた。そして、戦後復興を図り、現代の繁栄を築き上げた。 こういう中で、日本人の精神は常に変化し、発展し続けてきたのだと思う。国も民族も時の流れと共に、変化し、発展してゆく。ある時点を固定して、そこにおける精神を『日本の精神』として固定して決め付ける必要は無いのではないか?と私は思う。 日本人は歴史に正直であるべきである。どの民族や国についても、間違いを起こさなかった国や民族など、世界中に一つもないはずである。日本人として、間違いは間違いとして認め、間違いを正してゆくという勇気を持つべきである。変身してゆく勇気を持つことの方が、長い歴史の流れの中では、より大切なことではないか?と私は考えている。 変化・変身する勇気を持てない国の例は、北朝鮮である。世界の発展から隔絶され、未だ、朝鮮戦争のしこりが残り、精神的にも、物質的にも、変身や発展ができないで、世界より大きく立ち遅れた国である。自国での経済発展ができず、悪事を重ねて、他国の富を掠め取ることしか考えていないのが、現在の金正日体制である。 私は経験上かなりの数の人種に接して仕事や生活をしてきたが、そういう仕事の中で、私の感じた『日本人のアイデンティティー』とは、『勤勉さ、素直さ、謙虚さ、ひたむきさ、和と組織を重んじる』民族であるということである。 それらに加えて、今後の日本人が一つだけ加えるべきであると私が感じていることは、他国や他民族と共存、共生してゆく資質を備えてゆくことである。これは、経験上感じてきたことである。そのことを少しでも他の人に伝えたいとの思いもあり、そのことが、このブログを始めた理由の一つでもある。 飛行機の中からも、色々な世界の国々を見てきた。また、日本の本州、北海道、九州、四国も飛行機から眺めたこともある。世界の各国と比べてみても、美しい海岸線を持ち緑と山の多い日本列島は確かに自然の美しさの際立った『自然の美しい国』である。 この美しい国に生まれた我々日本人は自分達を幸運であると思うべきである。我々日本人は歴史に対して正直であり続け、過ちは過ちとして素直に認めた上で、精神的な美しさも目指し,『勤勉で、謙虚で、正直で、きめ細かい気配りができ、他国や他民族と共存/共生できる東洋の賢人』を目指すべきなのではないかと私は思う。それが『精神的な美しさ』にも通ずることになると思う。 自然も精神も『美しい国』になれる素質は日本と日本人にはある。 地理的には、日本は海に囲まれた島国である。しかし、島国でも、海洋を通じて世界とつながっている。『島国根性』で終わるのではなく、国際感覚を身に付けた『海洋人』としての大いなる発展も可能なはずである。陸続きでないことのメリットを生かした発展の方法もあるはずである。 歴史的には、西欧の騎士道精神という伝統に対して、日本には武士道精神という伝統もある。その武士道精神を現代に適切な形で生かせるはずである。 これらの総てのことが、これからの日本人の目指すべきアイデンティティーの一つ一つを形づくってゆくことになって良いのではないかと思う。 かつて、アメリカでは日本製品はある時期は『安かろう悪かろう』の粗悪品の代名詞だったことがある。ところが、日本人のひた向きな努力で、これを『高品質、高性能、Reasonable Price』に押し上げた。日本人には努力して、新たなものを勝ち取れる『勝ちグセ』も持ち合わせた民族なのである。 諸外国と交わることで、精神面での日本人のアイデンティティーは失われるどころか、より広い視野と価値観を持つことにより、より洗練されたものになり、新たな地平での日本人のアイデンティティーを確立するために、多いに役立ってゆくことになると思う。 そして、それらの一つ一つのアイデンティティーを実現できるような、新たな地平での日本人の精神を創り上げてゆくことが、原爆投下と敗戦を経験した後に、復興を遂げ、技術/貿易立国での繁栄を勝ち得てくることにより、時代を生き抜いてきた我々という現代の日本人の一つの大きな役割なのではないかと感じている。 後世のより良き日本と日本人の為に。
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本日の日経ビジネスのWEB版で、立花隆氏による『新総理 安倍晋三が受け継ぐ“妖怪”岸信介の危険なDNA』http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060929_dna/index.htmlという記事が載っている。 安倍新首相に対する一つの見方として、一読に値すると思い紹介する次第である。 安倍晋三氏は『昭和の戦争の評価は歴史家が決めるもの』などと嘯いているが、彼は右派的国家主義的な歴史観を持つ自民党代議士の集まりの事務局長をやっていた経歴がある。 その時のグループの長は今度の自民党幹事長・中川秀直氏である。要は今回の自民党幹事長と総裁はタカ派の権化で固められたということである。 日本の昭和の戦争は『自存自衛』の戦いであり、日本の行ったことに誤りはないというのが基本的なそのグループでの立場のようである。つまり、その議員グループは靖国神社の遊就館の持つ歴史観に近いものを歴史観として持つ過激右派の存在であった。その中核の一人が安倍氏だったのである。 安倍氏は日本の戦後民主主義国家の生き方を否定するかのような見方をしている部分もある様だ。彼が憲法改正を言うのも、戦後アメリカに押し付けられた憲法を根本から覆し、国の在り方を憲法改正によって変えようというわけである。 憲法改正に私自身は内容によっては反対するつもりはないが、戦後の日本の平和と民主主義を否定するかのような安倍氏の発想での憲法改定には賛成しない。 我々のような企業の人間からみれば、安倍氏に向かい『貴殿のような政治地盤を血縁で引き継ぐ“貴族”には、戦後の日本の復興を、実社会の中で、貿易立国をベースにして担い、その中で、国際社会となんとか共存しながら、日本の繁栄を築き上げてきた我々企業の人間などの努力や苦労などわかりはしない!』と言いたい。 安倍氏のやり方の行き着くところは、戦争の放棄を謳った現憲法の第9条を否定し、日本の交戦権を認めようとしているように思える。彼のようなタカ派的発想は将来は日本の核武装までも論ずるであろう。我々からみれば、トンデモない危険思想を隠し持った人物が今迄の安倍氏なのである。 安倍氏を支持する人々の発想の中には、もう一度戦争をやったら日本は勝てるなどという軍国主義的発想をも包含しているものもある。 安倍氏が理解していないのは、アメリカという国は、安倍氏ごときの本質は既に見抜いている。アメリカの分析力は安部氏の想像する範囲内のものではない。安倍氏の歴史観や靖国参拝の曖昧戦略など、子供騙しに近いやり方に騙されるようなアメリカではない。 米ワシントンポスト誌はその社説において、いち早く安部氏の本質を見抜いた。アメリカの多くの良識人は既に安倍氏を懐疑の目で見ているのである。 安倍氏は日米同盟の強化などと言っているが、安倍氏のような、日本の昭和の戦争を正当化せんとし、戦後の日本の民主主義を否定するかのような考えを持つ政治家に対しては、懐疑の目を持ってアメリカ側は対応するであろう。 小泉純一郎氏は、自らの総裁選の公約の為に靖国参拝にだけは固執したが、本質的には、極東軍事裁判やA級戦犯も認め、戦後のサンフランシスコ平和体制を重んじ、戦後50年の村山首相談話に近い談話をバンドンにおいてのASEAN諸国との会合でも述べている。靖国歴史観も否定した。基本的には最低限の日本の良識を備えた宰相であった。それ故に、アメリカも小泉氏を軽んじはしなかった。 しかし、安倍氏の今までの本質は違う、極東軍事裁判を認めず、A級戦犯も否定し、戦後50年の村山首相のアジア諸国に向けたおわび談話も明確には認めようとしない国粋主義にも通ずるような曖昧戦略を安倍氏は持ち続けている。それをこれ以上続ければ、アメリカの人々は彼とは握手をしても、疑りの目で常に彼を見ることになるであろう。そのような関係では、日米同盟の本質的な強化など有り得るはずがない。 しかしながら、日本の宰相となった現在は、違うイスに座ると、そのイスから見る物の景色や、見え方は当然違ってくるはずである。 10月8日に決まったと伝えられる日中首脳会談で、安倍氏は、早速、自らの歴史認識を中国側を前にして明確に述べざるを得ない。人は成長する、そして変わるのである。立場が違えば、違った見方や考え方をするのは当然である。 首相という日本のトップになった今、安倍氏には自らの偏った歴史観を変え、国際社会で通用するような歴史認識を持ってもらいたい。自ら変身してゆくことには勇気がいるが・・・ 変身すれば、それまでの支持者を落胆させるかもしれない。しかし、忘れて欲しくないことは、変身により、今迄支持しなかった人々も支持するようになることもある。 変身する勇気を持って欲しい。要は日本の首相として、日本の国益の為に汗をかく首相に対して国民は冷たくはないはずである。 しかし、もし安倍氏が首相になった後も、今までのようなタカ派的言動を続けるのなら、アメリカだけではなく、『日本の良識』も、来年の参議院選挙において、安倍氏に鉄槌を加えることになるであろう。 特殊な政治世界の中のパワーポリティクスの中で、祖父や父親の七光りで、たまたま出てきた安倍氏のような首相には、今も昔も、多くの日本人は、基本的には敬意などは一切持っていないということを覚えておいた方が良いと思う。 敬意とは、自らの仕事の中で勝ち取るものであり、首相として、日本の国益の為に必死に頑張る首相の姿に対してだけ、国民が自然発生的に持つものなのである。
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日経ビジネスの本日のWEB版に大前健一氏の『日本軽視はここまで進んでいる』http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/49/ という記事を読んだのが、きっかけでこの記事を書くことにした。 大前研一氏は以前に一度講演を聞いたことがあるが、なかなか歯切れの良い口調で、人を飽きさせない言葉を選び、論理も明確であることが講演を聞いた時の実感である。 理科系でありながら、学生時代に英語の通訳のアルバイトをしていたというから、能力そのものが元々ある人物である。日本やアメリカその他の国々でのビジネス経験が豊かな人で、私は彼の意見にいつも100%は賛同するとは限らないが、彼の持つ『世界観』が自分の持つ世界観に近いことを、彼のレポートを読む度に感じる。 もう一人このブログで、日経ビジネスWEB版の記事を2〜3度程度紹介しているのは、立花 隆氏の記事である。あの日本のトップの田中角栄をペンの力で首相の座から引きずり降ろした情報収集力・分析力・行動力は素晴らしい。まさに『ペンは剣よりも強し』ということを現代において実証した人が立花 隆氏であることは多くの人はご存知であると思う。 物のわかった人ほど、文章はわかりやすい文章を書く。彼の文章も例外ではない。立花 隆氏も幅広い世界観を持った人である。彼には宇宙観も加わっており凄い人であると思う。因みに立花 隆氏は文系である。フランス文学が専攻というのも驚きであるが、生まれつき頭の良い人とはこういう人を言うのだと思う。 私から見ると、小泉純一郎氏、安倍普三氏も日本の首相になる人物なのであるから、考え方がどんなに違おうが、立派な人物であるということには何の異論もない。 しかし、私が小泉政権の5年間5ヶ月で感じたことは、小泉氏も安倍氏も世界観が狭いということである。世界観では、大前氏や立花氏の世界観には、小泉氏や安部氏は遠く及ばない。 このような言い方をしては失礼になるかもしれないが、親が政治家で、親の七光りで政界トップになった人々は、恐らく、自分の実力だけで、企業のトップになった人々と比したら、一人の人間個人としての能力は遥かに劣るのではないかと思う。 政界というある種の特権階級しか生きられない、極めて競争の少ない寡占状態の狭い世界で、うまく泳いだ人が、首相となり大臣になっているだけであると感じているのは私だけでは無いと思う。 特に安部氏に感ずることは、世界観が狭く、ある特殊部分に、特化し過ぎているという印象を受ける。 『アメリカの良識』とも言える米ワシントンポスト誌社説が、安部氏の歴史観を批判するのも、安部氏には『アメリカの良識の持つ世界観』を理解できていないし、彼の頭の中には、『日本観』のみがより多く占め過ぎて、世界観が大きく欠けているようにしか見えない。 願わくは、安部氏の下で閣僚や補佐官になった人々の助力を得て、内閣という組織単位では、世界の経済大国の日本としての、正しい世界観をもって、国際社会の中での日本という国を、導いてくれることを願うものである。 私の見た日本の首相の中では、中曽根康弘氏が、最も広い世界観を持った日本の首相であったような気がする。私の見聞きした経験では、中曽根氏ほどアメリカを含めて世界各国から敬意を集めた日本の首相はいない。小泉純一郎氏は、国内では立派な仕事を成し遂げたが、海外での成績はあまりよくなかった首相である。 極端な例を挙げれば、右派的国家主義の人々には、『日本観』しか存在していない。世界観という見方が無いに等しい人々である。右派的国家主義は、再び日本を戦争の惨禍に巻き込みかねない危険に走るポテンシャルを持った人々でもある。 これからの日本人は、日本観と同様に世界観も同じ比重でもたなければ、国際社会では生きてゆけない。そして、それが日本の平和と繁栄に寄与してゆくものと私は信じている。 より多くの日本人が、広い世界観を持てるようなきっかけとなれば良いと思いで、大前研一氏のレポートを今回も紹介した。 私も偉そうなことを言っているが、自分の能力は大したことは無いが、運の良いことに、若い頃から、かなり永きに渡り、アメリカでのビジネス生活を送るチャンスに恵まれた。日本に帰ってからも世界を歩くチャンスを与えられてきた。 大前氏や立花氏の能力には遠く及ばないが、能力は無くとも経験をさせてもらったという意味で、他のことでは、何も勝てるものはないが、『世界観』という部分だけでは、安部氏や小泉氏以上の幅広いものが備わっていると勝手に思っている。 日本人の最もPoorな部分は、ある意味では世界から隔離された島国育ちであり、外に出た経験のある人が少ないが故に、世界観というコンセプトすら気ずかず、日本観しか持てない人が、日本人にはかなり多いということを感じる。 特に靖国問題などを見ていると、そのことを強く感ずる次第である。
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