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目が覚めた時、車はカラバルソンハイウェイを丁度降りる所だった。
廻りを見回すとバタンガスの町も夜明けの薄明かりの中で目覚め出している様である。 港の方向に歩いて行く人が大勢いる。 彼等は農水産物の仲買や到着するブローカー相手の物売りであろう、大きな駕篭を持っていたり木製の古びた荷車を曳いてたりしている。 時計を見ると午前5時をちょっと過ぎていた。もうウィスキーの酔いは体からすっかり抜けていた。 私達の車は、そのバタンガスの町の人並みを左手に見てハイウェイからフェリー乗り場まで直行して行く。 真新しいフェリー乗り場の駐車場には、バスからトラックからジプニー・乗用車までが溢れて既にフィリピン名物の大混雑が始まっていた。 「ボビー、早くしてくれ」と、梶原君は腕時計を見ながら到着草々にボビーに催促している。 私営の駐車場にスペースを確保したボビーは管理人に心付けを渡してからハッチバックを開け、竿やクーラーその他の日常品が詰まったケースを運び出し始めた。 私も、自分の荷物だけでは悪いと思ってボービーに手を貸して荷物を出そうとすると 「サー、これは私の仕事です」とボビーは私に何もさせて呉れない。 カートに荷物を載せたボビーと私達二人は、岸壁に出てリザーブしてあるバンカの到着を待った。 ここから見えるフェリーの待合室は、観光客や何かの運び屋や家族連れで既に満員状態である。 待合室の正面の岸壁には、大小のフェリーが波に揺れながら停泊していてその一番右端の立派なフェリーでは、もう乗船が始まっていた。 乗客はバックパックを背負った若い西洋人や、日本人と思われる東洋系の如何にも成金風グループ、そしてカップル等が目立っている。 彼等はそれぞれの言葉でそれぞれに話し込みながら白いペンキで塗られたタラップを伝って船内に入って行く。 20分程して待合室の放送が次のフェリーの案内を始めた時、私達がリザーブしたバンカが岸壁目掛けて近づいて来るのが見えた。 私達のフェリーは、フェリーと云ってもスタビライザー付きの中型バンカである。 このバンカはプエルト・ガレラの、ある浜辺に直接到着する便なのである。 ボビーはその中型バンカ目掛けてカートを進め荷物を運び込み始めていた。 こちらの中型バンカを利用する客層は通常、先の立派なフェリーの客と違っていて普段着で生活物資を買い出しに行った帰りと思われる人や、家族連れなど一般的なフィリピン人なのであるが、今日は私たちの貸し切りだ。 バンカには、舳先から横に張り出した踏板から降ろされた渡り板を伝って船内に入るのであるが、これにはなかなかコツがいる。 港内と云っても波があって渡り板は常時揺れているし、第一に幅が狭いのだ。 私は助けが必要では無い素振りをし、エスコートを無視して自分で乗船した。ささやかに自分への意地を張って見たのだ。 このバンカが目指す浜は、プエルト・ガレラの中心であるサバンと云う所から500メートルほど右方向に行った入り江である。 このサバン近くの入り江の浜はプエルト・ガレラに関して外国人が持っている一般的印象とは掛け離れた、どちらかと云うとファミリー向けの鄙びた小さなビーチである。 梶原君はミンドロ島に釣りに行く時はこのサバン近くの入り江をホームベースにしていた。 中型バンカのリザベイションフィーは半日2500ペソである。 「サー、久しぶりです」と中型バンカの船長兼機関士兼サービス、掛かりの50才を少し過ぎたくらいの人柄の良さを真っ黒な顔に滲ませた男がバンカに乗り込んだ梶原君と握手している。 梶原君は、おもむろに男への土産を取り出して見せた。 「チリャード、君の初孫にプレゼントだ」と云いながら、ヘリコプターの模型を取り出して見せた。 続いて、「これは母親になった君の娘に」と云ってヘヤーブラシとコンディショナーとシャンプーのセット、そして最後に「これは君と奥さんに」と云って派手な花柄模様の花瓶を、リチャードと云う余り顔と似合わない名前の船長に手渡してから、彼に私を紹介した。 「リチャード、彼を覚えているかい。一度、一緒にバンカに乗せてもらった事があるけど」と云うと、 リチャードは笑顔で「覚えてますよ。ミスター高橋でしょう。1年位前の事ですね。久しぶりです」とスペイン訛の強い英語で云ってから大きな堅い手で握手をしてきた。 続く・・・ |
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