『月あかりの下で〜ある定時制高校の記憶〜』演出・撮影・編集:太田直子、日本、2012 少年時代の僕は、ずっと得体の知れない苦しみのなかにいた。苦しみの原因がよくわからなかった。生きづらさは、酒や煙草やアルバイトや音楽や小説に、少年を向かわせた。もちろん、それすらもすべて中途半端だった。生きづらい、苦しい。その理由が知りたくて、東京をとおく離れ、愛知県の大学に入ったのかもしれなかった。苦しみは、ユートピア幻想を産む。トマス・モアが言うとおり、それは「どこにもない場所」だった。そうして幻想は、いつの間にか社会にもまれ、消えた。しかし、少年時代の気持ちは、うすぼんやりとした黄昏のなかにあるけれど、あの「得体の知れない苦しみ」という存在そのものは、けっして忘れることができない。
この映画にでてくる、少年・少女たちも苦しんでいるように見える。多くは中学・高校時代に不登校を経験し、夜間の定時制高校に自分の「居場所」を求めてやってくる。浦和商業定時制課程の、入学から卒業までの4年間の記録がおさめられている。その舞台は、いまはもう閉校になっているらしい。
教室でじっとしていられない、自傷行為、妊娠、親からの虐待、アルバイトで生計をたてる……、そこにはさまざまな背景が映し出されている。しかし、彼/彼女らにとって、この学校は笑顔をとりもどせる場所でもあった。教師たちも熱心だった。もちろん、すべてがハッピーエンドだったわけではない。傷を癒せずに去った子どもたちもいる。それが現実だ。しかし、その現実をうけとめながらも、教師たちは必死に自分の頭でもがく。
平野和弘先生が苦境にある生徒たちに聞かせた、茨木のり子の詩が印象的だった。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
『永遠の詩② 茨木のり子』所収
まるで、僕自身に突きつけられているような、深い言葉だった。
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