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「外を見たいのなら、席を替わりましょうか」と再び彼女が言う。
「いや、大丈夫。ここからでも見えるよ」と言って外を見るとPRは機体を右に大きく傾げている。海が眼下に迫っていて、太平洋に突き出た岬が見えて来た。 「あれはインファンタだね。右側に見える川がアゴスリバー。この山の南向こうにはラグナ湖が広がっている。この景色が私は大好きなんですよ」と言うと、彼女は「良くフィリピンを知ってるんですね。お仕事で色々な所に行ったのですか」と真面目な顔になって聞く。 「いや、仕事は少し観光が大部分ですよ」と私は正直に答えた。 「でもお客さん、違ったあなたの観光は他の日本人の言う観光とは少し違う様に思えるんだけど」と持ち上げて呉れる。 ホステス業の面目躍如である。 私が黙って微笑みで答えただけであったので、そこで話しが途切れてしまった。 飛行機は水平に戻り、ラグナ湖北岸沿いを徐々に高度を下げて行く。廻りのおっさん達も起きていて、到着が待ちきれず又前と同じ類の話をし出している。 私は、窓の外の地上の風景を見ながら一つ一つの場所を確認していった。 私達の乗ったPRは少しラグナ湖寄りを飛んでいた事から右の窓からも今日は湖岸道路が良く見えていたのである。 あれはタナイ、次がバラス、その次がモロン、その上がアンティポロで下がアンゴノ、向こうの川はパシグリバー。 と数える内に、PRはエドサを右前方に見ながら更に下降して行く。 少し気流が悪い様で、機体がローリングしている。 床下で僅かな音がして脚を出すなと思った時、ゴンと言う音と同時にその脚が出て空気を切り裂く音とエンジン音が大きくなって来た。 隣の彼女に、フィリピンの家を聞かなかったなと思いながら黙っていると、私と同じ様に窓の外を見ていた彼女の方から逆に聞いて来た。 「あなたは今日どちらに御泊まりになりますか。私の家はパシグですから、もし案内が必要でしたら、何時でも電話を下さい」と言う。 いやに積極的だなと思っていると、 「私の兄がトラベルエイジェンシーに勤めていて、観光案内をしているんです。あなたには通訳は要らないと思うけど、もし私達で良かったら案内をしますよ」と言いながら、電話番号を岐阜のクラブ名刺の下に書き込んで呉れた。 そう云う事かと思いながら、 「ああ、有り難う。もし必要ならば連絡します」と言って自分の名刺入れに貰った彼女の名刺を挟んてポケットにしまおうとすると、 「あの、良ければあなたの御名刺を頂けませんか」と彼女が今度は遠慮勝ちに言う。 「引退した私の名刺なぞ持っていても仕方が無いけど、どうぞ」と言って一枚自分の名刺を抜いて彼女に渡した。 それをしげしげと見ながら、彼女は「車関係の御仕事なんですか」と聞いて来る。 「難しい漢字も読めるんだね。車関係の取引は多いけど、車だけじゃなくて発電や充電が必要な会社とは取引していましたよ」と答えると、 「じゃあ、フィリピンにある日本の会社には顔が広いんですね」と重ねて聞いて来る。 私は、仕事に関係した話に少し鬱陶しくなって 「そうですけど、もう私自身は引退してしまって当時の関係会社には何の連絡もしていないんです」と彼女の次の言葉を切る様な答え方をしたのだが 「でも、私がもし日本語一級を取ったら日本の会社で働く事が出来るのかしら。どう思われますか?」と更に言い募って来る。 「一級はとても難しい試験ですが、続けて努力すればあなたなら大丈夫でしょう。日本企業もタガログ語や英語が堪能な社員ばかりを派遣していませんから、一級と言う資格があれば就職には有利になる事は間違い無いですね」と教えた。 会話がそこで又途切れた時、PRは低い雲の層を抜けて右旋回を終わり海側から最終の着陸体制を取り始めた所だった。 眼下にはカビテ港に続く浜が見える。 その上をPRは下降して行く。 緑に縁取られて曲がりくねった川沿いに点在する池とその周辺に立ち並んでいる赤や青の色とりどりのガリバニウムの屋根が視界に入り又急速に後方に去って行く。 機体がマニラ空港のフェンスを過ぎたと思った数瞬後、ドンと言う着陸の音と衝撃が来、続いて逆噴射が始まって私達のPRは急速にスピードを落として行った。 機内のアナウンスが、着陸した事を告げ完全に飛行機が止まるまで席を立たない様にと注意している側から、例のおっさん達はシートベルトをはずし始めている。 立ち上がって収納棚を開け始める酷い奴もいる。 それは、フィリピンを知悉し飛行機には慣れていると言う愚かな自己顕示なのか、それとも機内放送も理解出来ない唯の馬鹿なのか。 私は又もや気分が悪くなって思わず彼女に聞いた。 「あなたのクラブではあんな日本人ばかり相手にしているの」 彼女は笑いながら答えた。 「どうしようも無い日本人は多いけど、仕事だから仕方がないの。でも私のクラブはまだ良い方ですよ。他のクラブでは、日本のオサワリバーと同じ。日本に行った時の夢はイリュージョンだったって、今ではみんな解って割り切っているわ」とそこの部分は笑わずに言った。 「それでもやっぱりフィリピンよりは増し。私も頑張ります。子供がいるからね」と、今度は少し微笑んで言った。 その笑顔には、もう日本人が忘れてしまった自分の力のみを頼りにして生きて行く強さがあった。 「頑張りなさいね。あなたの努力に家族の生活と未来が掛かっているだから」と言うと、彼女は左腕を曲げて綺麗な力瘤を私に示した。 完全に止まったPRの棚から土産が入ったバッグを出して、私は出口に向かう列に並んだ。私の前は彼女である。 傍目には、一緒に帰国した彼氏と彼女の様に写っているのだろう。オジサン達が無遠慮に声を掛けて来たが私はムッとした気持ちで彼等を無視した。 しかし彼女は面白そうに笑っている。 それを見て私は恥ずかしくなってしまっていた。 その恥ずかしさは、馬鹿おじさん達に付いてでは無く狭量な自分に気が付いたからである。関係無い他人がどう思おうと笑っていれば良いではないか。 強いて無視する事は、それ自体で他人に振り回されている事と、彼女に悟らされた気がした。 そして、私は更にフィリピン人が好きになっていた。 入国管理局のカウンターではタカリは無かったが、税関の女官吏のしつこさと嫌らしさは相変わらずだった。
それは外国人取り分け外国音痴の日本人に向けられるのだが、この頃は帰国して来るOFWに対しても酷くなっているとの事である。 今度は一番嫌なフィリピンが待ち受けていたのだ。 女官吏の嫌がらせを通過したと思ったら、今度は出口に立った税関職員が手に握ったペソや円の札を見せながら、金を要求している。 直接に金をよこせとは口には出さないが、嫌がらせするぞとばかりに、出口を塞いで金を寄こせと手でサインを送っているのだ。 私はチェック済みの税関申告書を叩きつける様にして彼の手に渡し、知らん顔をして外に出た。 もう彼女の姿はどこに行ったのか見えなかった。 「オーイ」とフェンスの向こうから口髭を生やした真っ黒い顔の男が私を呼んでいる。
昔からの知人のH社の梶原君である。 「久しぶり」と私も手を挙げて大声で答える。 フェンスの外に出ると梶原君のドライバーが直ぐに駆け寄って来て荷物を持って呉れた。 「本当に久しぶりだね、元気してた?」と彼は満面の笑みで私を向かえ、両手で握手して歓迎して呉れる。 「いやあ、今日はゆっくりと飲みたいが、どこか先に旨い食事が出来る所に行かないかい。飛行機で機内食を喰いそびれたんだ」と言っていると、後ろから私の名前を呼ぶ声がする。 「高橋サーン。何かあったら電話して下さいね」 例の彼女である。私に向けて手を振っている。 それを見た梶原君は、 「おっ、高橋君も角におけないね。彼女と同伴帰国かい。何なら今夜は一人にしても良いんだけど」とからかう。 「違う違う、そんなんじゃないよ。あの娘は機内で知り合っただけだ。誤解するなよ」と言うと笑って、 「とちらでも良いじゃないか、さあ行こうぜ」と言って駐車場に向けて私の腕を取って歩きだした。 梶原君の「どちらでも良いじゃないか、さあ行こうぜ」とさらりと言った言葉に、私はもう自分では追いつけない様な、暫く合わなかった彼の自由な精神を感じていた。 これが私を捉えて離さないフィリピン流の物事に拘らない自由精神を得た彼の自然体なのだ。 長期滞在している梶原君は酒を飲むと決まって言う 「もう俺は日本では住めないだろうな」。 彼の心はもうフィリピン人と同じなのである。 私は、彼の言葉を心の中で反芻していた。 自分はまだ、人間を閉塞させるしかない日本を卒業する覚悟が出来ていないのではないか。覚悟も無い唯の理屈屋が政治や行政や社会への不平不満を言って暮らした所で一体何が変わると言うのだ。 事はなる様にしかならないのだ。 「どちらでも良いじゃないか、さあ行こうぜ」と自然に言える様になった時が本当に私はフィリピンから自分自身の解放を学んだ事になるのだろう。 走り出した車は冷房が効いていて清潔で、車外のフィリピン社会とは隔絶された世界である。それは今日泊まるホテルでも同様なのだ。
それは又柔軟性や許容力が欠如した日本人向けの一般フィリピン社会から隔離した安全サービスと同じ意味を持っている。その隔離スペースの中で、フィリピンに帰って来たと言う自身の思いとの矛盾を私は思っていた。 梶原君は助手席に座って振り向きながら私と少し話した後、前を向いてCDを聞き出している。 私は後部席に座って窓の外の雑踏や、停止する車を狙って殺到する物売りを見ながら様々な思いに耽っていた。 フィリピン赴任時代には多くの地方を訪ねて、沢山の書籍も購入してフィリピンを勉強しフィリピンの歴史や社会の成り立ちを理解した積もりではあったが、それは半端エリートが良く陥る多分の誤解を含んだ頭でっかちの半端評論家に私をした以外の何物でもなかったのだ。 自分自身からの解放、再び私はそれを考える。 梶原君の空港での言葉が又頭に浮かんで来た。 「どちらでも良いじゃないか、さあ行こうぜ」。 私が口に出して見ても、それはまだ意志が押し出した言葉として陳腐である。 彼女の言葉も思い出されて来る。 「勉強します」。 そう、今度は違う勉強をしようぜ。口に出して自分に言ってきかせて見た。 「何?」と梶原君が振り返って聞いてくるが、私は笑って「フィリピンが好きだと言ったんだよ」と言うと彼は不得要領に頷いて、又前を向いてしまった。 今日のマニラは小雨模様である。 第2章へ
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