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フィリピンと言う国は一般に貧しいと言われている。しかし、マニラや周辺都市の市民のライフスタイルは、私達日本人から見ればその貧しさからかけ離れたとても理解出来ない程の多彩さと旺盛な消費力を持っている様に見えるのだ。
2007年の日本政府の資料によれば、フィリピンのGDPは1576億ドル、国民所得は年間1777ドルである。 約40%が郡部の貧しい第一次産業の従事者であるのを考慮すると、都市型のライフスタイルと旺盛な消費意欲は日本政府資料と照らし合わした時、その背後に存在する酷い格差を私に思わせる。 格差は、都市と郡部そして所属する階層や個人の学歴や資格に於いて極端なものとなっているのだろう。統計資料は格差と格差から発する貧困を希釈して印象付け、そこにある問題を覆い隠しているのだ。 しかしこの都市型のライフスタイルの根拠は都会と郡部の所得格差など、果たしてそれだけなのだろうか。 別の言い方をすれば、マニラなどの大都市に住む人々の所得水準だけが高い事がその多彩で旺盛な消費やアメリカナイズされた都市社会の理由なのだろうか。 私にとっては絶対に旨いとは思われないアメリカから上陸したS社のコーヒーショップに若者が群れて、タガログ語で無く英語でそれも極力にアメリカンな発音で口角泡を飛ばしながら不必要に大きな声で喋っている光景は都市部では珍しくは無い。 それは確かに金と暇が無ければ出来ない不要不急の飲食ではあるのだが。 又デパートや巨大モールには人が溢れ、連れだってショッピングしている家族や友人達のグループも良く見かける風景である。 特に、クリスマス等の祭事時にはどこからこんなに湧いて出てきたかと思う位の人達が、財布片手にギフトショップに群れているのだ。 フィリピンは本当に貧しいのだろうか。 物の本によれば、長きに渡る宗主国の植民地政策によって植え付けられた被差別意識が定着しており、他人即ち他の自国民との差別化を図り如何に上位に遷移出来るかと言う自分の可能性を周辺に認知させる事で、貧しく可能性の乏しい社会の中に於ける自身のサバイバビリティーを向上させたいと言う意識が何時も働いている、と言うのだ。
もしそうであるならば差別されてきた自身が、更に他を差別する事でフィリピン人は少ない自己実現の機会を獲得したいと言う潜在意識を形成していると言う事になってしまっているのだろう。 簡単に言ってしまえば「背伸び」をしてでも他とは違うと言う存在感を周辺に不必要なまでにアピールし又自己確認しようとする試みを生んでいると言う事なのであろうか。 あのコーヒーショップに群れている若者も全てが上流社会の出身でもあるまい。 又中には田舎から家族の期待を一身に背負って、上京した者も居るであろうに。 それにショッピングで忙しい家族達もその全てが高額所得者である筈はないのだが。 そんな無理をしなくても良いし、そんな底浅い装いはこのフィリピン社会では決して当人達が期待した効果を有むものでは無い事を私はふいに教えてやりたい衝動に駆られた。 フィリピン政府が過去無理矢理行って来た社会構造の高度化や経済成長の試みはほとんど成果を生まなかったし、逆にフィリピン人の美徳を破壊しただけだったに終わったのではなかったのではなかろうかと、衝動を衝動に留めざるを得なかった私は思っていた。 その日の朝、梶原君が急の仕事で来られなくなったと言う電話をして来た事で、私は一人でホテルを出て久しぶりのマニラの町を散策し、フィリピン人経営の小さなコーヒーショップでアイスコーヒーを飲みながら町行く人を見てそんなこんなの思いに耽っていた。
続く・・・
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