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遂に出ましたと言わんばかりの、我が母校の最も尊敬できる教授、立野正裕氏の世に出された第二の著作。本作は、「本郷文化フォーラム・ワーカーズ・スクール(略称HOWS)」という文化組織で、立野氏が担当している、短編ないし中編小説を、職場を持って働く人たちや、学生と共に読んでいこうとする文学講座が基盤となり、刊行された。それは、世界文学の短編・中編から秀作ないし傑作だけを凡そ百篇選りすぐり、ただの解説書としてだけで機能する「世界文学入門」で終始せずに、一冊一冊の創造的読解を、若い読者の前に引き出したいという、立野氏の願いの実行であった。 本書には 1、ヴェルコール『海の沈黙』 2、ハンス・カロッサ『ルーマニヤ日記』 3、ウォルター・スコット『二人の牛追い商人』 4、ガルシア・マルケス『大佐に手紙は来ない』 5、ジャック・ロンドン『面汚し』 という、五作の短編の解読が記される。 個人的にヴェルコールの『海の沈黙』しか読んだことがないので、その部分だけを読んでみたが、いやはや、畏れ入った。私が如何に表層的な気分で、無知蒙昧で、『海の沈黙』を読んでいたかということに、本書を通して立野氏の講演で気付かされた。『海の沈黙』に込められた、「徹底した沈黙」という「日常的レジスタンス」と、その隙間に生まれる人間的な罪悪感と自尊心との葛藤。結局抵抗すべきは、狭義の上での政権に対してなどではなく、人間個々の中に内在する醜きものに他ならない、という……。背景である、第二次大戦下におけるナチスに占領されたフランス(ヴィシー政府)という状況に対し、如何に読者がシンクロして作品を読めるか否かで、こんなにも幅が違う、深みが違う読みを、この短編から出来るということにも驚愕した。 質疑応答で、質問者の鋭い質問に対し、ただ安直にでなく、全体に肉付けをし論証して答えを返す立野氏の豊饒なる知識には、真の知識人としての在るべき姿、如いては熟成した誇り高さのようなものを感じた。その他の作品についての講義は、私自身未読なのでまだ読まないつもりだ。こうして本書に対する立野氏の願いないし狙いは、少なくとも私という未熟なる一読者には、存分に叶えられたことに間違いはない。まずは本書収録のその他の作品を読んで、その後の第二、第三……という続編、そして『黄金の枝を求めて』という氏のヨーロッパ遍歴をまとめた新刊を期待したい(個人的には、『閉塞する空間』という、ドストエフスキー的にパワフルなエッセイ、特に最終部は狂気が宿っている、が収録されることを望む)。 余談だが、こういった立野氏の試みは、恐らくトルストイの藝術論、すなわち大衆に理解されるものでなければ、藝術とはただ一部の愛好家にのみ理解される贅沢品で、資源を浪費する戦争と変わりない、という思想が背景にあるのではないかと予測する。如何に一般的生活者に、特に若い人々に、文学を継承してゆくかという意識が、ひしひしと感じられるからである。
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